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コウジマチサトルのダンジョン生活2  作者: 森野熊三
第三話「コウジマチサトルは平穏を望んでいる」
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9・対立の陰りに光を

 サトルはダンジョンに潜った後、必ず一度はローゼルへと口頭報告をするように言われている。理由はサトルのダンジョンでの行動や成果をローゼルが把握するためで、口頭報告の理由は、サトルがまだ文章を書くことが出来ずにいたから。

 アルファベットに当たる文字はすでに書けるようになったが、日本語の単語とこの世界で使われている単語が未だ対応できていなかった。


 この世界に来てから言語は謎の自動翻訳のおかげで苦労しておらず、文字も外国語の講義のテキストのように、日本語と併記して見えるので全く問題はなかった。あとはサトルの努力次第だろう。


 サトルは文字の練習をしながら時々思う。この歳になってまでこんな勉強をすると思わなかったが、テストという学生時代は嫌でしかなかった物が、自分の学習の習熟度を把握するのに、どれほど役に立っていたことか。

 しみじみ元の世界のことを思い出し、サトルはふっと寂しさに襲われる。


 寂しさが増してきたところで、サトルは手にしていたペンを置き、インク壺の蓋を閉めた。

 こんな風に感情が落ち込んでしまっては、どんなに頑張っても学習の成果が出ないのはよく知っている。何せ数年も悩まされてきた現象だ。

 だからサトルは、寂しくなった時はペンを置くことにしていた。


 サトルは肩の骨を外さんばかりにゴリゴリと音を立てて腕を回す。傍からも聞こえるその音に、ずっとそばにいたキンちゃんとギンちゃんが驚いたようにフォンフォンと鳴く。


 少し休憩をしようと部屋を出て炊事場に向かうサトル。お茶でも入れて一息吐けば、また勉強をする意欲も湧くかもしれないと思った。

 サトルが炊事場で湯を沸かし始めてすぐ、モリーユとアロエが炊事場を覗きに来た。


「あいたいたー!」


「あの……お客様、サトルに」


 人懐っこく最初からフランクだったアロエはともかく、元は人見知りが激しく声すら聞けなかったが、最近はすっかり喋ってくれるようになったモリーユが告げる言葉に、サトルは驚く。

 自分に来客というのは珍しい。タイムの時はまだ理由も分かったが、他に誰が自分を訪ねてくるのだろうかと、サトルはいぶかしんだ。


 せっかくなのでサトルは来客と自分用の茶を淹れて持って行くことに。かなり広い屋敷なので来客用のサロンルームもあり、そこに通してあるとのことで、サトルはサロンルーム迄茶を運んだ。

 アロエはモリーユに口止めをするが、どうやら相当に珍しい客らしく、ずっとくすくすと笑うアロエに、ひどく心配そうなモリーユ。


 炊事場からサロンルームに行くまでは、特に誰かの部屋の前を通るという事も無かったのだが、気が付けばサトルの後ろには今この家に下宿して暇をしている面々がいた。


「何の野次馬だ?」


 一番手近にいたヒースに問えば、ヒースの口をワームウッドが抑える。


「暇つぶしの野次馬だよ。どうぞどうぞ、僕たちのことは気にせずに」


 そう言われてもなとサトルは呆れてため息を吐く。こんなにも皆に野次馬されるような来客とは、本当にいったい誰なのだろうか。

 疑問に思うサトルの目の前で、アロエがサロンルームの両開きの扉を押し開けた。


「やあ、サトル君。おやそれはもしかして緑茶かな? いいねえ、私も一服、いただこうじゃないか」


 サトルは部屋の中の人物を目にし驚きに声を上げる。


「ローゼルさん! どうして?」


 そこにいたのはいつもは見ない姿のローゼルだった。

 深く椅子に腰かけ、ゆったりと手を挙げるローゼル。まるで勝手知ったる場所とばかりにくつろいでいるようだったが、サトルはその姿に絶句する。


 ローゼルは普段の彼女の纏う、きわどい所まで見えてしまうような紗のドレスローブではなく、かっちりとしたトレンチコートのような、厚手で要所要所に謎のホルダーが付いた外套を上に着て、大き目のフードをかぶり、首元を同布のベルトでまとめ、口元を覆面で隠し、足には踵の硬そうな革のブーツ、椅子の横には大き目のバックパックが置かれ、いかにも魔法使いの杖と言った雰囲気のごつごつとした木の杖が立てかけてあった。

