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秘密その6 メイド若奥様、再び




 結局、例の薄い本についての結論は出ぬまま、わたくしは自室のベッドの下に、本を隠すことになった。

 隙を見て、旦那様の部屋に戻す心積もりだったのだが……

 どうやら、旦那様は部屋からブツがなくなったことに気づいたようで、自室に魔術をかけ、普通の鍵では開かないように細工をしてしまったのだ。

 あの本は誰が書いたのか。そして、どうして旦那様が所持していたのか、わたくしはモヤモヤとしたものを抱えたまま、数日間を過ごすハメになった。

 いっそのこと、旦那様にすべてを包み隠さず伝えるべきなのかと思うけれど……なかなかに、どうして。

 今回の件は、わたくしにも罪悪感というものがあるので、そう簡単に口に出すことができない。

 ううう……

 あの時、欲望に負けて旦那様の部屋に侵入しなければ……!

 このような(うれ)いを(いだ)くことはなかったろうに!

 浮気疑惑の時と違い、こちらから一方的に断罪することもできず、どうしたものかと頭を抱える事態に陥っているのである。

 ――というわけで、わたくしは気分転換を図ることにした。


「リリー! ほら、足が止まっているよ!」

「へいー!」


 先輩メイドの後ろにくっつきながら、わたくしは前が見えなくなるほどの大量の洗濯物を積み重ねた大きなかごを持って歩いていた。

 旦那様の浮気疑惑が出た際に、一時的に所属していたメイド業を再開させたのである。

 相変わらずメイド服を身に着けたわたくしを、このアプリコット家時期当主の妻だと看破する者はおらず、メイド(洗濯担当)として自由に働くことができた。

 アリシアは面倒臭そうな顔をしていたけれど、最終的にはわたくしの我がままを聞き届けてくれた。

 ちなみに、旦那様も面白がって許可を出してくれている。

 リリーナの退屈が紛れるなら、好きにしていいって。さすが、旦那様。

 かわりに、今度違う貴族の家で開催されるお茶会やら、夜会などにも参加するように言われているのだが……

 まあ、そちらはわたくしの得意とする舞台。問題、ありませんわ。


「そう言えば、今度うちの若奥様がリグド家の夜会に参加されるそうだよ。若奥様の新しいお衣装が楽しみだって、衣装係がはしゃいでいてね」

「へー」

「リリーも、夜会なんか出てみたいかい?」

「いやあ、どうでしょう?」


 曖昧に返事をする。

 友達だけで集まるような夜会ならば、ぜひとも参加したいけれども、夜会を初めとする貴族が集う場は、いろいろと黒い話が飛び交う、駆け引きの場なのだ。

 特に、淑女の集まるところでは目には見えない、女の闘いが繰り広げられる。わたくしはどうも、そのギスギスとした空気が好きになれなかった。特に、わたくしはジュリオ・アプリコットという、これ以上にない素晴らしい旦那様の妻という輝かしい座をゲットしているものだから、他の淑女たちからの嫉妬が、怖い怖い。

 おまけに、わたくしの生家が田舎の没落貴族であることは知れ渡っているので、その分でもずいぶんと見下されているのである。

 もちろん、アプリコット家に嫁いでいるので、面と向かって何かを仕掛けてくることや言ってくることはないけれども……見えないところでアレコレされるので、正直イヤンな気分になるのだ。

