ペニンシュラ そして共振とループ
久しぶりの投稿ですがホラーのようなものを書いてみました。
ぜひお読みいただけますようお願い申し上げます。
※アルファポリスにも投稿しています。
「じゃあ、書架の整理始めようか」
昼休みが終わり午後の業務開始に、いつものように奏が全体に声をかけた。
今日は奏の勤めている図書館の週に一度の休館日だった。
休館日は一般利用者の入館はできないが、図書館の中では職員は出勤して、休館日ならではの業務についている。
新刊本の登録や、バーコードの入力、それに………これがなかなか重労働なのだが、書架の整理をやっている。書架の整理というのは、本来、図書館の書架は図書館分類法に基づき、すべての本がきちんと分類された場所に配置されているものが、思わぬ場所に移動されているのを見つけ出し、もともとの分類番号の場所に戻すのが主な目的だ。
図書館の貸し出し冊数は1回につき5冊までと決まっている。本を選んで借りようと思って手に取って、持ち歩いているうちに、ほかに興味を引く本を見つけ、元の場所まで戻さずに今抜いた本の場所に置く、または、館内で閲覧し、そこら辺の棚に入れ込む………間違った場所に本がある原因はそんなところだろうか。あとは、飛び出た本をまっすぐに戻したり、傷んだ本が目に付けば修理に回したりと、書架の乱れを正すこと………書架整理は主にそんな仕事だった。
「じゃあ、それぞれ、さっき割り振った番号の頭から初めて」奏が言った。
図書の分類の番号は一番最初の数字は0から9に分かれている。奏が言ったのはその数字のことだ。
今日の出勤は6人だった。本の分量の多いのは9番台で、そこには冊数が多すぎて9番台の番号では収まりきれず、独自にフィクションの頭文字Fで整理している利用者からの人気が高い小説本のコーナーもあり、そこに二人配置し、ほかは適当に番号を割り当てた。早く終わったところは、ほかの終わっていないところを手伝う。いつもの通りだった。
奏は0を担当した。
立ったりしゃがんだり、重い本を抱えて移動したり………重労働だが、奏はほかの職員の嫌がる書架整理が好きだった。書架整理をしている間は、本のことだけ見ていればいい。本のことだけ考えていればいい。もともと、人付き合いが苦手だったからこそ、奏は本の世界に逃げ込むように司書の道を選んだのだった。
だが………現実は違っていた。最初の何年かは新人として、人に接するといっても、カウンター業務を主にしているだけでよかったが、もう勤続年数10年を超える奏は図書館全体の責任を負わされる立場となってしまった。
一見静かな時間の流れる図書館だが、内実は、利用者さん、と呼ばれるお客様のクレームの嵐だった。夏はエアコンが利いてない、あるいはエアコンが利きすぎているから始まって、どうして読みたい本がない、予約していつ読める、何か月も先なんてありえない、お前の後ろの棚にあるじゃないか、と言ってカウンター内に入り込み、予約が入ってカウンターの後ろの棚に取り置いている本を無理やり持っていこうとするもの、大いびきをかいて寝ているもの、「涼しくていいわあ」または「暖かくていいわあ」と真夏や真冬に涼を求め、また、暖を取るだけの目的で来館し、館内で大声でおしゃべりに興じるオバ様たち、走り回る子供とそれを全く注意しない親、職員が注意すると切れる親……………そして、それらにきちんと注意をしていない、給料をもらっているくせに、という書き込みをされたり………書き込みにはうんざりする。
そしていつの間にか、どんなクレームも奏に持ち込まれ、それが当然という雰囲気が出来上がっていた。
窓の外には湖と言ってよいほどの大きな池があった。この図書館の閲覧室は、2階部分が池の上に半島のように突き出た形になっていた。そしてその下の一階部分は屋外テラスになって、日差しを避けて水面で遊ぶ水鳥を見ながらくつろぐことができた。
この図書館が市民から『ペニンシュラ』という愛称で呼ばれるようになったのはいつのころからだろう。
奏は、この建物が気に入っていて素敵な設計だと思っていた。
今いる2階の閲覧室からのこの眺めが奏はとても好きだった。この休館日の作業の時に一人でここにいると特に、まるで自分ひとり、水の上に立っているような気分になれた、
これがあるから苦手な業務が増えても、この図書館で働き続けているようなものだった。
