蘇る魔王
中間地点の続きですが、そちらを読まなくても大丈夫だと思います。
ド素人の作品ですので、軽い気持ちで軽く楽しんで頂けたら幸いです。
魔力なしの兵士に心臓を貫かれ暗く消えていく意識の中、ヴァイスは呆気ない最後だったと、死を覚悟した。
「ヴァイス・シュラーゲン。君の最後の任務は果たされた。ゆっくり眠ると良い」
意識が完全に途絶える前、そんな言葉が聞こえた。
だが、彼は再び目を覚ました。
真っ暗な視界、濃い土の臭いと全身に掛かる圧迫感に、ヴァイスは自分が土の中に埋められている事を察する。
脳内で自分の周りを吹き飛ばすイメージを浮かべ、魔力を練り発動。その瞬間、覆いかぶさっていた土は勿論、半径三メートル程の範囲が吹っ飛び地面に穴が出来た。開けた視界の先に澄み切った青空が広がっていた。
上半身を起こし、ヴァイスは自分の体を隈なく探る。
触った感触からして、何処にも異常は無いようだ。
「さて、と」
立ち上がり、自らが作り出した穴を上る。上った先で周囲を見渡し、ここは自分が最後に意識を失った渓谷である事に気が付く。
目を瞑り、そう遠くない場所にある帝都グリッツェンに意識を集中させる。見知った気配を探る為だ。
そして見つけた憎しみの対象者の気配に、ヴァイスの口元がニヤリと吊り上がる。
歩き出したヴァイスが向かうのは切り立った崖。その遥か下には激しい勢いで川が流れており、その川は数十キロ先の海へと続いている。勿論、落ちれば命はない。
ヴァイスはそこから躊躇いなく身を投げ、そして忽然と姿を消した。
王国の王子であるレオナルド・シルス・ノークシュタインがその知らせを受けたのは、朝早くから始まった会議を終え、遅い昼食を取る為に数人の側近を引き攣れ、食堂へと向かっていた最中の事だった。
「帝国が滅んだだと!?」
「何かの間違いではないのか!?」
「もしやディスクレート様が魔王に変貌を!?」
報告を聞き騒然とする側近たちを叱責する事も忘れ、レオナルドは帝国内で情報収集を行わせていた調査兵からの報告を反芻する。
一週間ほど前、帝国は全世界に向け大々的に二つの発表をした。まず一つ目は、作戦に参加していた人物が仲間を殺害し逃走、作戦は失敗したが既に帝国がその身柄を確保しているという事。そして二つ目は、別動隊として行動していた帝国の皇子、ディスクレートが魔王を討ち滅ぼしたという内容だった。
その発表に城は揺れた。帝国の皇子自らが隊を率いて魔王を屠ったという事、そして、選ばれた若者たちが作戦に失敗したという事が信じられなかったのだ。
その若者たちの中には王国出身の者が一名含まれていた。グレン・アッシュコードと言う名の王国の貴族、アッシュコード公爵の三男だ。
レオナルドはグレンとは従弟という事もあり、幼い頃から面識があった。幼い頃から競い合い、お互いを高め合ってきた為、グレンが優れた知能と並外れた魔力を有している事をよく知っていた。天才と呼ばれながらも努力を怠らず、公爵家の人間だからと人を見下すことのなく、部下の者たちに的確な指示も出せ、皆から慕われる良く出来た人物だった。
今回の魔王討伐作戦にもグレンは自ら立候補し、仲間となる者たちと共に鍛錬に励む為、数年前に王国から旅立つのを見送ったのが、彼を見た最後の姿だった。
そんなグレンが、魔力が強く、優れた身体能力を有しているだけで選ばれた一般市民に裏切られ、殺された。その事実に彼を知る者たちは怒り、彼を殺した人物を王国に差し出せと帝国へ要求したが、帝国からは既にその者は処刑した、という内容の返答だけが返って来た。