 それでも、わたくしの大事なお仕事ですもの。

 夜会でも、きっちりと仕事をこなしてみせますわ旦那様。


「ふーん。年頃の娘ならば、誰だって華やかな場には興味があるものかと、思っていたよ。私だって、もう少し若ければ夢くらいは、抱いていただろうしね」

「ハンナさんは、十分お若いですよー」

「おやおや、口のうまい子だね」


 ころころと笑うハンナは、わたくしよりも二十は年上だろうが、ふっくらとした包容力のありそうな肢体をしている。

 顔なんか、健康的に艶々しているので、実年齢よりもずっと若く見えた。


「それに、わたしが着飾ったところで……」


 影で「狸は森へお帰り」などと笑われるだけなのだ。


「あんたは十分、かわいいと思うけどねぇ。もう少し経って、色気を身に付ければ今よりずっと魅力的になれるさ」

「……そんな日が来ればいいのですが」


 自分に、そんな未来が訪れる気がしない。現時点では、男性である旦那様に美しさや、艶では圧倒的敗北を(きっ)している。

 そんなことを話しながら、長い廊下を先輩メイドのハンナさんと歩いているわたくしの視界に、妙なものが入って来た。

 ちょうど、外部へと通じている渡り廊下を歩いている時だった。

 ここからは広い庭が見える。その庭では、この屋敷の護衛として働いている方々が、訓練をしている様子が見られた。


「有事の際は、あの人たちがこの屋敷を守ってくれるんだよ」


 足を止めて、ハンナが説明をしてくれた。

 三十人くらいだろうか。彼等はそれぞれ手に剣を持ち、向かい合った相手と剣を合わせて訓練に汗を流していた。

 が。

 わたくしの視線が捉えていたのは、そちらではない。

 そちらではなく、柱の陰に隠れて訓練する兵士たちを盗み見している大きな後ろ姿である。遠目にも、上背があることがわかる。

 赤銅色の肌と漆黒の短い黒髪。その特徴を持ち合わせている人間を、彼の他にわたくしは知らない。

 彼は何やら一生懸命、訓練している兵士たちを見ているようだけど……本来あの人も、訓練の場に入るべきなのではないかしら?


「ほら、リリー。いつまでも見ていちゃ、仕事が片付かないよ」

「へーい!」


 ハンナに急かされて、後ろ髪を引かれる思いでその場を離れる。

 彼――ゴードンが、何を思い、何を考えながら、兵士たちの汗を流している姿を観察していたのか……

 日常の謎がまた一つ増えてしまう、わたくしだった。





「……ハァ……よかった」


 ついに最後まで読み終えてしまい、わたくしはチーンと鼻水をハンカチで噛んだ。これは、乙女の繊細なハートを震わすことのできる、とても素敵で切ない恋物語だわ……

 ふう、と。物語の余韻に浸りながら、ベッドに仰向けになって転がる。わたくしのささやかな胸の上には、例の薄い本があった。

 アリシアの「中身は濡れ場一つない、お子様レベルの恋物語ですよ」という言葉を信じて、わたくしは中身を確認することにしたのだ。

 表紙の二人――主人公二人が、わたくしとアリシアをモデルにしているらしいことを脇に置いて読めば、とても素敵な作品だった。

 これは一般の本屋で流通していても、おかしくはないレベルである。小説も、絵物語も、よかった。本当に、よかった。

 わたくしの乙女心をぎゅっと掴み込んでしまった。

 きっと、この物語を書かれた人は繊細で世の乙女心をすべて把握しているような、可憐な方なのだろう。

 読み終えた余韻に、ハートが震える。


「この二人は、ちゃんと無事にくっつくことができるのかしら?」


 一応エンドマークがついてはいるもの、二人の関係は消化不良のままに、終わってしまっている。


「続きを読みたい……」


 というか、ここで終わらせるなんて、鬼畜の所業だと思う。

 いや、物語としては完成し、完結している……とも言える内容だった。ただ、ただ……! 読者として、主人公二人の恋模様をもっと追いかけてみたくなったのだ。

 も、もっと……もっと読みたい!!

 そう思わせる力が、この作品にはある……と思う。

 わたくしはさほど読書家というわけではない。

 嫌いではないけれども、それなりに、というところだ。

 そんなわたくしのような不作法者でも、この作品の素晴らしさがわかる。ああ、本当になんて素敵な作品に巡り会ってしまったのかしら。これは、運命の神様の悪戯なのかしら?

