10・美酒研究
タイムが夜の営業を任せられている店、銀の馬蹄亭のドアは、閉店中ということを示すように店舗正面の扉は施錠されていた。
裏口に回り調理場に入ると、タイムの父親がすぐに怒鳴りつけるようにタイムへと一言。
「遅いぞ」
「わりい親父。その代り助っ人連れて来た」
何一つ悪びれている様子の無い謝罪と、助っ人という言葉にタイムの父親はそれ以上の言葉を飲み込み、
代わりに助っ人と紹介されたことに、サトルはちょっと待てと声を上げる。
「あ、こらタイム! 俺はルーの家の方の飯も作る必要があるんだぞ」
サトルたちが送っていくというのを、タイムは手放しに喜び受け入れたので、何かしら思惑があるのだろうと思っていたのだが、ここまで当然のように言われるとは思わなかった。
サトルが拒否することも事前に考えていたのだろう。タイムはすぐにサトルへと向き直り、語尾の間延びした甘えた声でサトルにねだる。
「野菜の下ごしらえだけでいいからさ、たのむよー」
「駄目だ」
「色々便宜計ってんだろ? うちの食材だって使わせてるしさ、そのお礼だと思ってさあ、なあサトルー」
「大体その後無理やりダンジョンに連れてかれたり、何か手伝わされたりするだろ、チャラだ」
「えー いいじゃんよー、サトルだけが頼りなんだよー」
頼り、その一言にサトルは弱い。ぐうっと呻いてサトルは額を押さえる。
もう一押しとばかりに、タイムはさらにサトルに言い募る。
「頼むよサトル、なあ、お願い、な?」
「……オリーブも付いて来てるんだ」
さすがに他に人がいる以上、待たせるわけにはいかないと、サトルは渋い顔で拒否を続ける。
その様子に、タイムの父親は眉間に深い皺を刻んでいる。サトルたちの手前堪えているが、ここでサトルが了承をしなければ、ただでさえ時間の押しているこの状況で、タイムはいつも以上に父親に叱りつけられるのが目に見えていた。
さすがにそれはタイムが憐れな気がするが、それでもサトルはオリーブの方が優先だと首を横に振る。
タイムはそれならいい案があると、指をピッと立てて提案する。
「だったら姐さんには、俺の新作の酒の試飲してもらっとくから、その間に」
サトルはタイムの言う新作という言葉に心当たりがあった。
「新作って、もしかして他にも作ったのか? 前仕込んだのは?」
サトルの食いつきに、ここぞとばかりにタイムは大きく胸を張る。
「おう、試してみた。前のも結構上手く行ったと思うんだけど、俺が好きだからって万人受けとは限らねえし味見して。あとまだ熟成してないけど、あっちの方も少し味出てきてるっぽいし、経過見てみねえ?」
「ああ、それなら……オリーブ、ちょっと頼みがあるんだ」
唸るような声で呼ばれ、オリーブは身構えつつ返事を返す。
「何だサトル殿」
「マレインや先生たちを呼んできてくれないか? 新しい事をしたいと思って。それと、この間ローゼルさんと一緒にダンジョンに潜ったメンツも。何だったら家にいる奴ら全員」
思いもかけない要請だったが、新しい事という言葉とマレインやルイボスを呼んできて欲しいという要望は、オリーブにとっても興味をそそるものだった。
「何をしたいのかわからないが……新しいことは私も興味がるからな、いいだろう」
軽く請け負い店を出ていくオリーブの背を見送って、タイムは少し声を落としてサトルに問う。
「いいのか? サトルの持ち出しの金相当かかるぞ。珍しいもんも使ったし」
「いや、そこはローゼルさんに付けといてくれ。あの人に借りを作ってある」
金については問題は無いと言い切るサトルに、タイムはけらけらと笑い、サトルの背を叩く。
「うへ、あの女帝にかよ。お前のそういうところほんと好きだわ俺」
「そりゃどうも」
