4.5・求めたいのは甘い宝石
二月なので。
読み飛ばし可。
ヒースはサトルの謙遜を疑う。
「そうだよ、少なくとも俺たちより詳しいと思う。そういうのってどこで知るの?」
「詳しくはないけど、本を読むのは嫌いじゃないから。あと豆知識みたいなものをよく読む」
答えながらサトルは持っていた石をヒースに手渡す。
見た目よりも重く感じるその石に、ヒースの瞳孔が大きく開く。
「これ宝石かな? 豆知識って何? 宝石の事?」
サトルが拾ったものが気になったのか、ニコちゃんが戻ってきて、ヒースの手の上で高くフォーンと鳴く。
「ニコちゃんのお墨付きだし、そうだろうな。ヒスイの類かも。豆知識ってのは、細やかな物とか、取るに足らない物を、小さい豆に例えるんだ」
自動翻訳では豆知識は正しく伝わらなかったらしい。
サトルの補足に、ワームウッドが納得する。
「ああ、ゴマと同じだ」
「ゴマ?」
「西の方だと小さい物とか、子供のことをセサミっていうんだよ」
その言葉を聞いてサトルが一番最初に思い出したのは、巨大な黄色い鶏やクッキーを齧るチョコチップクッキーを齧るモンスターの絵本だった。
何故かあの極彩色の絵本の中で、モンスターの食べていたチョコチップクッキーが最高に美味しそうに見えたことを思い出す。
「セサミか……そういう表現、俺のせ……国にもあったよ」
その絵本の元となった子供番組、その舞台がまさにセサミの名を冠していた。
ヒースの手の上でフォンフォンと嬉しそうに鳴いているニコちゃん。この子のおかげで宝石が見つかるのだから、お礼にこの子にもあのチョコチップクッキーを食べさせてやりたいなと、サトルは思った。
何せサトルの記憶では、子供心に絵本で見たあのクッキーは、宝石に匹敵する至宝だったのだから。
手づかみで食べる、掌よりも大きなチョコチップ入りのクッキー、それは、バケツプリンやジョッキでコーラに並ぶ、いつかは食べてみたい夢のお菓子だった。
クッキーの中でもサブレやショートブレッド、アイスボックスクッキーなど、幾つかの種類の作り分けは、サトルの職場の先輩が得意だった。
モンスターの食べていたチョコチップのチャンククッキーもその先輩は作ってくれたことがあり、サトルはそのレシピを正しくは覚えていなかったが、それでも再現するのに十分な情報だけは持っていた。
問題は材料の有無。特にチョコである。
「そう言えば、ここってチョコレートはあるんだろうか?」
「チョコレート、とはショコラータかな?」
マレインはどうやら聞いたことがあるらしい。しかし、チョコレートとショコラータという翻訳の違いが表れているという事は、違う物なのだろう。
サトルが知っているショコラータは、固形チョコレートになる前の、飲料だ。
「ショコラータは作り方を知らないが、カカオならあるよ。かなり下の階層にある程度で、手に入りにくいがね。やはり君はショコラータを飲むのかい? ボスほどではないが、ワーカホリックのようだし、不思議はないが」
何がやはりなのかはわからないが、カカオもあるとマレインは言い切ったので、手に入れる事は可能なのだろう。ワーカホリックという言葉も気になる所。
日本に最初に入ってきた時もそうであったが、チョコレートやカカオはある種の薬、扱いが興奮剤だったり、コーヒーやエナジードリンクに類する扱いだった。
という事は、このガランガルダンジョン下町では、ショコラータというのは薬、それも過度な仕事をこなすためのドーピングの様な物と思われているのかもしれない。
「飲むんじゃなくて、食すんです。ペーストから固形にする方法があるから」
カカオには水分を入れてはいけない、それを入れてしまうと固まることがない。しかし液体で飲んでいるという事は、この世界ではまだその発見に至っていないのだろう。
もしくは、圧搾の方法がわからず、油脂とパウダーに分けて加工することが出来ないか。どちらにせよ、固形のチョコレートはなさそうだ。
「食す?」
食すと聞いてマレインの瞳孔が大きく広がる。興奮と好奇心を隠そうともせずに、サトルへと顔を近づける。
「ほほう……それは、面白そうだ。どのように?」
「固形にする方法があるんですよ。できるか分からないけど、その内やってみたいと思います」
固形チョコレートの歴史は古くはない。
ショコラータという飲み物がカカオ豆をペーストにしてつくられるのにたいして、チョコレートはそのペーストから油分などを分離して作る。
その技術が出来たのは……。
「十九世紀、か……ダンジョンがある世界では、そこで起こるべき産業革命が起こらなかった、って感じだよな」
リンツやネスレ、バン・ホーテンという稀代の実業家たちが生まれ、技術を生み出し、産業に新しい商品を進出させた時代。この世界はその時代に当たる技術革新の時代が空白だった。
以前も感じていた、ダンジョンの存在によって世界の技術の発達が停滞しているという感覚。サトルはまたしてもその感覚に襲われていた。
「あの時代に生まれたものが、ダンジョンで手に入るんだもんな……」
遠くに船を出さずともこの世界では、冷涼なフランスの山岳地に近い気候でカカオが手に入る。新しく作り出す必要も、それを求めて遠くへ行こうと努力をする必要もない。
何だったらマンパワーで欲しい物が手に入るかもしれない。
しかしそのマンパワーは、ダンジョンノ人数制限のルールにより、個々人の意思があって、考える能力が必要で、自ら武器を取る必然性があるため、ただ唯々諾々と従う奴隷では意味がない。
「けれどその求める物はダンジョン内と限定されているから、大規模な文化や歴史の変動は起こらない……知識も、俺の元の世界の物とは一致しないし」
少なくとも十九世紀に怒った産業革命以後の知識は、この世界ではあまり役に立たない。
機械動力ではなく、マンパワーと人の手こそが、この世界の技術と産業支えているのが分かる。
そしての技術はダンジョンの生み出すあらゆる物資によって継承されている。
サトルは改めて思った。
「……ダンジョンって、何なんだ?」
何故ダンジョンは人の世に恩恵をもたらすのか、ダンジョンの恩恵は何故広く拡散しないのか、ダンジョンは何故世界中に点在するのか、そして、なぜ人に恩恵をもたらしながら、人の所有物とならないのか。
「地下牢……何を閉じ込めるために、こんなにも、文明に恩恵のある形なんだ?」
むしろダンジョンは、人の文明が外へ広がるの押さえるために、世界中に点在し、ダンジョンの中に人を誘い込み閉じ込めているように思えた。
自分の思い浮かべた考えに、サトルはぶるりと身震いをする。
「ダンジョンが閉じ込めているのは……モンスターじゃなくて、人間の方なのか?」
そんなものは根拠のない陰謀論に過ぎなかったが、それでもサトルは、一度思い浮かんでしまった想像を、頭から振り払うことが出来なかった。