第32話 聖剣アーヴァチュア
――― テンカ ―――
誰が言ったか。
明けない夜はない。
それはその通り。だが、僅かな光明だけを頼りに、努力し続けるには忍耐が要る。何度心が折れかけたか。どうせ転生できるのだし、と弱気の虫が騒ぎ出すのだ。その度に、ヨミと結ばれる目が出てきたのに、ここで死ぬのは業腹だと気合を入れ直す。
「…………文句を言ったらバチが当たるんだろうけどねッ!」
鉱石喰らいの総数を考えると、流れてくるのは端数に過ぎない。
だが、「もっと頑張れよ、オウリ!」と罵りたくなる。セティには素直に感謝できるが、オウリは痛罵しても飽き足らない。立場はセティだって変わらないはずなのに。なぜか。
「テンカ、ブツブツ言うな。言いたいことがあるのなら叫べ」
シュシュは汗で張り付いた前髪をかき上げる。幼女だと言うのに色気があった。
「……ボク、口に出してた?」
「ふむ、気付いておらんかったか。疲れておるのだろう。不気味だったが咎めぬ。不気味だったが。お主が精一杯やっているのは分かっておる。セティもまた同じよ。全身全霊を注ぐ者を責められはせん。無論、オウリも手を抜いてはおらぬだろう。だが、彼奴の底は知れぬ。もっとできるのではないか、と言いたくなるのであろうなぁ」
「……オウリだって人の子。できないことはある。分かってるつもりだけど」
「……う、うむ。そうよな。オウリも人の子よ」
オウリに出生の秘密でもあるのだろうか。
シュシュがあからさまに目を逸らした。
「キリがない――うぐゥッ!」
ラウニレーヤの腹部に鉱石喰らいが噛み付いていた。疲れで注意力が散漫になっていたようだ。ラウニレーヤは素手で鉱石喰らいの頭を捩じ切る。頼もし過ぎる光景で……ボクは背筋が凍った。狂戦士が狂った火力を出す時、それは瀕死であることを意味する。
……どうする? いや、考えるまでもない。
「ヨミ!」
「ハッ」
ボクの意を受け、ヨミが駆け出す。アリシアは鉱石喰らいに囲まれていた。彼女は間に合わないとの判断である。すまない。暗殺者が敵に身を晒すのは自殺行為だ。ヨミは死ぬかも知れない。死ぬだろう。だが、ボクはこのパーティーのリーダーだ。私情は押し殺す。パーティーに必要なのは暗殺者ではない。敵を食い止めることのできる狂戦士だ。
ヨミの誇らしげな横顔が胸を締め付ける。
待て、行くな!
叫びたい気持ちを押し殺し、ヨミを見送る。
《エクストラヒール》の詠唱をするシュシュと目が合った。
分かっておらぬ――そう言われた気がした。
「間に合わない? 囀るなよ、駄剣!」
何か言われたのか。アリシアは聖剣を一喝すると、鉱石喰らいに突っ込んだ。無謀。その報いを彼女は受ける。だが、傷を負いながらも、敵の囲みを突破し――アリシアが叫ぶ。
「弱い、弱い、弱い――五月蠅いッ! それがどうしたッ!」
ラウニレーヤに鉱石喰らいの牙が迫る。首に。
マズい。
ラウニレーヤは動けない。
ヨミ! ヨミは……ダメだ。届かない。
ラウニレーヤが死ぬ。前衛が崩壊する。後衛が飲み込まれる。それで……おしまい。ボクがヨミへの命令を躊躇ったばかりに……
目の前が暗くなり――光が闇を割いた。
「本当にお前は聖剣なのか? 呪われた剣じゃないのか! どうだ、間に合ったぞ!」
鉱石喰らいがズレ落ち、その影にいたのは――
……ハァッ!? アリシア? なんで……いるの!?
