第6話 驕る者達3
「――――ウリ。オウリ!」
鈍い痛みで我に返る。髪が引っ張られていた。
「なに呆けておった」
「……ん、ああ」
セティの事を考えていたのだ。
俺の主観ではセティとの別れは昨日の事。しかし、実態は五百年経っているという。
俺が今、十八だから……俺の一生を二十五回分か。大体。計算が甘い気がするが……うん、仕方がないよな。だって俺の最終学歴中卒だし。高校入ってすぐデスゲームだった。
ともあれ。
それだけの年月、セティを待たせたのだと、ようやく実感出来たのだ。
……五百年か。いや、もうそれ……遅刻ってレベルねぇよ。だから、セティはグレてしまい……災厄の魔女とか、呼ばれるように?
「オウリ! 言ったそばからこれだ。呆けるなと言っておろう」
「……分かったから。髪、引っ張るな。ハゲたらどうする。責任取れんのか」
「む、むぅ。や、やぶさかではないが……」
「おい、やめろ。雰囲気出すな」
再びシュシュを肩車していた。
自分で歩けといったのだが、騎獣オウリに味をしめたらしい。人を見下してこその魔王よと言われ、納得してしまった俺も悪いのかも知れない。どうもセティを思い出すロリエルフにお願いされるとつい甘やかしてしまう。
「迂回した方がいいかも知れん」
「なんか盛り上がってるな。祭りでもやってんのか」
料理屋の前に人だかりが出来ていた。門でモメていた馬車が止まっている。
あ、読めたわ。
「よし、混ざりに行こうぜ」
俺が浮き浮きと言えば、シュシュが焦り出す。
「は? 人の話を聞いておらんかったのか!? お主がここへ来た目的を思い出せ! 貴族と揉め事を起こしてはならん!」
シュシュを地面に下ろし、目を見詰めて優しく語りかける。
「なあ、シュシュ。この町で亜人が差別されてるのは分かる。実際に見たワケじゃないが、お前に向けられる目を見れば、分かる。自分を虐げてた連中が痛い目見るのは痛快か。でも、虐げられていたお前だからこそ、彼らの気持ちが分かるんじゃないのか?」
シュシュが半眼で俺を見ていた。胡乱げな目が如実に語っていた。
お前がそれを言うか、と。
「……本音を言え、オウリ。浮かぬ顔をしておった。暴れたいだけであろう」
「バレたか。豚で遊べばストレス解消になるかな、と」
「……ふん。分からいでか。ああ、分からいでか。好きにしろ、オウリ。ただし、揉め事は避けろ。それが出来ぬのなら手を出すな。しかし、豚か。知らぬのによく言ったものよ」
「……まーた難しい注文を。まー、なんとかするさ」
シュシュの頭を撫でてやる。ふん、とそっぽを向くが、耳が赤くなっていた。撫でるのを止めようとすると、シュシュが頭を寄せてきたので笑ってしまった。
「黒衣の死神も存外甘いな」
と、不機嫌そうにシュシュ。へたくそな照れ隠しだ。
「魔王様程じゃないと思うが」
「ふん。種族で括った結果が今の世界の有様であろう」
「違いねぇ」
人垣をかき分け、料理屋に入ると、
「誰がこんな安酒持ってこいと言ったか!」
豚がいた。
……いや、豚みたいに肥えた中年がいた。十中八九、アレが子爵だろう。俺が手を出さなくても、先短いんじゃないか。成人病でコロリと行きそうだ。
子爵を《鑑定》し……目を疑った。レベル13? 子供でも勝てる。
実力は子供並、欲望は王様並の子爵を守るのは七人の男。この子爵にしてこの護衛ありという、下卑た人相の男達だった。無駄にガタイがいいので暑苦しい事この上ない。
「……ひっ、すい、すいません。ウチで一番上等な酒なんですが……」
「ぶひひひひ。早くそれを言え。侮辱されたかと思ったぞ。一番高い酒を頼んだ筈が、こんな安酒が来たのだからなあ。我が家では使用人もこんな安酒飲まんぞ」
調子に乗る子爵。小さくなる店主。
店内は酷い有様だった。無事なのは子爵がいる一角だけだ。手当たり次第物を投げつけたのだろう。壁にテーブルとイスの残骸が転がっていた。子爵がいなくなっても営業できそうにない。
子爵が酒瓶を投げようとするが、護衛の一人がそれを止めた。
