■第2話 前日のこと
朝、目が覚めるとなんだか体調が悪いような気がしていた。
ここ数日、風邪っぽいなとは思っていたけれど、そんなのは気の持ち様だと
然程気にもしていなかった。よく体温計で熱をはかって確かな数字を目にし
た途端にドっと具合悪くなるなんていう話も聞いたことがあるし。
買い出しは全て午前中のうちに済ませていた。
生まれて初めて作るケーキ。
料理はまぁまぁ得意だけど、お菓子作りは基本的に好きになれなかった。
粉を計ったりふるったり、料理にはないその行程が面倒臭くて仕方なかった
のだ。おまけに途中で味見が出来ないなんて、なにかあった時に軌道修正で
きないその融通の利かなさが頭に来て仕方がない。
しかし。今日は、その嫌いなケーキを作る。
でも、誰にもそれは言っていない。
ナチにもリコにも、勿論リュータにも。誰にも内緒でこっそり自分一人で作
るのだ。
1回で上手くいくなんてハナから思っていなかった。
だから買い込んだ材料は、ゆうに3回は作り直しが出来る分はあった。
”はじめてのお菓子 ”というタイトルの本も、手元に準備済み。完璧だ。
今日はバイトは休みの日。
今日一日でケーキを作って、明日のバイトの時に持って行く算段だった。
ギンガムチェックのエプロン紐を後ろから前に回して蝶々結びにする。
長い髪の毛は両手で掴んでまとめ、高い位置でざっくりとバナナクリップ
で束ねた。ケーキ作りの準備は着々と進んでいた。やはり若干フラフラす
るが、それも全て気の持ち様。何てことない、気にしない。
粉を計りふるい、ボウルには卵を泡立て、オーブンは予熱で温め・・・
モタモタと慣れない手つきで、ケーキが焼きあがるまでに3時間かかった。
そして、最後の仕上げ。
”たんじょうび おめでとう ”
湯せんで溶かしたホワイトチョコを小さな絞り袋に詰めて、チョコプレート
に文字を書いた。慎重になればなるほど指先は震え、想像以上にこのメッセ
ージ書きですら簡単ではないことに無意識の内に不満気に口が尖る。
丁寧に丁寧にケーキの上にプレートを乗せるも、最初ふんわりしていたはず
のスポンジは時間が経つにつれみるみる萎み、プレートの重みも相まって半
分ほどの高さまで沈んでしまった。
『失敗か・・・ じゃ、次。』
第1作目のケーキにふんわりラップをかけ、冷蔵庫に入れた。
第2回戦のはじまり。
同じ行程を飽きることなく繰り返した。
”いつも ありがとう ”
震える手つきで書くチョコプレートのメッセージ。
しかし、今回はスポンジが硬すぎるようだ。
レシピ通りに作っているのに何が悪いというのだ。
若干イライラしはじめながら、3回戦目に突入。
”いろいろ ごめん ”
メッセージだけは段々上手に書けるようになったが、当のケーキは全く巧い
事いかない。
冷蔵庫内には3台のホールケーキが詰まっていた。
気が付くと、余裕をもって準備していた材料が底をついてしまった。
『買いに行くか・・・。』とひとりごちて財布を握りしめ、エプロンの上に
上着だけ軽く羽織って寒空の下スーパーへ向かって走り出した。
4作目を作っているあたりで、さすがに自分の体に起きている異変を見過ご
せなくなってはいた。
でも、まだ、満足にケーキが出来ていない。
明日までに間に合わせなきゃ・・・
明日のバイトまでに・・・
誕生日までに・・・
翌明け方。キッチンにある冷蔵庫には、合計5台のホールケーキがギューギ
ューに詰め込まれていた。
5回目のメッセージを書き終えた時、そこで完全にノックアウト。
這うようにベットへ辿り着き、気を失うようにして崩れていった。