秘密その5 メイドコスの旦那様は、こちらですか?
「これを、ゴードン殿が作ったのですか?」
アリシアの声には珍しく驚きの色が含まれていた。
朝食後のお茶は自室で取ることにしたのは、余計な人間に聞き耳を立てて欲しくなかったからだ。
現在、室内にはわたくしとアリシアだけが存在している。
わたくしの自室であれば、勝手に出入りすることができる人間は旦那様くらいのものである。
そして、その旦那様は今現在、わたくしとアリシアの会話の中心人物であるので、入ってきてくださっても何も問題はない。
むしろ、朝から旦那様の顔が見られたらわたくしはラッキーである。会いたくて会いたくて、震える。
本日はこのアプリコット領の特産でもあるアプリコットを使ったお茶を淹れてもらっていた。
旦那様の秘密を知った翌る日、わたくしは旦那様の許可のもとアリシアにだけは、旦那様たちの秘密を共有することに決めたのだ。
アリシアはわたくしの傍に常に身を置く存在なので、彼女に秘密を抱えたままでは、色々と今後に支障が出る……という判断である。
わたくしが目で見て耳で知った事実に加え、ゴードンが丹精込めて作り上げていたぬいぐるみを少し借りて、証拠品としてアリシアに見せていた。
「あの……見るからに朴念仁のようなゴードン殿が、このような……愛くるしいぬいぐるみを?」
抱えはあるぬいぐるみをもにゅもにゅと揉みこんで、心底感心したような声をアリシアが上げる。
秘密の部屋で、おしゃれを楽しむ旦那様の近くで、ゴードンは夢見る乙女がお小遣いをすべて捧げてでも欲しがるような、非常に愛くるしいぬいぐるみを創っていた。
女性的な面のある旦那様と一緒で、ゴードンはかわいいものをこよなく愛し、そしてそれを作り上げる能力があるのだ。
氷のどS女王とわたくしに心の中で呼ばれているアリシアでさえ、ゴードンの職人芸には感心しきっている様子である。
「誰がどS女王なのですか、若奥様?」
「え。いや、あの」
……なんでわかったし。
「心の声が駄々漏れですよ」
「わたくしはいつでもアリシアにダダ萌えですわよ」
ハァハァハァ……
そんな冷たい眼差しで貫かれたところで、嬉しくなんかないんだからね! 勘違いしないでよ! もっと、ゴミ屑のように蔑んだ目で見られたいなんて思わないんだから!
「若奥様。わたくしは前々から、一度はきっちりと若奥様を教育し直した方がよいのでは……と思っているのですが」
「うわー、本当にゴードンが作ったぬいぐるみはよくできますわー!」
思い切り話題を逸らしてやる。
アリシアを本気で怒らせる気は、さらさらないのだ。
怒らせたら怖いということもあるけれど、大事なアリシアを不快な気分にさせたいわけではない。
「ええ、本当に。よくできています」
アリシアはため息を落とし、そのまま話を逸らしたわたくしに乗ってくれた。そういうところが、大好きよアリシア。
「しかし、実に……売り物と言われても遜色のない出来ですね。ゴードン殿も、若旦那様と同じで、女性的な要素がおありなのでしょうか?」
問われて、わたくしは首を横にふる。
旦那様とゴードンは似て非なる存在なのである。
そのことについても、わたくしは二人から説明を受けていた。
「ところでゴードン。あなた……そのぬいぐるみ、どうしたの?」
とりあえず場が落ち着いたので、改めて腰を下ろし直したわたくしは、ゴードンが背中に隠していたぬいぐるみを指摘した。
大きな身体でずっと隠していたようだけど……部屋に入る前から、彼が作っているところを盗み見ていたわたくしには、まったくもって通用しない。
「これは、その……」
「もしかして、ゴードンも旦那様と同じように女性的な趣味が?」
それならばそれで、言ってくれればいいのに……とゴードンを見つめると、ゴードンは今まで見たことのないような戸惑った表情を浮かべた。文字通り、オロオロとしている。
いつも、旦那様のすぐ近くで鉄仮面のようにぴくりとも表情を動かすことのなかったゴードンの、知られざる姿である。
「ち、違うのです……若奥様。わたしは、その……か、かわいいものが好きな……だけで……」
女性的なものを身に付けたいと言う欲望はないのだと、しどろもどろに説明するゴードンの耳が、真っ赤に燃えていた。
「……羞恥心に悶える系男子だと……!?」
なんだそのギャップは!!!