「子爵、よければその酒、私が片付けましょう」
「良いのか。奴隷も飲まぬような酒だぞ」
「私は子爵の奴隷のようなものなれば」
「奴隷! 奴隷か! 弁えておるな。よい、くれてやる」
「ははっ。ありがたく」
護衛がにやついていた。
子爵はああいったが、高価な酒なのだろう。
「店主、何をしておる。早く酒を買って来ぬか」
「……い、今すぐ買って来ます」
「ヴァレッタの十年物だぞ」
「……み、店にある金をかき集めても……とてもではないですが……」
「買えぬなら店を売れ。私が仲立ちしてやろう。んんん? 不満か?」
あー。
子爵の狙いはこの店か。
「そこの娘を売るか。高く売れるぞ。ヒューマンの奴隷は」
「……ヒューマンの奴隷は……犯罪奴隷だけのはずですが……」
「ほう。私に口答えするか。ぶひひひ。不敬罪だな。これで売れる」
「そんなつもりは!」
「冗談よ。笑わぬか」
「……は、ははははは」
店主が虚ろな笑いを漏らす。
その乾いた笑いが冗談が冗談でない事を示している。
「…………で、では……酒を買って……」
「金は出さぬぞ?」
「…………………………え?」
「詫びよ、詫び。ヴァレッタの十年物といえど、私からすれば安酒でしかない。そんな安酒で先の不敬を許してやろうというのだ。くーくっく、私が寛大で良かったなあ」
店主が崩れ落ちる。
「どうした。急げ。ん? 足が動かんのか。そんな足要らんな。誰か、切ってやれ」
「血で汚れますが?」
「小汚い床よ。血で洗ってやれ。奇麗になるだろう」
「流石は子爵様。素晴らしいお考え」
聞くに堪えないな。そろそろ止めるか。
シュシュが分かっているな、と覗き込んできたので頷く。
「おい、そこの豚」
「オウリィィィィーーーーーーーー!?」
うるさいな。耳元で騒ぐなよ。
「揉め事は避けるといっておっただろう!?」
「そんな事言ったか? 揉めたなら揉み潰しゃいい」
「お主はァァァ! どうしてそう短絡的なのだ! ああ、ああ、お主の力ならな。煮るなり焼くなり好きに出来よう。だが、子爵を殺せば衛兵が動く。犯罪者は冒険者になれんぞ!」
「……えぇ? お前、魔王だよね。なんでそんな良識的なの。フハハハハ、とか高笑いしながら、町、更地にしてたろ。あの尖がってたお前はどこいっちゃったの?」
「あれは黒歴史だ! 忘れろ!」
「……黒歴史って言葉あるのか。ああ、プレイヤーがいたから」
子爵を殺してはい終わり、といかないのは俺にも分かっている。
子爵が極悪人だとしても私刑は犯罪だし、力で屈服させるのでは貴族のやり口と変わりない。私刑を行うにしても大義名分が必要だろう。子爵の言動を見ていれば余罪は腐るほどあるはず。
俺は切っ掛けを与えるだけだ。
立ち上がるかどうかは町の住人次第だ。
失敗すれば俺はお尋ね者だが……歩のいい賭けだと思えた。
震える新兵の姿が瞼に焼き付いている。
「ボウズ、貴族に暴言吐いちゃあいけねぇよ」
そういったのは護衛の拳闘士だ。この男が護衛のリーダー格らしい。
レベルは89だった。貴族の護衛でコレか。盗賊団のボスより弱いが。
筋肉ムキムキで、仁王像を思い出す。
「ふぅん。俺がいつ暴言を吐いたっていうんだ? お前のこと豚って呼んだのかも知れないぜ。そうか、そうか、お前も豚だって思ってたってことだな。子爵を。ああ、俺は子爵の事を豚って呼んだ」
「クソガキがァーーーーーーーー!」
仁王の拳が光る。踏み込みに合わせ、仁王の左側へ回り込む。凄まじい突きが俺の外套をカスる。
おいおい、《崩拳》だって? 俺じゃなきゃ死んでるぜ。
《散打掌》で牽制だと思っていた。命の軽さにクラクラくる。
「外しただとォッ!?」
仁王は《崩拳》の前に《震脚》を発動させていた。《震脚》からのコンボに自信を持っていたのだろう。だから、ひとたび《震脚》を放てば、次の一撃が大振りになる。
「避けたんだよ。勉強になったろ。影踏みって技術だ」