そもそも、魔王の血に触れた者は例外なくソレに侵され、魔のモノへと変貌を遂げる前に魔力なしの人間によって、命を絶たれなければならない。それなのにディスクレートは平然と民の前に現れ、自らの武勇を語っていたという。帝国曰く、魔王の血への対象法が見つかったという事だが、それならば何故その対処法が見つかった時点で王国や聖国へ連絡が来なかったのか。もしそれが事実だとしたら、王国からも部隊を派遣し、魔王討伐の手助けが出来た。グレンやその仲間たちも死ぬことが無かったかもしれない。その話を聞いた時、そんなやるせない気持ちがレオナルドの心を重くしたのは記憶に新しい。
もっと詳しい情報が欲しいと、部下に帝国内の情報収集を命じたのが五日前。そして、報告を待っていた所に飛び込んできたのが今回の知らせだ。
「何がどうなっている……」
世界中の国々を脅かす程の戦力を有していた筈の帝国が、一週間足らずで崩壊するなど有り得ない。今回の魔王討伐により、世界の勢力図は帝国へ傾きつつあったが、それを危惧して今の時期に、帝国へ戦を仕掛ける愚かな国は皆無だろう。他国の侵略ではないのなら反乱、いや、あの皇帝がそう易々とそんな真似をさせる筈がない。まさか魔王が現れたのか?しかし、帝国は魔王の復活を永遠に阻止したと発表している。一体帝国で何が起こっているのだ……。
「皆、落ち着け。まずは国王の元へ向かう。昼食は後回しだ」
混乱する思考を、目を瞑る事で思考を切り替え、ここで考えていても仕方がないと、レオナルドは頭を下げる側近たちを引き攣れ、彼は国王の元へ向かうのであった。
帝国領内、王国と程近い国境付近のヘカテ平原を掛ける馬が八頭、全速力でこちらに向かい駆けて来るのを、王国側の国境を守る警備兵が目視で確認する。
「馬です!馬上には人影があります!」
その警備兵の横でレオナルドが頷き、それを確認した別の兵が下に向かい大声で指示を出す。
「門を開けろー!」
分厚い壁で隔たれた国境は、まだ人間同士で争っていた時代に作られた古い物で、所々戦の爪痕が残っていた。だが、商人や国境を越える者たちの為に数十年前、関所が設けられた。ただ壁の一部を破壊し、門を取り付けただけのお粗末な物であったが、門は人々が行き来しやすいよう常に開かれていた。そして壁の内側、王国領内には国境を守る兵の為に、石造りの立派な建物が建てられ、十名程の兵士がそこで生活している。
しかし、その門は帝国の異変を察知してから、その異変から王国を守るように駐屯兵により固く閉ざされていた。それが再び開かれようとしている。国王より、こちら側へ逃げて来た者は迎え入れろと命じられたからだ。
「門を開けろぉお!!早くぅ!!」
馬に乗る何者かが大声で叫び、それを聞いた兵士たちは開門を急ぐ。馬と門まで残り数メートルという所で、頑丈な造りの木製の門が鈍い音を立てながら開かれた。その隙間から八頭の馬がもの凄い勢いで駆け込んでくる。
「閉めろ閉めろ閉めろ!」
「来るぞ!魔法障壁を張るんだ!早くしろ!」
「さっさと門を閉めろ!」
馬から飛び降りた者たちは酷く汚れた格好をし、何かに怯える表情で口々に周りの兵士へ指示を飛ばす。
「全くもって、王国の兵士は愚図ばかりですかっ!」
呆気に取られなかなか動かない兵士たちに焦れた一人が、勝手に関所へ魔法障壁を張る。この規模の、しかも分厚い障壁を張れるという事は、それなりに魔力を有している者だと察しが付く。一般人がこの規模を展開させると、精々紙切れ一枚分程の厚さにしかならないだろう。
その事に感心しながらも、この者たちは只者ではないと、皆が気を引き締める。
「何が来るのかは知らないが、勝手なことをしないでくれないか?……あなたはまさか、ディスクレート皇子か!?」