 少年同士の禁断の愛ということもあり、少しばかりわたくしは色眼鏡をかけた状態で、この本を開いたのだけれども……

 そのようなわたくしの、浅学で愚かしい偏見に満ちた考えなど、ゴミ屑のように、この魅力的な作品の前には役に立たないものだった。少年愛最高! とまでは言わないけれども、少なくとも、この物語の主人公二人は、読者の心を打ち震わせるだけの魅力があった。

 夕食の時刻まで、もう少しある。

 アリシアがそのうち、食事の時間を告げにくるのだろうけれども……


「早くアリシアに話したい……!」


 先にすべて読み、内容を把握しているアリシアに、わたくしの中に萌えたぎった想いを聞いてほしい。

 この爆発するようなエネルギーを受け止めてほしくなってしまった。なんなのかしら? この、言葉にできないような想いは!

 旦那様に抱いている想いとは、まるで種類は違う。

 けれども、燃え上がるような激しい熱量を感じる。

 わたくしはその情熱に突き動かされるまま、本を胸に抱きしめ、部屋を飛び出た。

 目指すは読書仲間アリシアただ一人……!

 待っていて、わたくしソウルメイト!!




 廊下を、ワンピースドレスを翻し走り抜けるわたくしは、幾人もの使用人たちとすれ違った。ああ、今日も若奥様は元気ね……という、視線を受ける。わたくしが生活するこの区域で働く使用人たちは、わたくしが廊下を走るくらいのことは見慣れているのである。

 ハンナのように、こちらではなく、旦那様が住む区域で働く者たちが目にしていたら、心底驚くかもしれないけれども……

(そういえば、この屋敷の若奥様(わたくし)が廊下を疾走(しっそう)するような、ちょっぴりはしたないことを……ハンナは知らなかったわよね)

 姿を見ていなくとも、こちらの方で働く者から噂話くらいは聞いていてもおかしくないと思うのだが……

 もしかしたら、余計なことは話さないようにアリシア辺りから厳命されているのかもしれない。

 うーん。ありえそう。


「おや?」


 走っていた足を止める。前方、廊下の曲がり角にいるのは――ゴードンである。何やら身を壁で隠して、見ているようだけど……

 って、昨日もこんなことをやってなかった?

 わたくしは気配を消し、そぉーっとゴードンの背中に近づいた。

 旦那様よりも一回り以上大きなゴードンは、わたくしが近づいても、まったく気づいていない。何かを熱心に見て、しかもメモなんか取っているようだ。

 何を見ているのだろう……と思い、わたくしはゴードンの背中からひょっこりと、顔を覗かせた。

 するとそこには、廊下に使用人二人が仲好くおしゃべりをしているところだった。どちらも、二十歳前後といったところだろうか。

 この屋敷の使用人の制服を着ている。名前までは知らないけれど、わたくしも見覚えのある二人である。

 確かのこの二人は、元々友人関係で、休みの日は共に遊びに行くのだと聞いたことがある。

 ……はて。あの二人が、何かをしたのだろうか?

 廊下で談笑しているようにしか、見えないのだが。

 もしかして、仕事中の私語禁止とか? 少しくらいなら、大目に見てあげてもいいではないの。と、思っている間にも、ゴードンは小さなメモ帳に、一生懸命何かを書き連なっていた。

 もしかしたら、査定かしら?

 アリシアがわたくし専属のメイド兼メイド頭を担っているように、ゴードンもまた、旦那様の近習(きんじゅう)兼執事長を担っている。

 つまり、ゴードンは彼らの直属の上司という形になる。

 彼は上司として、こうやってひっそりと使用人(ぶか)たちの素行を観察している……というわけだろうか。

 ……それにしては……


「もうちょっと、もうちょっと……そこ、あ、そこで腕を回して……ああ、惜しい……」


 などと、ブツブツと呟いているのが聞こえる。

 耳触りのよい、低く甘い声音が、とうてい査定しているようには思えない言葉を吐き出し続けている。

 しかもなんだかやけに、饒舌(じょうぜつ)である。おまけに、なんだか興奮しているように見える。

 いや、後ろ姿だけなんだけど。

 なんというか、まとうオーラみたいなものがピンクに思える……気がする。

 いや、実際に見えるわけじゃないけど!!