《震脚》で《震脚》も《雷脚》も相殺出来る。ダンダン地面を踏み合う事から影踏みと呼ばれた。タイミングを誤れば無防備で一撃を食らう為、影踏みを実践するものは少なかった。大抵は距離を取るか飛んでかわす。俺がどちらかは……言うまでもない。
「《双纏衝》」
両手の掌を仁王の腹に添え、練った《チャクラ》を放つ。
「グハッ」
膝をつき、俺を見上げる仁王。瞳に怯えの色があった。俺が手を差し出すと、仁王が崩れ落ちた。流石は生存能力の高い拳闘士。よく俺の意図を読み取った。
「……あ、兄貴ィ!?」
「ど、どんなスキルを使ったのだ? な、何も見えんかったぞ」
見えるハズが無い。
何もして無いのだから。
便利なスキルが目白押しの拳闘士クラスだが素の攻撃力は驚くほど低い。素手なのだから当然と言えば当然だ。《チャクラ》を使ってようやく並の攻撃力になる。
このチャクラだが発動に《生命力》を使う。
全力で発動し続ければ敵を倒す前に自滅する。
従って拳闘士クラスは《チャクラ》の運用が要になる。攻撃の、防御の瞬間だけ、《チャクラ》を発動させるのだ。車のギアのようなもので、《チャクラ》の発動はレベル1から。段々と《チャクラ》のレベルを上げていく。この行為を《チャクラ》を練る、という。
拳闘士の技量は瞬間的に練れる《チャクラ》で測る事が出来る。
さて、《双纏衝》と言うアーツは、練った《チャクラ》がダメージに変換される、一風変わったアーツなのである。
仁王は俺の技量を身を以って体感したのである。仁王が《双纏衝》を放っても俺の半分の威力も出まい。
俺が遥かな高みにあると知り、仁王は気絶したフリをしたのだ。
仁王に勘違いがあるとしたら、俺のクラスが拳闘士じゃない事か。
「ぶ、ぶひぃ。や、雇ってやる。幾ら欲しい? ほ、ほれ!」
子爵が御者にアイコンタクト。御者が床に金貨をバラ撒く。
まだ、この世界の金銭感覚が分からない。しかし、少なくとも金貨の上に、白金貨があるのは知っている。守銭奴らしい子爵が白金貨を持っていない事はないだろう。
安く見られたものだ。
「二つ、訂正するぜ。一つ、俺は物取りじゃない。二つ、はした金なんざいるか」
「で、では、何の用だ」
「家に金、溜めこんでるんだってな」
「ね、狙いは我が家か。我が家の警備は万全だ。こ、後悔する事になるぞ!」
「だから、はした金はいらねぇって」
大体、警備が万全であろうとも、子爵を人質にとれば関係ない。
バカなのか? いや、バカなのだろう。だが、それ以上に……なんというか。信じ切っている気がする。自分の身が害される事は無いと。
「その大事な大事な家だけどな。大変な事になってるぜ」
「……そ、その手には乗らんぞ」
どの手だよ。教えてくれ。
問答も面倒なので子爵の胸倉を掴み、外へ向かう。護衛は慄くだけで何もしない。働け。
道に放り投げてやると、子爵は息を荒くしていた。太っているから呼吸出来なかったらしい。
「……ぶ、ぶひぃ。な、なにも起こってはおらんではないか!」
「これからだ。見ろ」
瞬間、それは起こった。
「……なっ、なっ、ななな……」
子爵は驚くあまり、顎が外れそうだった。
家がガラガラと崩れ落ちていったのである。ビルのダイナマイト解体を思い出す光景だ。
「貴様の仕業か!?」
「俺に何が出来るっていうんだよ」
「そんな戯言が通用すると思うな! 貴様が魔法で何かしたのであろう!」
それはない、と見物客を見れば、意外な事に子爵と同意見らしい。
おかしいな。魔法も万能ではない。あれは一種の技術である。魔法でピンポイントに子爵の家を狙うのは難しい。ここにいる俺に出来る芸当ではないと容疑は晴れるはずだった。
共犯と思われるだけだろう、というのはおいておいて。
「あれは……お主が?」
魔王は流石に事の異常さを理解出来ているようだ。
「イタズラ好きの友達に手伝って貰った」
「…………友達?」
「機会があれば紹介する」
助かった、と空に向かって礼を言う。
「き、貴様の顔は覚えたからな! 歯向った事を後悔させてやる! 貴様らもだ! ええい、見世物ではないぞ、散れ! 散れぇ! おい、馬車を出せ!」
