7・灯台の根に影
ルーの家ではサトルがいる場合のみ、必ず毎朝朝食を作る。逆を言えば、サトルが出かけて留守にしていると、わざわざ作る事も無く買い置きのパンやチーズを食べる程度だ。
今日はサトルが皆にと作っていた、貰い物のショコラータのあまりで作ったチョコレートミルクがあった。それ以外は買い置きのパンとチーズのみ。
甘い匂いに期待してリビングへと来たオリーブが、不思議そうに尋ねる。
「サトル殿はどうした?」
オリーブはかなり体格のいいラパンナの女性で、そこにいるだけで威圧感すら感じるのだが、サトルの姿が見えずしょんぼりと眉をたれ下げる様からは、普段の堂々とした威容はうかがえなかった。
オリーブの問いにルーがくすくすと音に出して笑う。
「つい今しがたもアンが同じことを聞いたんですよ。その質問、姐さんで三人目です。今日はタイムさんが無理やりサトルさんを連れてダンジョンに行ってしまいました。たぶんこの間からオリーブ姐さんたちが企画してる会食の手伝いですね」
質問をした一人はヒースで、もう一人はアンジェリカだとルーは言う。
ヒースは最もサトルの朝食作りを手伝い、アンジェリカは比較的早くから起きて身支度をするので、サトルがいないことにいち早く気が付いた。
ルーは毎朝家の施錠を開放して回っているので、サトルがタイムに呼び出されて出ていったことも知っていた。
タイムと一緒に出掛けたと聞いて、オリーブはそれならば納得だとすぐに頷く。
「ああそう言う事か。カレンがタイムにかなり期待をかけたらしいから……しかし、大丈夫なのだろうか、その、サトル殿は」
弱いから、とははっきり言わなかったが、オリーブはサトルを庇護するべき人間と認識しているので、守ってくれる冒険者が一緒でもないのに、ダンジョンに行くのは危ないのではないかと思っているようだった。
「ニゲラがさんが一緒に行ってくれました。あとキンちゃんたちも一緒に。ニコちゃんも連れて行ってるので、多分期待してもいいと思います」
竜が一緒であること、ダンジョンの妖精たちがいれば万が一の時も問題は無いこと、それとトレジャーハンター気質なニコちゃんがいれば珍しい食材も期待できることなど、ルーは何一つ問題は無いと言い切る。
その言葉をリビングのソファに座って聞いていたアンジェリカが、おかしくないかと首を傾げる。
「昨日の今日で? もう準備はある程度住んでいるでしょうに」
「どういうことです?」
問われてアンジェリカは少し気まずそうにルーから目を逸らす。
自分の知っていることを話すのは問題はないが、その話をどこから仕入れたのか、疾しいことがあったからだ。
「昨日彼、タイムと料理の試作をしていたのよ。十分納得したのだと思っていたわ」
「何で知ってるんです?」
もちろんルーもアンジェリカの挙動に違和感を感じるわけで、少しばかり胡散臭そうに目をすがめ、声を低くし問う。
「何でだと思う?」
「のぞき見は駄目ですよう」
アンジェリカははっきりと答えず誤魔化す風を装うが、ルーはアンジェリカの能力を把握しているので、すぐにそれが覗き行為で知った物だと看破する。
アンジェリカは目を逸らしたまま言い訳がましく言い募る。
昨日の今日でタイムに何があって、直前まで進めていた準備をひっくり返すのだろうか。
「進捗の調査をしているだけよ。でも、何かあったのかしらね?」
「ああ、それだったら……」
それなら心当たりがあるよとオリーブは、先ほどルーにも話したことを、更に詳しく語る。
「カレンが昨日タイムに奮起してもらおうと声をかけたらしい。期待をしていると言われて、タイムはかなり張り切っていたようだ」
タイムがカレンに対して好意を寄せていると知っていたルーとアンジェリカはその言葉で納得する。
アンジェリカはふふっと笑い、カレンを賞賛する。
「やるわね。銀の馬蹄亭を推した甲斐があったわ」
アンジェリカの言葉にルーは呆れたと肩をすくめる。
「もう、それでどうしてサトルさん巻き込まれちゃうんですか? ここ最近行ったり来たりで大変そうですよサトルさん」
ゆっくり家で落ち着いている姿を見たことないとルーは言う。確かにその通りだとオリーブも頷く。
しかしアンジェリカはそれでいいのだと言う。
「いいじゃない彼は常に何かしていないと落ち着かない人だと思うし、だったらこちらから仕事を上げてもいいんじゃないかと思ったのよ」
「そういう物なんですか?」
「そういうものよ……」
この話はこれでおしまいと、少しだけ含みのある笑みを浮かべ、アンジェリカはその場を立った。
リビングから出て廊下を行くアンジェリカをオリーブが追いかける。
オリーブに気が付き足を止めるアンジェリカに、オリーブは声を潜めて問う。
いつもは垂れている長い兎の耳が、わずかに持ち上がりアンジェリカの声を漏らすまいとしていた。
「ボスと何か話したのか?」
アンジェリカは頷き答える。
「できればサトルにはヒュムスの、それもある程度別の派閥の人間と行動を共にする機会が有った方が良いと」
アンジェリカはサトルが暴行を受けた翌日、ローゼルと個人的に話をしていた。
その際ローゼルはサトルが勇者としてすでに多くの人間の間で噂されていることを知っており、それにともないサトルを正式に紹介する場を設けられたこともアンジェリカに話した。
ローゼルの冒険者の互助会は、あくまでも獣の性質を持つ人間が主の互助会だが、他の所はヒュムスだけという所もある。
そういった冒険者の互助会内で、サトルの扱いを悪くしないためにも、ある程度サトルにはヒュムスとも仲良くしておいて欲しいと、ローゼルはサトルに言いつけていたらしい。
「タイムならば問題ないでしょう? あの人、あれで駆け出しよりも腕は立つし」
それにシャムジャやラパンナといった、獣の性質を持つ人間への偏見も無い。
サトルが最初に話を聞いたオリーブたち以外の冒険者が、シャムジャやラパンナに対して酷い偏見を持っていたことから、サトルがヒュムスの冒険者をひどく警戒していることに、アンジェリカたちはもちろん、ローゼルも気が付いていた。
サトルとしては無意識なのだろうが、彼は判官贔屓の気が強い。立場の弱い者、身寄りのない者、自分と同じように迫害を受ける者に対して、強く執着を持っていた。
しかしそれは贔屓した相手以外への反発につながり、サトルに無意識のヒュムスへの嫌悪の思想をもたらしていた。
だからこそ、サトルの意識改革のためにも、タイムを使うのは良いとローゼルも考えていたのだ。
そのためにオリーブすら利用されていたと知って、オリーブはあの人らしいと苦笑する。
アンジェリカはオリーブにごめんなさいと謝罪し、上目遣いに頼みごとをする。
「ルーには内緒でお願いできるかしら?」
「ああ……他には?」
「カレンとアロエには話してあるわ。モリーユはまだね。というよりも、あの子には心労をかけるつもりはないから」
「ああ分かった。セイボリー殿たちには?」
「サトルの方から、すでに話を聞いているそうよ」
「了解した」
アンジェリカの頼みは全て了解したと、オリーブは強く頷く。
利用されたと理解しても、その利用した目的が、サトルにとって、ひいてはサトルの後見人をしているルーのためであると分かっているので、オリーブにとっても異存は無かった。