青空隠し
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
うええ、この写真、映り方が悪いなあ。褒められた容姿じゃないっていう自覚はあっても、これはひどいだろ?
証明写真って、めちゃくちゃダサいと思ったことないか? 俺は大嫌いだね。「真実を写す」のが写真の仕事でも、なーして醜い現実を直視しないといけないのやら。
とまあ、愚痴ってはみたものの、俺は整形をする気はさらさらないぜ。自分の本当の姿を忘れちまいそうになりそうだからな。
注文通りに、自分の顔を誰かに変えてもらう……個人的に恐ろしさを感じるよ、この言葉の響き。自分が感知しきれないところで、何を仕込まれているかわからないじゃんか……と考えてしまうのは、小説の読み過ぎか?
本当の姿と、それを映すものの存在は、昔話でもよく用いられるモチーフ。俺自身もいくつかローカルな言い伝えを聞いたことがある。
そのうちのひとつ、耳に入れてみないか?
俺の地元では古来より、水源としての役割を果たす井戸のほかに、「易」こと占いに関わらせる、専門の井戸が用意されている。
頑丈な石蓋をかぶせられた井桁の中には、ふちのやや下のあたりまで、水面が迫っている。
いわく、これらの水はできる限り、風に当たらぬように守っているのだという。風に吹かれた水面では、正しき結果を映し出すことはできない、とのことだった。
確かに何かしらの要因で波が立ち、凹凸ができてしまった水面は、映る像をゆがませる。
光の研究が成される前の話だ。実像を揺らめかせる「マガツカゼ」の存在は、不吉で汚らわしいものと考えられても、おかしくはないだろう。
そうして守り続けた易の井戸は、時代に応じて大切な役割を果たしたという。
ある日。地元を今でいうゲリラ豪雨が襲った。
長年、そこで暮らしていた者さえも、予期できなかったほどの勢いで雨雲が湧き、その内から一滴が先陣を切って地面に降り立つや、「ドドド」と人馬が先を急ぐように、雨粒がなだれをうって、この地にあるものすべてを、痛いほどに叩き始めた。
老朽化の進んでいる家屋に関しては、ほどなく雨漏り、屋根や家壁の損傷がひどく、各人が雨の中、その対処に追われることになった。雨は半刻ほどでウソのように鳴りをひそめたが、作業をしていた大人たちは、海にでも潜っていたのかと見まごうほどの、ぐしょぬれ具合だったとか。
それが一日だけならば、これまでも経験が皆無じゃなかった。
ところが、今回は十日間連続。朝、昼、晩と時間帯の違いはあれど、同じように半刻ほど降り注いでは、脱兎のごとく去っていく。何度も打ち付けられて、作物の中には葉に穴を開けられてしまったものもいる。いつ来るか分からないことと、豪雨の前後はこれ以上ないほどの好天気になるために、世話をする者には頭の痛い事案だった。
十一日目も、これまでと同じく、雨雲が足速く湧いてくる。
半ば修理をあきらめる者たちが現れ始める中、易者たちはようやく、例の井戸の封を解くことを決定。雲が空を覆うと共に、数人がかりで石の蓋をずらし、厄を退けつつ保ってきた、その面を、立ち込める曇天と向い合せる。
するとどうだ。人々の目に映るのは、確かに物憂げな印象さえ覚える黒雲が立ち込めている様なのに、井戸の水面には中心に太陽を浮かべた、晴れ模様が広がっていたんだ。
あれらの雲も雨も、すべてまやかし。そう察した村の一同は、緊急時の水を蓄えている、屋根付きの貯水池から、次々に水を汲み出す。そして、家々に用意してある中でも、一番大きい樽を、風呂として使うように指示を出したんだ。
雨はほどなく降ってきたが、家の補修や畑の世話は後回しにし、水風呂に入るようにという指示が回る。清めが必要とのこと。
肩までとは言わない。できるなら、頭まですっぽりと中に沈んでしまい、息の限界までしっかりと漬かること。それを、息を継ぎながら、最低でも五回は繰り返すように指示が出されたんだ。
加えて、一度に全員が入りきれず、入浴を何回かに分ける必要が出た場合、そのたびに水を取り替えるように、という指示も出ていたという。
これらの効果と結果に関しては、これから語る、とある男の証言に焦点を当てたい。
子供を何人も抱える大家族の父であった彼。いざ入浴に臨もうとした時には、すでに雨が止み、雲もところどころで切れ目ができていて、青い空がのぞき出したという。
