第33話 決着
――― オウリ ―――
ふぅ。
テンカが引き受けてくれて助かった。説得するのは大変だと思ってたからな。
作戦の都合上、転移の標を打ち明けなくてはならなかった。脱出手段があるのなら早く逃げようとごねられると思っていた。男子三日会わざれば刮目して見よ、と言うが……肝が据わったものだ。もう男子ではないが。鉱石喰らいとの戦いで一皮むけたのか。セティが大半を引き付けていたので、そんなに苦労しなかったと思うのだが。
「シュシュ、アリシア。いいか?」
「愚問を。滅んだ国の王冠とて、魔物には過ぎたものよ」
シュシュが鋭い目でダンジョンイーターを睨む。
魔王は魔族で最も強い者がなり、魔族を従える力を持つ。その魔族とは亡国リファエルの民。シュシュの愛した民である。魔物に王冠を奪われるのは業腹らしい。
「レベルはかなり師匠に近づいた。どこまで追いつけたのか、確かめるにはいい機会だ」
アリシアのレベルはまだセティに及ばない。しかし、種族やクラスの差がある。《腕力》はセティを超えているはず。ステータスで負けているから、勝てなくても仕方がない。その言い訳を自ら断ち、セティに追いつく気らしい。
刃物が絡まないと本当に男前だよな。
「テンカ、平気か?」
「……観客でいる分にはね」
作戦にはテンカの助けが必須だ。しかし、《魔王の威容》によって、テンカの戦意は折られている。シュシュに《ブレイブ》をかけてもらったが、乗り越えるには後一押しが必要なようだった。だからこそ、シュシュとアリシアがダンジョンイーターに挑む。彼女達にできるのなら――と思ってもらうためだ。
「テンカに転移の標を渡しておく」
「……ボクは逃げ出すかも知れないよ」
「無理、無理。そんなこと言っていざとなれば殿を務めるお人よしだよ、お前は。発動の感覚を掴んでおいてくれ。多分、チャンスは一瞬しかない。あぁ、そうそう、ヨミには奪われるなよ。ヨミはお前のことしか目に入ってねぇ。ヨミだけはマジで逃げ出しかねない」
「……キミにボクの何が分かるっていうんだい」
「お前は俺を信じて作戦に乗った。なら、俺もお前を信じるだけだ」
「……ソロプレイヤーだと思っていたら、人をのせるのがうまいじゃないか」
「うるせぇ。ボッチ舐めんな」
吐き捨て、踵を返す。隣に並んだシュシュがニヤニヤと笑っていた。
「悪党だのう。信じると言われては、テンカも裏切れぬよな。あれはそう、お主の言う通り、お人よしな性分だからな。優しい言葉でテンカの退路を断ったのよ」
「止めなかった魔王様も同罪だけどな」
「我が身が可愛いのでなあ」
「俺達は英雄にゃなれねぇな。自覚があり過ぎる」
うまく事が運ぶよう人を煽って何が悪いのか。
そう割り切れてしまう時点で俺は英雄ではない。
だが、煽ったからには結果を出さねぇとな。
くくく、とシュシュが笑う。
「それは確かに英雄の資質ではないな。王の資質よ」
俺は眉根を寄せる。シュシュが俺に王になれ、と言っているように聞こえた。
だから、混ぜ返す。
「偽善者の資質かもな」
「善があれば悪が生まれる。だが、生粋の善人も悪人も存在せん。だから、王は中庸で良いのだ。王の心など誰にも分からぬ。偽善と思っていても、民のためになれば善政よ」
「…………」
「真にこの世界を変えたいと願うのなら、心しておくことだな、オウリ」
「……俺は身近な人とのんべんだらりと過ごせりゃそれでいい」
「では、旅に出るのではなかったな。もうエルフもドワーフも見捨てられまい」
「……ご忠告、痛み入るよ」
後回しにしていた問題を目の前に突きつけられた気分だった。
俺が王様ね。どこかの国の王座に就くのは難しい。新しく国を興すことになるわけで……考えないでもなかったが、百歩譲って資質があるとして、性格が向いてないと思うんだよな。いや、言い訳か。《ネームレス》は一国の軍をも凌駕する。軍事面では問題ない。俺はお飾りの王様でいいのだ。内政は人を募ればいい。神国にはツテがある。頼めば優秀な人材を寄越してくれるだろう。ダンジョンイーターを倒せば鋼国にも恩が売れる。
でもな……俺はのんびり暮らしたいだけ。
苦労を買って出るのは本末転倒じゃねぇか。
逆に言えばネックはそれだけである。
だから、検討の余地はあり……ああ、嫌だ、嫌だ。
考えたくねぇ、と俺は駆け出す。
「当たったら死んじゃうかも」
セティがダンジョンイーターの周囲を跳び回っていた。氷の槍が突き刺さる寸前、セティの姿が搔き消えた。セティを見失ったらしく、ダンジョンイーターが暴れ回る。と、その眼前にセティが現れる。不意を突かれたのか。一瞬、動きが止まった隙に一撃入れ、セティはすかさず離脱する。ダンジョンイーターをおちょくっているかのようである。逃げに徹した拳闘士をダンジョンイーターは捉えることができない。
