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秘密その1 旦那様が浮気をなされているようです。



「結婚して約半年。アリシア……わたくしは、旦那様に愛されていないのかしら?」


 結婚した際に、旦那様は広大な屋敷の敷地内に、わたくしだけの屋敷を用意された。

 没落した、貧乏貴族でしかなかったわたくしには想像もしたことはなかったけれども、旦那様の生家ほどの上級……大貴族ならば、家族一人一人が敷地内に屋敷を持っているのが普通なのだそうだ。

 わたくしの実家とさほど大きさがかわらないようなサイズの屋敷が、わたくしだけのものとなった。なんてこった。

 綺麗なお庭がついている屋敷はとても快適だけど、最近はお食事の時間以外、めったに旦那さまが遊びにきてくれないので、正直寂しい。

 元々、旦那様はお仕事がお忙しい方ではあるけれども、ここ最近特に忙しいらしい。

 なんでも、わたくしたちの住むアプリコット領で盗賊団が出て被害が出ているのだとか。

 盗賊など、物語の中でしか知らないけれども、恐ろしいことである。

 しかしながら……本当に仕事だけで忙しいのかと、わたくしは疑心暗鬼になっていた。

 自室として与えられている部屋で、ぐったりと椅子に座り、背もたれに頬ズリをしながらメイドのアリシアに尋ねる。

 この椅子は少し前に顔を出してくれた愛しの旦那様の引き締まっているお尻が乗っていた、この世の至宝として世界遺産として登録申請したい椅子である。もう、旦那様のぬくもりこそは消えているけれども、まだ残り香が……!!

 あふん。あはん。花のようないい匂い……!


「若奥様。変態じみた行動はお控えください」


 氷のようにひんやりとした視線が、わたくしを貫く。

 ああ、アリシアは今日もわたくしに冷たい……

 アリシアは、実家から連れてきているメイドの一人で、嫁入り先の屋敷ではわたくしのお世話係頭となっている。彼女は、わたくしよりも二つ上と年齢的にだいぶ若いのだけれども、年齢以上に彼女は非常にしっかりしており、小さい頃から彼女にはお世話になりっぱなしだ。

 わたくしの結婚を機に、嫁ぎ先にも着いてきてくれた彼女は、わたくし付きのメイドたちをまとめる、メイド長に就任した。主な仕事は、わたくしの世話と、この屋敷の維持である。

 田畑を耕すことならば、わたくしもできるのだが……

 何せ、貴族とは名ばかりで領内に住む市井の人々とさほどかわりのない生活をしていたわたくしですもの……没落貴族の中でも、我が家はたぶんちょっぴり特殊だと思うけれども、家族全員農業を営んでおりましたの……食料確保のために……!

 農業はできても、屋敷の維持はできない。

 そう……一つで、実家の屋敷を丸ごと買えるのではかろうかと思われる壺を、平気で廊下などに飾る超ブルジョア階級の屋敷維持など、わたくしには到底できそうにない。

 うっかり割ってしまうのが関の山である。

 その辺りは、しっかり者のアリシアにお任せしよう。

 わたくしは、持ち前のコミュニケーション能力の高さで他の家の方々と交流を広め、深めていくのがお仕事ですワン。旦那様が繋がりを持ちたいと思っている家の方々と、お友達百人を作るのが目標ですワンワン。

 わたくしと旦那様の実家は、同じ貴族でも、没落したウチと国王陛下とも付き合いのあるアプリコット家では、雲泥の差。まさに、月とスッポン。薔薇の花束と、道端の雑草。

 ……本当に、わたくしたちなんで結婚できたのかしら。

 うちの両親と旦那様のご両親、つまりわたくしにとっては義理のご両親になるお二人とは、若いころからのとても親しい仲だとは聞いているけれども、そもそも……うちの両親と、旦那様のご両親に相応しい特別な人たちが知り合い、仲良くなれたのか不思議である。