すでに子供たちは、布団代わりのわら山の中で、仲良く並んで寝入っており、彼が入る風呂桶の近くには、すでに入浴を終えた妻がひとり、はべるのみだったという。
わら山は、家の中央に移動してある。もともと、入り口隅のかまどの近くに置いてあったのだが、十日目の豪雨の際に生じた屋根の損傷により、吹き込んだ大量の雨水を吸う羽目になった。
家族そろっての寝床を濡らされたことで、当日の彼らはやむなく、わら山の中から湿っていない一部のわらを取り出し、掛け布団代わりにしたんだ。
以降、雨にさらされない家の中央に山を移動させていたが、完全には乾いていない。つい先ほど、ほぼ乾燥した上半分と、いまだ湿っている下半分を、入れ替えたところだ。
男は、ざんぶと音を立てて、水風呂に身体を沈める。この年は珍しく、暑い日が続いていたこともあり、心地よい冷たさだった。
言いつけの通り、これから息の限界まで、頭まで水の中に沈み、浮き上がる。それを五回繰り返すのだ。
水に潜っている間、何か異常があれば伝え合うことを妻と共有し、男は大きく深呼吸すると、一気に桶の底近くまで潜り込んだ。
男の息は長い。200を数えても、また余裕があった。
限界まで、という言葉に従う彼の入浴は、妻や子供たちに比べると、ずっと長いものになったのは、自然なことといえるだろう。
そして三回目。
かすかに苦しさを覚えながら、それでも100までは余裕で持つ彼。だが、それ以降の数を数えようとした時、「どん」と上から何かが落ちる音と、妻の悲鳴が、水越しにも大きく響いた。
何事か、と立ち上がった彼は、風呂のへりにへばりついた、その生き物と対面することになる。
ヤゴ。男は、自分が対している相手を、そう断じた。
逆三角形の輪郭。黒く染まった大きな瞳。閉じ合わせた扉のように、顔の両端から筋が入ったあごと口。クモと見まごうかのような長い脚は、この辺りのヤゴにのみ、見受けられる特徴だ。
ただ問題なのは、このヤゴ。顔だけでも、男の上半身を超える大きさだということ。彼とにらめっこをしている二つの瞳は、その片方だけでも、男の頭部の数倍はある。
男はとっさに両手で口をふさぐと、じっとして動かなくなった。
強者と出会った時には、気配を殺し、通り過ぎるのを待つ……身体が本能で、原初的な対処を、男に取らせたんだ。
ヤゴらしきものは、しばらく、首をかくかくと左右に揺らしながら男を見つめていたが、やがてあごから、蛇腹状の管をひねり出すと、男が漬かっている風呂桶の水へ、先を入れた。その管事態も、日々の狩りで鍛えた、筋肉質な男の腕よりも一回り大きい。
ちゅごご、ちゅごご、と大きい音を立てて、管がかすかに動く。それに合わせて、風呂桶の水は、みるみるうちに無くなっていった。
すっかり中身を吸いつくしたヤゴらしきものは、管をもとのように引っ込めると、今度は桶のへりにかじりついた。
男は初めて、管の中に無数の歯が生えているのを、見て取った。それが土を掘るモグラのごとき勢いで、樽を形作る木板を、上から一気に掘り進むようにかみ砕いていく。
木目も関係なく進む姿と、耳をつんざくような木々の断末魔に対し、裸の男はやはり、じっと見ているより他なかったという。
男の周りをのっそりとめぐり、桶をきれいに平らげるヤゴらしきものは、やがて家の中央へと足を進めた。
倒れ伏している妻と、わら山の中で眠っている子供たちをまたぐようにして、奴は悠然と歩んでいく。
家族の身体に異常は見られないものの、子供たちが布団にしていたわら山は、その上半分をすっかりとはぎ取られてしまっていた。
彼らをまたぐようにして、長い六本の足を動かしていくヤゴは、来る時に開けたのか。屋根に空いていた真新しい大きな穴から、ぴょんとひとっ飛びし、ぐんぐん遠ざかってしまったとか。
あの雨は、臭い付けだと、易者たちは語った。
あれがしみ込んでいるものは、何であろうと餌であり、そうでないものは、何であろうと餌とはみなさない、と。
その日を境に、姿を見せなくなった人が何人かいたが、それはいずれもmすぐに風呂に入らない。もしくは入ることができなかった者ばかりだったという。
それについて、家族が口を開くことは、とうとうなかったとのことだ。