下へ降りて来たレオナルドが無作法な亡命者たちへ近づき声を掛ける。そして見つけた襤褸を纏うディスクレートの姿に驚き、目を見張る。調査兵から彼は死んだと報告されていたからだ。
「お前は……レオナルド王子か!!丁度いい!俺たちを城へ連れて行ってくれ!大変な事が起こっているんだ!」
「一体何が」
起こっている。そう聞こうとした声は、障壁に何かがぶつかる轟音でかき消された。障壁によって守られていない壁の一部が、その衝撃で崩れ落ちる。
身を屈め向けた目の先で、青白い顔を更に青くさせ唇を戦慄かせるディスクレートに、レオナルドは彼らがとんでもないモノを引き攣れ、ここまで逃げて来たことに今更ながら気付く。
「全員、全力で魔法障壁を展開せよ!ディスクレート、あなたたちは一体何を連れて来たんだ!?」
レオナルドの声が響き渡り、全ての兵士が慌てて関所防衛のため障壁を張り巡らせる。
「何を?何をだって!?あいつら……あの死に損ないどもっ!よくもこの私にあれ程の屈辱を!絶対に、絶対に許さぬ!」
レオナルドは怯えた表情から一変し、顔を赤く染め怒りに打ち震えるディスクレートの言葉から、追手が帝国を滅ぼした、若しくはそれに関わった人物たちであると推測する。
ふと目を向けた障壁の向こう側、帝国領内にはいつの間に現れたのか、黒いローブを纏った者が三人佇んでいた。その三人から不穏な物を感じ取り、レオナルド自身も障壁を展開させ、次の衝撃に備える。
まるで彼が障壁を張るのを待っていたかのように、三人のうち一人が片手を天へ伸ばした後、何かを放り投げるように腕を動かす。
関所に居る者たちはその見えない何かを追うように空を見上げ、唖然と口を開ける。
そこには関所を丸々押し潰してしまいそうな程、大きな橙色をした魔力の塊が、いつの間にかレオナルドたちの頭上に現れていたのだ。
「耐えろぉおおおお!」
レオナルドは意図せず、そう叫び声を上げていた。
その魔力の塊は、強烈な熱で空気を蒸発させながら、ゆっくりと障壁へぶつかる。ドーム状に形成された何十層にも及ぶ障壁が、メキメキと音を立てては砕け、消えていく。このままでは後数分も掛からず、関所に居る者たちは潰されてしまうだろう。
障壁の中に居ても感じる熱と重圧に、レオナルドたちは障壁同様心まで砕けてしまいそうだった。レオナルドは更に障壁へ魔力を籠め、耐えろ、耐えろ、耐えろと心の中で呟き続ける。
周りの兵士たちの中にはその重圧に耐えきれず、腰が抜け震えながら空を見上げている者たちが数名見受けられた。ディスクレートも、この世の終わりを目撃しているような表情で呆然と空を見上げていた。
自らが持つ全ての魔力を障壁へ捧げる様に、自分たちを押し潰そうとする魔力の塊を押し返す様に、立っている者たち皆が両手を空へ伸ばし、耐えていた。
身体が震え、汗が滲む。障壁の数が残り僅かとなり、消える気配のないソレに絶望を感じ始めた時、唐突に終わりが訪れる。
障壁を押し潰そうとしていた魔力の塊が霧散するように消滅したのだ。
「きえ、た……」
誰かの声に、詰めていた息をどっと吐き出す。レオナルドは崩れ落ちる様に地面に膝を付き、震える両手を見つめる。
耐え切ったのか、それともわざと消したのか、どちらにしても助かった。荒い呼吸を繰り返しながら、レオナルドは黒いローブの三人を確認するため振り返る。
「一人居ないっ!」
もしや侵入されたのではと、慌てて周囲を見回すが、その姿を捕らえる事は出来なかった。
そして、障壁が張られた状態では外部からの侵入は勿論、内部からも出ることが出来ないのだから、奴らがこの中に侵入出来る筈がないと、直ぐに思い直す。
