15回目の記念日
ピ、ピ、ピ、ピピピピピピピピ………
閉めきられた室内にめざましが鳴り響く。
ピッ
布団から腕だけを伸ばして止めると、顔をもたげて時刻を見る。
6:30
カーテンを開くとまだかなり薄暗い。私は眠い目をこすりながら洗面所へ向かった。
錆び付いた蛇口をひねると堰を切って水が飛び出す。2、3回顔をすすいだ後、昨日のままのタオルで水分をふき取った。いかにも生乾きらしい、もやっとした独特の臭いが鼻につく。
ややさっぱりとしない気持ちで、今日の日付を確認した。
9月21日
思っていた通りの日付。15回目の記念日にあたる日だ。
記念日を忘れるということは、あまり経験がない。
だが記念日にあたるからといって、特に何かがあるわけでもない。
ただ淡々と今日という一日を過ごしていくだけだ。
できる限り平穏に。
軽く朝食を済ませ、朝刊を確認する。
めぼしい記事はない。
テレビをつけてみたが、やっているのはドラマとバラエティばかりだった。
自分は今、記念日を迎えているというのに、世間では誰一人として気づく者はいない。
むなしいような、それでいてなにかほっとしたような。
不思議な安堵感に包まれながら、今日という、人生の一区切りとなる一日を過ごしていた。
墓参りに行こうと思い立ったのは、その日の午後、太陽が西の空に傾き、夕焼けの前兆が感じられる時のことだった。
特に何か準備するということもなく、ガタの来かかったへこみだらけの軽自動車に乗り込む。
大した都市もない地方の片田舎のこと、交通量も知れたもので、のんびりとしか進んでいないのは、主に車の性能によるものだ。
徐々に赤く染まっていく夕空を背景に、車は抵抗なく進んでいった。
自宅から南にしばらく、景色は山がちになり始める。もうずいぶんと落ちかかった太陽は、最後の輝きを見せはじめていた。斜陽が美しい。木々の合間を縫って、まだら模様に光が映る。
対向する車はほとんどなく、やけに広葉樹の多い木々のトンネルの中を気分よく走る。
山道の中でただ一人、自分のためだけに用意された美しい風景を、私は楽しんでいた。
目的地にたどり着いた頃には、太陽は山の端にさしかかり始めていた。
急がないと。
夜間に山の中で行動するのは、いささか心細いものだ。これは、15年前の経験でもある。
車を適当な道の脇に止めると、私は少し急ぎ気味に降車した。トランクから懐中電灯を取り出して、山の中へ分け入っていく。
まだ残暑も厳しい季節、山中には草木が鬱蒼と茂っている。おぼろげな記憶とわずかな目印を頼りに、かき分けてどんどん進んでいく。
数年前に訪れたきりだったが、幸いなことに、まだ踏み固めた道の跡はわずかに残っていた。
そのまましばらく進んでいると、少し拓けた場所に出た。目指す所はもうすぐのはずだ。
ようやく目当ての場所にたどり着いた頃には、日は完全に沈んでいた。
懐中電灯で、ここが目的地であることを示す2つのしるしを照らし出す。間違いない。周囲を照らして探してみると、石柱らしき影を見つけた。
あそこだ。近づいていくと、徐々にその姿がはっきりとしていく。
ずいぶんと苔むしてはいるが、それは間違いなく墓標だった。少し目をこらして見れば、名前が彫ってあるのも確認できる。
墓標の前で静かに腰を下ろし、両手を合わせ、目を閉じる。
その瞬間、私は深い深い闇の中へと陥ってしまった。
実際に閉じていたのはわずかな時間だったはずだが、同じ時間を、私は永遠のようにさえ感じていた。
長い長い暗闇の中から、必死で脱出を試みる。
だが何をきっかけとしてか、突然目が開いた。
汗がじんわりとにじむのを感じる。動悸も少し早い。
私の中に何かが巣くっている。心の奥深く、霧がかかったように見えない。深い闇を纏った魔物が、私の心臓を食らいつくそうとしているのか?
どっと汗を流して座り込む。積もった落ち葉は少し湿っぽさがあり、ひんやりと冷たかった。
やや呆然としたまま、私は同じ場に座り込んでいた。ようやく正気に戻ったのは、冷たい風が頬を撫でたからだった。
まだ9月といえど、山の夜は肌寒い。
だがこれほど冷え込むには、それなりの時間が必要だろう。もうすでに深夜近いのだろうか?
懐中電灯の光を当て、時計を確認する。
11:42
もうそんな時間か。知らない間にずいぶんと長居してしまったものだ。私は立ち上がって衣服に付いた落ち葉を振り払う。
本当ならばもっと早くに帰るはずだった。ならば日付が変わるまではここに居ようかとも思ったが、それはやめておいた。この薄着では、底冷えのする山の気温に風邪でもひきかねない。いや、それは言い訳か。
なんとなく怖いのだ。きっと。
私には勇気がなかった。ただ、それだけのこと。
踵を返し、来た道を戻っていく。足元の覚束ない暗がりの道のりではあるが、来た時よりも迷いはない。足繁く通ったのはもう15年も前のことなのに、行きしなに通っただけで、すっかり思い出してしまったようだ。
車を止めた位置まで戻るのに、15分とかからなかった。下り道というのを考慮しても相当早い。道など在って無いようなものなのに。
私は少しばかり軽い足取りで、時代遅れにも車のドアに鍵を差し込む。電子化などは私の感知するところではない。世界はどんどん先に進んでいくが、私は取り残されてしまった孤独を気に入っていた。
私はこれでいい。
私は未だ、15年前のことに囚われた人間なのだ。
自動車はとうてい軽快とはいえない速度で走り出す。
そろそろかな。腕時計に目を落とした私は一人、ほくそ笑む。
0:00
完全犯罪だ。
あの時と同じ、新月の夜。彼の顔を照らし出すものは何もない。
自動車は暗黒に飲み込まれていった。