■第1話 アカリの部屋で
『アカリさん・・・ どうしたんだろ・・・?』
バイト先のファストフード店。
そろそろ店内もピークで込み始める夕刻間際の時間帯で、学生のバイト従業
員は全員そろってもいい時間に、今日はアカリの姿が見当たらない。
バイトリーダーであるヒナタは、新しく入社したアカリと付き合っていた。
年齢は1才下のヒナタが、偏屈者で口が悪いアカリに長期に渡り猛アタック
を仕掛け、やっとの事でここ最近カップルらしい振る舞いが出来始めたとこ
ろだったのだが。
『ん~??』 ヒナタが小さく唸る。
シフト表を何度確認しても、今日アカリは出勤日だった。
店長にアカリからの欠勤連絡が入っていないか訊かれ、改めてアカリ不在に
首を傾げる。
相変わらず粗雑で接客態度はイマイチ・・・もとい、イマヨンぐらいだった
が無断で欠勤など決してしないアカリ。
ヒナタは慌ててアカリのケータイに電話してみるが、繋がったそれは無味な
機械音として耳に流れる。
”電波 ノ 届カナイ 所ニ ・・・・・ ”
『ま、た、 充電切らしてるんだな・・・ もう・・・。』
マメにケータイの充電をしないアカリは、大事な時に充電切れという事が
多々あった。ヒナタが何度をそれをやめるよう説得しても、『そん時はそ
ん時よ』と ”どこ吹く風 ”だった全く悪びれないアカリが脳裏に浮かぶ。
『困った時に来てもらえるように、
家の鍵はいつも郵便受けに入れてあんのっ!』
以前、充電の件を注意した時にアカリが堂々と言い放ったその言葉をヒナタ
は思い出し苦い顔をする。
アカリは兄リュータのアパートで同居していたのだが、その兄は就職が決ま
り他の街へ引っ越してしまった。両親を無理やり言いくるめて一人暮らしを
認めてもらったものの、女の子ひとりという状況にやはり心配の色を隠せな
いのは親心というものだろう。
兄リュータがいない今、何かあった時にはいつでも友達に来てもらえるよう
にとの意図である ”郵便受けの鍵 ”だが、友達以外でも誰でも家に入れて
しまうそのセキュリティ環境に、ヒナタは猛反対したのだが。
『金目の物が無くなった時は、真っ先にアンタを疑うから。』
ヒナタの忠告なんてまるで無視のアカリだった。
しかし、今この状況ではそのセキュリティ環境が結果オーライになりそうで
はあった。
バイト終わりの夜10時。
ヒナタは店への挨拶もそこそこに、アカリが一人で暮らす部屋へと足早に向
かっていた。
風邪でダウンしている事を想定し、途中のスーパーでスポーツドリンクと果
物を買い、念のため氷と冷えピタと風邪薬も調達しておいた。
買い物を終えると、更にヒナタの足はスピードを増してアスファルトを蹴り
上げる。片手に持ったスーパーのビニール袋がその揺れに併せてカサカサ鳴
って、中の物が右に左に動いているのが分かる。
走りながらふと空を見上げると、夜更けに顔を出す更待月が輝いていた。
頬を過ぎる少しひんやりした夜風が心地よい。
陸上をやっていた頃の感覚が、ヒナタの腕に、脚に、甦る。
15分ほど全力ダッシュして着いたアパートのアカリの部屋の前。
ヒナタはゼェゼェと息を切らして、しんどそうに少し片頬を歪めて屈んだ。
少し呼吸を整えてから上半身を起こすと、部屋の小窓からやはり見えはしな
い室内灯の明かりに困ったように眉根をひそめる。
いまだ整わないヒナタの荒い呼吸だけが響いているこの状況で、ひと気なく
ひっそりと静まり返っているのが否応なしに伝わる。
インターフォンに顔を向け、ドアのチャイムを2回鳴らしてみた。
しかしその機械音が屋外にいるヒナタにハッキリ聴こえるほどに、物音のひ
とつも無い。
再度鳴らしてやはり反応がないことを確認すると、万が一の事を考え部屋の
中を確かめてみることにした。
ドア右側、胸の高さにある郵便受けをそっと覗くと、アカリが言っていた通
り部屋の鍵があった。
やはり少しギョっとしてしまうヒナタ。
例えば何かの陰に隠したり、何かに包んだりもせず無造作に現物そのまま置
かれている、それ。
泥棒だってこの鍵で簡単に出入り出来てしまう超お手軽さだ。
鍵を鍵穴に差し込み、ゆっくり右に回す。
カチャリという小さな乾いた開錠音を確認し、ドアノブを静かに回して慎重
にドアを開けた。
『アカリさぁ~~ん?