残りの二人は何かを話し合っている様子で、今すぐ何らかの行動を仕掛けてくる事はなさそうだ。その事に安堵しながらも、嫌な予感が胸を過ぎる。
未だ震えが残る身体を無理やり立たせ、先程までの自分と同じように、地面の世話になっている腹心の部下を見つける。
「敵が侵入した恐れがある!各自警戒せよ!マクベス!」
「はっ!」
レオナルドの声に我に返ったらしき部下が、慌てて立ち上がり駆け付ける。
「お前は早馬に乗り男爵の元へ向かえ。男爵なら転移用の魔石を所持している筈だ。早急に城へ飛び、増援の要請をして来い!我々は増援が駆け付けるまでは、何としてでもここを死守する!」
頭を下げ、馬小屋へ駆けていくマクベスを見届ける事無く、レオナルドは至急態勢を立て直さなければと、近くの者たちに指示を出して行く。
こんな事になるなら自分たちも転移用の魔石を準備しておけば良かったと、レオナルドは酷く後悔した。
今回レオナルドがここを訪れたのは、流れ込んで来る難民たちに混乱を極める現場の状況確認と、なるべく近くで帝国の様子を自らの目で確認する事が主な目的であった。
危険な事は起こらない、そう高を括っていた。そして難民が一人として通過して居ない関所を不審に思い、一番初めに訪れたのも仇になった。いや、来ていなければ、この時点で敵は王国内へ侵入していただろう。それを防げているだけでも僥倖だ。そう思わなければやっていられないと、レオナルドは深いため息を吐いた。
「待ってくれレオナルド、私も、私も城へ向かう!馬を貸してくれ!」
先程の攻撃に腰が抜けたらしいディスクレートは、地面を這うようにしてレオナルドに近づく。その皇子に有るまじき言動に、レオナルドの眉間に皺が寄った。
「ディスクレート、あなたを城へ向かわせる訳には行かない。ここに残り、奴らの侵入を防ぐのに力を貸してくれ」
レオナルドは同じ王子として、彼の醜態を見ていられないと、目を逸らし、まだ魔力が残っていそうな者たちに指示を出す。
「障壁の補強を急げ!もう一度あのような攻撃をされればこちらは一瞬で全滅だぞ!」
補強したとしても、同じ攻撃をされたら数秒で皆仲良くあの世往きだろうがな、心の中で思わず吐いてしまった悪態に、レオナルドは己の弱さに気付き顔を歪める。
「帝国の皇子である私が行けば要請も直ぐに通るだろう!良いから馬を貸せ!」
肩を掴まれ、尚も言い募るディスクレートに、レオナルドは苛々しながら、いつの間にか抜けた腰が元に戻った彼と向き合う。
「邪魔をしないでくれディスクレート。あなたが城に行こうと行くまいと、この国の王子である私の要請なのだから、心配せずとも直ぐ受理される」
肩に乗る手を払い除け、周囲の状況に目を配る。負傷者は居ないが、先ほどの圧倒的な一撃を目撃した兵士たちの顔色は酷いものだった。レオナルド自身も、出来る事なら今すぐこの場から逃げ出してしまいたかった。けれど、王国の王子として、この場の指揮者として、無様な姿は見せられないと、自らを奮い立たせる。
「ここに残っては居ては奴らに殺されてしまうだろう!!」
だが、その言葉に一瞬にしてレオナルドの頭に血が上る。
「きさっ……!そんな奴らをここまで連れて来たのは何処のどいつだ!!」
つい先ほど、無様な姿は見せられないと自らを鼓舞したのが呆気なく崩れ去り、レオナルドの目の前が怒りで赤く染まった。
一触即発の空気で睨み合う両者に、周りの者たちは体を震わせる。ディスクレートの放った言葉に先ほどの恐怖が蘇り、レオナルドの必死な様子に僅かな希望が打ち砕かれたのだ。
「俺たちはここで死んじまうんだ……」
一人の兵士が放った一言に、一瞬の静けさが辺りを包む。
