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ターニングカタログ  作者: 小麦田惣次
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清志:第三の分岐点

 目覚め最悪だった。硬い床に面した半身の感覚が鈍く、それなのに身体中が軋むように痛む。一言で言えば、だるい。

 薫はと言えば洗面所を占領して、身支度を整えている。女というものは支度に時間がかかるらしいから、当分は出てこないだろう。


「朝飯、パンでいいか」


 テーブルを中央に寄せて、よれた布巾で軽く拭く。

 買い置きの食パンをトーストするでもなくそのまま皿に並べ、冷蔵庫を開けるもめぼしいものはなく閉めた。


「あー、パンだ」


 一人着替えを終えた薫は目を輝かせてテーブルに着いた。


「食べていい?」

「いいけど、平気なのか?」

「なにが?」


 礼儀正しく手を合わせ、薫は食パンに噛り付いた。小さな口で頬張る姿はまるで小動物だ。


「いや、トーストしてないし。ジャムもないし」

「平気よ。パパもそうやって食べてるし」


 ――パパさん、娘さんは逞しいな。


 清志以外にそのまま食パンを食べ、娘にまで浸透させている男がいるとは思わなかった。親近感を覚える。

 清志は食パンを食べきると、着替えを持って脱衣所に向かった。呑気に食パンを食べながら手を振る薫にはもう溜息しか出てこない。


「なんだかなあ」


 呟く言葉も意味を持たないものになる。

手早くシャワーを浴び、身体は温まったが寒気は治らない。鼻をすすり、清志は風邪薬の在り処を思い浮かべた。


「ないな」


 ここ数年買った覚えはなく、諦めてティッシュの行方だけは確かにした。

 風呂から上がると洗い物は食器カゴに伏せられ、部屋の隅で布団を背に外を眺めている薫がいた。

 こうして見れば薫は可愛いと思う。だがやはりそれだけだ。


「あ、来た。それじゃあ次行ってみよう」


 立ち上がると薫は、どこにそんな元気がと思うくらいはしゃいで言ってくれた。

 カタログを手に振る姿はやる気に満ちている。


「ええと、小学校六年生。飼育係になる。どういうこと?」

「覚えてるわけないだろ」

「それもそうね。行けばわかるか」


 薫がそう呟くとカタログから光りが溢れ、清志は咄嗟に目を瞑った。

 次の瞬間には懐かしい風景と、既視感がある少年がいた。




 少年は飼育小屋の前で、見覚えのある美少女と二人でしゃがんでいた。


「一緒に飼育係やりましょうよ」

「……別にいいけど」


 妙に張り切る少女とは裏腹に、少年時代の清志は素っ気ない。


「ふてぶてしい子供だね」

「うるさい」


 清志だからわかるが、クラスで一番可愛い女の子に係に誘われて喜ばないはずがなかった。ただ、周囲に囃し立てられる のが嫌で、わざとこのような態度を取ったのだ。


「絶対だからね!」


 ――初々しいなあ。


少しずつ記憶が蘇る。


 飼育係になったはいいけど、面倒くさかったのを覚えている。少女は時折難しい顔をするものの、一生懸命生き物の世話をしていた。

 浮かれて係になったことを後悔したものだ。


――そういえばあの女の子の名前は珍しかったな。


「おい。分岐点はこれでいい。飼育係なんてやってられん」

「っ、駄目よ!そうしたらあの女の子と接点が……ママが」


 縋り付く薫に嘆息し、清志は頭をかいてやんわりと引き剥がした。


「戻るぞ」

「……うん」


 薫がカタログを閉じると視界が歪み、少女たちが溶けていく。

 清志はその様子をぼうっと眺めていたが、頭の中はある仮説でいっぱいだった。


「一体どういうつもりだ」

 短い外出を終え、息つく間もなく矢継ぎ早に告げる。薫はばつの悪い顔をして視線を逸らし、やがて開き直ったように言い捨てた。


「だから、ターニングカタログで」

「俺の好きな選択をさせてくれるんじゃないのか」

「……だって」

「だってじゃない。怒らんから、全部話せ。でなけりゃ不公平だろう」


 子供相手に何を言っているのだろうと、自己嫌悪におちいる。調子が悪いせいで、いつもは流せることにもイライラしてしまう。


「おい――」

「パパが悪いんじゃない!」


