第26話 今後
――― オウリ ―――
俺達は焚火を囲んでいた。閉鎖空間で焚火をしたら、一酸化炭素中毒になる。そう思い避けていたのだが、ラウニレーヤが言うには、換気されているため平気らしい。そういや、地下に鍛冶場があったか。しかし、火を眺めていると不思議と心が落ち着く。昨日の会議でも焚火を焚いておけば、ギスギスした雰囲気もマシになったのかね。
「さて、テンカさんよ、身体は温まったか」
テンカの服はシュシュが《生活魔法》の《乾燥》で乾かした。しかし、願いの泉に浸かって、奪われた体温までは戻ってこない。だから、焚火を焚いたのである。
だが、テンカがそれを喜んだかと言えば否だ。
「身体の芯が凍るように寒いよ」
そう言ってテンカはヨミの腕を強く抱く。胸をぐいぐい押し付けられ、ヨミはアウアウとテンパっている。羨ましく……はないな。あれ、テンカだし。俺は眉間を揉む。
「……あのなァ。今の状況を見りゃ、お前の気持ちは分かる。どれだけ我慢してきたのかも。だから、見て見ぬふりしてきたが、そろそろ我慢の限界なんだよ」
「無粋な男は嫌われるよ」
「無理強いする女もな」
「ふふっ。死ぬ?」
「まだ寒いって言うんなら、《フレイムピラー》で温めてやるよ」
「……と言うか、オウリにだけは言われたくないんだけどなぁ」
「……ぐっ」
シュシュは俺の足の上で丸くなって眠り、セティは俺にしな垂れかかっている。
「五十歩百歩ね。文句を言えるのはわたしだけだと思うけれど」
ラウニレーヤが半眼で言った。
文句を言えるもう一人、アリシアはここにいない。
エルダースケルトンが持っていた剣。病垂れと言う《病気5》の付与された剣だった。《病気》はステータスを低下させる状態異常だ。暗殺者のアーツが使えるアリシアには、大して有用な武器ではないのだが、新しい武器というだけで嬉しいらしく、喜々として試し斬りに行ってしまった。
せめて、見張りと言えば格好付くのに。
残念美人のアリシアらしいが。
「《ドラゴンホーン》のリーダーは男性だと思っていたのだけれど違ったのかしら?」
ラウニレーヤがテンカの胸を食い入るように見ていた。男物の格好をしているため、胸が強調されて大きく見える。
テンカに渡す女物の装備を検討しながら、ラウニレーヤに返事をする。
「女になったんだと」
「はい?」
「願いの泉ってのがあってな――」
説明するとラウニレーヤは感嘆の息を吐いた。
「ソシエの奈落にそんな泉があったなんて知らなかったわね。でも、テンカだったかしら。どうして女性になったの?」
「ボクは元々、女だったんだよ。だけどなんの因果か、今生では男に生まれてね」
「そんなことがあるの?」
「神だって無謬じゃない。ましてや、輪廻の神アイラは元プレイヤーだ。間違えることだってあるさ。結果論になるけど、これでよかったよ。ファナ家。ボクの生家だけど、ボクはそこの始祖でね。小さい頃、軽い気持ちで始祖だって言っちゃったんだよ。でも、伝え聞く始祖と性別が違ったから誰も信じなかった。おかげでこうして実家と縁を切れたワケだし、悪いことばかりじゃなかったと思うよ。まー、本当に結果論でしかないけど」
「すんなり始祖と認められた方が好き勝手できたのではないかしら」
「権力には義務が伴う。それはキミがよく知っているだろう」
「そうね。でも、わたしはそれを義務だと思ったことはないわ。鋼国を愛しているから」
「ボクもそう思えたらね。違う手を取っていたかも。ファナ家は典型的な貴族でね。王国に流れる雰囲気がそうさせるのもあるんだろうけど、あそこまで傲慢になれるんだから素地はあったんだろう。滅びるのは自業自得だし、勝手にすればいいと思うけど、ボクは巻き込まれたくない」
「王国は王国で苦労があるのね」
「亜人の国ほどではないにしてもね」
「話を戻すけれど、女性になったのは彼がいるから?」
「そう。ヨミ、ジッとしてて」
ヨミの首から隷属の首輪が外れた。主人は簡単に外すことができるようだ。
え、と狼狽えるヨミに、テンカは微笑みかける。
「これでヨミはボクの奴隷じゃなくなった。これからどうしたい?」
「……テンカ様は私が不要になったのですか」
「これからも一緒にいて欲しいと思っているよ」
プロポーズじゃねぇか、これ。
