8・甘いお返し
サトルがダンジョンから戻ってきた翌日、朝食の支度をするために炊事場へと来たルーに、サトルは十五センチほどの木製のボウルにこんもりと盛られた、ダイヤモンドカラントという果物を渡した。
実は事前に茎から外されていたが、ルーは添えられていた枝でそれが何かをすぐに理解する。
「サトルさんこれどうしたんですか? こんな、凄く珍しいですよこれ!」
三角の猫耳をぴんと立て、瞳孔を大きく開きルーは興奮したようにサトルに問う。
思った以上の食いつきに、サトルはすこし身を引きながら答える。
「ルーへのお返し。この間のショコラータ美味かったから」
このダイヤモンドカラントは、サトルをダンジョンに引っ張って言った料理人のタイムに言わせれば、意中の相手に一目置いてもらえる可能性のある、ウフフレア食材だそうだ。
ダンジョンの比較的奥で採取できるカカオから作られるショコラータも、タイムが言うにはウフフレア食材らしいので、これならばお礼として釣り合うだろうと思い、サトルはルーへの土産の分を確保していた。
「いいんですか? 半分は皆に分けてたのに」
「だからだよ。ルーへのお返しと言ったけど、これも皆で食べる物に加工する。ルーは一人で食べるより皆で食べる方が好きだろ? でも俺はこれの加工や調理について詳しくないからさ、何がいいと思う?」
この世界のショコラ―タはサトルの元居た世界とは違い、まだカカオの品種改良も進んでいなかったせいか、それこそコーヒーのように強い苦みと酸味があった。
そのためそのまま飲めば確かに滋養強壮の薬の様であり、嗜好品として飲むには少し加工が必要だとサトルは考え、貰ったショコラータに牛乳とバター、大量の砂糖とシナモンやバニラに似た香辛料を加え、チョコレートミルクを作った。
シナモンやバニラに似た香辛料は、ゼラチン探しと並行して集めていたので、すでに揃っていたのが幸いだった。
そうしてできたチョコレートミルクは少々量も多かったので、ルーの家に下宿している皆に分けたのだ。
ルーはサトルと二人で味見をした時も楽しそうだったが、サトルが皆で飲もうと提案した時の方がより嬉しそうだったので、サトルは皆のためにと提案する。
ルーは頬や耳の内側を赤く染め、また嬉しそうに頷いた。
そして今このダイヤモンドカラントを美味しくいただくための加工も、ある程度材料がそろっている今ならば、存分にできるはずとサトルは思いルーに尋ねた。
訊ねながらサトルは、最近すっかり任せてもらっている炊事場の棚から、集めていた香辛料を取り出し並べる。中には何かに使えるだろうかと買った氷砂糖もあった。
ルーは瓶に詰められた氷砂糖を手に取ると、これがあるならと提案する。
「そうですね……だったら、お酒に漬けましょうか?」
氷砂糖は蒸留した酒に果実を漬け込んで作る果実酒ではおなじみの材料だ。
日本でも世界に誇る梅酒があるが、あれも蒸留酒と梅と氷砂糖で作る。サトルの祖母も作っており、隠し味にみりんだったか何かを入れていると聞いた覚えがあった。
「へえ、面白そうだ」
果実酒を作ることが出来るなら、その果実酒でカクテルや洋菓子などの色々アレンジもできる。食材としての利用の幅が広がるなとサトルは期待を膨らませる。
「ところで、ダイヤモンドカラントって、どんな植物なのか知ってる?」
タイムが雇った冒険者に一応話を聞いていたが、その冒険者たちは「極上の甘さと人を蕩けさせる陽だまりの香り、ダンジョン食材特有の、高濃度の魔力を持っているから、魔法を使う人間にとっては、簡易の魔力補給薬」と、味と効能の話はしてくれたが、サトルが気になっていた「カラント」がブドウなのかスグリなのか、という話はしてくれなかった。
「ダイヤモンドカラントはですね、スグリの仲間なんですが、その性質が特殊でして、ダンジョン石か特定の鉱物の間にしか根を張らないんですよ。何かしら必要な栄養素があるのかもしれないんですが、そもそもみつかることも少なく採取できる量も多くないので、まだわからないことが多い植物です。味としては食べてみたら分かると思うんですけど、凄いんですよ!」
思った通り、ルーからはサトルが聞きたいと思っていた話を聞くことが出来た。
ダンジョンで見つかるレア食材なのも頷ける性質だという事も分かり、好奇心がある程度満たされる。
ルーは真顔で凄いんですよと言い。サトルもその通りだと真顔で返す。
「ああ凄かった。味の爆弾かと思った」
簡単に言うのなら、薔薇のシロップで割った濃厚すぎるカシスと木苺のジュースのような味だった。果汁百パーセントを更に濃縮して砂糖たっぷりの薔薇シロップを足したらあの味になるのではないかと思わしめる味。
サトルが元の世界で中東や東欧を旅行した際、高確率で甘味に薔薇シロップが入っていたのだが、それを思い出さずにはいられなかったほど。