 突然の叫びに清志は呆気に取られた。どこをどうしてパパがでてくるのかわからない。


「いや待て、パパって俺か?」

「そうよ!」

「俺は子供どころか結婚だってまだだぞ」

「だからあ! あたしはパパの娘なの! ターニングカタログを使って、パパが……パパが誕生日に帰ってきてくれるようにって」


 そういえば昨夜誕生日だと言っていたが、今はそれは関係ない。

 今にも泣きそうな薫に清志はたじろいだ。


「意味がわからん。なんで、今の俺のところに来るんだ」

「知らないよう。ターニングカタログで修正しなくても、パパがこんなにがさつでいい加減で人徳がないなんて知らなかった」

「未来の娘とはいえ、喧嘩を売っているなら買うぞ」

「本当のことじゃない!」


 ぐうの音も出ない。


 あの少女とは、小川原の血縁者かと仮説下がよもや自分の娘だとは思わなかった。それもまだ信じ難いが。


「まだ話が読めない。お前の目的はなんだ? 俺と小川原の関係は?」

「パパが、誕生日には早く帰って来てくれるって約束したのに、それを破るから」


 答えは的を射ず、仕方なく清志は一つずつ質問をすることにした。


「ターニングカタログの理由は?」

「パパはすごく仕事ができるから、少しくらいマイナスにすれば仕事が減ると思って」

「極論だな。仕事ができないから帰れないかもしれないだろ」


 可能性の一つを提示してやれば、吊り上がった目で睨まれてしまい肩を竦める。


「パパは出来る人なの。自力で力をつけて、ママのお婿さんになったんだから」


 いまいち想像が付かないが、都合良く進めばそうなるのだろう。未来の自分に少しだけ希望が見えた。

 そして、清志にカタログを使ってやり直す気持ちはなかった。どの年代のでも、自分で選んだ道なのだ。後からやり直すなど狡い真似はしたくなかった。


「わかった。だが、俺はカタログを使うつもりは――」

 使うつもりはないと言いかけて、はたと清志は気が付いた。カタログを使わなければ薫は戻れないと言っていた。

 清志は思考を巡らせた。


 ――人生の分岐点てことは、あれもそうなんじゃ。


「おい。俺が福引で特賞を当てたポイントはあるか?」

「え?ええと……あるけど」

「そこに戻してくれ」


 薫の顔がみるみる歪み、大きな瞳から涙が溢れ出した。清志は慌てて否定するが、うまく説明するのは難しい。


「俺は約束を守る。だから心配するな」

「でも」

「つうか、分岐点に戻って、お前の母親と出会わなくなる可能性は考えなかったのか?」


 今頃気付いたとでもいうかのように、薫が言葉を詰まらせる。過去を変えるというのはリスクがあるはずだ。


「ちょっとなら、大丈夫だって思ったから」

「どうなるかわかんないだろ。とにかく、もし本当にお前が俺の娘なら信じろ」

「忘れない? 絶対?」


 必死な様子だが絶対とは言い切れない。それはお互いにわかっている。


「十何年後だ。その時にわかるだろ」


 投げやりな答えだが薫はそれ以上文句は言わなかった。聞き分けの良い娘に育ってくれて良かった、と少しだけ思う。


「後悔しない? 福引が外れるんだよ?」

「しない」


 ――あの時俺はティッシュが欲しかったって言ったら、こいつ怒るだろうな。


 薫は眉尻を下げ唇を窄めると、ゆっくり息を吐いてからターニングカタログを開いた。


 ――なんか頭痛くなってきた。


 寒気を思い出し清志は身を震わせた。立っているのも辛く、その場にしゃがみ込み肩で息をする。


「分岐点、福引き。選択肢、外れ――って、パパ!?」


 薫がそう言った途端清志は意識が遠のくのを感じた。


 ――娘か……俺に似てなくて良かった。いや、娘? 俺はまだ結婚していない。


 構築された記憶が解けていく。かろうじて残った記憶から、過去に遡っているのだと知れた。


 ――あー、鼻が痒い。




「――っくし。うへ」


清志は鼻から飛び出そうになったものを慌てて吸い込み、眉を寄せて咳払いをした。


 ――ティッシュ。そうだ、福引き券があったよな。


 主婦が並ぶ福引きの列につく。景品の一覧を見れば最下部に「ティッシュ」の文字を見つけ、清志はこの列の誰も思わないだろう参加賞を祈った。

 列は少しずつ減り、清志の前の主婦がティッシュを数個受け取る。


「はい、一回引いてください」