セティもそう思ったのか、羨ましそうにヨミを見ていた。
……はい。そのウチ俺もすると思うので待っててください。
あれだけ抱き着かれていたのだから、ヨミもテンカの気持ちには気付いているはずだ。しかし、いきなり性別が変わったと言われても飲み込めるものではない。だから、テンカはヨミを奴隷から解放することで、主人と奴隷の関係を前面に押し出したのだろう。
男と女の関係ではなく。
主人と奴隷の関係で問われたら、ヨミの返す言葉は決まっている。
「今後もお傍にいさせてください」
これしかない。
「ありがとう、ヨミ。ボクは嬉しいよ」
女になり、テンカは鷹揚になった。余裕を取り戻したというべきか。
ロイは前世のテンカはおおらかな人柄だと言っていた。これが本来のテンカなのだろう。今はまだ刺々しい部分が残っているが、これからどんどん丸くなっていくはずだ。
しかし、奴隷ではなくなったのに、二人の関係性は変わっていない。ヨミは分かる。融通が利かなそうだ。テンカの態度が変わらないように映るのは……元々、ヨミのことを奴隷として見ていなかったのかも知れない。周囲から主人と奴隷の関係に見えていたのは、テンカの独占欲が強かったからだろう。ヨミも厄介な女に惚れられたものである。
隷属の首輪が外され、すーすーするのか、ヨミは首を確かめている。
俺には見えるよ。
目に見えない首輪がな。
「ヨミはテンカから逃げ出す最後のチャンスを棒に振ったのかもな」
「ハッ。逃がすと思っているの? ボクのクラスは狩人だよ」
……左様で。イイ笑顔で言ってくれる。
二人の結婚式が目に浮かぶ。なぜか、テンカが男装していて、ドレス姿のヨミの手を引いていた。あれ、男だった時の方がテンカは女らしかったような……
「なぁ、いいか。冒険者になったのは手段で、目的は女になることだった……最終目標はまだみたいだけどな。ただ、冒険者を続ける理由はもうないだろ。《ドラゴンホーン》はどうするんだ?」
「何も考えてないっていうのが正直なところかな。女になれなかったら死んでもいいや、って思ってたし。女になったボクを受け入れてくれるのなら続けるかな。バカばっかりだけど、気のいいバカだからね」
「あの連中ならすんなり受け入れそうだよな」
「ニスタフは素直に喜んでくれそう。テオドールはバカだから、女になったことにも気付かないかもね。ヘルゲはボクの前世が女だって気付いているっぽいし、口ではうだうだ言うだろうけど受け入れてくれるはず。ロイは……戻ってくるかが怪しい」
「テンカはロイが……あー、その……知ってたのか?」
ヨミはロイの正体を知らない。曖昧な言い方になった。
《ドラゴンホーン》の活動を続けるのであれば、ロイが空間の神だと知らない方がいい。しかし、誰も知らないというのもマズい。だから、テンカには一通り説明していた。
テンカはふっと笑うと、ヨミの頭を胸に抱いた。ヨミは再びのフリーズだ。話を聞かせたくないのなら、他に方法もあるだろうに……いいけど。
「知ってたら吊し上げてでも転移門を使わせていたよ。エンドレットに来る前、ロイと別行動したんだけど。ロイが用事があるって言って。その間、ロイが何をしていたかと言えば、ソシエの奈落の最深部に行ってたワケ。でも、二日で戻ってきたんだよ。よく考えるとあまりにも早すぎる。転移門を使って80階まで飛んだんだろうね」
「だから、ロイの正体を知っても驚かなかったのか」
「それは違う。女に戻れたことが嬉し過ぎて、どうでもよくなってただけ」
「……あ、そう」
と、肩が重たくなった。セティが眠っていた。雑談が長かったか。
懐かしい。昔のセティはよくこうして、電池が切れるようにして寝ていた。頑張り過ぎて、体力が尽きるのだ。セティの頭を撫でる。サラサラとした髪だ。
ゴホン、と咳払い。
ラウニレーヤがジト目で俺とテンカを見ていた。
「で、これからだが」
セティを撫でる手を止めずに言う。ラウニレーヤが物言いたげだが無視だ。セティを猫可愛がりできるチャンスは逃せない。セティが起きていたら、絶対にカウンターを食らう。狸寝入り……じゃないよな。最近のセティは策士だからな。いや、でも、セティが嫌いなわけじゃないし、別に罠に嵌ったとしても――
「オウリ!」
ヤバい。ラウニレーヤが怒っている。
えーっと、何の話をしていたんだっけ?