わたくしのなんだかよくわからない琴線が、理解不能な衝撃を受けて激しく震える。
旦那様よりも背が高く、体格も立派ないかにもお強い殿方といた感じの、非常に男らしいタイプであるゴードンが、羞恥心に震える乙女のように、ふるふると震えていた。
目元を伏せ、心底困っている表情は……わたくしの中に封印されているおっさん系の妖精を呼び起こしてしまった。
「あはんあはん、かわいいですわね、ちょ、ちょっとお触りしたいですわ……お触り……!」
淑女は誰だってギャップ萌えに弱いんですのよ!!
わたくしは思わず自分の欲望に負け、ゴードンににじり寄って、その逞しい腕にお触りをしてしまいそうになった。
「こぉら。わたしの前で浮気?」
わたくしの暴挙を止めたのは、もちろんというべきか、愛する旦那様である。本気で怒っている様子はまるでないけれども、わたくしの手はぎっちりと旦那様によって拘束されてしまった。
「で、でき心なのですわ旦那様……!」
そこに魅力的なギャップ萌え男子がいたものだから!
少しお触りがしたくなっただけなのですと、わたくしは自らの弁護をするハメとなる。
「……ギャップ萌えでいえば、わたし――ぼくだって相当だと思うけど?」
ほんの少しすねたような声が耳を打ち、わたくしは声にならない悲鳴をあげてしまった。
うひょおおおおおおおおお!!
旦那様が拗ねた!
なんて愛くるしい……!!
ときめきマックスエンド!! ハートキャッチ旦那様!
絵師を、絵師を呼んで!!
今すぐに国宝たる旦那様の拗ねているお顔を絵に収めて未来永劫、家宝とするのです……!!
――などと、わたくしがしばし暴走した話は置いておいて、旦那様とゴードンはそれぞれ、かわいい物や綺麗なものが好きだけれど、二人とも好みのベクトルが違うのだと説明をしてくれた。
「ぼくが好きなのは、コスメとかオシャレ系なの。もちろん、かわいいぬいぐるみなんかにも胸はときめくけれど……ゴードンのように、自分で作りたいとは思わないわ」
「……わたしは、見るのも作るのも好きで……反対に、若旦那様のような華やかなものには、さほど興味がなく……」
ということらしい。
二人はどうやってお互いの趣味を知ったのかという質問に対しては、なんのことはない。
二人は、幼馴染の関係だったのだ。
「そういえば、そんな話を聞いたことがあるような……ないような」
……ごめんなさい、ゴードン。
その説明を受けた時はきっと、あまりゴードンに興味がなかったか……それとも、旦那様にメロメロになっていたかだと思う。
しかし、この表情に乏しく……見ただけでものすごく強いと他者に思わせることができる迫力のあるゴードンが、ぬいぐるみを嗜むなんて……人は本当に見た目で判断してはいけないということですわね。一つ、賢くなりましたわ。
赤銅色の筋肉は、愛くるしいぬいぐるみを創るためにあるのですわね……
「それで、この子のお名前は?」
かわいいぬいぐるみなのだから、名前くらいはあるだろうと尋ねると、ゴードンはさらに頬を赤く染めた。
もじもじと、身体を揺らす。
お、乙女……おまえ、乙女だな!!
旦那様より頭一つ背が高くて、筋肉だってガッツリついているのに、乙女だな!
もしかして、旦那様以上の乙女力の高さを有するのでは!?
というか、実はこの中で一番低いのは……わたくしなのでは?
「あの……ぬいぐるみ軍曹です、若奥様」
照れながら答えたそのネーミングセンスに、わたくしは生温かく微笑んだ。
ちろんと、ぬいぐるみを見る。
きみ、ぬいぐるみ軍曹っていうのか……
ゴードン作のぬいぐるみの顔が「まぢかよ」というように見えたのは、わたくしのきっと見間違いである。
「たたたたたたたた大変だわアリシア」
「どどどどどどどどどうしたんですか、若奥様」
慌てふためき、うっかりどもりまくってまったわたくしに対し、アリシアは常とかわらぬ冷静沈着な表情で、わたくしにつきあってどもってくれた。
たまにこういうノリに付き合ってくれるから、アリシア大好き。
廊下をのん気に歩くアリシアの手首を握りしめ、そのまま自分の部屋に連れ込んだのはほんの少し前のこと。
「だ、旦那様の私室からこんなものが……!」
「……また、若旦那様の私室に侵入されたのですか……?」
批判的な眼差しを受けるが、それどころではないのだ。
アリシアだって、わたくしが見つけてしまったブツを目にすれば、わたくしの受けた衝撃を少しは理解してくれるだろう。
おお、神よ!
