第22話 影の伴侶
――― ラウニレーヤ ―――
屋敷の奥に祈りの間がある。
造りは教会の祈りの間に似ている。一点の相違点を除いて。祭壇に安置されているのが、七大神の像ではなく転移門なのだ。女王ハーチェは僅かな供を連れ、この転移門を起点に迷宮を開拓した。残った家臣はここで無事を祈っていた……と言われていた。
「……眉唾だと思っていたのだけれど」
転移門は区切りのいい階層に設置される。ソシエの奈落だけでなく、これは他の迷宮でも変わらない。だが、迷宮の規則に反してこの転移門はある。ゆえに転移門を模した偽物だと思っていた。しかし、一体どういうことか、本物であったらしい。
「……実際に変異体が転移してくるのだから」
折しもわたしが祈りの間で変異体討伐隊の無事を祈願していたから気付けた。女王ハーチェに倣おうと気紛れを起こさなかったら、初動が遅れて甚大な被害が出ていたことだろう。町にある転移門はここだけではない。地上にもあるのだ。転移門が起動していることに気付き、冒険者を地上に向かわせたから、被害は建物にしか出ていない。今にして思えば応接間に現れた変異体は、この転移門を通ってやってきたのだろう。
「待ち惚けっていうのも疲れるものね」
わたしの言葉にメリオが疲れた顔で頷く。不寝番をしていたのだから当然だ。そう言うと忠臣の鑑だが、真相は眠れなかったのだ。メリオのクラスは剣士だ。《危機感知》があるのに、線の細いことである。同じ感知系スキルでも、狂戦士のそれは使えない。
《第六感》。格好いい名前のスキルだが、実態は博打に強くなるだけ。しかし、わたしは熟睡した。一人で迷宮に潜ることの多いので、魔物が現れれば瞬時に覚醒できる。
「地上の転移門に動きはあったのかしら?」
「いえ、昨夜から動きはないようです」
「こっちと同じね」
「ええ、変異体が現れなくなったのは、こちらと同じタイミングのようで。誰かが転移門を弄っているのですかね。それも二人」
「二人? そう考えた根拠は?」
「転移門が起動している。これだけでも驚天動地の事態ですが、機能が回復しただけと言えなくもありません。しかし、変異体が現れるのは違います。転移門は一度触れた門にしか転移できない。これは法則といっていい。ですが、変異体がこの転移門や、地上の転移門に触れていたはずがありません。誰かが悪意を持って、法則を狂わせたのです。そこへ、この小康状態。悪意から我々を守るため、法則を正したのでしょう。また、別の誰かが」
「寝たら? 寝ないからそんな夢を見るのよ」
「……ですかね」
丸一日変異体は出現していない。が、元々、出現は断続的だったのだ。事態が変化したと考えるのは早計である。眠れない夜が妄想を膨らませたのか。
「でも、法則は正されたと信じたいところね」
「冒険者がいつ逃げ出すか分かりませんからな」
鋼国の騎士も動員しているが、彼らは基本的に対人相手だ。魔物相手では冒険者に一日の長がある。冒険者が逃げ出してしまえば、騎士に少なくない犠牲が出るはずだ。
「また、その逃げ出す理由が頭が痛いのだけれど」
「オウリにはペットの躾をキチンとしていてもらいたかったですね」
「あら、躾がなっていたから冒険者に被害が出ていないのかも」
昨日の昼のことだ。地上の転移門にチェスアントの変異体が現れた。ルークだ。ルークは防御力が高い。冒険者は果敢に戦ったが、有効打を与えられなかった。すると、大空からヤーズヴァルが現れ、パクリとチェスアントを一飲み。
その時の様子を衛兵はこう語った。
「ヤーズヴァルを見て、冒険者は蜘蛛の子を散らすように逃げ出しました。私も命令がなければ逃げ出していたかも知れません。いつブレスが放たれるのかと、生きた心地がしませんでした。ヤーズヴァルはジッと転移門を見詰めていました。それは何かを心待ちにしているかのように。転移門が淡く輝き、変異体が現れました。そして、私はヤーズヴァルが何を待っていたのか知ったのです。ヤーズヴァルは転移門を餌の出てくる装置だと思っていたのです。パクリ、パクリと変異体を食べ、現れなくなると呆気なく飛び去りました」