懐かしく思う反面、意外と香りに関しては保守的な日本人には到底受け入れられない衝撃的な味わいだった。
サトルは真顔で凄かったと繰り返す。
ルーはその様子を見て、ですよねえと苦笑する。
「ええ、とにかく味も香りも濃厚で、ドライフルーツにして保存されることが多いんですが、そうすると果実中の糖分や色んなものが結晶化して、断ち割った時に宝石がキラキラしてるように見えるので、ダイヤモンドカラントという名前が付いたと言われています」
ルーの追加の説明に、サトルの頭に新しい疑問が浮かぶ。
「見つかるのはダンジョンだけ?」
ダンジョンで見つかるが、ダンジョンだけで見つかるとは言っていない。
「いいえ、ダンジョン以外でも見つかる場合もごくごく稀にあります。でもほとんどの場合はダンジョン内ですね。見つかったら凄―くラッキーです! あ、お薬というか、滋養強壮魔力増進の効果があります。お酒に入れると良いというのも、そういう効能を余すことなく取り込めるようにです」
酒が魔法と関係しているというのは、サトルとしても実をもって知っていた。
酒で酩酊することで、魔法の根源である精霊たちとの対話ができる。そして精霊たちはその酩酊した人間を通じて、料理や酒を味わうことが出来るらしい。
その為サトルがいつも世話になっている精霊たちは、サトルにもっと酒を飲んでほしいと常々から言っている。今回のダイヤモンドカラントの果実酒も、きっと喜んでくれることだろう。
「やっぱりルーは詳しいな。一応タイムとはタルトに乗せようと話してたんだけど、これって生のままで大丈夫だろうか? 味が濃いから心配もあるんだ」
ダンジョンの食材についてルーは詳しい。だというのに何故作る料理はあれなのかと、ふと思ったが、サトルは自制し言葉を飲み込む。
「タルトに生のまま直接乗せるんじゃなくて、ドライフルーツにして刻んで入れるのをよく見ますね。他にはジャムにしたらいいかもしれません。水分の多い果物と一緒に煮たり、あ! リンゴとは相性がいいですよ。クラビーのジャムに入れる事もあります。料理に使われる場合はアクセントという立ち位置の食材です」
「よくわかった。ありがとう。ルーに聞いて正解だったな」
詳しく聞けて助かったと、サトルが礼を言うと、得意気に胸を張る。
「どういたしましてです。それじゃあ後で今日の晩御飯の買い出し、一緒にに行きましょうか。漬け込むためのお酒探しましょう」
ついでなのでこのまま今日の予定も決めてしまいましょうと提案するルーに、サトルは是非も無かった。
「漬け込む酒はどんなものがいいんだろうか?」
果実酒を作るのは酒を買って来てからなので、今広げている香辛料の類はすぐには必要がないだろうと、サトルは片づけを始める。
片付けながらルーに問い、答えを貰い、新たに問いを投げることを繰り返す。
「蒸留酒、ですね。ガランガルダンジョン下町ではウィスキーとかはあまり作ってないですけど探せば十分あります。ただやはりちょっと高いんですよね。だからうちではあまり買ってませんでした」
「そう言えばこの辺りって、麦作ってる?」
「はい、作ってますよ。この時期はまだほとんど畑っぽくないですけど」
「竜に荒らされたりしないの?」
「全然しないですね。でも竜の生息域に近いから、草食動物は多くありませんし、水が豊富な地域なので、むしろ麦の質いいですよ」
「竜って、ダンジョンの周辺に生える植物が好物なんだっけ?」
「ですね。ニゲラさんもそうでしょ?」
「ああ、ホリーデイルとかそのままかじったりする。あ、そろそろ採取しに行った方がいいかもしれない。ニゲラが食べ過ぎるんだ」
ニゲラが食べ過ぎる、という話の何が面白かったのか、ルーはけらけらと実に楽しそうに笑う。
「あはは、食いしん坊さんですね。そうですね、じゃあできるだけ近いうちに、姐さんたちに一緒に行けないか聞いてみましょう」
「ああ、そうだな」
最近サトルは気が付いたのだが、ルーとの会話はとても楽だった。
聞きたいことに答えが返り、言いたいことを察してもらえる。
他人との意思疎通は、どんなに誠意をもってしてっも難しいことがあったり、自分の譲れない部分、譲歩できない部分に食い込まれると反発してしまう。
それがルーとだとほとんど気にならない。
確かにどうしても折り合わない部分はあるのだが、それでもその折り合わない理由が明白で、ルーとの会話、意思の疎通にはストレスが無かった。
家族のように好き、そう以前言われていたサトルだったが、これが家族としての距離感なのだろうかと考えてしまう。
ルーのことは好ましく、ルーもサトルのことを好ましく思っている。それは悪い事ではないはずなのに、サトルは何故か無性に焦りを感じていた。