そういう素直に好意を表現するタイムに、俺もお前のそういう無邪気なところ嫌いじゃないんだよな、と心で思いつつ、サトルは気のないような返事を返した。
オリーブがマレイン達を呼びにルーの家へ戻っている間、サトルはタイムの頼みを聞いて下ごしらえの手伝いをした。
タイムは流石に手慣れたもので、サトルが手伝ったのは本当にグリル用の野菜の皮剥きや切る事だった。
スープなどの過熱に時間にかかる物の仕込みはすでにタイムの父親が済ませいたこともありさと、何とか営業時間までに下準備だけは済ますことが出来た。
夜の営業時間に差し掛かった頃、オリーブはルーの家にいた全員を連れて戻ってきた。
セイボリー、マレイン、ルイボス、ワームウッド、ヒース、カレンデュラ、アロエ、アンジェリカ、モリーユ、そしてルーもいた。
クレソンとバレリアンは女遊びに出掛け、ニゲラはサトルの要望でドラゴナイトアゲート探しに巣の周辺に帰っていたのでいなかったらしい。
せっかくなのだから夕食もここで済ませることにした。
チキンと野菜のグリルとキャベツのスープとともに、タイムはテーブルに幾つかの酒の瓶を並べる。
「こっちが若い松の実を漬け込んだ蒸留酒、こっちが生のダイヤモンドカラントとクラビーで仕込んだ熟成の浅い甘さ残した酒、一番香りがいいと思う」
その説明に真っ先に食いついたのは、やはりサトルが認める美食家マレイン。実に面白そうだと目を細めタイムの説明を真剣に聞く。
「んでもってこっちが去年のブドウのワインにダイヤモンドカラントを乾燥させて漬け込んだやつで、甘さが強いけど、皮の渋味感じるのと、ワインの元の匂いがちょっと苦酸っぱっぽいから、ちょっと改良した方がいいかもしんないやつ。こっちは硬めのプラムと氷砂糖を色の無い蒸留酒を漬け込んだやつ」
それは聞いたことが無いと、マレインの尾がピンと立ち上がる。
「プラムと氷砂糖?」
「浸透圧っていうやつ。塩漬けすると野菜とか肉とかからからになるだろ?あんな感じで、氷砂糖がプラムの水分吸うんだ。でもって萎れたプラムに酒の水分が染み込む余地ができるから、中のプラムも美味しく食えるようになるって。プラム自体はダンジョン内で採ってきたやつな。農業用の品種じゃないから硬いし酸っぱいんだけど、もしかしたら食える方法有るかもってサトルに聞いてやってみた」
普段は雑と言われるタイムだが、事酒については自分の興味関心ごとだからか、とても饒舌に説明して見せる。
説明も一通り終わったので、さっそく飲んでみようと、それぞれが気になる酒を自分の目の前に置かれた気のカップに注ぐ。
「あ、これ私好きです!」
そう言ってルーが呷るのは、プラムと氷砂糖を漬け込んだ蒸留酒。タイムもルーなら気に入るだろうと思ったと、満足げに頷く。
「だろだろ、ルーちゃんでも飲みやすいだろ。サトルの国の酒に近い味らしい」
「サトルの? それはどんなものだろうか?」
異国の味と聞き興味津々のマレインに、ルーは飲んだ方が分かるとカップを渡す。マレインはルーからカップを受け取り酒を口に含むと、確かにと頷く。
「へえ、飲み物だが菓子みたいだ」
熟成させていない蒸留酒のアルコールの棘のある味や、果物の酸味を多少強く感じるが、それでも氷砂糖を使ってあるので、菓子のような甘さと質感を伴ったとろりとした舌ざわりや果物の甘酸っぱい香りが、まるでそういう菓子のようだと思わせた。
「プラムの酒は二ヶ月だけ漬けてるけど、本当は三ヶ月以上が目安なんだそうだ。もっと熟成させておくと、味の角が取れてくるんじゃないかと思ってる。分量変えていくつか試した中で、それが現段階で一番飲み口良かったやつ。他のはもうちょっと熟成させたら味変わるかもしんねえからまた今度な」
「それは楽しみだ」
満足げなタイムとマレインの横では、セイボリーとルイボスが、やや渋い顔。