それを聞いた時のわたしの気持ちが分かるだろうか。
お忍びで買い食いしている時の父親を見た感じと言うか。所詮、獣でしかないのだと、五色竜への畏敬が消え失せた。主人のオウリと話したことがあるからだろう。「ああ、お腹がすいて、降りてきたのだな」と、すっと胸の中に入ってきたのだ。
変異体が現れたのと時を同じくしてヤーズヴァルが現れたのだ。
何かの前触れではないかと噂になっているらしい。
しかし、事実は「主人はまだ帰ってこないのかな」と様子見にきただけだろう。
呆れと言うか。
諦めと言うか。
オウリと出会って以来、こういう感情が、身近になっている。
幻想のヴェールを剥がしてみれば、等身大の人物がいるだけなのだ。
二度と英雄譚に胸躍らすことはないだろう。
ちなみに逃げた冒険者は戻ってきた。今は転移門の警備に当たっている。しかし、またヤーズヴァルが現れたら、今度は戻ってくることはないだろう。
「ねぇ、メリオ。討伐隊は何階まで到達していると思う?」
「彼らが迷宮に入り、三十時間と少々。四十階というところでは?」
「それだけ? Sランクよ。しかも、一人ではないのだし」
「姫様はその気になれば最深部まで行っても日帰りできますからな。ですが、人数が増えるほど、足並みは乱れるもの。ましてや、彼らは即席のパーティー。迷宮に慣れたパーティーの方が、早く踏破できるでしょう。勿論、変異体が居なければ、ですが」
「メリオがいると進むのが遅いようなものね」
「なぜ、そこで儂を引き合いに出すのかが分かりませんが、そういうことです。明日か、遅くても明後日には最深部に到達してくれることでしょう」
「 “故郷”はどんな場所なのかしら」
「最深部にあると言う“故郷”ですか。姫様はどうお考えで?」
「現実的に考えれば61階以降のことでしょうね。大鎖界の時代、100階まであったのは事実なようだし。ただ、文献を読んでも61階から変わっているわけでもないわ」
「迷宮を“故郷”と呼ぶ理由が分かりませんか」
「女王ハーチェの言う最深部とは100階のことで、100階に何かあるのかも知れない」
「それはおかしくありませんか。女王ハーチェの時代には既に60階まででした。今のお話だと女王ハーチェは見たこともない100階のことを語ったことになります」
「60階にないのだから100階にあるのかもと思っただけよ」
あるいは。
“影の伴侶”の発言がハーチェの発言にすり替わっているのかも知れない。
改めて考えてみるとエンドレットは不思議の塊だ。迷宮の内部なのに魔物がポップしない。加えて中途半端な階層にある転移門が本物ときた。ハーチェは紛うことなきドワーフだった。迷宮を弄ることができたのは……“影の伴侶”しか考えられない。
「メリオはパストロイの加護を得る方法を知っているかしら?」
「神の血をその身に取り込む、と聞いたことがあります」
「そう、プレイヤーは空間の神パストロイの血を飲むことで加護を得た」
だが、血を取り込むと言っても、飲む必要はないのではないか。
パストロイの血が身体に流れていればいいのではないか。
今ならば“影の伴侶”の正体が分かるかも知れない。
鼓動を高鳴らせ、歩く。転移門に手を伸ばす。
鋼国の秘密に手が届く――その刹那、転移門が光りを帯びた。
何者かが転移してくる。
壮年の男が現れた。髭はない。だが、間違いない。あの髭の冒険者だ。それと同時に、もう一つ確信した。根拠はない。だが、わたしに流れる血が、そう訴えかけていた。
「貴方が“影の伴侶”ね」
失った髭を懐かしむように口元を撫で、男は笑った。
「妙なところで鋭い。本当にハーチェに似ている」
ロイ。
それが“影の伴侶”の名前だった。
そして、ロイは――




