■最終話 また言えなかった最後の ”き ”
少し体が軽くなった気がして、そっと目を開けた。
シバシバと眉根をひそめて瞬きを繰り返し、手を握られている感触にまだぼ
んやりした視界のまま横を向くと、そこにはベット脇でアカリの手を握った
ままうたた寝をしているヒナタがいた。
もう大分ぬるくなっていて瞬時には気付かなかったが、おでこに手を当てる
と冷えピタが貼られている。小さく振り返ると、タオルでぐるぐる巻きにさ
れた即席氷枕や布団の上に掛けてくれた毛布。その上に更にヒナタの上着ま
で掛かっているではないか。
そこで、ヒナタが駆け付けてくれて看病してくれていたことを知るアカリ。
『そうだ・・・ ケータイの充電・・・。』
スッカラカンになっていた充電を今更ながらコンセントに差し込み、少し
してから浮かび上がった不在着信やらメールやらラインの数々に、さすが
のアカリも反省してペコリと頭を垂れ、いまだうたた寝をしているその若
干過保護な着信相手の寝顔を見つめた。
そして、具合が悪すぎて充電器に差し込む事すら出来なかった昨日の事を
いまだ少しぼんやりする回らない頭で思い起こしていた。
ヒナタを起こさぬようそっとベットを抜け、突っ伏して眠るその背中に毛
布を掛けた。
物音を立てぬよう忍び足で寝室を抜け出し、キッチンに立って水を飲む。
『ぁ・・・。』 ケーキの事を思い出し、慌てて冷蔵庫を開けた。
すると、5台あったはずのホールケーキが物の見事に無くなっている。
『ぇ・・・?』
アカリは辺りをキョロキョロ見回すも、ケーキは無い。
『え? あれ・・・?
・・・作った・・・ よね・・・?』
もしかしたら高熱で朦朧としていて、ケーキを作ったアレは夢だったのか。
否、そんなはずはない。何故ならその証拠に、熱したオーブン板で火傷し
た指先が小さく水ぶくれになって今もジンジン痛むのだから。
ひたすらケーキを探し回るアカリ。
冷蔵庫以外の生菓子のしまい場所など到底思い付かないけれど、熱に犯さ
れた昨日の思考回路でなら何かしら仕出かしていたとしても可笑しくない。
冷凍庫や食器棚のドアを開けたり閉めたりし、仕舞には浴室も覗いてみる
もそれは見当たらない。困り果てて頭を抱え、ふとキッチンに視線を流す
と洗い桶に浸けてあったはずのボウルやヘラが綺麗に洗われている。
そして、水切りカゴに伏せられているそれらと共に、大きなフォークが1
本と5枚の大皿が目に入った。
それはまさしく、ホールケーキを乗せていた5枚のお皿で・・・
『ウソ・・・。』 アカリは目を見張り指を口元に当てて、暫し動けずに
いた。
(ヒナタが・・・?)
失敗作も含め、アカリが作ったケーキ5台全て食べたという事なのか・・・
恥ずかしさと戸惑いで一人オロオロし、じっとしていられずに狭い部屋の中
をウロウロと歩き回る。また熱がぶり返すような気がする。一気に体も顔も
ジリジリ熱くなってきて、居ても立ってもいられない。
暫し夢遊病者のように歩き回り、まず一旦落ち着こうとソファーに座った。
すると、アカリの目に1枚のメモが映る。
それはリビングのローテーブルの上にあった。メモ用紙の白にやたらと几帳
面な字で。幼い頃に習字でも習っていたのだろうか、 ”止め ”や ”跳ね ”
がしっかりしていて、しかし優しくやわらかい人となりが良く表れたそれ。
決して見間違えたりしない、ヒナタが書く文字だった。
”『き』まで言ってくださいね ”
その一行を目にした瞬間、またドっと熱が上がった気がした。
最後にチョコプレートにメッセージを書いた時のことを思い返す。
もう高熱でフラフラで限界で、逆にその勢いで ”だいすき ”と書いてしま
おうと思ったけれど、寸でのところで羞恥心とちっぽけなプライドが邪魔を
して最後の ”き ”は書けなかったんだった。
死んでしまいそうな恥ずかしさと、でもちゃんと誕生日当日にケーキを食べ
てもらえた事と、なにより生まれて初めて誰かに素直な気持ちを伝えられた
