6・足元にも影
サトルが服を竈の奥に隠した後、アンジェリカと話をするために向かったのはアンジェリカの自室だった。
女性の部屋に入る事を拒んだサトルに、アンジェリカは「ルーの部屋にも姐さんたちの部屋にも入るくせに」と、恨めし気に言われてしまったので、サトルは降参しアンジェリカの部屋へと入った。
ルーの部屋と間取りは変わらないはずだが、ルーと違って物が多くはないので、かなり広々として見えた。
アンジェリカはサトルを布張りの椅子に座らせ、自分は別の椅子を持ち出してきた。
サトルが気にするからか、話すには問題ないが、手を伸ばしてもすぐには触れない距離を取ってくれた。
腰を落ち着けサトルは口を開いた。
「俺がダンジョンに召喚された勇者だという話が、想像以上に出回ってる」
アンジェリカのみならず、お兄ちゃん(仮)までもが表情を険しくし、空気が張り詰める。
「それ、本当に?」
「間違いない。俺に暴行を働いた三人は知っていた。それも主犯と思われる男は、無理やり強制的に人を集めて俺を襲撃したようだ」
暴行を受けていただけのはずのサトルが、何故その当日に襲撃者たちの事情を知っているのか、アンジェリカは疑うわけではないがと前置きをして問う。
「……何でそんなことが分かるの?」
「一番若くて俺に最初に声をかけてきた奴、イグサと呼ばれた男が、殴られたくないなら従えと脅されていた。灰色なのか金色なのか分からないような、麦わらを雨の日に放置したような髪で灰色の目をした整えていない髭面の男がたぶん主犯だ。もう一人のやせ型のくすんだ赤毛でカーキ色の目の男は、多分金で釣られてだろうな……」
サトルの人物描写に、映像だけは見ていたアンジェリカは確かにそんな三人組だったと納得する。
「その三人の関係、どうやって調べたのかしら?」
「調べたんじゃないさ、蹴られてる間中話を聞いていたんだ。そのせいで逃げるのが遅れた」
サトルが何時でも逃げる算段があるにもかかわらず、なぜ逃げなかったのかを知って、アンジェリカは呆れたと息を吐く。
「ルーが、貴方は時々詐欺師のように見えると言ってたのだけど、こういう所なのかしら?」
人の言葉尻を捕らえ、そこから情報を推測するという事はよくある。可能性を考えカマかけをし、反応を引き出してそこから相手への対応を変えることもままある。
そういったサトルの腕力に頼らないトラブル事への対処を見て、それを詐欺師のようだとルーが口にしていることはサトルも知っていた。
ルーがその言葉を口にするときは、呆れや嫌悪ではなく、本当に驚いて使っているというのも知っていたので、サトルはかもしれないと肩をすくめて苦笑する。
「俺は弱いからな、人の話の中から情報拾って、少しでも優位に立ちたいんだ」
自らを弱いというサトルに、そんなわけないだろうとばかりにお兄ちゃん(仮)が顔をしかめる。アンジェリカもサトルの言葉を疑っている節がある。
サトルは如何した物かなと天井を仰ぐ。
自分が弱く、何もできない人間だというのはもうずっと考えてきていたことで、この世界に来てからもそれはずっと変わっていなかった。
少なくとも勇者であると客観的に認めてもらえるほど強くは無いのは確実で、サトルに暴行を働いた男たちも言っていたところだった。
「本当に弱いんだって……こんなことを放っておいたら、それこそ一人で出歩けなくなる……何か対処をしなきゃいけないんだ」
サトルは弱い、そしてそれ相応に憶病だ。だから弱いなりに常に考え対策を打つのだ。
「だから、犯人探しをするならイグサから、だな。名前も分かっているし、口が堅いというわけではなさそうだった」
サトルが弱いということを認めてはいなかったが、アンジェリカはサトルの意見にそれがいいだろうと賛同する。
「そうね、暴力に弱いのなら、すぐにでも話をしてくれそうだわ。それで、具体的にはどういうセリフを吐いていたのかしら? 貴方が勇者であると、どこから聞いたのか分かるようなことは?」
ついで質問を投げてくるアンジェリカに、サトルは首を横に振る。
「何処で聞いたのかまでは分からないな。勇者の癖に弱い、偽物の勇者、盗人だと言っていた……俺が他所から来た人間だから、ダンジョンの恩恵を受けるのが腹立たしいらしい」
サトルの言葉に、アンジェリカは大きく目を見開き、長い耳をぴんと立てると、いかにも腹立たしいとばかりに口元に手を当て唸る様に声を絞り出す。
「それはまた……偉そうな話ね」
色素の薄い目に血が集まり、より一層輝くようだ。
アンジェリカがなぜそこまで腹を立てるのかわからなかったが、サトルはどうやら男たちの言葉はアンジェリカの地雷を踏み抜いたらしいと分かった。
「元々ガランガルダンジョン下町なんて元はシャムジャが起こした町で、旧市街からの移動後だって大半がシャムジャだったのに。ヒュムスの大半は後からの流入者なのよね」
三百年前にできたというガランガルダンジョン下町。その大半がシャムジャであったとどうしてわかるのだろうか。サトルはうつむくようにして考え、すぐに思い至る。
「何でそんなこと……そうか、そういう記録も全部この家には残ってるのか」
この家は由緒正ダンジョン研究家であった一族の物だった。
ダンジョン研究家としてルーの師であるタチバナが受け継ぎ、そのタチバナ亡き後はタチバナの研究を最もよく理解していたルーが引き継いだ。
この家になら、このガランガルダンジョン下町が町として成立した当初からの記録も残っているのだろう。
その通りだとアンジェリカは頷く。
しかしだとしたら、男たちが言っていたことが腑に落ちなかった。
「……なのに、穢れが移る、か」
アンジェリカがますます持って怒りを孕ませた声で問う。
「どういうこと? 穢れって、そいつらが言ったのかしら?」
アンジェリカの怒りに呼応してだろうか、その背後でお兄ちゃん(仮)が量の腕を肥大化させ、まるで丸太を引きずるようになっている。
これ以上話してますます怒りを増長させてしまうのははばかられるが、だからといって二人はサトルが口を噤むことを許してはくれないだろう。
失言だったな。そう思ったのも後の祭り。
いっそ怒りが行き過ぎて静かになった声でアンジェリカが促す。
「話して頂戴、サトル」
サトルは観念して、自分が耳にした言葉を伝える。
「ずっと俺に暴力を振るっていた男とは別に、それを横で見てた男の方が言ったんだ。そいつは俺に直接触らないというか……穢れが移るって……小さい声だったし、蹴られてる時だったから、正確にそう言っていたかは確証はないんだが」
ギシリと、何かがきしむ音がした。
見ればアンジェリカが腰かけていた椅子の足下に、木のクズが散っていた。
背もたれのお兄ちゃん(仮)が触れている部分が、砕けるように抉れていた。
いったい何があったかはわからないが、キンちゃんやギンちゃんもその気になれば物体に触れることが出来るので、お兄ちゃん(仮)もまたそうなのかもしれない。
「ボスに報告、しなきゃだわ」
そうつぶやいたアンジェリカの声は、何処か平坦で、その感情の嫁無さが逆に怖いなと、サトルは身震いした。