セティには攻撃は最低限に、と指示を出しておいたのだ。
どうせ再生される。攻撃しても疲れるだけ――
「――ッ! 待て、セティ――脳筋がッ!」
俺の参戦でやる気になったか。セティが獰猛に笑っていた。
《フレイムジャベリン》を放つ。俺がここにいるぞ、と知らせるためだ。《プリズムリフレクション》で炎の槍を跳ね返すより、攻撃をダンジョンイーターは優先したようだ。炎と氷。対極の槍がすれ違う。斬れた脚を蹴り上げ、氷の槍への壁とする。
脚の壁から断続的にパキィ、と破裂するような音が響く。
破裂音が五度目を数えた時だ。
――ズゥンッ。
セティがダンジョンイーターの脚を折っていた。彼女が飛び退くと、脚に氷の花が咲いた。魔物血を吸い咲いた花は、毒々しい斑模様だった。だが、咲き誇っていたのは僅かな間だけ。高い水属性への耐性があるのだろう。身動ぎしただけで氷の花は砕け散る。
「おいおい、よそ見してていいのかよ」
ダンジョンイーターの意識が俺とセティに分散された瞬間だ。
回転しながらアリシアがダンジョンイーターの胴体を斬り付けた。《バニッシュメント》だ。珍しい。隙が大きすぎると言って、アリシアが好まないアーツだ。
落下するアリシアに氷の槍が放たれ――
「無謀な真似をする。そこまでしてテンカを勇気づけたかったのか、アリシア」
――シュシュの影に氷の槍は喰われた。
「シュシュがいる。無謀ではないさ」
「そうか。ならば、妾のこれも無謀ではあるまい」
ふっ、と笑うシュシュの顔に影ができる。シュシュを潰さんと、脚が振り上げられていた。だが、シュシュは一顧だにせず、詠唱を始めた。影が濃く落ちる。その瞬間、大空洞に光が満ちた。影が追放される。その本体もまた。巨大な光刃が脚を斬り落としていた。
「冷や冷やしたぞ、シュシュ」
「お互い様よ」
シュシュが手を掲げる。小さな炎が放たれた。
その先には断面を晒す脚がある。
《イグニス・プロモディアルス》の炎がダンジョンイーターを包む。
「……あの《ムーンライト》はなんだ?」
《ムーンライト》は《知力》で威力が上がるアーツだ。しかし、魔法使いの俺が放ってもあんなに巨大にはならない。
「屑鉄の効果らしい」
アリシアが吐き捨てる。
聖剣の効果らしいのは分かるが……屑鉄?
「……オウリ!」
テンカが伏せた顔を上げると、決意した眼差しがあった。
やる気になってくれたらしい。
「ヨミ、テンカを借りるぜ」
完全に《魔王の威容》から逃れられたワケではないらしい。テンカを小脇に抱えると、彼女の身体は強張っていた。ヨミが俺を殺意の籠った目で見る。
「……テンカ様に傷一つでもつけたら殺す」
「……へぇ、そう」
「ふざけているのか」
「どういう気持ちで言ったのか――ぐっ、肘は痛てぇよ、テンカ」
「無駄話している暇はないはずだよ。行け、オウリ」
「へいへい」
分からねぇな。ヨミの発言には独占欲も混じっていた。異性に対するものなのかは怪しいが、独占欲も長じれば恋愛感情に育つ。気持ちを自覚させてやれば、後々やりやすくなったはずである。
「……そう簡単に絆されても困るんだよ。ボク達はずっと男同士だったんだ」
「……あれだけアピールしておいてそれは……」
女になれて有頂天になっていただけで、テンカは案外、奥ゆかしい女性だったらしい。
飛来する魔法を八咫姫で斬り払いつつ、進む。
「覚悟はいいか?」
「誰にモノを言っているの? やるといったらやる」
「男は度胸だな」
「ボクは女だよッ」
「愛嬌がねぇ」
「うるさいなッ。自覚してるよッ」
「それだけ吼えられりゃ上等だよ」
跳ぶ。テンカがダンジョンイーターと睨み合う。飛び散る火花を幻視する。あるいはそれは幻ではないのかも知れない。互いに相手を屈服させんとスキルを発動させている。
《魔王の威容》と《魅了の魔眼》の対決だ。
「ボクに従え!」
潮が引くようにダンジョンイーターの目から殺意が消えた。
「ガァァァァッ!」
目を血走らせ、獣染みた叫び声を上げ、テンカが手を伸ばす。早くも《魅了の魔眼》の反動が出ている。《魅了》は格上には効き辛いと聞いていたが、思っていた以上に《魅了》できる時間が短い。《魅了》できるかは賭けだと言っていた。だが、テンカは成功させたのである。だから、後は俺の仕事。時を誤魔化すのは俺の一族の十八番だ。
「刻の不条理を感じたか?」
俺はやり切った笑みを浮かべる。
テンカの手がダンジョンイーターに届いていた。
「……転移!」