「嫌だ!死にたくねぇ!」
「魔王は死んだのに、何でこんな目に遭わなきゃいけないんだよ!」
「ディスクレート様!あんた魔王を倒したんだろぉ!?だったらあいつらも簡単に倒してくれよ!」
「まだ死にたくねぇよ!」
「あんたらがあいつらを連れて来たんだ!責任を取れ!」
「自分だけ助かろうなんて、卑怯者のする事だろ!」
「黙れ!貴様らディスクレート様への侮辱罪で叩き切るぞ!」
絶望的な状況であると改めて認識させられた兵士たちにより、場は混乱を極める。ディスクレートやその仲間に詰め寄る兵士たちと、剣を抜き威嚇するディスクレートの従者、当のディスクレートは兵士の必死な表情に恐れをなし、小さい悲鳴を上げ後退っていた。
レオナルドは何とかこの場を諫めようと声を上げるが、誰一人として耳を傾けようとしない。そんな時、場違いな笑い声がレオナルドたちの耳に届く。
「ふふふ。ディスクレート様に期待したってダメですよ。だってこの方は、ご両親を目の前で殺されたのにも関わらず、地面に頭をつけて命乞いをするような臆病者ですもの」
場違いな声、若い女性の声に皆が声を失う。この関所に女性は居なかった。レオナルドは鋭い表情で周囲を見回す。
「魔王を倒した英雄と名乗るのでしたら、果敢に立ち向かって来て下さらないと、ねぇ?」
レオナルドは緊張に体を強張らせながら、いつでも抜けるよう剣の柄に手を添え、視線を巡らせその声の主を探す。そして、思いがけない場所でその人物を発見する。
「ディスクレート!後ろだ!!」
「ディスクレート様!」
「えっ?」
ディスクレートの従者の一人が、素早い動きで小柄な人物に斬りかかる。その人物は後ろに飛退く事で剣を避けるが、剣先は顔を隠すフードを捕らえており、その顔が露わになった。
幼さを残す愛らしい顔に驚きの表情を浮かべながらも、少女は難なく地面に着地する。
只者ではない。その身のこなしを見て、武術に心得のある者は緊張を高める。
「ひ、酷いわ……」
ローブの切られた箇所を握りしめ、歪な形になってしまったフードを少女は泣きそうな表情で凝視する。その様子に、好機と見た従者が追撃すべく斬りかかり、避ける気配のない無防備な彼女に、誰もが容易にその先の光景を思浮かべることが出来た。
「これは……とお揃いのローブなのに!!何てことしてくれるのよ!!」
しかし、ギロリと従者を睨みつけ、その叫び声と同時に見えない何かが少女の体から放出された事でそれは覆される。
少女の目前まで迫っていた従者の体が急停止し、何かの衝撃を受ける様に上下左右に揺れ動き、細かな血飛沫が飛ぶのが見えた。
レオナルドたちが居るところまで飛んで来た見えない攻撃に、数人の兵士がその餌食となり倒れる。レオナルドと彼の部下は、これ以上被害が広がらないよう障壁を張る事でそれを防ぎ、ディスクレートは悪運が強いのか、地面に伏せ両腕で頭を覆い、なんとか攻撃から逃れられていた。
ようやくそれが収まったと思えば、正面から攻撃を受けていた従者の身体に、レオナルドたちは違和感を抱く。
「あらら、生け捕りって言われていたのに、一人殺しちゃった。……でも、私の所為じゃないんだから。ローブを切ったこいつが悪いのよ。私は悪くないの」
誰に言い訳をしているのか、少女は一人で喋りながら徐に従者の足を蹴る。その瞬間、今まで形を保っていた従者の身体隅々に赤い亀裂が走り、分裂し、崩れ落ちた。地面には細切れになった従者の肉片と血が広がり、濃い血の臭いが辺りに広がる。
目を覆いたくなる光景に、何処からともなく嘔吐する音が聞こえて来る。レオナルドも胃から込み上げてくるモノを耐えるように、口元を手で覆い顔を背ける。