事にアカリは心の底から何とも言えない感動を味わっていた。
静かに静かに寝室に戻る。
ヒナタがまだベットにもたれかかって眠っている。
バイト後で疲れていただろうに必死に看病してくれた、この目の前の愛しい
人をじっと見つめていた。肩から落ちてしまっていた毛布を再び静かにかけ
ヒナタの横にしゃがみ込んだアカリ。
眉が下がってなんとも情けない寝顔にクスっと小さく小さく笑った。
どんなに悪態ついても憎まれ口を叩いても、ひるまずに呆れずにいつでも笑
顔で交わすヒナタのパワーにアカリ自身も感心してしまうほどだった。
いまだぐっすり眠っているヒナタを確認すると、アカリは恥ずかしそうに視
線を逸らし俯いて小さく小さく、呟いた。
『誕生日・・・ おめでとう・・・
いつも・・・ ありがとう・・・
いろいろ・・・ ごめん・・・・
これからも よろしく・・・・
・・・ヒナタぁ・・・・・・・・・ 大す』
。。。。。。
その瞬間。
ヒナタがそっと体を起こし、アカリに小さくキスをした。
照れくさそうに名残惜しそうに唇を離したヒナタと、あまりの衝撃に目を
見開いて固まっているアカリの目がバッチリ絡み合う。
ヒナタがいつもより更に優しい目をして、微笑みながらアカリを見つめる。
すると、咄嗟にアカリがぎゅぅううとヒナタに抱き付いた。
まるで子供が母親にするそれのように、ヒナタの背中に腕をまわし胸に顔を
うずめて、もの凄い力で抱き付いている。
ヒナタが好きで好きでどうしたらいいか分からなくて、アカリはどんどん潤
んでいく目をぎゅっと瞑って、ただただヒナタの胸の鼓動を聴いていた。
それは、生まれてはじめて体全部で愛情を表現した瞬間だった。
ヒナタがそんなアカリの頭に頬を寄せ優しく包み込み、撫でる。
『アカリさん・・・
誕生日ケーキ、ありがとう・・・
・・・ほんとにほんとに、ありがとう・・・。』
その言葉にも、いまだヒナタの胸に顔をうずめどんな表情をしているのか見
せないアカリ。しかし小さく覘いている耳が気の毒なほどに真っ赤っ赤に染
まっている。
そんなアカリが、ポツリと小さく小さく呟いた。
『アンタのせいで・・・ また・・・
最後の ”き ”・・・ 言えなかったじゃん・・・・・。』
突然のキスで掻き消された最後の ”き ”に、ここへ来ても最大級の強がり
を見せるアカリにクスっと笑うヒナタ。
目の前のひねくれ者が、愛おしくて愛おしくて仕方がない。
ヒナタは体勢を変え真っ直ぐ向き合うと、いたずらっぽくアカリの顔を覗き
込んで言った。
『はい!! 待ってるので、今。言って下さいっ!!』
仰々しくシャキンと背筋を伸ばし、正座をして。
思い切りやわらかく微笑みながらアカリを見つめる。
すると、珍しく素直にアカリも向き合って正座に座り直し、今こそ正念場と
ばかりひとつゴクリと息を呑んだ。
『ヒ、ヒナタが・・・・・・・
・・・・・・・・・・だい・・す・・・・・』
『聞こえないですよぉ~。』 からかうようにヒナタが片耳を傾ける。
『だ・・・ だいす・・・・・ぃ・・・・・』
『え? もっとハッキリ!!』
すると、そこでアカリが爆発した。
『うるっっっさいわね!!!
もう言わない、絶対言わない!!
・・・一っっっ生言わないっ!!』
そう言って鼻声で怒り狂うアカリを見つめ、ヒナタは腹を抱えて笑った。
『それでこそ僕の好きなアカリさんです。』と身体をよじらせながら。
笑いすぎて、ちょっと涙がこぼれた
愛しすぎて、ちょっと涙がこぼれた
『アカリさぁ~ん、
なんかしょっぱいモン食べたいです、僕・・・。』
『うるっさいわね! 勝手に塩でも舐めとけバカ!!!』
ヒナタとアカリの物語が、やっとはじまった。
【おわり】
引き続き、【眠れぬ夜は君のせい】スピンオフ(キタジマ編part2)・番外編(コースケ&リコ)をUPしていきます。暇つぶしにでもどうぞ。併せて【本編 眠れぬ夜は君のせい】も宜しくお願いします。