「あのー」

「……か、顔が近い! その距離は友愛を超えた距離なのでは……!」

「あのー、ゴードン?」

「はわわわ……! ちょ、も、そこ……! いけ! あ、……ああ、いかない……期待だけさせるなんて……ひどい……!」

「ゴードン!」

「え?」


 声をかけても気づかないので、わたくしはゴードンの(たくま)しい二の腕をポンポンと、薄い本で叩いた。

 あら、思わず人様の持ち物で叩いてしまったわ。

 こういうところが、淑女足りえないのだと注意されてしまうのだろう。反省しないと。


「…………」


 ギギギ……と、まるで壊れたカラクリ仕掛けの人形のように、緩慢な動きでゴードンが首を後ろに回し、視線を下に向ける。

 もちろん、そこにあるのはわたくしの顔である。

 髪の色と同じ、彼の黒々とした瞳にわたくしの顔が映っていた。


「わ、若奥様!」

「ええ、若奥様のリリーナ・アプリコットですわ」


 答えるわたくしに対し、ゴードンの両手を上にあげた。それはまるで、何かの武器でわたくしがゴードンを脅しているかのような反応である。

 なぜだかよくわからないけれども、彼はひどく動揺しているようだった。

 手を上げたことで、ぽとりと彼が手にしていた小さなメモ帳が転げ落ちる。


「…………」

「…………」


 わたくしとゴードンの視線が、ほぼ同時にメモ帳へと注がれる。


「……落としましたわよ」


 指摘しながら、わたくしは腰を屈めてメモ帳を拾いあげた。

 瞬間、ゴードンの顔が絶望に染まったのを、わたくしは見逃さなかった。

 そして、田舎の大自然の中で培われたわたくしの視力は、絨毯の上に落ちたメモ帳の中に記されていた内容を、一瞬の内に読み上げてしまっていた。

 ふふふ。普段、旦那様を舐めるように見ていたわたくしの観察眼が炎を吹いた結果である。まあ、目から炎は出ないけれども。

 まあ、それはともあれ。

 このメモ帳は、彼にとって何かしらの弱点になることを、知る。

 普段は、鉄仮面と呼ぶべき淡々とした表情しか浮かべない割に、腹芸ができない男である。

 なるほど。確かに、ゴードンはアリシアの好みのタイプかもしれない。アリシアは、ちょっと間の抜けたタイプの人間が好きなのだ。

 本人に、一遍の隙がないので対局の人間を好むのだろう。


「ゴードン。少しお話しがありますの。ちょっくら、ツラを貸していただけませんこと?」


 拾い上げたメモ帳を見せながらお願いすると、ゴードンは視線を激しく左右に彷徨(さまよ)わせつつも、首を縦にふってくれた。

 消沈気味にわたくしの後ろからついてくるゴードンと共に、近くにあった空いている客室へと入る。

 このお屋敷にはいくつもの客室があるのだ。

 パーティーなどを開いた際に、この客室を利用する方もいらっしゃる。もっとも、わたくしたち夫婦が年若いこともあり、このアプリコット家でパーティが開かれることは、あまりない。

 貴族のパーティーは、色々と人生経験を積んだ方のお屋敷が行うことが主なのである。

 とはいっても、お客様がいらっしゃらなくても、掃除に手を抜くような不届きなメイドは、このお屋敷には一人もいない。

 品よく全体のデザインがまとまっている客室は、落ち着きがあって、とてもいいと思う。


「さあ、そこにお座りなさい」


 テーブルと対になっている椅子に着席するように、ゴードンを促す。ゴードンは少し迷ったような素振りを見せ、逡巡(しゅんじゅん)したあとに彼は大きな身体で椅子に座った。

 いつもはきちんと伸ばしている背筋が、わずかに曲がっている。

 それはまるで、大きな身体を小さく見せているかのようだ。

 おそらく、彼の精神状態が、影響しているのだろう。

 ……なんだろう。

 気のせいか、しょんぼりとした大型犬に見える。

 元から、大型犬ぽいとは思っていたけれど……





→7へ続く

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