 清志は祈る気持ちで取っ手を掴み回した。

 じゃらじゃらと球が擦れる音がして、トレーに溢れたのは白――参加賞だった。


「これ、参加賞のティッシュね」


 係の男性がよこしたのは意外にも保湿性のあるティッシュで、思わぬ付加価値に清志はこっそりガッツポーズを取る。

 列からはけ、清志は鼻の奥に溜まったものを存分に吐き出した。


「保湿ティッシュ最高」


 普段は味わえない柔らかな感触にうっとりと呟く。


「いくらかんでも痛くならないっていいな」


 しかし一度で使いきれる物ではなく、清志はポケットにティッシュを押し込んだ。


「はっ――くち!」

 可愛らしいくしゃみが聞こえ、仲間かと思って何気なく見れば、同年代の女性が鼻を片手で覆いもう片方の手でバッグをあさっていた。


「あれ?無い」


 女性の声に焦りが見え、つい先ほどまで同じ状況だった清志には探しているものがわかってしまった。

 ポケットの上から、しまったばかりのティッシュを撫でる。


 ――まあ、いっか。


 ティッシュがない大変さを清志は身を以て知っている。

 目の前で同じ目に遭っている女性を見て、無視できるほど外道ではなかった。


 ――フェミニストでもないんだけどなあ。


「これ、良かったらどうぞ」


 振り向いた女性が清志の顔を見て、目を見開いた。しかしすぐに頭を下げると、清志の手からティッシュを取りまた背を向けてしまう。


 ――あれ?


 既視感を覚え女性をさりげなく見るが、どこで会ったのか思い出せない。記憶の隅のあるような、最近会ったような曖昧な感覚が気持ち悪い。


「すみません。ありがとうございます」

「いえ、使いかけてすみません」

「とんでもないです。助かりました」


 頭を下げる女性からは本当に感謝しているのだと伝わってきて、惜しみながらもティッシュをあげて良かったと思えた。


「あの、もしかして佐藤くん?」


 突然名を呼ばれ、清志は過去にしまわれた記憶の数々が一気に湧き上がるのを感じた。


 ――そうか、この人だったのか。


「そうだけど、君は小川原さんだよね。ごめん、気づかなかった」

「ううん!いいの、私もびっくりしたし。こんな偶然信じられないよ」


 小川原優花里。小学校からの同級生だがこれという接点はない――はずだった。


「こうやって話すのもいつぶりだろう。佐藤くんて結局生徒会には入らなかったから、顔を合わせる機会もなかったんだよね」

「飼育係が最後か」

「それって小学生だよね。嬉しい、覚えていてくれたんだ」


 ――俺はなぜか覚えてる、つか思い出したけど、小川原まで覚えてるなんてな。


 所々齟齬のある記憶に首を傾げつつ、清志は表情をくるくる変える小川原を眺めた。

 やはり最近見た覚えがある。


「この辺りに住んでいるの? あのさ、折角だからまた会えないかな」

「いや、俺は……」


 女子を喜ばせる場所など知らないし、遊ぶ金は捻出しなければない。これが同じ大学の女子なら断っていたが、小川原の誘いを断る気にはなれなかった。


「いいけど、期待するなよ」

「佐藤のことは子供の頃から知ってるんだから、お互い今更じゃない」


 ――小川原はますます綺麗になったけどな。


 歯の浮く台詞は心の中に留める。


『パパの甲斐性なし』


 不名誉な声が聞こえた気がした。


「どうしたの?」

「なんでもない」

 ――腑に落ちたって感じだな。


理由はわからないけれど、収まるところに収まった。そんな気がした。




「ただいま。薫は?」

「拗ねて寝ちゃった」


 清志はジャケットを脱ぎながら廊下を歩き、閉ざされた扉の前に立つ。

 手には誕生日にと買った服が入っている。なんとなく、本当になんとなく入った店で見つけたものだ。

 チェックのスカートに白いフリルシャツは、薫の年齢には合わないかもしれないが絶対に似合うと見た瞬間に思った。

 今日中に渡したいところだが、寝ているのなら明日にしようかと思い直した。


「パパ帰ったの?」


 愛らしい声に、悩んだのは一瞬だった。

 声をかけ扉を開くと、薄暗い部屋の中で愛娘が寝惚け眼を向けて来た。


「薫」

「なに」

「誕生日おめでとう」



清志篇完


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