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コウジマチサトルのダンジョン生活2  作者: 森野熊三
第四話「コウジマチサトルのお披露目」
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7・貴婦人の毒

 自室に帰り、部屋義に着替えながらサトルは呟く。


「ここは安心する」


 会食での人に試され、見物され、見定めようと観察してくる嫌な視線が、この家にはない。

 人をからかったり、軽く扱ったり、距離を詰めてこようとするのは感じるが、それが悪意ではないと分かっているので、むしろ心地よくすらある。

 だからサトルはこの場所が好きだと思った。


「できればここを維持したい。それが今の一番の目標だな」


 結論は少しだけ大きな声になり、ニゲラがそれに気が付き首を傾げる。


「どういうことです?」


 素直な子供の仕草に、サトルは穏やかに口の端を持ち上げ応える。


「できる事ってのは人それぞれだ。大きい仕事をするのも大事だが、今できる目標をできる限り達成していく、短いサイクルで達成できる目標を作っておく、それが仕事を続けるコツなんだ。自分の気持ちの保ち方だ。だから、俺の今の目標が此処の維持。大きな目標はキンちゃんたちを助ける事だけどな」


 少し酒が入っているからか饒舌なサトルの言葉に、ニゲラはくすりと笑う。


「凄く父さんらしい気がします」


 サトルはニゲラの反応に気を良くし、シャツを脱ぎかけたままベッドに仰向けに倒れると、滔々と持論を吐き出す。


「俺だけの話じゃないさ、人間の生きる知恵。一年っていう年月を区切って、更にその中にたくさんの季節を区切る。小さく区切られた季節ごとに、こうなる、ああなる、だからそれまでにこれをする、あれをする、って決めるんだ。人生でも、三歳、五歳、七歳まで生きたら、十三歳、十五歳、十六歳、十八歳、二十歳まで生きたら、三十、四十、五十、六十、刻んで、刻んで、この歳まで生きたいな、この歳まで生きなきゃなって……」


 会食でよほど飲まされた酒がきつかったのだろうかと、ニゲラはここでようやく首を傾げた。

 リビングにいた時からサトルはいつもは取り繕う体面を気にせず、やたら疲れた様子や不機嫌にも見える物言いをしていた。

 心配そうにキンちゃんたちもフォーンと鳴いて、サトルの左手に寄り添う。


「生きるために、必要な……」


 左手の温かさにサトルは喉を鳴らして笑い、ありがとうと手を持ち上げてキンちゃんと額を合わせる。


「俺はさ、キンちゃんたちはもちろん好きだし、ニゲラ、君にも、ルーにも、ずっと生きていて欲しい……ずっと、生きていてくれなくちゃって」


 そう溢したサトルの目じりから、ほとほとと涙がこぼれ、ニゲラはぎょっとする。

 サトルがニゲラの前で泣いたのはこれが初めて。今までに無いサトルの様子に、もしかして熱でもあるのではと、ニゲラは慌ててサトルの額に手を当てる。


「父さん、どうしたんですか? 息、苦しそうです」


 距離を詰めてわかるサトルの呼吸に混ざる雑音に、ニゲラはなおさら慌てる。

 そんなニゲラの様子に何を思ったのか、キンちゃんが唸る様に低くフォーンフォーンと鳴いた。

 とたん部屋中から集まってくるキンちゃんの仲間たち。


 その様子にサトルも目を見開き何があったのかと狼狽える。


「母さん?」


 キンちゃんたちはサトルの胸の上に集まると、淡く発光し何かを始めた。

 キンちゃんの鳴き声からすると、怒っているようにすら見えたのだが、一体何に怒っているのかが全くわからなかった。


「あ……胃のムカつきが取れた、かも」


 酒のせいだと思っていたじりじりとした胃の痛み、肺が圧迫されるような感覚なくなり、サトルはほうっと息を吐く。

 どうやらキンちゃんたちがサトルの体に起きていた不調を治療したらしい。

 キンちゃんたちが胃の上に集まっていたという事は、その不調の元は胃に有ったという事だろう。


「食中毒でも起こしてたんでしょうか?」


 サトルは身を起こすと、自分の服が乱れたままベッドに倒れ込んできたことに気が付き、不機嫌そうに眉根を寄せる。

 脱ぎかけだったシャツを手早く着替え、脱ぎ散らかしてしまっていたベストやジャケットを拾いにベッドから降りる。

 拾ったジャケットの表面に付いたホコリを几帳面に払落し、しわにならないよう伸ばしながらサトルはニゲラに答える。


「だったら会食で食べた物だろうけど……そこまで変なものは食べてないな。せいぜい勧められた酒を飲んだくらいで……」


 歯切れの悪いサトルの返事に、うーんとうなって首を傾げるニゲラ。

 先ほどまでのやけにだらけた様子から一転、いつものサトルらしい、子供の前でみっともない所は見せられないと、必要以上に気を張るような雰囲気にもどっている。


 紳士を自称し、行儀に関しては自分にも他人にも厳しい所のあるサトルが、何故先ほどまではあんなにもだらけていたのだろうか。

 ニゲラはまさかと思いつつも、思いついたことを口に出してみる。


「あの、そんな事は無いと思うんですけど、父さんもしかして自白剤のような物飲まされませんでしたか? もしくは変なお薬の入ったお酒とか」


 ニゲラの問いに、サトルはわずかに目を見開いて固まった後、すぐに大きく頷いた。


「何だそれは、覚えがな……ある!」


「あるんですか?」


 繰り返すニゲラの問いに、サトルは「ある」ともう一度頷き、キンちゃんもフォン! と強く肯定した。


 サトルは他人から勧められた飲食物を、あまり拒否する事は無い。それはサトル自身のポリシーだった。

 もちろん何度か勧められた酒は一通り、舐めるように口だけは付けていた。


 何杯目だったか忘れたが、酒を一口含んだ時に、どこか覚えのある匂いを感じた気がした。それはローゼルの使っている人の感情を引き寄せるための香や、人の心を惑わせる黄金の蜜酒に似ていた。味わいがチリッと舌に痺れるような気がして、アルコールの度数が高いのかもしれないと感じた。

 黄金のミードバチの蜜を使ったカクテルのような物なのだろうと勝手に思っていたのだが、考えてみるとその酒を飲んで以降の記憶に、妙に靄がかかっているような気がした。


「くそ、何か怪しいと思ったんだあの酒。キンちゃんたちも不安そうにしていたし。胡散臭い笑顔だと思ったんだよ。ああやって人に笑顔で近付くやつはたいてい何か利己のことを考えてるんだ」


 その酒を渡してきたのは貴族議会派の一人だったと記憶している。女性のやけに華やかな装飾品を纏った、魔法使いだろう冒険者だった。大きな黒い瞳が印象的で、貴族議会派だというのに赤銅色の狼の耳を持っていたので、意外に思ったのだった。

 確か名前をベラドンナと言っていたなと思い出し、サトルは心のブラックリストに記載する。


「あー少し頭がハッキリしてきた。ただ疲れてたんじゃないなあれは……少量でよかったのかもしれない」


 少量、舐める程度にしか飲んでいなかったが、もしあのグラス一杯の怪しい酒を飲んでいたのだとすると、考えるだけでゾッとしないなと、サトルは身を震わせる。


 ジャケットとベストをクローゼットに片付け、スラックスを履き替える。

 衣服に付いた酒や香水の匂いから逃れ、ようやく全身が楽になった気がしてサトルはベッドに腰かけ大きくため息を吐いた。


「やっぱりあそこは伏魔殿だった」


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