終章 茨の王
「モナエ、やってくれるわね?」
ローリスのその問いにモナエが応える前に後方から言葉が飛び出す。
「モナエさん、その魔女の言う事を信じるの?」
森の中から茂みをかけ分けて出て来る、赤黒い世界の中で真逆の鮮やかな緑の長髪。
先程見た姿より見慣れた幼い姿の彼に、ああ遂に来てしまったと絶望がモナエを呑み込もうと口を開く。
何処かで此処にイバラが来ると言う確信があったのかもしれない。
そんなモナエの思いとは裏腹に、イバラはいつもと変わらぬ笑顔で、無邪気にモナエに話しかける。
「その魔女はモナエさんに嫌な物ばかり見せて僕が悪いと決めつけてるだけさ。だって、確証なんてないだろう? それともモナエさんには僕が悪いと言う確証があるのかい?」
「それは……」
イバラが悪いとモナエに判断させるには余りにも材料が少なすぎる。
勿論、ローリスが本当の事を言っているかもモナエには分からない。
全て嘘かもしれない。イバラを悪くしようとしているのかもしれない。
だからと言って、ローリスが嘘をついているとも決めつける判断材料も少ないのだ。
「モナエ、惑わされてはいけないわ。この悪魔は貴女を唆すつもりよ」
彼女が嘘をつくのだろうか。女神は嘘をつくのだろうか。
いや、本当に魔女だとしたら?
だとしたら、嘘だってつくのではないだろうか?
魔女ならば、こんな幻も簡単に作れるのでは?
そんな疑問が心を埋め尽くしていく。疑問は増えるばかりで、減ることを知らない。
ローリスを見つめたまま立ち尽くすモナエに、イバラは尚も言葉を紡ぐ。
「そう、これは無理難題なんだよ。どちらが正しいのか嘘をついているのかそれは誰にも分かりやしない。だから、モナエさんが決めればいい。今までのことを考えて、思い出してごらん? 君の思う世界はどちらがいいのか、おのずと分かるはずだよ」
にこやかに微笑み、モナエに語りかけるイバラに否定を示すようにローリスは言葉を発する。
「モナエ、聞いてはいけないわ。私が正しいの。その悪魔から離れてこちらへおいで。目の前にある短剣で悪魔を貫いて頂戴」
ローリスは首を振って、必死に訴えかける。その姿も偽りであるかもしれない。
そう思えてしまうのは、イバラの言葉を聞いたからなのか、それとも本当に自分が思っているからなのか、モナエには分からないのだ。
もし、もしイバラが悪だとしても。
今までの短い時間に暖かい時間をくれたのはイバラなのだ。
私の作ったご飯を美味しいと言ってくれた。笑うことを忘れていた私に笑顔をくれた。
それは人間には貰えなかったものばかり。
ならば、悪と言われようとも、私は私の思う正義を貫こう。
この森の安寧を願って――――
目の前の短剣を握り締め、その姿にローリスは安堵したようにも、勝ち誇ったかのような表情を見せる。
しかし、イバラの方に向かわず、ローリスの方へ短剣を向け、走り向かってくるモナエの姿を見たローリスは驚き声をあげる。
「やめてモナエ! 貴女はそんなことをしてはいけないの! お願いよ、モナエ。戻ってきて!」
そんな声を聞いたモナエは失速するものの、顔を伏せたまま動きを止めることをしない。
切っ先はしっかりとローリスに向けられている。その銀色の刃は、ローリスの怯えにも似た顔を映し出す。
「どうして……どうしてなの! 貴女は聖女となれるのに! どうして悪魔の言うことを聞くのよ!」
金切り声にも似た叫びは、モナエには届かない。
逃げ遅れたローリスの身体に、吸い込まれるように銀色の短剣が刺さり、赤い血と嗚咽に似た声が耳元で漏れた。
「あっ……ああ…………モナ……エ」
崩れ落ち、倒れたローリスは刺した傷を気にすることも無く、うわ言のようにモナエの名前を呼び続ける。
手を伸ばし、モナエに触れようとする手は、空を掴むばかりで、その行為自体が無意味に思えた。
「モナエ……どうし……て…………?」
絞り出した言葉には、疑問で溢れていた。
何故、どうして、自分を刺したのか、殺すことにしたのか。
そんなローリスに、モナエは自分が刺してしまったことを認識し、震えが止まらなくなる。
その零れだす赤は、はっきりと命を削っていることが医者であるモナエなら分かるからだ。
「ごめんなさい、私は……人間を救うことよりも、森の皆が大切なんです……だから、だから……」
どれだけ謝罪しても許されはしないだろう。モナエ自身が気づいていた。
ひとつの命を、救うべき医者である自分が、自らのエゴで消してしまうのだから。
「モナエさんは酷いことをした人間よりも、森の魔物たちと一緒がいい。それだけの話だよ。分からない?」
イバラは止めを刺すように言葉を突き刺す。
そして神殿の奥にある物を見つけて駆け出して行く。もう、ローリスに興味などないように。
奥にはイバラの下半身が生々しく鎮座していた。
先程まで話していたローリスも糸切れた人形のようにもう動くことはない。
あっけない。神とて最期は此処まであっけないのだろうか。
「モナエさん早くー! 身体引っ付けてー!」
そう呼ばれて、遺体からようやく目を逸らすことが出来た。
イバラの元へ急いで走って行けば、手早く、今まで通りの手順で行う。
世界は気がつけば、いつもの森に戻っていた。ローリスが死んだからだろうか。
下半身を繋げれば、イバラは元の姿に戻り、モナエより遥かに背丈が大きくなっていた。
「これで全部集まったね! モナエさんのおかげだよ、ありがとう!」
ようやく元の姿に戻れて嬉しいようで、イバラは笑顔でお礼を言う。
「いえ、私は……」
「じゃあもういらないね?」
「え?」
瞬間、身体を何かが貫く。返り血に更に赤く大量に赤が白衣を染める。
「あ……かはっ……」
口が鉄の味でいっぱいになり、震える掌には赤い血が付く。
「今までありがとう。本当に毎日が楽しかったよ。お別れは寂しいけどね」
「なら……何故……?」
先程のローリスもこんな気持ちだったのだろうか。
「僕が欲しいのは、人間の居ない僕の世界だからだよ? モナエさんは人間だから殺す。それだけじゃない?」
たったそれだけで、自分の命は奪われてしまうのか。
真っ暗になっていく視界の中で、けたけたと子供のように笑うイバラの顔が見える。
それでも、それでも、あのオムライスを美味しいと言ったのは、本当だったと、信じたい。
暗闇に沈んで行く。意識も遠のいて行く。
「これで僕が王様さ! あはははは!」
静寂の中でイバラの声だけが木霊していた。
これにてノイバラの檻は完結となります。
女神ENDは終章女神誕生となりますので、宜しければ読んでくださいませ。