どうしてあなたは、わたくしにこのような試練をお与えになるのですか?
ついこの間、旦那様の浮気疑惑が晴れたというのに、今度はこれですか、神様!
「わたくしが旦那様の部屋に立ち寄ったのは……本当に、偶然なのです」
わたくしはアリシアに、少し前に起きたことを語って聞かせることにした。
神妙な顔で語るのは、少しでもアリシアにことの重大さへの理解と、わたくしの無実を印象づけたいからだ。
そう。これは、今からほんの少し前の話。
わたくしは珍しく、アリシアをつけずに一人で屋敷内をぽてぽてと歩いていた。基本的にアリシアはわたくしから離れることは少ないのだけれども、アリシアにはわたくしの専属という肩書の他に、メイド長という役職もあるので、実はとても忙しいのである。
アリシアがわたくしと共に、このアプリコットのお屋敷に務めるようになってから、最初のころは、アリシアはわたくしだけのメイドだった。他に妙齢にメイド長がいたのだが、何が起きたのかよくは知らないのだけれども、このアプリコット家に来たばかりであるアリシアは新参者として、元メイド長にいろいろと教育を受けたらしい。その結果、アリシアは新メイド長になった。
報告を受けた時は、まるで意味が分からなかった。
だけど、アリシアの後ろで従僕のように付き従う妙齢の元メイド長の紅潮しきった夢見る乙女みたいな顔を見ると、何か突っ込みがたく……そのまま、スルーしてしまったのだ。
今でも、教育期間中に何が起きたのか膝をつきつけて聞きたいところだけれども……触らぬ何かに祟りなしともいうし……
とまあ、アリシアの話は置いておいて!
忙しいアリシアとは離れ、この時はわたくしの一人だった。
わたくしは、特にやることもなかったので、散歩をしていたのだ。
アプリコット家の屋敷は、廊下を歩くだけでも様々な美しい美術的な作品が飾られているので、まるで美術館か何かに行ったような心地にさせてくれる。
散歩するだけで、有意義な時間を与えてくれる。
正直な話、熱心な美術品愛好者というわけではないのだけれども、それでも美しいよい作品を目にするのは、嫌いではなかった。
「そして、屋敷内を散歩していたわたくしはいつの間にか、旦那様の住まわれる部屋へと……」
本当に本当に、偶然なのである。
いやまあ、わたくしが住む屋敷と旦那様が住むところは場所がまるで違うという声が聞こえなくもないけれども、本当に偶然だ。
ただ単に目的もなく屋敷内を歩いていただけなのに、旦那様が私室として使用している部屋へと、いつの間にか近づいていたのである。いやいや、不思議な話である。愛がそうさせたのかしらン?
「いやはや、本当にどんな奇跡かとわたくしは思ったものよ。やっぱり、わたくしの旦那様に対する愛の大きさかしら?」
日中は、旦那様はお仕事で屋敷内にいることはめったになく、本日も旦那様の気配は部屋の中から確認することはできなかった。
「……若奥様。またしても。若旦那様の部屋の扉に張りついたのですね」
「三日に一度の割合でしかしてないわ!」
ごくまれな回数よね! きっと!
たまに廊下を通りかかるメイドなどの使用人たちにギョッとされたり、生暖かい目で見守られることもあるけれども、それはそれ、これはこれだ。
「それで、勝手に部屋に入ったのですか?」
「ちゃんと入室の挨拶はしたわ。旦那様には、いつでも部屋に来ていいと言われいるし」
「……それは、若旦那様が在室中の時の話なのでは?」
アリシアの冷静な声が何かを言ったような気がしたけど、あれれぇ~? お耳が、どうやら臨時休業のようだ。
「それでも、わたくしとて淑女。勝手にお部屋に入ることなんて、できるわけがないでしょう?」
「……そうですね。その程度の分別はあって、幸いです」
「それだというのに、なぜだかわたくしの手には旦那様の机の上に無防備に置かれていたこの薄い本が……!!」
入室した記憶はないのに、不思議なこともあるものよね!!
ついでに、下着もドレスの中に入っているけど、さすがにそれはアリシアにも言えない。
「…………」
アリシアの視線が氷のようにナイフのように突き刺さる。
どうやら己の主人が、夢遊病に犯されているとは欠片も思わないらしい。まあ、違うんだけどね!