ああ、今後の話か。
「最深部――100階に行く。付いてきてくれるか?」
「それは逆にボクが聞きたいね。ついていってもいいのかな?」
「テンカには悪いが付き合ってもらえるとありがたい」
「ラウニレーヤを守ればいいのかな」
「俺達もできる限り協力する気だが――」
「守ってもらわなくても大丈夫だわ」
「――と、本人がこの調子なんでね。アリシア達を付けるつもりだが、戦いたがる警護対象者は初めてだっていうし、不測の事態に対応できる人材が欲しい」
俺とセティは遊撃に回るつもりである。それが一番真価を発揮できるからだ。
そうなるとラウニレーヤの護衛はシュシュとアリシアになる。どんな変異体が来たとしても、二人だけなら逃げられると思うが、ラウニレーヤが足を引っ張ると厳しい。
話をしていて気づいたのだが、ラウニレーヤには弱点があった。
それが解消されるまで彼女を戦力には数えられない。
かといって、ラウニレーヤが戦うのを禁じるつもりもない。自分で戦った方がレベルも上がりやすいからだ。何しろ、彼女には空間の神の血が流れている。育てば王国への抑止力となり得る可能性は高かった。個人が国に喧嘩を売って、勝利できる世界なのだ。
「ボクは構わないよ。護衛した経験もそれなりにあるし。ま、護衛と言っても最初だけで、途中からは戦力と看做させてもらうけど。ヨミもそれでいいね?」
「…………」
返事はない。
俺が言えた義理じゃないが、いい加減ヨミを放してやれ。
「すんなり引き受けてくれたな。交渉は難航すると思ってたぜ」
「ボクだって行きたくはないさ。だけど、仲間の不始末だからね」
仲間、ね。
ロイの正体を聞いて驚かなかった本当の理由はそれか。ロイは仲間であり、それ以上でもそれ以下でもない。もし、ロイが戻ってきたとしたら、テンカは何も言わずに受け入れるのだろう。そんな気がした。
「報酬は俺が持ってる武具でいいか」
「要らない。と、いいたいところだけど。生きるのが楽しくなってきたところだし、お言葉に甘えさせてもらうとするよ。厚かましいお願いだけど、《ドラゴンホーン》の分も欲しいけどいいかな?」
「ああ。最終装備じゃなけりゃ、腐るほど余ってるし、《獣王の花冠》にもやるさ」
「《獣王の花冠》にも? こういっちゃなんだけど、それはどうかと思うよ?」
「テンカの懸念も分からないわけじゃないが。俺はそれで一度失敗してるし。《獣王の花冠》なら強力な武具を得たとしても、驕ることはないだろ」
「それもあるけど、施しは彼女達が嫌がるんじゃないかな。彼女達は何もしてないワケだし、報酬を受け取る理由がない」
「鋼国の後、セリアンスロープの国に行こうと思ってるからさ。よろしく、って意味もある」
「下心があるなら彼女達も受け取りやすいかもね」
ケモ耳が映える装備を用意してやろうと思う。




