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ターニングカタログ  作者: 小麦田惣次
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清志:第一の分岐点

 コンビニから出ると風に砂埃が舞い上がり、清志は手を押さえる間も無く鼻の奥から異物を吹き出した。

 鼻腔に残る違和感に、もう一つクシャミを落とす。


「鼻、垂れそう」


 ティッシュを買いにコンビニへ戻ろうと考えたが、決して安くはない価格を思い出して踏み止まる。

 学費と生活費以外はバイトで賄う必要のある清志に、日用品を定価で買うのは気が引ける。

 先ほど講義に必要な本を買ったばかりで、財布の中身も心許なく、それをティッシュで使い切るつもりはない。

 お金が勿体無いからと髪は染めず、けれど定期的に髪は整えるくらいの清潔感はある。どこにでもいる、目立たない分類の大学生である。


「そういや抽選券貰ったな」


 ポケットを服の上から押さえれば、書店で貰った福引券の抽選券が潰れる音がした。

 抽選会場を見つけたら引こうと思っていたが、日頃の行いが良いのか斜向いにテントとまばらに集まる人が見えた。


 ――参加賞っつたらティッシュだよな。


 一縷の望みにかけて清志は抽選を待つ人の後ろに並ぶ。

 ベルが鳴り、参加賞らしきティッシュ数個を女性が受け取る。清志は予想通りの景品に逸る気持ちを抑え、順番がくるのを待った。

 先程から鼻の穴がむず痒く、早くどうにかしないといい歳をして鼻を垂らしてしまう。

 自分の番が来るとくしゃくしゃになった抽選券を出し、清志は取っ手を力強く握った。


「はい、一回ね。ゆっくり回してください」


 思いの丈を込め、じわじわと回転する。

 特賞のカタログギフトも、二等の商品券も興味はない――わけではないが、今欲しいのはティッシュだ。

 カタログギフトでも商品券でも鼻はかめない。

 からりと音がして、器に金色の玉が転がった。


「おめでとうございます!」


 先ほどより大きくベルがなり、係の者たちが「おめでとう」を繰り返す。


「特賞の高級カタログギフトです」

「嘘だろ」

「おめでとうございます。こちらに住所をご記入ください」


 盛り上がる周囲を他所に、清志はとうとう重力に負けた鼻水を服の袖で拭い肩を落とした。




「狙っているとしか思えない」


 鼻に優しくない紙を持ち帰り、清志は簡易な熨斗を剥がして嘆息した。

 ティッシュは仕方なく帰りに買った。やけを起こしたつもりはないが、保湿タイプの鼻に優しいティッシュだ。

 いつもは望まなくても手に入るティッシュが、こんなにも尊いと感じるとは思わなかった。


「カタログギフトって、欲しいもんないんだろうな」


 箱から取り出したカタログは思ったよりも薄く、商店街ならこんなものかと身勝手にも少しだけがっかりする。


「保存のきく食べ物とかあるかな」


 気持ちを持ち直し、清志はカタログに手をかけ、ふと玄関を見つめた。


 ――今誰か来たか?


 安物件のアパートは隣は勿論、外の気配も感じ取れる。ゆえに、誰かが訪ねてくればチャイムを押す前に気付くのだ。

 無意識の内に息を殺し、玄関の向こうの気配を探る。


 ――何してんだ?


 郵便の時間には遅い。新聞の勧誘か、はたまた怪しい宗教団体か。

 どちらにせよ、望まぬ来客なことな確かだった。

 清志は抜き足で玄関へ下り、小窓から外を覗いて驚愕した。


「女の子?」


 声と同時に音の悪いチャイムが鳴り、清志は反射的に玄関の鍵を開けてしまう。居留守を使うこともできず、渋々開いた玄関の向こうには小窓から見た少女がいた。

 エンジのベレー帽に白のシャツ、チェックのネクタイと短いスカートを着た、可愛い分類に入るであろう少女は一瞬の困惑を浮かべるも直後満面の笑みを清志に向けた。


「ターニングカタログ当選おめでとうございます!」


 本日何度目かになるかわからない祝いの言葉に、清志は「はあ」と気の抜けた声しか返せなかった。


「あれ? まだ手元に届いてない?」


 黙ったままの清志を少女が訝しむ。

 少女は清志が反応できないのを、カタログが行き違っているからと勘違いしているようだがそれは違う。

 いや、なぜ少女がカタログのことを知っているかとか、貰ったのはそんな名前のカタログではないとか言いたいことは山ほどある。それよりも、なぜ少女が自分の目の前に現れたのかがわからなかった。

 自慢ではないが生まれてこのかた家族以外の女性に縁がない。ましてや、五つは歳下の、可愛いと形容される少女から友好的接される理由がない。

 美人局が新手の詐欺と考えるのが普通だ。


「うちにはお金ないんで」


 はっきりと事実を伝え清志は玄関を閉めた、つもりが手応えがない。


 ――足挟んだのか!