し、真実は闇の中よ……!
「見て頂戴、アリシア!」
「……若奥様。わたくしを同罪になさるおつもりなのですね?」
「落ちるなら、共に墜ちましょう。地獄の底までも、あなたと共に」
「………………」
アリシアの眉間には、これ以上にないほどのしわが寄っていたけれども、心優しく、何だかんだでわたくしを見捨てることなどしないアリシアは、わたくしの手から薄い本を受け取ってくれた。
「……これはいったい、なんなのでしょうか?」
表紙を見たアリシアは、理解しがたいように呟く。
わかる。わかるわアリシア!
表紙を見ても、ちょっと理解できないわよね……!
わたくしも、できなかったもの……!!
「うう……見てわかるように、殿方が仲良く見つめ合って指を絡めあっている絵物語よ……!!」
わたくしは我慢ができず、シクシクと涙を流した。
そう。
いつの間にかわたくしの手に中にあったのは、二人の殿方が仲睦まじく互いを見つめ合い、指を絡めている絵物語だった。
一人は小柄でどこか狸っぽい、なんというかさほど華はないけれども、妙に愛くるしく見える少年と、その少年を慈しむように見つめている涼やかな美貌の青年。
どこの絵師が描いたのかわからないけれども、これがまた本当によくできているのだ。わたくしに少年愛を愛でる趣味はないけれども、そういう趣味を抜きにして、実に魅了的な絵柄だと言える。
けれども、だがしかし。
「こんなものが、どうして旦那様のお部屋にあるの!?」
わたくしはシクシクと泣きながら、絨毯に倒れ伏し、絨毯を叩き続けた。
「旦那様、殿方には興味がないと言っていたではありませんの! それとも、このような愛くるしい少年と涼やかな美少年ならば、範囲内ですの!? わたくしに、上をもいで下をつけろと申しますの!? え、もぐほどの物が実っていない? しゃらくせぃ!!」
「若奥様。被害妄想による幻聴です」
最初は少し驚いたくせに、今ではすっかりとクールビューティーに戻ってしまったアリシアは、冷静な面差しで薄い本の中身をじっくりと読んでいる。
「ア、アリシア……中身、どんな感じ?」
「若奥様も、読んだのではないのですか?」
「……チラッと見はしたのだけど……」
わたくしがチラッと出来心でめくったページは、表紙の少年ふたりが今にも口づけしそうな破廉恥な絵柄だった。
「それ以上はとても……」
恥ずかしくて、見ることができなかったと告白する。
絨毯に、ののの……と字をもじもじ書いた。
嫁入り後だけど、純潔を守っている乙女ですもの。
破廉恥なのは、いけないと思います!
「あーなるほど」
アリシアは平淡な口調で、答え――その後しばらく、中身を読み続けた。その間、わたくしは絨毯に寝転がったまま、アリシアを下から見上げる。
いつも綺麗に塵ひとつなく掃除されているので、ゴロゴロと転がっても大丈夫。
せいぜい、アリシアから石ころを見るような眼差しを向けられる程度である。
下から見るアリシアの氷の美貌は、なんとも見惚れてしまう。
ああ、相変わらず大きな胸と細い腰……氷の美貌……
ハァハァ……アリシア……ちらっと、わたくしを見てくれないかしら?
そんなことを考えていたら、なぜだか、呼吸が乱れ心音が激しく鳴り始めてしまった。
何かの病気なのかもしれない。
ア、アリシア萌え……
「なるほど。だいたい、中身は把握できました」
読み終えたのか、本を閉じたアリシアは絨毯に寝転がり、吐息を乱しているわたくしに気づいた。
「何をなさっているのですか、若奥様」
「ちょちょちょちょっと、そのアングルから何か、こう心を抉る一言をもらえないかしら? もしくは、ちょっと踏んでみてはくれないかしら? 何かの扉が開けそう」
魔法の扉かしら?
「御冗談を。それに、若奥様はとっくに開いてらっしゃると思います」
アリシアの笑顔は薄い笑顔を浮かべ、空いている方の手で親指を下に向けて、ナイフで何かを切るようなに舌に向けた親指を真横に滑らせる。
「あひゅん」
ヒュン……と、股間の辺りが一瞬スースーしてしまった。
ないものがヒュンとなりましたわよ、アリシア!!