 超のんびり屋のうちの両親と、超できるスタイルの旦那様のご両親では、共通点なんてかろうじて、同じ人類という部分しかないのに……

 いや、それで言うとわたくしと旦那様が夫婦というのも、同じレベルで不可思議な現象だとはわかっているんだけれども。


「若奥様は、旦那さんの愛情をお疑いだと?」

「そうは思いたくはないけれども……だって」


 わたくしはツラツラと、状況証拠を並べていく。

 旦那様があまりわたくしの元へいらっしゃらなくなったこと、旦那様に女の匂いが移っていること……その他にも、旦那様に女の影を感じることアリシアへと訴えた。


「確かにわたくしと旦那様は、幼いころから契りを結んだ婚約者同士でしたわ……けれど、今思えば……旦那様は約束を守ってくださっただけなのでは、と思うの」


 親同士が決めた婚約だった。

 物心がついた時から、旦那様はわたくしの婚約者だったけれども……わたくしよりも、五つ年上の旦那様は、どう思っていただろうか……

 本当は、わたくしとの婚約を疎んでいたのではないだろうか……

 絶対にそうではないと言い切れないところが、哀しい。

 旦那様ほどに素晴らしい殿方ならば、わたくしのような田舎から出てきた子狸――たまぁーに、わたくしの耳に入るわたくしの容姿を揶揄する言葉ですわ。

 わたくしのどこか、子狸なんだか……ポンポコポン!


「ね? こうやって言葉に出してみると、つくづく……旦那様ってば怪しいでしょう

? うう、旦那様……わたくしのどこが悪いの? 狸顔だから?」


 アリシアは表情をさほど動かさず短く考え、ふっと息を吐くように言った。


「とても、好かれていると思いますが。それにお嬢様……若奥様の、非常に善良そうな愛くるしい顔はとても素敵だと思います」


 美人なんだけど、クールというか愛想がないというか……感情をあまり表に出さないアリシアは、いつものように平淡な声音でそう答える。

 ああ、クール美人だけど本当は優しいアリシア……なんて、いいメイドなの。

 アリシアが抵抗さえしなければ、思い切り抱きしめてほっぺにチューを送ってあげたいくらいである。

 ……そんなことをしたら、リアルに頬をひっぱたかれそうだからやらないけれど。


「うう、ありがとうアリシア……」

「いえ、若奥様をお慰めするのもわたくしのお給金の一部ですので」


 正直者め!


「……慰めてくれるなら、もっとニッコリと笑ってちょうだい。わたくしの荒んだ心に、天使のスマイルをちょうだい……!」


 顎の下で両手を組んで、ダメ元でおねだりをしてみる。


「笑えば給料は上がりますか?」


 返って来たのは氷の眼差し。厳しい!


「プライスレスでお願いします!」

「ハッ」


 鼻先で笑い飛ばされた。

 や、やだ……ゾクゾクするぅ!!

 アリシアは痩身の美女なのだが、主人であるわたくしに対してですら、この氷の対応である。氷の女王とは、まさかに彼女のことだ。

 彼女は、この辺りでは珍しい黒い髪を真っ直ぐに伸ばし、紅の瞳を持つ。この神秘的な美貌にドキドキする殿方は多いだろう。殿方じゃなくても、ドキドキしてしまいそうになる。アリシア、美人だもんなぁ……わたくしも、彼女くらい魅力的だったら……こんな、旦那様の浮気を心配するような生活を送らなくてもよかったのかもしれない。


「……ひどい……鼻で笑い飛ばすなんて。わたくし、アリシアの主人なのに」


「何が不満なのですか? ちゃんと、微笑んだじゃないですか」


 彼女の中で、鼻先で笑い飛ばすことと微笑は一緒らしい。なんてこった。


「それよりも若奥様。背もたれに頬を擦り付けながら、腰を一緒にヘコヘコと動かすのはやめてください。発情期の雌犬のような恰好をしているのが、自分の主人だとは思いたくはありません。若奥様はもう、この名門アプリコット家の女主人なのですよ」


 直立不動で立っているアリシアに、冷たく突っ込まれる。


「……せくしー?」


 いちおう、旦那様を“誘う”ためのセクシーポーズの練習のつもりだったんだけど……

 焼け石に水でも、旦那様の関心を取り戻すためならば……セクシーな仕草を、わたくしは懸命に練習をするのだ。

 せ、セクシーになりたい……!


「腹が立ちます」

「ア、ソウ」


 おかしいな。本で見た絵姿では、かなりセクシーに見えたのに。

 これで男はイチコロ! て、書いてあったのに!

 ……アリシアには不評のようだ。

 だがしかし、アリシアは氷の心を持つメイド。

 主人に罵倒を吐き、時には苛烈な突っ込みをしてくる女である。そんなところが、わたくしは好きで気に入っているのだけれども……

 アリシアの心は滅多に動かないことを、わたくしも知っている。イコール、彼女の意見はあんまり参考にならない……はず。

 まあ、それ以上にわたくしのことをアリシアが大好きって、知っているけれどね!!

