2・敵意と好意
会食の主催者は挨拶のために店内を回るのではなく、最初から店の奥にいた。ローゼルはそのことを少しばかり馬鹿にしたような声音で、老人は腰が重いから仕方のないことだと言っていた。
なのでローゼルの方から足を向け、挨拶をしに行き、貴族議会派閥の冒険者の互助会の会長だというその男の、値踏みするような視線にも、サトルは無表情に近い作り笑いで耐えた。
正直言って勇者としての資質を疑われるような質問ばかりの、胃が痛むような時間だったが、それでもサトルは無表情に近い作り笑いを崩さなかった。
「貴方が聞いたことがすべてだと、思ってください」
いくつかの質問にそう返したサトルに、何故? と問われて、サトルは笑みを深くする。
「人とは自分が信じたい物を信じる生き物だ。だったら、俺が貴方の意にそぐわない存在だった場合、貴方は俺についての話を何一つ信用しなくなるだろうから、この場で今何を話しても、それは時間の無駄だと思うのですよ」
不敵なサトルの言葉に、男の顔がゆがむ。苦い物をかみしめ、今にも吐き出しそうな顔だ。
馬鹿にされたと思ったらしい。
男がここで腹を立てあからさまな行動に出るのかどうか、それを探っているらしいローゼルの視線にも、いつもの判断力を鈍らせるような甘い匂いがしていることにも、サトルは気が付いていた。
ローゼルからわずかに視線を向けられ、サトルは続けて用意しておいた言葉を口にする。
「だから俺は、この町の人が、俺をここに招いたダンジョンが、信じたいと思えるよう尽力するだけなんです。貴方の信頼も得られたらと思っています」
僅かに男の敵意が和らぐ。それでもまだ猜疑と馬鹿にされた事への恨みのこもった視線を感じて、サトルはすこし眉を下げ、口元をへの字にゆがめて見せる。
「自分は御覧の通りなので、ただ人から見るだけでは頼りないかもしれないと、心苦しく思っているんですよ。だから、行動で示すしかないと、常々思っているんです。どうも言葉が悪くて誤解をさせてしまったようだ、すみません」
「確かにそのようだ」
怒りから一転、男の視線が侮るような物に変わったことに、サトルは内心嘆息する。
分かりやすく小物。ローゼルが判断力を鈍らせ、感情を引き出しているとはいえ、こうも人の言葉でころころと考えを乱し、目の前の人物の情報を何も得ていないのに侮っている。
ローゼルはサトルにのみ見えるように嘲笑の笑みを浮かべ、男を視線で示す。
ローゼルのような感情の見えない相手の真意を探る方が面倒だと考えるサトルとしては、その嘲笑の矛先が男であることは安堵とともに複雑な気持ちになった。
主催者への挨拶の後は、ローゼルについて他の互助会の会長たちとの挨拶回りをした。
とはいえ、ローゼルに近い派閥の者達ばかりで、サトルを値踏みこそすれ、サトルの派閥間での立ち位置を気にしてくる者達はいなかった。
ローゼルがサトルを認めさせなければいけないと考えているのは、貴族議会やジスタ教会派の互助会相手。この挨拶はまだ本番ではないと、サトルは分かっていたので、勧められた受け取るも、酒は味を見るために舐めるにとどまった。
ローゼルの紹介する者達と自己紹介を交わしていると、その物たちの中に一人、ジスタ教の星十字と竜の意匠のメダリオンを下げている男がいた。
年の頃初老前後、互助会の会長としてはローゼルと並び若い方だろう。
男はサトルよりも頭一つ高く、髭は短く切りそろえ、白が混じり始めた灰褐色の髪を綺麗に後ろへと撫でつけた、清潔感のある装いをしていた。
「はじめまして」
サトルに自ら声をかけ、手を差し出す。
サトルが事前に学んできた礼儀作法では、貴族議会とジスタ教会ではやや違いが見られ、ジスタ教会では挨拶などで声を先にかけるのは、相手よりも身分が低いか親しい相手に信愛を伝える時の挨拶のはずだった。