あ、これ以上駄々をこねたらヤバイ。
頭の中で警報音が鳴り響く。どうやら、引き際のようだ。
「絨毯と仲良くしたい人生だった……」
生まれたてのゴリラのように、わたくしはヨロヨロと立ち上がる。
アリシアから手を貸してもらえることは、なかった。
あひゅん!
アリシアとわたくしは、とりあえず落ち着いて話をすることにした。いつものように、自室のテーブルにお茶のセットを用意してもらい、お菓子を食べながらお茶を飲む。
今日は、アリシアも席についてくれている。
本来、わたくしとアリシアの関係を考えると、一緒の席に着くことはありえないのだろうけれども、我が家の場合はありえる家庭環境だったので、問題はないのである。
アリシア以外のメイドとも、ちょくちょく一緒にお茶しているしね。
……いやぁねぇ、田舎の没落貴族というのは本当にそこらへんの平民と大してかわらない生活をしてますから……本来ならば、アリシアみたいな有能なメイドを雇うこともできないような没落具合なんだけど、アリシアを初め、うちには本当に心からかわってるなぁ~と思う奇特な人たちが不思議と集い、使用人に困ることはなかった。
大きさだけが取り柄のような、我が家での食事はわたくしたち家族と、使用人たちが同じテーブルにつくのは、よくあることだったのだ。だってねー違う時間に、違う場所で食べると、その分、灯り代とか色々雑費が増えるわけなのである。
それならば、みんな一緒に食べた方がいいじゃない。楽しいし、というのが、我が家の総意である。
もっとも、わたくしとて一応貴族の娘で、それなりに他の家のことなどお勉強をしているので、我が家のルールが一般的ではないことは理解をしている。
なので、他の人の目があるところでアリシアと席に着くことは、まずないだろう。
この屋敷内では、自室以外では誰かしらの目があるので、不可能だが、ここはわたくしのお部屋。何をしようと、勝手である。
まあ、二人きりの特別というわけだ。
「この書物の内容は、確かに殿方同士の恋愛模様を描いたもののようですね。半分が小説で、半分が漫画になっているようです。実によくできているものですが、一般的に流通しているものではないでしょう」
「そ、そうなの?」
「ええ。おそらく、どなたかの個人的な趣味で作り上げられたものか、もしくは同士の方々で作りあげたものかと。危なげな表現は使われていない、いわゆる全年齢対象のものです」
「ぜんねんれいたいしょう」
あまり、耳にしない言葉である。
まあ、意味はなんとなくわかるけれども。ようは、お子様からお年寄りまで安全に読める内容ということだろう。
「しかし、恋愛とはいっても口づけも未遂で終わっておりますので、淡い恋物語のようです。どうやら、愛嬌だけが取り柄のまぬけな狸顔の主人と、その主人を蔑ろに扱いながら、実は懸想をしている涼やかな美少年が、この表紙の二人のようですね」
え。何それ。ちょっと面白そう。
この狸顔の善良そうな少年が、この美しい少年に恋をしているわけではなく、反対なの? 美しい少年の方が、この地味な狸顔……やけにシンパシーを感じる少年にフォーリングラブなの?
「主従物のようですよ」
「しゅ、しゅじゅうもの……!」
なんだかやけに胸が高鳴るのを感じてしまうのはなぜかしら。
ドキがムネムネする。
「ええ。口づけを未遂で終わらせているということは、おそらく最終目的地を二人の口づけと過程しているのではないでしょうか。一応、この物語単体でも読むことはできますが、作者は続編を書くことを想定していることが、考えられます」
つらつらと、いつもと同じ平淡な口調で語るアリシアの推理に、ふんふんと、わたくしは頷きながらクッキーを食べる。
あらまぁ、さっくりととても美味しいクッキー!
卵とバターの香りが、食欲をそそるそそる……!
「しかし、若奥様」
「ふぁい?」
口にクッキーを詰め込んでいたわたくしは、頬を膨らませながらアリシアを見る。アリシアの顔はもう見慣れてしまった、呆れた表情が浮かんでいる。
だが、アリシアはわたくしにお小言を言うことはなく、テーブルの上に置かれた薄い本の表紙を、トントンと指先で叩いた。
「若奥様。この表紙の二人、何か感じることはありませんか?」
「そう言うと?」
「……わたくしたちのよく知る人物で、モデルがいるのではないかと、具申いたします」
な、なんですって!?