子爵が馬車に乗り込むと、遅れて護衛も付いて行った。
馬車が見えなくなると、お通夜のような空気になった。
成金趣味の金ピカ御殿が壊れたんだからもっと喜ぼうぜ。
「あ、アンタ! なんて事をしてくれたんだ!」
「俺達には生活があるんだ! お前は出ていけば済む事かも知れないが!」
俺は肩を竦め、指さす。
「雨降って地固まるってね」
子爵の家の一帯だけ雨が降っていた。
「……本当だ。あれも、魔法か」
「……だから、なんだって言うんだ」
やれやれ、説明が必要か。一人ぐらい知っていると思ったが。
「風属性魔法、第四階梯《アシッドレイン》。金属を腐食させる雨を降らす。本来は敵の装備を壊すのに使う。即座に壊れるでもなし効果としては薄い。ただし、嫌がらせとしては抜群だ。この魔法が腐食させるのは装備だけじゃない。対象が金属であればいい。さあ、思い出せ。あそこには大量の金属があったはずだよな?」
「……金属? おい、誰か知ってるか?」
「知らないね! 子爵の家入った事あるやつなんていないよ!」
「……違う、金? そう、金だ!」
老若男女のギラつく視線が俺に集中した。彼らの望みが手に取るように分かった。
幾ら貴族といえどたかが子爵があそこまで横暴に振る舞えるものではない。爵位で言えば子爵は下位なのである。シュシュの話では子爵の専横を許しているのは金の力だ。
では、その金を奪ってやれば?
俺は鷹揚に頷く。
「子爵は無一文になった」
一瞬の間。そして――
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
歓声が弾けた。
「子爵に怨みのある連中を集めろ! 怨みを晴らすチャンスだっていってな! 領主は子爵の横暴に頭を痛めておられた! 俺たちの味方をしてくれるはずだ!」
「怨みのないやつなんていないよ!」
「いたら、一緒にやっちまえ!」
お祭り騒ぎに背を向けて俺は店に戻る。
「おい。もういいぞ。出てけ」
残っていた仁王を蹴り飛ばす。仁王がひぃぃ、と店を出て行く。
「……あ、あの。これは……どうしたら……」
店主が両腕に金貨を抱えていた。
「迷惑料としてもらっとけ」
暫く店は休まなくてはならないだろうし、家財を揃えるのにも金は入り用だろう。
どうせ金貨の持ち主は戻って来ない。追放されるだけに留まるのか、この世からオサラバするのかは、俺の関知するところではないが。
「あ、ありがとうございました! みんな、子爵の横暴に苦しんでたんです!」
「俺があの豚にムカついただけだ。別にあんたらの為じゃない」
ひらひら手を振り、去ろうとするが……店主に呼び止められた。
「嬢ちゃん! 店、来た事あったよな……あの時は酷い事いっちまって……悪かった!」
「……ああ、そんな事もあったな。だが、店商売で亜人を庇うワケにもいくまい。と、言ってもお主は納得しそうにないな。出来る限りでいい。亜人の子供に飯を恵んでやってくれ」
「……そんなんでいいのか。店を救って貰ったんだ。俺に出来る事なら何でも」
「目立ち過ぎてはお主に迷惑がかかろう。飯を食わせるのも裏口で構わん」
店主がシュシュをまじまじと見ていた。
シュシュがどうしたと問うと店主が慌てた。
「い、いやよぅ、前に来た時と印象変わったと思って。でも、元気そうでよかった」
店主がニッと笑う。奇麗な笑みだった。
――虐げられていたお前だからこそ、彼らの気持ちが分かるんじゃないのか?
その言葉は何も亜人だけに言えた事ではなかったのかも知れない。
「なあ、店主。妾は思うのだ。何も大層な事をするだけが救いではない。少なくともお主の料理で亜人の少女が救われた。これは紛れもない事実だ」
そう、シュラム・スクラントが言った。
そして、小さな声でありがとう、と言った。
それはシュシュの言えなかった言葉なのだろう、と思った。
冒険者ギルドへ向かう道中。シュシュは考え込んでいた。
やがて意を決したのか口を開いた。
「気になっておったのだが……お主に友達がおったのか?」
「…………」