・・・僕ですけど・・・ 入りますよぉ~~??』
小さめに呼びかけて、ヒナタは真っ暗な部屋の玄関に足を踏み入れた。
玄関口にある照明スイッチを手探りで探し、パチンと押して付ける。
チカチカとわずかに時間が掛かり灯りがついた部屋の中は、泥棒は入ってい
なかったようで至って普通のそれ。物色されたよな気配は微塵もなく、ただ
単に主が不在のようにキレイに片付いていた。
靴を脱いで『お邪魔しま~す』とひとりごち、リビングに上がった。
まずは、開けっ放しのカーテンを閉めて回る。少し肌寒い室内、暖房のスイ
ッチを入れてみる。痩せていて冷え性なアカリらしく、暖房の設定温度がヒ
ナタには信じられないくらい高めのそれ。
ふとキッチンに目がいった。
何かを作った跡なのだろう。ボウルやヘラがまだ片付けられないまま洗い桶
に浸されていた。
『アカリさぁ~ん?』 声を掛けながら部屋を進む。
アカリの寝室のドアの前に立つ。
小さく遠慮がちにドアを2回ノックした。
そして、『入りますよぉ~?』
内緒話をするかのように細く声を掛けてドアノブを回し、ヒナタはゆっくり
ドアを開けた。
すると、
『ああ、もお・・・ アカリさん? 大丈夫ですか??』
そこには想像していた通り、布団にもぐり真っ赤な顔をして動けずにいるア
カリの姿があった。ヒナタの呼び掛けにも反応せず、ただただ苦しそうな荒
く熱っぽい呼吸を繰り返している。
ヒナタは慌てて駆け寄り、ベッド脇に膝立ちになってアカリの真っ赤な額に
手を当ててみた。
『こんなに熱だして・・・。』 夜風で冷えたヒナタの手の平に、アカリの
ジリジリするような熱が伝わる。
まずは水分補給をと、アカリの背中に腕を差し込み少し上半身を起こして、
買ってきたスポーツドリンクの飲み口を乾燥した唇にあてがった。
それは唇の端からチロチロとこぼれるも、朦朧としながらもアカリはそれを
少しではあるが飲んだ。
その姿に安心するヒナタ。しかしストローがあれば良かったかと、ビニール
袋の中を探してみるも、やはりそんな以心伝心がレジ係の人との間に出来て
いるはずもなかった。
まだ全身が熱いアカリは苦しそうに顔をしかめて眠っている。
ヒナタは即席で氷枕を作り、それをアカリの頭の下に置いた。
額には冷えピタを貼り、寒がるアカリへ更に一枚毛布をかけた。
熱でうなされているアカリ。
ヒナタは夜通し傍について、氷枕を替え、冷えピタを貼り直し、水分を摂ら
せた。深夜から早朝にかけて、何度この繰り返しをしただろう。
バイト終わりで疲れた体で、ヒナタはずっとアカリを見守っていた。
すると、
『・・・ュータ・・・、リュータァ・・・・・。』
アカリがうなされるように小さく呟いた。
それは、聞き間違うことなく兄の名で。
『こんな時でさえリュータさんなんですか・・・。』 ヒナタが少し困った
ような哀しそうな情けないそれで小さく笑う。
『・・・僕の名前、呼んでくれたっていいじゃないですか・・・。』
珍しくヒナタがしょぼくれて俯いた。