わたくしは改めて、表紙を見る。
美しい青みを帯びた黒髪の涼やかな美少年と、狸顔の少年。
……た、確かにそう言われて見れば、どこかで見覚えというか、身に覚えのある組み合わせのような気が……
「わたくしには、この小柄な少年が奥様をモデルにしているように見えます」
「え」
指摘されて、わたくしはうめいた。
本を両手で握りしめ、表紙を凝視する。
この狸顔の愛嬌たっぷりの少年が、わたくしに似ている?
「それを言うなら、わたくしにはこの美少年がアリシアに似ているような気がするわ」
性別は違うけれども、似ている。
一度意識して、言葉にしてみるとよりいっそう、美少年がアリシアに見えてくる。アリシアの性別が男だったら、きっとこのような容姿をしているのではないか……と思うような、容姿である。クールな、夜のナイフのような美貌。
「この狸によく似ている少年がわたくしによく似ているというのはよくわからないけれど、こちらの美少年はとてもアリシアに似ているわ」
「……若奥様の主張は一旦置いておいて、確かに似ていますよね」
狸が、若奥様に。
という言葉が聞こえたような気がした。
ちちいッ。アリシアめ。わたくしが狸に似ていると!!
……よく言われるぅー。知ってるぅー。
自分ではそんなことはないと思うのだけど……
「どちらにしろ、この作品がわたくしたちをモデルにしているということは大方、間違いはないのではないかと」
「うーん」
わたくしは眉間に皺を寄せて、考え込んだ。
もしも、わたくしたちをモデルにしているのであれば、わざわざ性別を変換したのはなぜだろうか。
それに、そもそもなぜに、わたくしたちをモデルなどに?
アリシアはわかる。誰が見ても美人だもの。モデルにし甲斐もあるだろう。けれど、わたくしは?
自分で言うのもなんだけど、わたくしは至って平々凡々の、貴族という肩書がなければそこら辺に転がっている石ころと同等の価値しかないような女だ。
もしもわたくしを何かの物語に登場させるならば、主人公たちの周囲でわーわーやっているぐらいが、せいぜいの役どころだろう。
下手をしたら、名前も持たない没個性的なキャラクターである。
「……わたくしのような地味で目立たない女を、なぜモデルなんかに?」
思わず呟いた言葉に、アリシアは「は?」と珍しく驚いたような声を漏らした。
そして、わたくしとほんの少し嫌そうな顔で見る。
……主人にそのような顔を向けるものではなくてよ、アリシア。
「どうしたの、アリシア?」
「僭越ながら、若奥様のどこが地味で目立たないのかと」
「え、そうじゃない?」
「……いつか、若奥様の認識が改善されることを願っています」
そうすれば、わたくしの気苦労も少しは減るでしょうから……と、アリシアが生暖かい眼差しでわたくしを見る。
誰がいったい、アリシアをこのような瞳にしているのかしら?
え? わたくし?
「アリシアの言っている意味はよくわからないけれども、なんにしても、わたくしたちをモデルにしているというのならば、これを創った方は、わたくしたちをよく知っている……ということでしょうか?」
「一概に、そうとは限らないと思います。例えば、何かの用事でこの屋敷に足を踏み入れ、わたくしたちを目にしただけの外部の人間が、妄想だけで物語を記した……とも、考えられます」
アリシアの言に、わたくしは首を思い切りかしげた。
「そんなこと、できるのかしら?」
「若奥様。人間の妄想力とは無限の力を持つのですよ」
なんだか、やけにアリシアの言葉には力があった。
わたくしは芸術とか美術には疎い方なので、よくわからないけれども、人間の想像力……この場合は妄想力というらしい。
激しく、逞しいのだそうな。
「ある意味羨ましいわ……」
チラッと見ただけの人間で、これだけの妄想力ができるのならば、じっくりと旦那様を舐めるように観察してもらえば、それはもう素晴らしい旦那様を主人公にした物語を作っていただけるということだ。いやだがしかし、わたくし以外の人間に、旦那様を舐めるように観察されるのは少し嫌かもしれない……
いやいや、観察されることを嫌がり、「そんなに見ないで……」なんて白い頬を赤く染められてしまえば……げっへっへ……
「若奥様。口元からよだれが」
「おっと、いけない」
わずか一瞬で、恥じらいに震える旦那様というものを妄想してしまった。
わたくしは旦那様のことを世界の誰よりも恰好よく素敵な殿方だと思っているけれど、それと同時にあの方ほど、愛らしい人もいないと確信している。格好良くて愛らしいなんて、最強じゃない? うちの旦那様。ああ、神様。この世に旦那様という至高の存在を作り給うてありがとうございます。お義父様、お義母様。お二人がナカヨシコヨシを頑張っていただいたおかげで、旦那様はお生まれになったのですわ。本当に本当に、ありがとうございます。
「アリシア、妄想って楽しいわね!」
確かに、人間の妄想力というのは馬鹿にできないかもしれない。
わたくしの脳内の旦那様は、いつの間にかメイド服を着て、「お帰りなさいませ、ご主人様」とか言い出し始めた。
見たことはないけれど、白い真っ白な太ももがスカートとパニエに隠れて、見えそうで見えない! ちくしょう!