 アリシアは素直になれないだけなのだ。本心では、わたくしのことが大好きでたまらないのだ。うん、きっとそうであるはず。信じてる。

 とりあえず今は、アリシア以外の反応を知りたい。


「アリシア以外なら、わたくしの溢れんばかりの色気にメロメロになってくれるかもしれないから、他の人に見せてく……!」


「それを他の方の目に触れさせようものならば、わたくしは若奥様の臀部を赤く腫れあがるまで打ち据えた後に、すぐに実家に帰らせていただきます。長く短いつきあいでざいました、若奥様」


 ぴゅん!


 わたくしは椅子から離れ、アリシアの腰に抱き付いた。ああ。細い腰! これでおっぱいは大きいのだから、羨ましくて仕方がない。

 アリシアはわたくしの理想のスタイルをしている。

 おっぱい大きくて腰が細い……そんな女性になりたかった……!!


「待ってくだせぇ、アリシア様。見捨てないでくだせぇ!」


 アリシアと共に、実家から連れてきているメイドは数人いるけれども、付き合いが長く、真っ直ぐにぶつかっていける相手はアリシアしかいない。

 アリシアは、家族同然に育ってきたアリシアは、わたくしにとっては大事なお姉様のような存在なのだ。

 自分の生活から、アリシアがいなくなるなんて、ちょっと想像がつかない。

 アリシアに見捨てられるぐらいならば、わたくしも旦那様を連れて一緒にアリシアの実家に帰る……!


「若奥様。お召し物が汚れてしまいますわ。そんな発情した雌犬のように、みっともない格好をなさるのは、おやめくださいませ」

「アリシアが先ほどの発言を撤回するまで、わたしは永遠に離れない! 食事する時もお風呂に入る時も、寝る時だって一緒! 病める時も健やかなる時も、共にと誓い合った仲ではないの!」

「若奥様、そんな妄想を抱いていたのですね。わたくしは一度も誓った記憶はございません」

「妄想だけど、現実にしたい!」

「それは旦那様におっしゃったらいかがです?」

「旦那様は旦那様。アリシアはアリシア! 別の意味で一番だから!」

「浮気者は、若奥様の方では?」


 もっともなことを言われたけれども、聞こえなーい。

 どんなに蔑ろな扱いを受けても、わたくしはアリシアが大好きなのだ。

 旦那様とは違う意味で一番に好きと言うこの言葉に嘘はない。

 たぶん、おそらく、万が一の可能性で一方通行かもしれないけれども、アリシアとわたくしの関係は主従の垣根をエイヤと飛び越えて大親友だと、わたくしは信じている。

 アリシアのつれない態度は、アリシアなりの照れ隠しなのだ、きっと。

 ああ、かわいいわたくしのアリシア。

 姉のように頼りになるのに、たまにギュッと抱きしめたくなる愛らしいアリシア。

 冷たくされればされるほどに燃え上がる友情という名の炎を、わたくしはどうすればいいの!? 情熱のまま、ここで舞い踊ればいいの!?


「アリシア大好き! 結婚シテシテ!」

「まあ、御冗談を若奥様。すでに嫁入りした身で、何をおっしゃるのでしょうか」

「気持ち的な問題よ!」

「それよりも、実家には帰りませんので、早く椅子に座りなおしてくださいまし」

「本当に?」

「今すぐ椅子に座らないと帰ります。いつでも荷物はまとめているので、帰る準備は万端ですよ。退職届は、いつでも懐に……」


 氷のような視線でそんなことを告白してくるアリシアは、なんてぬかりがないのかしら。

 何かあったら速攻で帰る準備をしているらしいメイド長に、わたくしは身体の震えが止まらなかった。ハァハァ……蔑まれているハァハァ……

 素早く椅子に座って、背筋を伸ばし、お膝の上に手を揃えて準備完了。

 キリッとした表情でアリシアを見る。

 ママ様たちから、小さいころから叩きこまれた淑女としての優雅な座り方だ。

 内面はどうしようもないけれども、


「リリーナ。ただいま、お座り完了いたしました!」


「よくできましたね。できればそのまま口を閉じ、午前中にお勉強なさった内容を脳内で反復していただければ、幸いです」


「……はい」


 本当にアリシアは厳しい。

 それでも、わたくしにとってアリシアはかけがいのない相手。

 大好きよ、アリシア。旦那様とは違ったベクトルで。

 いつでも、わたくしはアリシアのことを想っているの……ふへへ。


「わたくしはさほど想っていませんが」

「……心の中を読まれた!」

「実際に口に出していましたよ、若奥様」

「……あ、そうですか」


 なんてことだ。気を付けないと。お口にチャック。

 思ったことを口に出しちゃうなんて、淑女として失格ですわ。


「というか、友達と思っているのはわたくしだけなの?」


 血の繋がらない姉妹とすら思っているのに……

 それは、さすがに寂しすぎる。わたくしはこんなにも大好きなのに!!


