0・コウジマチサトルは勇者である
0・コウジマチサトルは勇者である。
それはある日のことでした。
旧首都東京に住んでいたコウジマチサトルは、結婚式に出席した帰り、服を着替えることも無いまま寝入ってしまいました。
結婚をしたのはサトルにとって、幼馴染にして想い人、共に絶望的な災害を乗り越えた戦友であり、家族を失った者通し支え合ってきた、誰よりも大事な人でした。
別にその人のためだけに生きていたわけではないけれど、サトルにとって「彼女」は確かに、生きる希望の一つだったのです。
そんな生きる希望を自らの手で他所の男に引き渡し、心から祝福し、サトルの恋愛感情は死にました。
そんな傷心のまま眠りについたのがいけなかったのでしょうか。
翌日、サトルが目を覚ますと、そこは見知らぬ異世界でした。
「へー」
サトルがざっとかい摘まんで話した内容に、ワームウッドはへらへらと笑って適当な相槌を打つ。
「で?」
話を促すワームウッドの目は、笑っていない。
聞きたいことはそれではないと、そう訴えるようだ。
「で、と言われても、特には……その後は、まあ以前にも話した通り、平原のとある場所でルーと出会って、そこでいろいろあって、ダンジョンの崩落に巻き込まれて」
「それだよ、僕が聞きたいのは」
ワームウッドはふうっと息を吐き、サトルの首に腕を回す。
逃げられないようにヘッドロックをかけて、声を潜めサトルに耳打ちする。
「何で、平原でダンジョンの崩落に、巻き込まれるのかなあ?」
そう言われてもと、サトルは言葉を濁す。
ガランガルダンジョン下町。
ガランガルダンジョンという地下迷宮の上にできた町。
巨大な二つの岩盤に乗っかる様にして広がるその町は、ダンジョンの恩恵によって成り立っている。
ガランガルダンジョンは発見されて三百年ほどと、この世界におけるダンジョンの中では比較的新しいダンジョンだ。
ダンジョンは共通の特徴と、それぞれの特徴という物があった。
共通の特徴として、ダンジョンの内部、周辺には「竜」と言われる巨大で強靭な、災害の様な生物が存在していること。ダンジョンそのものが強い「魔力」というエネルギーを持っているので、その周辺では「魔法」という魔力を利用して行使できる超常能力が非常に有効に活用できるということ、ダンジョン周辺、内部にはモンスターと呼ばれる、ダンジョンの影響を強く受けた特殊な生物が存在していること、人間などがダンジョンの所有権を主張すると、ダンジョンによる手ひどいしっぺ返しがあること、などがあった。
ガランガルダンジョン特異の特徴としては、何故か治癒系の魔法の威力が増大する土地だという事、治療に役立つ薬草などが豊富に生育していること、特に内部が広大で、軽く一国程の広さはあるのではと言われていることなどがあった。
他にも、ガランガルダンジョン内部は広大な分、多数のエリアに分かれ、そのエリアごとに大きく性質の異なる空間が広がっていた。
その恩恵を受ける人間の中には、ダンジョン内を探索するために特化した職業の、冒険者という者達がいた。
冒険、という言葉の通り、彼らの目的は基本的にダンジョンの内部の探索、未知の領域への挑戦、ダンジョン内に生息するモンスターの狩猟など、危険で成功の確かではない行為、挑戦だ。
ワームウッドは冒険者で、サトルが世話になっているダンジョン研究家のルーの家に下宿をしている一人だ。
ルーの今は亡き師と懇意にしていたらしく、その師亡き今、ワームウッドはルーをとても気にかけているらしかった。
それで得体のしれない異世界からの来訪者であるサトルを警戒して、こうして詰め寄るのも分かる。
どういう出会いをしたのか、それを詳しく問いただそうとするのも分かる。
はっきり言って、サトルはワームウッドの心配の方に共感をしていた。
しかし、サトルはルーに、銅貨自分たちが出会った時のことは話さないで欲しい、と懇願されていた。
「ルーに直接聞いてくれ。俺は当時は突然知らない世界にいたことで、パニックを起こしていたんだ。詳しく覚えている事なんてほとんどない」
だからサトルは言い訳をして追及を逃れようとする。
記憶にございません、の文言は使いどころさえ間違えなければ、本来は有効な言葉のはずなのだ。
実際サトルは当時とても混乱していた。
何せ寝て起きたら知らない場所。
しかも傍には自称妖精という、子供が粘土をこねて作ったような、テルテル坊主を引き延ばしたような存在がいて、サトルのことを「勇者」だと言うのだ。
異世界で勇者でナビゲーターは妖精で、左手の甲を見てみれば何故か浮かび上がる細川の九曜紋。
サトルはこの時、自分はどこの北条氏の家紋を左手に宿した緑の服の勇者になったのだろうかと、頭を抱えたくなった。
実際に着ていたのは白いシャツに銀灰色のベストとスラックスだったが。
「ルーに聞いても頑なだから君に聞くんだよ、分かってるでしょう?」
ワームウッドの声音は優しげだが、その問いかけは有無を言わさない。
サトルはどうにか逃れようと、ワームウッドの腕に手をかけるが、悲しいかな非力なことこの上ないサトルの力では、普段からダンジョンに潜りモンスターを相手に荒事に精を出すワームウッドの手を振りほどけなかった。
「サトルさあ、案外パニックにならない性格だってのは知ってるんだよ、こっちも」
ルーの家に世話になって二ヶ月ほど。彼らとの付き合いも同じくらい。
そうしているうちに、サトルが意外とトラブルに対応する力がある事、考え事が多く立ち止まってる瞬間はあるものの、その分トラブル時のことはしっかり記憶していることも、ワームウッドは見抜いていた。
「だからね、嘘は吐かなくていい。ルーが秘密にしてることを話してくれるかな?」
そう言うワームウッドの腕には、じりじりと力が込められていく。苛立ちをぶつけているのか無意識かは分からないがかなり苦しくなり、サトルはギブアップを示すようにワームウッドの腕を叩く。
しかしそれも抵抗の一環と見てか、ワームウッドは力を緩めない。
こうして、頑なにしゃべらない、というよりも喋れる状態じゃないまま、サトルは頸動脈を締められ、気を失った。