妄想の中だというのに、なんてガードが堅いの旦那様!
かわいいよ、旦那様。かわいいよぉお、旦那様!!
スカートをめくりあげてしまいたい、旦那様!
「アリシア。わたくし、旦那様のことを妄想すると、お食事が好きなだけ喉に通りそうな気がするわ」
「若奥様。ギリギリアウトな発言でございます」
なんてことを話しながら、わたくしとアリシアはお茶とお菓子を消費していく。
「で、結局。旦那様は、どうしてこのようなものを所持していたのかしら?」
書いていた人間も気になるが、何より一番気になるのは、旦那様これを所持していたという事実だ。
「……若奥様。まさかと思いますが、もしやコレ執筆なされたのは……若旦那様なのでは?」
アリシアにしては珍しく、非常に言いにくそうに口にする。
「え? 旦那様ご本人が!?」
その考えはなくて、わたくしは目を白黒にさせた。
だが確かに、旦那様ならばわたくしとアリシアを、好きなだけじっくりと観察することはできる。
「だとしたら、どうして性別をかえてしまったのかしら?」
物語のモデルにされるのは非常に恥ずかしいけれども、性別をかえられる意味がわからない。
「それは……ギリギリのプライバシー保護の意図があったのではないかと……真実は、測りかねますが」
「なるほど」
性別をかえてしまえば、わたくしたちをよく知る人間でない限り、この本の表紙を飾る二人が、わたくしたちをモデルにしているとは思わないかもしれない。プライバシー保護という意味であれば、十分に効果は発揮していると言える。
「それでも……うーん。勝手にモデルにされてしまうのは、あまり気持ちのよいものではありませんわね」
事前に確認されて、了承するとは言えないけれど、無断で作られるよりはマシな気がする。
「それに、どうしてわたくしとアリシアなのかしら? わたくしには、旦那様という世界一素敵な殿方がいらっしゃいますのに」
「若奥様。妄想とは、そういうものです」
実現しないことだからこそ、妄想なのだと言われて、妙な説得感を覚えてしまう。
た、確かにメイド姿の旦那様や、恥じらい頬を染める旦那様なんて、きっと実現はしないと思う。
いや。いやいやいやいや。
ちょっと待って、わたくし。落ち着くのよ、わたくし。
「アリシア。旦那様は、メイドコスとかに興味はないかしら?」
旦那様の秘密を知っているアリシアに、尋ねる。
それすなわち――女性的な趣味をお持ちであること。
「どうしたのですか、前触れもなく。というか、コスと言わないでくださいコスと」
現メイド長でもあるアリシアは、嫌な顔をする。
「ごめんなさい、でもそれよりも今大事なのは何? そうそれはメイドコスをしている旦那様が実現するかどうかという、ことよ」
「……どこから話題はそのようなくだらないものになったのですか?」
半眼になったアリシアの顔には、色濃い“呆れ”の色があった。
もう! アリシアはわかっていないわ!
「アリシア。ほら、想像してみて。メイド姿をしている旦那様の、夢のような愛らしい姿を……!」
「……確かに若旦那様は、女性顔負けの美しい面立ちをした方ではありますが……だからと言って、女装が似合う……」
わけはないと続けようと、おそらくしたのだろう。
しかし、アリシアの言葉は途切れ、考え込むように、己の顎に手をかける。
「ある種の層に、人気が出そうですね」
「その筆頭はわたくしですわよ!」
み、見たい。メイド姿をした旦那様!
黒地の膝丈ワンピースに、白いレースのエプロンをつけた旦那様を、ぜひとも見たい。
そして――
「お帰りなさい、ご主人様。ご飯にします? お風呂にします? それとも、メイドの膝枕にします?」
なんて、言われたい!
わたくしならばまず、膝枕で白い太ももを堪能したあと、ご飯とお風呂をお願いします。
見たことはないけど、色白の旦那様の太ももは、真っ白よきっと!