見ている光景が理解できなかった。絶対に間に合うはずがないのだ。《敏捷》で勝るヨミでさえ、辿り着けなかったというのに。だが、アリシアはいる。何が起こったのか。
混乱を棚上げして動き出す。
アリシアが手繰り寄せたこのチャンス。逃すワケにはいかない。
《影縫い》で後続の鉱石喰らいの足を止める。
その隙にヨミがラウニレーヤを抱えて飛び退る。
アリシアはこれが答えだと言わんばかりに聖剣に吐き捨てる。
「弱いということは強くなれると言うことだ!」
《サークルスラッシュ》。
アリシアは評価を急降下させているが、聖剣アーヴァチュアは紛れもなく世界最強の一振り。抗うことも許さず、周囲の鉱石喰らいを一刀両断。
空いた隙間を埋めるように、鉱石喰らいがアリシアに群がる。と、言っても聖剣が怖いらしく、距離を取って糸を吐く。糸に絡め取られたアリシアは、腰の短剣と聖剣を《スイッチ》で入れ替える。《ファイアボール》が付与された短剣だ。爆炎で糸を焼き切る。炎が収まるとアリシアの手には再び聖剣があった。
「…………ハァッ……ハァハァ……どうした。お前らの相手は私だ」
アリシアが吼える。彼女の背後ではヨミがラウニレーヤを抱え、後退している。今、二人が狙われたらひとたまりもないだろう。だが、アリシアの威風堂々たる姿が鉱石喰らいを釘付けにする。なぜ、彼女のクラスが騎士でないのか不思議でならない。
《ヒール》の光がラウニレーヤを包む。
と、シュシュの笑い声が弾けた。
「脳筋の思い込みは理をも覆すか。笑いを堪えるのに必死だったぞ。詠唱をとちったらラウニレーヤが死にかねん。この土壇場で……いや、土壇場だからこそ《瞬動》は成功した」
「……思い込みって……なんの話かしら?」
ラウニレーヤはヨミを押し退け、アリシアを見る。ヨミは無言で頷くと姿を消した。アリシアの援護に行ったのだろう。前衛が敵を引き付けるから、暗殺者の遊撃が生きる。
「自己暗示よ。できると信じた。だから、できた」
ほう、と目を光らすラウニレーヤに、シュシュが慌てて補足する。
アリシアはクラス外スキルをオウリから学んでいたらしい。だが、土台さえできていないラウニレーヤでは、万が一の見込みもないと言う話だった。
「……そう、だったら、わたしにクラス外スキルを教えて――」
「後でオウリに聞け。妾は《エクストラヒール》の詠唱で忙しいのでな」
神妙な顔で詠唱しているが、面倒くさかっただけだろう。
「はははは。キミ達ときたら。あ~あ、馬鹿らし」
肩の力が抜けるね。
ピンチだって分かってるのかな。
ボクが真面目に考え過ぎなのか。
アイテムも使い果たし、体力も底をついている。
それなのに戦えていることに疑問を持つべきだった。
鉱石喰らいの数が減っている。終わりは近い。
もうひと踏ん張りするか。
ペシミストを気取ってアリシアに叱責されるのは聖剣だけでいい。
「なんだ、駄剣。お前の戯言を聞いている暇は……は? 認めてやる?」
聖剣アーヴァチュア。救世の英雄ユマの愛剣。逸話は数あれど、意思があるとは聞いたことがない。口煩い剣をユマが使い続けるはずがない。つまり、あのユマでさえ聖剣は認めなかった。だが、アリシアは認められ、本当に嫌そうにしていた。
聖剣がアリシアに何を見出したのか。
分かる気がする。
試す気だったのかも知れないが、聖剣はやりすぎてしまったのだろう。
アリシアは完全に聖剣に興味を失っていた。
「力を貸してやる? 勝手にしろ。私は好きに戦う。邪魔はするな。鉄屑にするぞ」
アリシアはボロボロだった。攻撃を一身に受けていたのだ。ボクならとうに諦めている。背後に守るべき人が一人でもいれば、彼女は決して倒れることはないのだろう。アリシアは自分が足手纏いになっていると悩んでいた。迷宮で常に戦っていたわけではない。他愛のない話をすることもあった。その時にアリシアがそう言っていたのだ。
黒衣の死神、オウリ。
災厄の魔女、リオンセティ。
魔王、シュラム・スクラント。
なるほど、アリシアだけ《ネームレス》で浮いている。
姫騎士の二つ名は冒険者にしか通用しない。誰もが聞いただけで畏怖を覚える。そんなレベルには程遠い。だが、今はそうであっても、未来は決まってはいない。
いつか冒険者の枠を超え、姫騎士の二つ名が歩き出す。
そんな予感があった。
これが彼女の伝説の始まり。
「かかってこい。こないなら私から行くぞ――《ムーンライト》」
聖剣が光る。あれ、とアリシアが目を瞠る。《ライト》のように剣が光っていた。顔に困惑を張り付けたまま、アリシアは剣を振り抜く。アーツの補正で身体が勝手に動いているだけなのだが、あたかも聖剣にアリシアが操られているように見えた。
光の波が生まれ――
「……邪魔はするなといったはずだが? 鉄屑だな。黙れ。言い訳は聞きたくない」
――鉱石喰らいが消滅した。
アリシアは舌打ちすると聖剣を鞘に納める。
「……え? 今のが《ムーンライト》なの?」
宣言していたし、間違いないと思う。
でも、明らかに威力がおかしくないかな……?