「わたくしにとって若奥様……リリーナ様は、大事なお嬢様です。幼い頃から、お守りし続けた……そんな友達などという特定のカテゴリーで分けることはできないのでございます」

「きゃああああああああああ! アリシア大好き!!! つまり、大親友ってことよね!?」

「……大……?」


 なぜだか、アリシアはすごく嫌そうな顔でうめいた。

 短い間彼女は沈黙し、とってつけたような笑顔で言う。

 その笑顔は、花が咲くような大輪の――とはまた違う、静かな粛々とした笑みである。


「はい、わたくしも大好きですよ若奥様。ですので、わたくしを失望させるような馬鹿でアホで間抜けな真似はなさらないでくださいね?」

「……ひゃい」


 ニッコリと微笑まれたけれども、その瞳はけして笑ってはいなかった。

 引きつった笑みをどうにか元の顔に戻して、コホンと咳払いをしてお茶を濁す。


「そ、それでね。旦那様の件なんだけど……どう思う? 浮気だと思う?」


 色々と冗談のようなやり取りをしていたけれども、実を言うと真剣な悩みだった。

 普段の旦那様は、結婚した当初と同じようにお優しいのだけど……

 たまに、薄く……非常にごく薄くであるけれども、女性用の香水の匂いを身にまとっているのだ。それとなく旦那様に尋ねるも、うまくはぐらかされてしまう。


「わたくしには、なんとも。けれど、あの旦那様が、若奥様以外の女性に懸想をしているとは、とうてい思えませんが……それに、もしも万が一そうであった場合……」

「場合?」

「旦那様の○○に固くて太いものをぶっ刺して数日間○○○を刺激し、○道を棒で塞ぎ、その上で○○そのものを、ヤマトトイロで満たした筒で拘束します」

「ひえええ!?」


 ヤマトトイロは、火を入れればほっくりと美味しく、生をすって食べれば粘り気があるトロトロとした、とても栄養価のある食べ物なんだけど、灰汁が非常に強く、肌に触れると痒くなってしまうことが多々ある食材である。

 それを、あんなところにあんなにして、アレがコレでああしてしまうだなんて!

 拷問官も股間を押さえて逃げ出しそうな鬼畜っぷりである。


「全体的に怖い! 地獄!」


 わたくしは殿方じゃないけれど、とても辛そうなのは、わかる。


「わたくしの大事なお嬢様……若奥様を(めと)っておきながら浮気など、とうてい看過できるものではありませんわ。ぶち殺……その程度のお仕置きは、甘んじて受けていただかないと」

「アリシア……」


 今ものすごいことを口走ろうとしなかった?


「ただ、問題なのは……」

「問題?」

「わたくしは旦那様のようなタイプを責めても、ちっとも楽しくはないということですわ」

「…………」

「旦那様はわたくしとタイプは違っても同種の人間ですので、責めあげても、そう楽しいことになりそうには、ありませんものね」


 アリシアと同じって……えー、人をいじめるのが好きってこと?

 いじめっ子の旦那様なんて、想像もつかないんだけど。


「旦那様は、とても優しくしてくださるわよ? た、たぶん……し、褥の時だって……」


 ポッと頬が赤く染まるのが、自分でもわかる。

 思わず両の手の人差し指をチョンチョンと合わせてしまった。

 今のところ、わたくしと旦那様はまだ同衾すらしたことがない。

 ……………………。

 ええ、ええ、ええええ!!

 人妻になってもまだ、純潔の身ですがナニか!?

 褥でアレコレなんて、未だに一度もしていません、純潔な身ですがナニか!?

 わたくし自身は、旦那様に身も心も捧げる準備はいつでもできているんだけど……なんと、嫁ぎ先であるアプリコット家には昔から、十八歳未満の男女が同衾してはいけないという掟があるらしく……夫婦なのに、寝室は未だに別とオチである。

 わたくしだけの屋敷が建てられたのも、この辺りに理由があるのだと思う。

 ……一人一人が屋敷を持っているのが普通だとは言え、新婚で持つのはあまりないと風の噂で聞いているし。

 今のところ、くくくくくくくくく……口づけをね、チョンて……こう、唇をくっつけあう行為をしているだけです。

 きゃあ、破廉恥! いやん、あはん……旦那様……!