見たことはないけれど!!
これ、重要だから繰り返しておこう。
わたくしなんかよりも、ずっと丁寧にお手入れをしているはずだから、スベスベのツルツルとした絹のような手触りの太ももをしているのよ! わたくしと違って!
「若奥様も。生まれたての赤子のような肌をしておりますよ」
「また妄想が口から飛び出ていたのね!」
いやん、バカン!
どうして、わたくしの唇はこんなにも素直なのかしら。
反省反省!
「で、若旦那様をメイド姿に辱めた上での膝枕が、若奥様のご消耗なのですか?」
「いいえ、別にそうではないわ。ただ、地べたに額をこすりつけて懇願すれば、少しくらいは考えてくれないかしら? と、思っただけよ」
女性的なものを好むと言っても、生粋な貴族である旦那様が、労働層であるメイドの姿をしてくれる可能性は、限りなく低いだろう。
わかっているけれども、ちょっとした妄想と可能性を楽しんだだけだ。ふー。妄想って、こんなに楽しいものなのね。
「わたくしは、旦那様のメイド姿よりも、ゴードン殿のメイド姿を見たいと願います」
「え」
アリシアの発言に、わたくしの思考はショート寸前。今すぐ会いたいよ。
いやいや、そうではなく。
「ゴゴゴゴゴ、ゴードンにメイドの姿をさせるの? あの、雄々(おお)しく凛々(りり)しい、ゴードンに?」
「ええ」
わたくしもたいがいアレだが、アリシアだって負けないくらいに、アレではないだろうか。うん。
そりゃあ、ゴードンも旦那様と同じで、愛らしい趣味を持っていることは知っている。
ゴードンは、あの巨体で編みぐるみとか作ってしまうのだ。
しかも、匠も裸足で逃げ出すような技術を持っている。
しかしながら、ゴードンは、誰がなんといっても、見た目は誰よりも立派な殿方なのだ。
そのことを、否定する人間は一人もいないだろう。
現在は旦那様の側近として働いているが、彼は騎士の称号も得ているはずだ。その上、魔術も扱うことができるので、戦闘術のエキスパートだと呼んでも過言ではない。
確かにゴードンも美形ではあるけれど、旦那様のように中性的なわけではない。
戦士と書いてゴードンと読むような、あのゴードにメイド姿を?
アリシアの趣味は高尚すぎて、わたくしにはついていけないかも。
「ちょっと……それは、どうなのかしら?」
わたくしが首をひねる。わたくしの貧弱な妄想力では、ゴードンのメイド服姿はモザイクがかかってしまう。
スカートから覗く剥き出しの太ももとか、むちゃくちゃムキムキしてそう……いや、それが悪いとは言わないけど……
戸惑うわたくしに、わかっていないなぁ~とばかりにアリシアは嘆息した。
「若奥様。女装というのは、似合わないことに醍醐味があるのです。似合わない女装を無理強いして、恥じらう姿を愛でるのがいいのではありませんか。短いスカートから覗く逞しい太もも……ふふ。剃っていない毛を指摘して、恥じらわせるのですよ……ふふ」
うっとりと、アリシアが言う。
え。ちょっと、ちょっと? アリシアさん?
おーい。帰ってきて-。元のクールな女王様に戻ってー!
ついでに、お尻をちょっと踏んでー!
などとわたくしがアリシアを現実に呼び戻そうとするけれど、彼女はどこか違う世界に旅立ってしまった。
……。
…………。
………………逃げて。
ゴードン、逃げて。うちのアリシアから超逃げて。
「え。ちょ、ちょっと待って。本当に、ちょっと待って。もしかして、アリシアって……ゴードンに懸想をしているの?」
一際声を大きくして呼びかけると、ようやくアリシアはこちらの世界へと戻ってきてくれた。ふぅ。よかった。アリシアがそちら側に回ってしまったら、誰がわたくしに突っ込んでくれると言うの。
「そういうわけではありません。ただ、好ましいか好ましくないかという問題であれば、前者です」
……し、知らなかった。
わたくしが旦那様の素行を調査している頃は、ゴードンに邪魔をされてアリシアは苛立っていたように思えたのに……
いったい、いつの間に。
「ああいう、いかにもすれてなさそうな朴念仁のようなうどの大木を弄り倒すのは、とっても楽しそうですよね?」
氷の女王が、そう言ってほほ笑む。
薔薇が裂くような笑みに、わたくしは引きつったような笑みしか返せなかった。
→その6に続く