終章 聖女誕生
「モナエ、やってくれるわね?」
ローリスのその問いにモナエは応える。
「はい、私がイバラさんを……刺します。それしか道が無いのだとしたら」
祭壇の短剣を手に取り、自分の中のイバラを捨て去ろう。
最初に出会った時は生首で話すだけだった彼が、魔物ハンターから私を守ってくれたこと。
赤い世界に飛ばされた時に、倒れた私の身を案じてくれたこと。
そして、何よりオムライスを美味しいと言ってくれたこと、どれもが私にとって温かな思い出だ。
そう、温かい生活を、笑顔をくれたのはどれもイバラだった。
それでも、全てが偽りだとするなら、彼が過ちを犯してしまうのならば、それを止めることしかモナエには出来ない。
親が幼い子供から包丁を取り上げるように、私もイバラからその行動を止めさせなくてはならないのだ。
これはイバラの為だと、自分のエゴを押し付け、ぎゅっと短剣を握り締める。
「あー! モナエさん、探したんだよ? ねぇ、何で魔女と一緒に居るの?」
きょとんと、害の無さそうな顔でイバラははっきりと魔女と言った。
「ま、魔女……?」
「モナエ、惑わされてはいけないわ。彼は悪魔なのよ。惨たらしく命を踏み躙り、嘘をばら撒き、人を争いへと向ける悪魔!」
イバラの魔女と言う発言に、先ほどの意思は弱まる。
本当に彼女の言っていることが嘘だとしたら?
私は罪を犯してしまうのではないのか。
「失礼だなぁ、僕はモナエさんを迎えに来ただけなのに、モナエさん一緒に帰ろうよ。そんな魔女なんかと一緒に居ないでさ」
イバラの言葉に心が大きく揺らぐ。
「モナエを迎えに来た? 嘘をつかないで。目的の為にモナエを利用しているだけだって私は知っているわ」
しかし、ローリスの言葉で正気を取り戻す。
確かに彼の言葉は人の心を誘惑するのに向いているのかもしれない。
本当に彼女の言う通り、イバラが悪魔だとして、あの数々の虐殺を繰り返していたとするなら、やはり止めなければいけない。
この短剣を彼に突き刺さねばならないとはっきりと認識してしまうと、なんという恐ろしいことを自分はやってしまうのだろうと、震えてしまう。
だが、これをやれるのは私ひとりだけなのだ。私だけ。
誰かに押し付けることも出来ず、ひとりで背負う罪。
誰かに押し付けることの出来ない現状と、誰かにこんな恐ろしいことをやらせることなどモナエには出来なかった。
だから、自分が背負うのだ。たったひとりで。
背負うと決めたら、震えは止まった。せめて、最期はすぐ死ねるようにと祈りを捧げ。
「モナエさん、魔女の言うことを聞くの? もしかして呪いをかけられたのかな? 大丈夫、僕がなんとかしてあげるから」
甘い言葉を跳ね除けて、イバラの元へと走り出すモナエ。
その切っ先はイバラを見据えて、外すまいと。
「モナエさん、待って! 今までのことを忘れて魔女に加担するの? そんなの良くないよ! 僕と一緒に暮らそうよ! ねぇ!」
どの言葉もモナエを惑わすには充分だった。それでも、彼女は走るのを止めなかった。
もう罪を重ねないように、最後の罪は自分が背負うのだと。
イバラは逃げ出そうと背を向けた瞬間、モナエの持っていた短剣が彼を貫く。
血飛沫が自分にかかるのが、まるで時が間延びしたかのように思えた。
「あっ……あーあ、刺され……ちゃった……」
滴り落ちる血を手で触れ、温かな血が抜けていく感覚をようやく認識する。
森は元通りの緑に彩られ、世界に赤はイバラの血だけだった。
「イバラ……さん……本当に動物を殺したりしていたんですか……? 今ならまだ手当できます。だから」
「モナエ、そんなことはさせないわ」
イバラに手を差し出そうとモナエがした瞬間、ローリスの言葉によりモナエを制止させる為にイバラの周りに炎が渦巻いていく。
「何故ですかローリスさん! どうして、どうして時間をくれないんですか!?」
モナエの叫びに似た声に、ローリスは静かに優しく答える。
それに優しい微笑みを添えて。
「やっと名前を呼んでくれたわね、モナエ。そいつは悪魔なのよ? 話す時間など必要ないじゃない」
ああ、これほどまでに冷徹な言葉を聞いたのは初めてかもしれない。
しかもこんなにも優しく残酷な笑顔を見たのも。
「ああああ!! 熱い熱い熱い熱いあついあついあついあついあつい!!!!」
断末魔になりかけの、最期のイバラの叫びに、モナエは炎の中へ行こうとする。
「イバラさん! イバラさん!」
「モナエ、落ち着いて頂戴。これが最善なのよ」
「これが最善? イバラさんがこんなにも苦しんでいるのに? 私は、私は……」
私はなんてことをしてしまったのだろう。
断末魔が木霊する森の中で、罪の意識がモナエを飲み込み、闇へと突き落とす。
叫びが徐々に収まり、もう呻き声しか漏らせないイバラは必死にこう口を動かす。
「も……もな、え……さ、ん…………お、むらいす……おいし、かた……よ」
炎に焼かれ、黒焦げでもう姿さえイバラとは言えないそれが、最期に残した言葉はそれだった。
焼かれた死体は灰になり、白く風に飛ばされていく。
その場に座り込み、静かに涙を零すモナエに対し、残りのイバラの肉体を燃やし灰にするローリス。
「ありがとう、モナエ。貴女のおかげで悪魔は消えたわ。これで貴女は聖女となったのよ。人間の世界にお戻りなさい。此処は貴女の居場所ではないわ」
そう言われ、祭壇を追い出されたモナエは、自分の家へと向かっていく。
涙でどれだけ頬を濡らしても足りない。罪はあまりにも重かった。
どうやってやったのか分からないが、かつて自分の家だった場所はもう何も残ってなどいなかった。
私の居場所など最初から無かったかのように。
行く宛もなく森を彷徨っていると、魔物ハンター達が私を見つけ、人間の住む世界へと連れ出された。
そこでは皆がモナエに称賛を送っており、笑顔に満ち溢れていたのだ。
「聖女様万歳!」
そんな声が何処か遠くのようにモナエには聞こえていた。
宛がわれた家は、住んでいた家より遥かに大きく、それでいて立派だ。
しかし、ひとりが住むのにはあまりに大きい家に、空虚感がモナエを支配する。
その後の彼女の人生は、あまりにも寂しく、空しいものだったという。
「ごめんなさい、謝っても許されることではないことは分かっています。それでも謝らずにはいられないのです」
それが彼女の口癖だった。
これにてノイバラの檻は完結となります。
魔物ENDは終章茨の王になります。