「あーん! やだ! もう、これ以上言わせないでアリシア!」

「若奥様が勝手に言っているのでは……」


 アリシアの呆れ返った視線が痛い!

 まあ、冗談はさておいて――ああ、旦那様。

 わたくしの大事な大事な、旦那様。

 アリシアのお仕置きを受けずに済むように、どうぞわたくしを裏切ることなく、清らかな身でいてくださいませ……!!

 アリシアにお仕置きされる旦那様を想像するだけで、なんてかわいそうなの!!


「お仕置きシナイデ。ア、ヤメテ。ソンナ、ダメ」


 めそりと涙を浮かべる旦那様を思い浮かべると、心が苦しくなる。

 薔薇がポロリと落ちるイメージが湧いたのは、なぜかしら。

 なんだかんだいって、わたくしは旦那様が心の底から、旦那様の吐く吐息をすべて奪い尽くしてしまいたいくらいに、大好きなのだ。

 だって誰よりも美しく、優しく、穏やかで……ああ、旦那様……好き……

 わたくしの、わたくしだけの最愛の方……


「よろしければ、少し探ってきましょうか?」

「……うーん」


 アリシアの言葉に、悩んでしまう。

 旦那様が本当に浮気をしているのかどうか知りたいけれども、事実だった場合、どうすればいいのか、わからない。そりゃあ、アレだけ素敵すぎる旦那様だもの。

 他の女の人たちが、うちの超びゅーてぃふぉーな旦那様にはメロメロになってしまうのは、大いにわかる。美女だって、美少女だって、場合によっては殿方だって、百人単位でホイホイと釣れてしまうことだろう。

 旦那様だって……両親が勝手に決めた婚約者(わたくし)ではなく、自由な意志で決めた女性を娶りたかったのではないかと、思ってしまう。

 旦那様は優しいから、普段はそんなそぶりちっとも見せないけれど……

 素敵すぎる旦那様と自分のつり合いがとれているなんて、微塵も思えない。


「うーん」


 すぐに答えは出そうにない。


「若奥様。そんなに考えることはございませんわ。わたくしも、少し探るだけですので」

「そ、そう?」

「ええ、それでは……少しお傍を離れさせていただきますね」


 アリシアはそう言って、代わりに他のメイドの女の子をわたくしに就かせてくれた。

 メイドに出してもらったお茶を飲み、フウと息を吐く。

 あと一年ほどでわたくしも十八歳になる。

 十八歳になったら、アプリコット家の掟も、関係なくなる。

 その日を迎えた時、わたくしは……悦んで旦那様を受け入れることが、できるのだろうか。


「……やはり、未だに寝室が別だということに、問題があるのではないかしら?」


 思わず呟いてしまう。

 わたくしとて、もう立派な淑女である。

 何も知らないわけではない。知識だけは、バッチリだ。契りとは、男性のアレでナニを女性のナニでアレに、アレして、コウするのだ。

 うう……婚礼を済ませた男女は寝食を共にするのが、平民でも貴族でも普通なのに。

 それなのに……

 わたくしと旦那様は未だに、一緒のお部屋で眠ることはない。

 口づけだって、数える程度……

 初夜も済ませていない嫁を、旦那様はどう思っているのかしら?

 いくらアプリコット家の掟とはいえ、妻としての務めを果たしていない嫁を、どう感じているだろうか。

 嫌になって、いないかしら?

 ……浮気されても、仕方がない状況なのではないかしら?