握手を求める行為は、貴族議会では目下から、ジスタ教会は特に決まりは無いが、自分から差し出すのはより友愛を示すとき。
つまり目の前の男は、サトルに最初から信愛や友愛の表現をしているという事だ。
「はじめまして」
そう返しサトルは男の目を見て、手を取る。
しっかりと、それはもうしっかりと温かく握られてしまい、サトルは困惑する。
にこにこと人の良い笑みを浮かべ、男はサトルの手を握りっぱなしだ。
「あーアンティーブさん、彼が困っていますよ。彼はサトルというんだ、良ければ貴方も」
いつまでも握手が終わらないので、ローゼルがそれを遮るようにサトルの自己紹介をすると、男はサトルから手を離し、胸に手を当てて自己紹介をする。
サトルが付け焼刃で習った礼儀によれば、これは軽いながらもある程度畏まった場で
「ああ、失礼を、私はアンティーブと言います。貴方のお話はかねがね伺っており、今日お会いできるのをとても楽しみにしていたのですよ。どうぞお見知りおきいただけますとありがたい」
そう言って名のったアンティーブは、何がそんなに嬉しいのか、にこにこと笑い頬を上気させている。
「コウジマチサトルです。コウジマチが家名、サトルが名前です。コウジマチでもサトルでも、お好きな方で呼んでください。俺の国ではどちらで呼んでも失礼はないので」
サトルは先ほどから自己紹介をするときは、必ず自分の苗字も一緒に名のっていた。この世界で庶民はあまり家の名前を持っていないのだとかで、ローゼルから箔付けのためには名乗っておいた方がいいと勧められたこともある。
何よりサトルの名には「町」を表す単語があると、この世界の言語でも感じるのだそうで、名前を聞いたとたん多くの者が、サトルを町の運営をする家柄の人間だと思うらしかった。
サトルはそのことについて肯定も否定もせずに、想像に任せると返していた。
アンティーブもすぐにサトルを貴族やそれに類する人間と考えたようで、腰を折る目上の人間への礼へと代えた。
「ではコウジマチ様ですね」
サトルはアンティーブの肩を掴み、慌てて身を起させる。
他の者たちもサトルに敬称を付けて呼ぶ者はいたが、いきなり礼節の度合いを変えるのアンティーブだけだった。
「待ってください、俺はこの国での爵位は持ち合わせていないので、敬称は不要ですよアンティーブさん」
サトルがこの国の爵位を持ってはいない、当たり前であり嘘ではないが、聞いた者は思わず元の国ではどうなのだろうか、と思うような言い回し、これは事前にマレインなどから教示された物だった。
とっさに口にしてから、サトルはしまったと眉を寄せる。
「そのように言っていただけるとは、コウジマチさんはお心が広くていらっしゃる」
アンティーブのサトルに向ける目が、興奮と喜びで瞳孔が大きくなっている。
目の色を変えるという言葉があるが、実際に人は興奮すると目の色が変わって見える物なのだなと、サトルは如何でもいい関心をしてしまうほど、アンティーブの興奮は見てわかった。
「そんな事は有りません。俺はまだこの国では何もなしていない、一回の私人です。だからあなた方と対等なんだ」
「ああ、本当に貴方という方は……話に聞いていた通りだ」
一体だれかどんな話を聞いたか知らないが、どうやらアンティーブの中でサトルはよほどの聖人として伝わっているようである。
サトルがあっけに取られているうちに、次から次へと紹介を求めて人が来ていたので、アンティーブとはそれ以上の会話はできなかったが、アンティーブはその後もサトルの傍に寄るたびに、身を折って挨拶を続けた。
その姿を見るたびに、サトルの胃は痛みを訴え、サトルはますます酒や料理を楽しむ余裕が無くなってしまった。