 それが最初からローゼルであると知っていなければ、ダンジョン内ですれ違っても絶対にわからないだろう。


「いやなに、君にね、フォーマルな服を用意してあげようと約束をしただろう? せっかくだからその素材をダンジョンに採りに行こうと誘いに来たのさね」


 さも軽く買い物に行こうと誘うかのようなローゼルに、サトルはただただ絶句した。




 ローゼルにとってサトルと一緒にダンジョンに潜る事は決定事項だったらしく、サトルの否の返事はすべて拒否されてしまった。


 すべての否定を「大丈夫だ、問題ない」で済ますローゼルに呆れ、サトルはだったらとニゲラを連れて行くことを絶対条件とした。

 それはサトルが自分を弱いと思っているからだけではなく、サトルがローゼルと二人気になることに危機感を覚えていたからだった。

 デートに子供を連れて行くなんて無粋だとからかうローゼルの言葉は無視した。


 ついでに野次馬に向かい、サトルは自分が身銭を切ってもいいからついて来てくれる者はいるかと問えば、答えはすぐに返って来た。


 サトルがローゼルと一緒にダンジョンに潜るなら、それに随行するわとアンジェリカ、もちろん自分たちも付いて行くとアロエとモリーユ、だったらと自分もと行きたがったヒースはワームウッドに止められ、なら自分たちがとカレンデュラとオリーブが名乗りを上げたところで、ようやく騒ぎに気が付いたルーが、だったら自分も行きます! と宣言をした。


 ローゼルは最初からそれを見越していたようで、もちろん構わないがねと、愉快そうに笑っていた。




 ダンジョンに入ってすぐ、サトルはローゼルの手慣れている様子に気が付いた。

 背の大きな荷物をまるで感じさせない軽い足取りなので、その恰好が伊達や酔興ではないと分かるのだが、それでもサトルは不安を隠しもせずに顔をしかめる。


「……確かに、ダンジョンに行きたいとは言ってはいたが」


 サトルの小さな呟きを拾い、ローゼルが身を寄せるようにして問う。

 口元の布をずらし、表情を良く見せつけるようにしてサトルに詰め寄る。


「何かね、私では不満かね?」


 サトルは逃げるように横に移動し、視線を逸らしながら答える。


「いいえ……」


 ローゼルからは酒に似た甘い匂いがする。それはどうやら魅了の香だそうで、アンジェリカが常々サトルに気を付けるように言っていた。

 サトルに警戒されてると理解して、ローゼルは不必要に距離を詰めるのを諦める。


 ただまだ聞きたい事は有ると、完全には距離を開けず、隣に立ったまま。


「サトル君、君はこの間タイムとヒュムスの冒険者二人とダンジョンに潜ったね? その報告はざっと概要だけしか聞いていなかったが、せっかくだ、道中話してもらえないかね」