 年頃になると殿方は、女性とアレしてコレしないと健康に悪いと聞いたことがある。

 殿方は欲望を耐るのが、苦手だとも……

 そう考えると、胃の中が一気に重くなった。本当は旦那様を疑いたくなんかないけれども、それでも、どうしても……頭の中をチラチラと不吉な考えて過ってしまうのだ。

 愛しているから、信じたい。

 好きだから、疑いたくなる。

 どうすればいいの、神様……


「ねえ、メアリー。殿方は淫らな気持ちがたまってしまうと、下半身が爆発してお星さまになってしまうというのは、本当かしら?」


 アリシアのかわりにそばについてくれているメイドに尋ねてみる。メアリーはそばかすの散ったかわいい顔を、困ったようにしていた。


「……わ、わたくしにはよくわかりません」


 元は白い頬が、熟れて落ちそうな林檎のように真っ赤だ。

 今夜のおやつには、アップルパイが食べたくなってきたわ。

 変な質問をしてしまったお詫びに、メアリーにも分けてあげよう。

 ああでも、悩みがストレスとなって胃を責め立て、とてもではないけれども、五切れほどくらいしか口にできそうにない……

 ヨヨヨ……なんて、繊細なのかしら、わたくしったら……

 甘めのアップルティーも、一ガロン程度しか飲めそうにない。


「そう……」


 知らないのならば、仕方がない。

 わたくしも、もっと市井で殿方の肉体の仕組みなどを知っておくべきだったわ。

 せっかく、領地……小さな村程度だったけど、領地には年頃の男の子たちがゴロゴロと転がっていたのに。ちぃ。惜しいことをしたものだ。

 今からでもちょっくら実家に帰って、村の幼馴染たちの衣服をひっぺりがして、根掘り葉掘り、男性の肉体の神秘について、尋ねてみようかしら。

 ヨイデハナイカ、ヨイデハナイカ。

 ア、イヤ、オヨシニナッテ。アハン。バカン。

 ――脳内でシミュレーションをしてみたところ、なんだか変な方向にいってしまった。

 神の啓示かもしれない。やめておこう。


「でも、お星さまになるのを選ぶくらいならば、浮気をしてしまうのも仕方がないのかもしれないわよね」


 わたくしが旦那様の立場ならば、お星さまになるのを回避する方を選ぶと思う。

 ……下半身が爆発したのち、お星さまになるなんて嫌すぎる。

 例えば抱いた劣情を我慢した結果、胸が膨れ上がって爆発すると言われれば、それを回避するためになりふり構わなくなってしまうだろう。

 ……それなりの大きさに育ってくれるのならば、大歓迎なんだけど。

 思わず自分の小ぶりの胸部を見下ろしてしまう。

 いやいや、そうじゃない。ただでさえションボリ気分なのに、これ以上自分で気落ちする材料を多くしてどうするのよ、わたくし! わたくしもまだ十七歳。これからだって、まだまだ育つ余地はあるはず。湯船で揉めば大きくなるって先人からの伝承を、わたくしは信じているわ!

 わくしのお胸事情は置いておいて、今は旦那様の浮気疑惑だ。

 何にせよ、旦那様の大切な旦那様ジュニアがどうにかなってしまうことを考えると、掟の影響で手が出せない嫁よりも、浮気相手をみつくろってしまうのも、理解ができないこともない。

 けれども、それならば隠さないでほしいと思うのは、わたくしの我がままなのかしら。

 そりゃ、「この胸部が大きく柔らかで妖艶な美女が、ぼくの愛人だよ。ぜひとも仲良くしておくれ」などと紹介されてもちょっぴり嫌だれども、陰でされるよりは幾分かマシ……じゃないかなぁ……なんて思うわけだ。

 浮気をされているかもしれない以上に、隠し事をされているのが嫌だと思う。

 旦那様はいつもお仕事で忙しく大変なのに、お屋敷の中で日がな一日をのんびりと過ごしているわたくしが、こんなことを考えているなんて……旦那様に知られると、嫌われてしまうかしら。それは、本当に困る。


「ねえメアリー」

「いかがなさいましたか、若奥様?」

「メアリーは、わたくしの味方よね?」

「もちろんでございます」


 メアリーの返答に安心する。イイコ!!


「……今の会話は絶対に、他の人たちにもらしちゃダメよ? もしも約束を破ったら、毎日寝ているところに忍び込んで恨み言を言うからね。シクシク泣きながら言うからね」

「……肝に免じます」


 メアリーの顔色が若干青くなったので、わたくしの鬼のような脅しには威力があったということだろう。フフフフフ。

 まさかこの時、一つ年下のメアリーから「まあ、若奥様……相変わらず狸のように毒気の無い顔でかわおそろしいことを……」などと思われているなんて、一かけらも気づいてはいなかった。


「それじゃあ、一緒におやつを食べましょう」

「わ、若奥様」

「いいじゃない。一人で食べるの、寂しいの。メアリーが一緒に食べてくれたら、嬉しいわ。ほらほら、座って座って」


 遠慮するメアリーを口説き倒して、一緒にお茶菓子を口にする。

 焼き菓子を口にした途端、メアリーのそばかすの散った頬が嬉しそうに染まったことに、密かに笑う。

 お茶もお菓子も美味しいけれども、未だにこのアプリコット家の役には対して立っていないなぁと、わたくしはしみじみ考えてしまった。




→その2に続く


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