レオナルドはこれまで幾度となく、魔物たちに襲われた村や町に出向いた事がある。魔物に襲われた場所には勿論、人間の遺体もあった。食い散らかされ、目を背けたくなる遺体を数多く見て来て耐性が出来ている筈なのに、圧倒的な力の差を見せつけられた事への恐怖と極度の緊張から、生々しい死の臭いに耐え切れず彼もその場で嘔吐する。
「あらあらディスクレート様、こんな所で亀の様に蹲って……震えていらっしゃいますの?お可哀想に」
少女は、足元に散らばる従者の残骸を何の躊躇いもなく踏みつけ、地面に蹲り、震える事しか出来ないでいるディスクレートの背に手を伸ばす。
お可哀想にと口に出しながらも、その顔には満面の笑みが浮かんでおり、レオナルドは血の気の失せた蒼白い顔を、更に蒼くする。
このままではディスクレートが危険だ。そう分かっていながらも、震える腕は剣を掴もうとしない。
なんと情けない!それでも、お前は王国の王子か!このままディスクレートを見殺しにするつもりか!己の中でそう葛藤するが、本能が拒絶しているのだ。この少女は化け物だ、もし歯向かえば命は無い、と。
しかし、レオナルドの葛藤をよそに、その手がディスクレートに触れることは無かった。
「あら、腕が……」
何処からか飛んで来た魔力の刃により手首から先を切り落とされた少女が、斬られた腕を眺めポツリと呟く。
腕を切り落とされたにも関わらず、痛みを訴えることもしない少女に、ディスクレートと共に逃げ込んできた男が「化け物が」と口に出す。
「ローブの次は腕まで切り落とすなんて、どこまで意地悪な人たちなのかしら」
満面の笑みから一転、人形の様に無表情となった少女が、顔を上げ周囲を見回す。
「ああ、またあなた……。木っ端微塵の次は私を切り刻むつもりなのね……」
少女の視線の先には、一番初めに障壁を展開させた男が立っていた。優男を思わせる容姿の彼が纏う白かった筈のコートは、汚れが目立ち所々破け解れている。
「切り刻まれるのが望みでしたらそうして差し上げましょう。あなた一人だけでしたら倒すのは容易い事です」
その白いコートに金色の糸で刺繍されている模様に、レオナルドは見覚えがあった。
確か、帝国随一の戦力を誇る特殊部隊に所属している者だけが着用を許される制服、そして金色の糸という事はその中でも上層に位置する者の証。彼ら特殊部隊の人間は一人一人が強大な魔力を持ち、戦闘狂で人を嬲るのを好む傾向があり、どんな残虐非道な行為でさえ嬉々として行うと噂されている。
普段であればそんな人物たちと関わり合いになりたくないと目を背けるが、この状況では心強い味方である。それに先程の彼の言葉で、レオナルドの中に僅かな活路が見いだされる。
「あの時の同様、哀れで滑稽で愛らしい絶望に染まった表情を見せてくださいよ!」
その言葉と共に腰に差した細身の剣を抜き少女に斬りかかる男。それを後ろに飛ぶ事で避けた少女は忌々しいと言うように眉間に皺を寄せ、男を睨む。
「あんただけは絶対に許さない……あんただけはここでぶっ殺してやる!」
唸るように叫んだ少女は、残っているもう片方の掌にいくつかの氷の刃を生み出し、男に向け放り投げる。掌から放たれたソレらは少女の意思を受け、対象を貫こうと物凄い速度で迫るが、男は炎を纏わせた剣を振るい簡単にかき消してしまう。
難なく防がれた事に舌打ちを漏らし、片腕を天へ伸ばしその掌に電流を帯びた球体を発生させる少女に向かい、男は炎を纏わせた剣を構え飛び出す。瞬く間に距離を詰められ、斜め下から振り上げられた炎が僅かな差で避けた少女の髪を焦がす。それと同時に、少女の掌から電流が迸るが、それもまた男を捕らえる事は出来なかった。