聖剣が何かをしたようだが……アリシアには聞けない雰囲気だ。
まぁ、いいか。
それより。
「…………今ので打ち止めかな……?」
項垂れていたヨミがハッと顔を上げる。
「……申し訳ありません。偵察に行って参ります」
「いいよ。全員で行こう。その前に休憩だね」
ドサッと音がした。アリシアが倒れていた。ヨミも崩れるように座り込む。
「……気をつかって頂き、ありがとうございます」
「ボクが休みたいだけだよ。あ~、疲れた~。もう、冒険者引退してもいいや~」
「あら、それは困るわね。《ドラゴンホーン》に入ろうと思っていたのに」
意地か。前衛でラウニレーヤだけが、楚々とした素振りで腰を下ろす。膝がガクガクしていたのは、見ないフリをしてあげよう。
「鋼国にいる間だけでいいわ。パーティーでの戦いを学びたいの」
「へぇぇ、本音を言いなよ」
「楽しかったから、また遊ばない?」
「はははっ。キミらしいね。まー、その話はまた今度で」
へとへとだ。
今は何も考えたくない。
ボクは大の字になって寝ころんだ。
***
「……神罰騎士団が何度も負けるワケだよ」
大空洞の入口は鉱石喰らいの死骸で埋め尽くされていた。ボク達も百体は倒していたはずだが、セティの討伐数は文字通り桁が違った。階段に流れてきた鉱石喰らいは、本当に端数でしかなかったらしい。セティは壁を、柱を縦横無尽に駆け、破壊を撒き散らしている。
ウチの騎士に言われたのだけれど、とラウニレーヤが口を開いた。
「……わたしといると努力とは何か、考えずにはいられないって。貴方は努力している。そう言って慰めたのだけれど……随分上から目線の発言だったわ。だって――」
「そこまでだ。卑下してもいいことなど何一つないぞ」
ラウニレーヤの言葉をシュシュが遮った。
「お主は本当にお山の大将よな。分かり切っていたではないか。セティに及ばぬことぐらい。ステータスに胡坐をかいているからよ。だから、強者を見ると座りが悪くなる。ステータスは所詮、武器でしかない。武器を使いこなすには研鑽あるのみ。己を下げている暇があるのなら、上げることを考えるべきだな」
「……こんな小さい子に諭されると情けなくなるわね」
「ふん、照れ隠しにキレがないな、小娘」
「……分かっているのなら小娘の気持ちを慮って黙っていて欲しかったのだけれど」
ラウニレーヤとシュシュが意地悪く笑いあう。
生暖かい雰囲気をぶった切り、セティが降ってきた。
「みんな、無事?」
「うむ。疲れたがな」
「無事です、師匠」
「よかった。後は兄さんだけだね」
まだ相当数の鉱石喰らいが残っていたが、セティは終わったと判断していた。鉱石喰らいも遠巻きに見るだけで、襲い掛かる気概は最早ないようだ。
「オウリはまだ戦っておるのか。ほう、苦戦しているようだのう」
「苦戦しているのかなぁ。見たほうが早いかな?」
セティに言われ、オウリに目をやる。
「《鎧通し》」
オウリが防御力無視の突きを放つ。刀身が脚を貫通。臼を回すように八咫姫を押し出しながら前に出る。そのまま前方へ抜け、身体を捻りながら《ムーンライト》。光刃が千切れかけの脚を断つ。《フレイムジャベリン》で傷口を焼き、次の脚へ向かい……と、オウリがやる気をなくした。
「あ~、また三本か。記録更新ならず。四本は遠い。お? 終わったか」
ボク達を認めたオウリが駆け寄ってくる。代わりにセティがダンジョンイーターを抑えに向かう。セティとすれ違う際、オウリが何か言っていた。
「……なにをしていたんだい?」
「脚を何本斬れるか試してた」
「……ボク達が死にそうになっていた時、キミは遊んでいたっていうのか」
「怒るなよ。仕方がなかったんだって。俺が斬った脚を見てみろ」
「……脚が……ある? 再生?」
「頭を潰しても再生するんだぜ。どうしようもねぇ」
オウリが肩を竦める。
馬鹿な。そう言いたかった。しかし、オウリの遊びの結果が、目に見える形であった。地面を巨大な脚が埋め尽くしていた。柱のような脚なので、朽ちた神殿跡に見える。
「ま、遊びも悪くなかったか。セティに足場を作ってやれた。おかげで話す時間が取れる」
オウリがダンジョンイーターの能力を語る。聞けば聞くほど馬鹿げた能力だった。
遠距離では《プリズムリフレクション》で魔法を跳ね返され。
近距離では《アイスリンク》で足を取られる。
そして、ダメージを与えても瞬く間に再生される。
《アイスリンク》は地面を凍らす。だが、斬り落とされた脚は有機物。それを足場にしているから、セティは戦えているということらしい。
「……オウリ。妾の目がおかしいのか。彼奴の目が赤く見えるぞ」
「お察しの通りノェンデッドが茶々入れてきた。まぁ、問題ない。ダンジョンイーターは上がったステータスに振り回されてる。バフも良し悪しだな」
「……ノェンデッドは現れたのか」
「いや」
「ならばよい。復讐を果たす機会を逸したかと思ったぞ」
底冷えする怒りを感じ、シュシュから距離を取る。
しかし、オウリはそれをサラッと無視してボクに話しかけてきた。
「ダンジョンイーターは魔王になった。上がったステータスを掌握されたら厳しい。倒すなら今しかない。て、ことでテンカ、力を貸してくれ」
2/12もお休みします。
次回更新は2/15(月)8:00です。