「松の実の酒には薄っすら匂いが付く程度か。熟成されたウィスキーより青い匂いだ。悪いとは言わないが、これでは物足りないと感じるか」
「渋味がありますね……これでしたら、松の実のジャムを入れた方がいい気もしますよ」
その感想に、先程の満足そうな表情から一転、タイムはそうなんだよなあと肩を落とす。
「うーん、やっぱそうだよなあ。松の実って香りは悪くない気もするんだけどな」
だったらとアロエが提案をする。
「だったらもう一度蒸留してみたら?」
香りを付けて、なおかつアルコール度数を上げれば、単純に熟成の進んだウィスキーに近づくんじゃないか、ということらしい。
しかしタイムはそれはすぐには無理そうだと応える。
「うちの工房蒸留設備無いからなあ。欲しいとは思ってるけどよ」
マレインとしては松の実の香りも好みの範疇らしく、もっと研究を続けて欲しい所だと笑う。
「矢張り癖のある材料は難しいか。けれど蒸留で香りを付けるのは悪くないアイディアだと思うよ。タイム、君には才能があるのだから、ぜひ今後も続けてくれ」
もちろんだと返すタイムだったが、そんなタイムの心は、カレンデュラの言葉ですぐに別のことへと移った。
「このダイヤモンドカラントのお酒、美味しいわ……生のダイヤモンドカラントを醸造する、こんな贅沢な事を考えつくなんて……尊敬しちゃう」
うっとりと吐息をこぼすカレンデュラに、タイムは相好を崩しもっと褒めてとカレンデュラにねだる。カレンデュラもアルコールが入って上機嫌なのか、偉い偉いとタイムの頭を撫でた。
「うへへへ、でしょ? 俺凄いっしょ」
そんなプレイを横目に、ワームウッドが珍しく酒について言及をした。
元々あまり食に関してとやかく文句を言うタイプではないワームウッドだったが、クラビーの醸造酒であると聞いて、おかしなことだよねと首を傾げていた。
「たしかに凄く贅沢な味だね。でももう発酵に適したクラビー手に入らなかったんじゃない?」
クラビーはもう少し春の早い時期にしか酒に仕込むことのできない、特殊な果物だ。それをもう夏も間近なこの時期にというのはどう考えても時間の都合が合わないと、ワームウッドは言う。
「それがよ、サトルがなんか赤い光の魔法っぽいことして、クラビー発酵させたんだわ」
タイムのもごもごと要領を得ない説明に、あー、っとルーが声を上げる。
「あ! それディーヴァさんとプリマさんですね!」
その瞬間まで席の端で一生懸命アイスクリームを作っていたサトルは、ルーの言葉に顔を上げて口の端を持ち上げる。
「ああ、やっぱりわかるか?」
サトルがルーの家の炊事場で面倒を見ている妖精たちの中には、クランブルワインやクラビーのジャムの妖精がいる。その妖精たちに力を借りたのだろうというルーに、サトルは隠すつもりは無かったと返す。
「以前ラブちゃんのことがありましたから。けどお酒造りのどこにサトルさんが噛んでいるのかと思ったら、そこだったんですね」
「そうそう、すげえよな。コレなら仕込みの時期逃しても、ダンジョン内でクラビー探せばクランブルワインが一月で出来るって寸法だ」
タイムの言葉に、それぞれの席から感嘆の声が上がる。
妖精たちの力を披露して見せた中で、蜜酒関係以外で、ここまで誰しもが興奮した様子だった事は有るだろうかと、サトルは何となく微妙な気持ちになった。
もういっそ酒の勇者でも名のった方が、自分は周囲の賛同を得られるのかもしれないと、本気で考えてしまう。
「それは素晴らしいな! サトル殿、ぜひ今後もその力、有意義に活用してくれ! 私は全力を持ってサトル殿を応援し、支援するぞ!」
そう高らかに宣言したオリーブの手には、なみなみと酒の注がれたカップが強く握られていた。