 サトルは答えず、如何したものかと宙を仰ぐ。

 その様子にローゼルは嘘は吐かなくてもいいと低い声で話を促す。


「ヒュムスの、確かホップ君とオーツ君だったか?」


「そうですね……知ってたんですか」


 それはサトルを暴漢から助けてくれた二人の冒険者だった。タイムが依頼料が安く済むからと、駆け出しの二人を雇い一緒にダンジョンに潜った。それがその二人だった。

 また二人は敬虔なジスタ教の信者だったが、ルーやアンジェリカがいうような、本当に獣の汚れを持つ人間に対する嫌悪がある、というわけではないことも聞けた。

 どうやら二人はシャムジャやラパンナに嫉妬の気持ちがあったらしい。


 二人はサトルに獣の穢れの話を吹き込んだことを謝罪し、ジスタ教ではキリスト教で言う所の使徒か精霊のような扱いの竜に対して強い敬意を示していた。

 竜の前で嘘を吐くことはできない、恥じる自分でいることはできないと、宗教を信じる者としてとても善良な二人だった。


 ローゼルはサトルの表情をじっくりと窺う。獲物を狙う猫の目だなと、サトルは背を震わせる。


「君の事、二人に話したね?」


 君の、と言われて度の話を指しているのか、サトルも分からないほど鈍いわけではない。

 自分がダンジョンの勇者であることを話したと、サトルはすぐに認める。


 しかしジスタ教の信徒には、すでにサトルがダンジョンの勇者であることは広まっていると、サトルは確信していた。アニスも、ホップとオーツも、そしてサトルを襲った暴漢ですら、ジスタ教の教えを知っていたのだから。


「俺が話すよりも以前に、話は広まっていたでしょう」


「まあそうだが、できれば慎重にしてほしかったよ。だが、ジスタ教の信徒二人だそうだね。ヒュムスでジスタ教信徒で、そして君に対して敵意よりも親愛の情を持っているそうじゃないか。その人選には賞賛を贈ろうではないか」


 いったい誰がそこまでの話をローゼルに話したのか、サトルはぎょっと目を見開きローゼルを見やる。

 ローゼルはいつもの作り物めいた笑みで、サトルの視線を受け止める。


 そう言えばと、思い当たる節があった。


「俺ではなくて、タイムですよ。彼らを選んだのは」


 タイムという名を出せば、ローゼルはニヤッと口の端を大きく持ち上げた。

 何を楽しんでいるのか知らないが、サトルはローゼルの獲物をいたぶる様な振る舞いも苦手だった。


「ふふん、やはり君は察してしまうか。いやはや、君の推理力は大したものだねえ」


「わざとらしい。他に選択肢のない答えじゃないですか」


 ホップやオーツと一緒にダンジョンに潜ったことを知っているのは、その様子を見ていた人間が居てもおかしくないが、二人がサトルに対して親愛の情を抱くほどに打ち解けたと知っているのは、本人たち以外にはニゲラとタイムの二人しかいない。

 そしてニゲラは自身の生い立ちを知られたくないという理由から、ローゼルには近寄りたがらず、今も少し離れてじっとりとした目でサトルたちを見てるにとどまっている。

 さらに言うなら、ローゼルはついこの間タイムの店に来ていたのを見たばかりだ。


 しかしそんなサトルの嫌そうな返しには取り合わず、ローゼルは自分の語りたい事だけを語りだす。


「君は……シャムジャもラパンナもヒュムスも竜も、すべてに対してフラットだ。それを君自身が証明している。私が手を回さなくてもね……正直、とても助かっている。想像していた以上だった……まさかジスタ教徒とも、なんて思ってなくてね……彼らへの偏見があったのは我々の方だったのかもしれないと、反省したほどなのさ」


 視線を向けたまま、ローゼルの目が優しく細められ、口元に浮かんでいた吊り上がるような笑みが、柔らかくほぐれた。サトルは思わず息を飲む。

 今までに見ない表情で、ローゼルはサトルに向き合っていた。


「偏見が一番怖いんだ。凝り固まった意見は命の危険になっても覆らないこともある。それが君にはないことが本当にありがたい」


 そうして視線を伏せたローゼルの顔には、悲し気な笑みが浮かんでいた。

 その笑みに似たものを、サトルは何度か見たことがあった。

 ルイボスがタチバナの話をするとき見せる、過去を追う悲し気な表情だ。


 しかしそれもつかの間。ローゼルは顔を上げると、いつもの綺麗な笑みを浮かべていた。


「今後とも、よろしく頼むよ。サトル君。君が……このダンジョンを救ってほしい」


 どう答えるのが正しいのかわからなかったが、サトルは困ったように後ろ頭を掻き中柄返す。


「尽力はしますよ。妖精たちに約束している。約束を破るのは紳士じゃないんで」


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