奏はふと書架整理の手を止めた。ない。0番台の09で始まる禁帯出の貴重本が一冊抜けているのだ。
禁帯出は館外持ち出し禁止の本のことで、貸し出されることはありえない、館内のどこか別の場所に移されているのだろう。だが、それがありふれた辞書などではなく貴重本の一冊であることは奏の心を少し曇らせた。
「早く見つかるといいけど」そう思って、本のあったはずの場所にもう一度目をやると、小さなメモ用紙がはさんであるのが目に入った。
「?」
開いてみるとそこには『Fのシ』と書いてあった。Fは小説本のコーナーのことだ。奏は少し考えて、これは誰かがいたずらで、貴重本を違う書架に移動させたのだろう、と思った。
あまり、考えたくないが、時にはこんな無意味な嫌がらせのようなことも皆無とは言えなかった。
奏はため息をついて、1階のFのシの場所に向かった。そこにここから抜き取られた貴重本があると信じて。
Fの場所には今年入ったばかりの牧野萌がいてかがみこんで書架を整理していた。「お疲れ様です」牧野に声をかけてFのシに紛れ込んでいるはずの貴重本を探した。
「え」思わず声がでた。そこにまたメモ用紙がはさんであって、「青少年のヤ」と書いてあったからだ。奏は腹が立ってきた。
いったいなんなのだ。税金から給料をもらっているからと言って、こんなことされる筋合いはない。
つい最近図書館のホームページに書き込まれた苦情が目の前にちらついた。
ふーっと息を吐くと、奏は2階の青少年コーナーへ向かって走り出した。
青少年コーナーについた。ここには特に中高生向けの本が集められている。少ないが、コミック本も置いてあり、ここも人気の高いコーナーだった。
「青少年のヤ、ヤ………」奏は書棚に場違いに置かれているはずの貴重本を探した。
青少年のヤに貴重本はなかった。そしてまた………メモ用紙が置かれていた。そしてそこには
「西階段の踊り場」と書かれてあった。
奏ははじかれたように青少年コーナーを後にした。
何かのスイッチが入った。
奏ではまるで操り人形のようになってしまった。もう考えられるのはいたずらへの不満などではなく、メモの指示通りに動き貴重本にたどりつくこと、それだけだった。
隠された貴重本はこの地に伝わる隠れ念仏衆の念仏を聞き取りまとめた古文書だった。
西階段の踊り場にはまたメモがあり、「上の階の南窓」その次は、「中央のらせん階段を上って児童書コーナー」そしてその次は、また「西階段より上に上がる」そしてその次は…………。
奏はメモ用紙の指示通りに上の階、下の階と駆け続ける以外何も考えられなくなった。
そして、その空白になった頭の中に半年前に破局になった不倫相手の言葉が飛び込んできた。
「いつも本の世界にいるんだな」「本から目を離してこっち向けよ」
「あーあ、本じゃなくて生きてる人間に嫉妬したい。」
付き合い始めから喧嘩ばかりだった。それでも7年も付き合い続けた。奏でにとって初めて真剣に付き合った人だったから。
-------ううん。そうじゃない---------。
奏は自分の思念にからめとられていった。
------------結婚できない相手、というのが、私には楽だったのだ。私の生活に、私の世界に、必要以上に足を踏み入れない、距離を保っていられる関係。そう、そうよ。7年の間に、どんどん、どんどん好きになって、結婚したいと思ってなんかいなかった、7年の間に、彼に子供が二人も生まれても傷付きなんかしなかった-----------。
奏は何枚ものメモに館内を上へ下へと操られながら頭の中は別れた男のことでいっぱいだった。
どれくらい時間が経っただろう。奏はふと、窓から外を見ておかしなことに気が付いた。この図書館は一般に公開していない書庫や事務所のある最上階部分をを含めて五階建てだったが、一般に公開されている閲覧室は4階までしかなく、4階のこの位置に立てば、池の水面が遠くにだが見えるはずだった。
だが、今、窓から望める景色は、薄青い空のみだった。
奏は不思議に思いながら窓辺に近づいた。危険防止のためにいつも締め切ってある小さなバルコニーのついた窓も、今日は換気のためかカギが開いていた。
窓から外を見る。
池など見えなかった。
ふと、奏は誰かから肩を押された感触を覚えた。
それは最初、ほんの軽く触れられたようなものだったが、次第に強くあらがえない大きな力となった。
振り向こうとしても振り向けなかった。