***
目に飛び込んできたのは一面の青だった。眩しさに目を伏せる。町があった。エンドレットの上空に転移したらしい。ヤーズヴァルには山で待ってろと言っていたのだが。まぁ、好都合か。空中は俺のテリトリーだ。眼前には《魔力》の糸があった。エンドレットから真っ直ぐ上に伸びている。どこに繋がっているのか。ダンジョンイーターである。
「……うまく……いった……みたい、だね」
そう言って、テンカが気絶した。
ダンジョンイーターを転移させたのだ。《魔力》を使い果たしても不思議ではない。俺が転移させられれば良かったのだが、転移の標は味方しか転移させられない。《魅了の魔眼》で味方だと誤認させたテンカにしかできないことだった。
安心して寝ておけ。
地上に着くまでにケリをつけてやるさ。
「これだけ距離がありゃ、再生もできねぇだろ」
《魔力》の糸を八咫姫で切る。
鎬の赤い線が太くなり、刃に赤い波紋を生む。進化した八咫姫の能力である。《魔力》を喰らうことができる。
《魔力》の糸を切ったのは、これが初めてではない。だが、すぐさま再接続されてしまった。何度か試してみたところ、境界門との距離が近いほど、再接続が早いことが分かった。だから、地上へ転移させたのだ。《魔力》の供給源の境界門を破壊するのが一番手っ取り早い。しかし、境界門は何百年と迷宮の《魔力》を溜め込んでいる。今でさえ赤い線に変化が見られるのだ。八咫姫が喰い尽くすのは不可能だった。刃が赤く染まり切った時、八咫姫は《魔力》に耐えきれず、内側から破壊されることだろう。
《エアライド》に着地し、見上げる。
「空が落ちて来てるみたいだな」
ダンジョンイーターの落下は圧迫感があった。
濁りのない殺意を湛え、赤い目が俺を見ていた。苛立ち、焦燥。あって然るべき感情が抜け落ちている。
「ノェンデッドの操り人形か。哀れだな」
インベントリを開き、次々に武器を射出する。《万剣の奏者》の模倣、《九十九噛み》だ。目を全て潰す。魔法を封じる意味合いもあるが、ノェンデッドが嘲笑っているかのようで、《穢れ》を示す赤い目が不愉快だったのだ。
蜻蛉を切り、ダンジョンイーターの背中に立つ。
確かな足場を得て、《エアライド》を消す。
《煌氣》を練り、
「《龍勢添翼》」
滅多切りにする。
飛び散る血は風を受け、上下左右に揺れる。天地が曖昧になる中、俺は無心で刀を振るう。不意に力が抜けた。アーツが終わったのだ。補正がなくなった途端、疲労が伸し掛かってきた。だが、まだ休むわけにはいかない。
「死脈の如き顎門。知恵持たり、等し並みなり――」
八咫姫を鞘に納め、詠唱を始める。視界が狭い。疲労と酸欠だ。空気が薄い。
「――我は鱗を持たぬ竜。灼熱の息吹を写さん」
赤い閃光が走る。過ぎ去った後は、青空が見えていた。うお、と態勢を崩す。外套が風を孕む。穿たれた穴を抜け、ダンジョンイーターの上へ。胸いっぱい空気を吸い込む。
「本物の竜のブレスを見せてやれ――」
なぜ、空中に転移したのか。その答えがこれである。
「――ヤーズヴァル!」
ゴォォォと言う風切り音に紛れ、ヤーズヴァルの鳴き声が近づいてくる。俺達はヤーズヴァルが持つ、転移の楔目がけて飛んできたのだ。ロイが約束を果たしてくれたのだ。
ヤーズヴァルの口元が蜃気楼のように揺れていた。
――カッ!
俺の《ドラグレイ》とは比較にならない光の奔流が放たれた。奔流がダンジョンイーターを飲み込む。牙が、脚が、消滅する。しかし、後一歩と言うところで、ブレスの軌道が逸らされた。《プリズムリフレクション》だ。身体が消滅する感覚で、ブレスの方向を計ったのだろう。逸れたブレスは山にぶつかり、爆発を起こしていた。寝床が破壊されたのか、グルゥゥ、とヤーズヴァルは唸り、翼を羽ばたかせて加速する。
《エアライド》を蹴り、ヤーズヴァルの頭に着地する。
「行け」
心臓が浮かんでいた。血管が禍々しく脈打つ。
ダンジョンイーターであったモノだ。
こんなになってもまだ生きている。
エンドレットから《魔力》の糸が立ち上る。幼子を求めるかのような必死さである。なぜ、ダンジョンイーターだけが、境界門から恩恵を受けているのか。荒唐無稽な考えが浮かんだ。異世界から渡ってきた、初めての子供と言えるのが、ダンジョンイーターではないのか。武器に意思が宿るのだ。魔法に意思が宿ることだってあるかも知れない。またぞろノェンデッドの仕業だと疑うより、ダンジョンイーターも報われる気がした。
俺は魔王殺しの槍を取り出す。魔王への特効を持つ槍である。
構えるだけで良かった。
意を汲んだヤーズヴァルが位置を調整してくれる。
「終わりだ」
魔王殺しの槍が心臓を貫く。
振り返ると《魔力》の糸は消えていた。