 慌てて開くもそこに少女の足はなく、代わりに馴染みのある油性ペンが少女手の中で凹んでいた。


「危ないじゃない」

「わかってるならやるな!」


 大声を出してから両手で口を押さえる。

 こんな所で騒いだら隣に何を言われるかわかったもんではない。


「とにかく、心当たりないから帰ってくれ」

「駄目!」

「大声を出すなっ」


 小声で怒鳴るという器用な技を使い、清志は痛む頭を片手で押さえて溜息を吐いた。

 本能が、この少女から逃れられないのだと諭してくる。


「それ、ターニングカタログでしょ?」

「だからこれは……あれ?」


 指で示されたのは商店街で貰ったのはカタログギフトのはずだった。

 しかし表紙にはカタカナで「ターニングカタログ」と箔押しされていた。


「なんだ、これ」

「ターニングカタログ。あなたの人生の分岐点の中から一つ遡って、選択し直せるハッピーなカタログ!」

「なんで俺の名前」

「秘密。私はそのカタログであなたの人生をハッピーにする案内人、てとこかな。薫て呼んで」

「胡散臭すぎる。そんな都合のいい話あってたまるか」


 未だ疑いの視線を向ける清志に薫は頬を膨らませた。


「ほんとだもん」


 唇を尖らせる薫に清志はほと困り果てた。対応したことがなければ、こういう場合の対処法など知るはずもない。


「は……っくち!」


 可愛らしいくしゃみは薫に似合ったものだった。

 玄関から吹き込む風の冷たさに清志は「寒い」と感じ、外で震える少女に同情してしまったのは否定できない。


「入ってもいい?」


 小首を傾げる少女は腹が立つほど可愛く見え、清志は肩を落として部屋の中へ戻っていった。

 無言はせめてもの抵抗だ。


「お邪魔しまーす」


 小声で「狭い」だの「古い」だの批判的な言葉が聞こえたが無視をする。薫にこれ以上深入りするつもりはなかった。


「悪いが茶はないぞ。座布団もだ」

「ないの? なんで?」

「生活に必要ないからだ。用件を済ませてさっさと帰ってくれ」


 本気で嫌そうに見せれば薫は渋々といった様子で畳に座り、手を差し出してきた。


「それじゃあターニングカタログの説明は……もういいか。使ってみるよ」

「待て。本気で言っているのか?」


 どんなままごとに付き合わされるのかと思えば、SFごっこときた。自分がこの少女くらいの年齢の時には既に現実を見ていた気がする。


「だから、本当だって言ってるでしょ。いつもそうなんだから」

 最後の方は独り言なのか聞き取れなかったが、清志は追求せず好きにさせることにした。


 ――満足すれば帰るだろう。


 ティッシュボックスから一枚引き出し、躊躇わずに鼻をかむ。薫の眉間に皺が寄るが知ったことではない。


「それで、俺は何をすればいいんだ。億万長者にでもなれるのか?」


 ゴミ箱に放り、かみきれなかった鼻をすする。厄介な季節だ。


「もう一度確認するけど、あなたは佐藤清志なんだよね?」

「違う、て言ってもしょうがないだろ。何を期待してたか知らんが、勝手に幻滅するな」


 清志としてはこのまま諦めて帰ってくれてもいいが、そううまく事は運ばないだろう。

 腑に落ちない、という顔のまま薫はターニングカタログとやらの説明書を始めた。


「さっきも話した通り、ターニングカタログは今までにあった人生の分岐点に戻って、やり直すことができるカタログなの。戻れる分岐点が載ってるのがこのカタログ」

「穴だらけの設定だな」

「なによ!」


 清志はわざとらしい溜息を吐き肩を竦めて鼻をすすった。


「過去には戻れない。未来は変えられない。この世の常識だ。まあ、夢はあるがな」

「だから、それができるのがこのカタログなの! 見て!」


 開いたカタログを掲げ、清志は鬱陶しげにそれに目をやると薫が一文を読み上げた。


「高校三年生。受験前にインフルエンザ発症。本命受験ならず」


 昨年の苦い思い出が過ぎり清志は顔を顰めた。

 本命の公立に落ちたせいで、私立に行くはめになった時の絶望感。私立の場合は小遣い無しと言われていたが本命は安全圏で、よもやこうなるとは思ってもみなかった。

 確かに、戻れるのならあの時に戻りたい。


「随分と気合の入ったストーカーだな」


 だが清志の事情を知るのは家族しかいない。

 同級生にだって言わなかった。


「ストーカーじゃなくて、カタログに書いてあるの!」


 紙面を眼前に突きつけられ、清志は目を眇めてぼやけた文字を追った。

 薫の言う通り『受験前にインフルエンザ発症』と挿絵付きで書かれている。


「ええと、選べる分岐点?」

「そう!」


 急に視界が明るくなり、薫がカタログを読み上げる。


「Aコースはインフルエンザの時期を一週間早まらせる。Bコースはインフルエンザを遅らせる」

「どっちにしてもかかるのか」

「文句言わないの」


 釈然としないものの、清志は「もし」を考える。一週間早まらせたところで試験は受けられない。

 しかし遅らせたところで、そのあたりで事件はあるのだ。


「あんまりよくないわね。清志、は今のままがいいと思う」

「理由はわからんが、俺も同感だ。インフルエンザの俺は食べなかったが、家族が食中りをおこしている。もし戻っても受験は無理だ」

「それは、災難ね」


 おかげで看病してくれる者がおらず、隔離された部屋で必死に生き長らえた。


「おかしいな……」

「何がだ。お前の存在から全てがおかしいって、わかってるのか?」

「失礼なこと言わないで」


 怒られ、清志は肩を竦めた。


「次ね。中学二年生。生徒会役員に推薦される」


 首を傾げる薫に、清志は首を振り返す。

 ご丁寧にこちらも挿絵付きだが覚えはない。


「何かあったら気がするけど、覚えてない」

「生徒会には入ったの?」

「覚えてないから、入ってないんだろう」

「そうよね。入っていたら……一体どういうことなの。わけわかんない」


 ぶつぶつと独り言を呟く薫の方がわからない。


「ともかく、行ってみましょう」

「行くって?」

「このターニングポイントへ行くの」

「は?」


 突然立ち上がった薫に手を取られ、清志も腰を上げる。


 ――女の子の手、だよなあ。


 自分より小さく、華奢な手になんとも言えない思いを抱きながら清志は諦めを含んだ溜息を吐いた。

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