ぐいぐい押され奏はバルコニーに押し出された。バルコニーに押し出されると同時に奏での体は後ろ向きにされた。そこには、
今まで、奏が館内を駆け回って探していた貴重本が宙に浮いて奏での目の前にあった。そして、
その後ろに。
奏でが今まで読んできた本たち…………何千何万という本たちが……………子供のころ母親に読んでもらった絵本や童話から始まり、小中学校時代読破したシリーズものや、名作、古典、大人になってから読んだ本、ごく最近はまっている時代物や恋愛もの、それらの本が貴重本の後ろに、まるで家来のように従って奏をバルコニーの外へ押し出そうとしていた。
その時、奏での耳に、何かざわざわとしたつぶやきのような声がが聞こえてきた。そのざわついたつぶやきは、よく耳を澄ませば、ある一定のリズムを持って繰り返される………そう、念仏のようだった。
ホウテーゲーガーシャーメンジャーガージャー、ホウテーゲーガーシャーメンジャーガージャー
ホウテーゲーガーシャーメンジャーガージャー、ホウテーゲーガーシャーメンジャーガージャー
ホウテーゲーガーシャーメンジャーガージャー、ホウテーゲーガーシャーメンジャーガージャー
ホウテーゲーガーシャーメンジャーガージャー、ホウテーゲーガーシャーメンジャーガージャー………
その声は大きくなり小さくなり…………そして再び大きくなる時には、その力強さを増し、次第に増幅しながら、建物全体に響き、窓のガラスを細かく震わせた。
やがてバルコニーの端まで追い詰められた奏での体はまたそこでバルコニーの外へと反転させられた。
そして、そこまで出ると、池が、見えた。
はるか、遠く、下に、小さく。まるで…………スカイツリーの展望室からの眺めのように。
奏は必死に見えない力に抗った。
はるか下に2階部分の屋根が、池に突き出た半島の形で奏を受け止めようと待っていた。
このままでは落ちてしまう落ちてしまう落ちてしまう……………。
「今何か聞こえなかった?」牧野萌がそばにいた石井由美子に振り向いた。
「ううん、何も」
「そう?」
萌は考えた------池に突き出た2階の屋根に何か落ちたような音がした、と思ったんだけど、と。
牧野萌はもうこの図書館に勤務して10年になっていた。今日は休館日だった。休館日の書架整理は苦手だった。
休館日に職員が4階のバルコニー部分から2階の屋根に転落してなくなるという事故があってからもう10年たっていた。萌がこの図書館に採用される少し前の出来事だった。
信じられない事故だったという。窓はしっかり施錠されていたのに、どうやってバルコニーに出て、そこから転落したのか不明だと聞いた。そして、頭がい骨は粉々に砕かれていて、とてもわずか4階から2階という高低差での転落とは思えないほど、遺体の損傷は激しかったらしい。
加えて、一時は『幽霊図書館』などという不謹慎なネットの書き込みも増え、休館日は人気のない場所へ行きたがらない職員も多かった。中でも多かったのは火曜日の午前午後の2回の2時に3階の窓から外を見るとを見ると上から下に落ちていく人影と目が合う、というものだった。
ばかばかしい、と萌は思った。火曜日は休館日だ。一般の人間が館内に入ることはできない。まして、深夜の2時に誰が図書館の中に入り込めるというのだ。
萌はその書き込みを職員が書き込んだものだとは思いたくなかった。図書館をろくに利用したことのない人間が無責任にかいたものだと思いたかった。
「お疲れ様です」竹下当真が声をかけて通り過ぎた。萌は当真と付き合っていたが、3か月ほど前に破局していた。当真は今年入ったばかりの新人司書と付き合っているという噂だった。
---------気にするもんか、あんな男、あんな不誠実な、あんな価値のない男----------。
萌は当真が立ち去る方へは視線を向けず、ただ、彼の立てるかすかな音、歩く靴音、置いてあるパンフレットをそろえる音、ドアノブを回す音、それらをすべて、ひとつ残らず耳で、いや、全身の神経で追いかけていた。
やがて当真が行ってしまい、物音は何も聞こえなくなった。
萌は、頭を書架にもたれかけて、ため息をついた。しばらく動けなかった。
だが、やがて再び書架整理を始めた。
ふと、萌は、その手を止めた。
09から始まる貴重本の一冊がなくなっていた。
そして
そ
こに
メモ 用
紙が
置 いてあ る
のだ った。
貴重なお時間をいただきありがとうございました。