第21話 転移門
――― オウリ ―――
「……なるほどね。最深部が60階だと思われているワケだ」
ボスを倒すと奥の扉が開く。先には転移門のある部屋。更に進むと階段がある……はずなのだ。本来は。しかし、階段はどこにも見当たらない。ゲーム時代の知識がなかったら、俺もここが最深部と考えただろう。
「さて、どうしたものか」
「悩むまでもない。穴、開けなよ。ホラホラ」
独り言に応えがあった。小馬鹿にした口調だ。振り返らずとも誰か分かる。
「やけに急かすじゃねぇか、テンカ。ここが最深部なんだろ。俺達は依頼を達成した。大手を振って帰っても誰も文句は言わないぜ。安全を第一に考えるテンカなら、理解してると思ったんだけどな」
まだ、60階を掃除する必要はあるだろうが。だが、この階層に巣食う魔物はほぼ一掃した。実質、依頼は達成したようなものである。更に下へ行こうと言うのは依頼の範疇外だ。
「チッ。性格が悪い。ボクはこの先に用がある。これでいい?」
「ソシエの奈落にきたのは願いの泉が目的か」
「分かり切ったことをイチイチ聞いて。馬鹿なの」
「馬鹿はお前だ。お前のトコの魔法使い。ヘルゲか。彼女に穴が開けられるのか。 先に進めるかどうかは俺の胸先三寸。そこのところ分かってるのかよ?」
「……ボクを脅すの」
「噛み付くな。まー、意地の悪い言い方だったと思うが、俺はこれでもお前を認めてるんだぜ。仲間を危険に晒してでも、先に進みたい理由を言え」
「……ボクは答えたつもりだけどね」
推測は立っている。が、推測は推測。
百階が最深部だと思い込んでいたように、まだ勘違いしているかも知れない。
テンカの口から正解を聞きたかった。
「願いの泉が目的で合ってるんだな? はいか、いいえで答えろ」
「……そうだよ」
「はいでもないし、いいえでもない。そうか、真面目に答える気がないんだな」
「オウリ!」
「冗談だよ。真剣だってのは伝わってきた。付き合うのも吝かじゃないさ。その代り、帰ったらゴルドバに謝れ」
「誰」
「お前が絡んだ鍛冶師だよ」
「……代金はちゃんと置いて帰るつもりだった」
「だろうな。案外律儀だし。でも、これはテンカの性格が分かったから言えることで。ゴルドバはまた王国のヒューマンに難癖付けられたって思ってるはずだ」
「……謝ればいいんだろ。ボクもクズと一緒にされるのは嫌だし」
「ま、ひとまず戻ろうぜ。ここから先はお前のワガママ。どうしたいのか、聞かないといけないだろう」
並んで歩いている最中、ふと思い出した。
「テンカは触れ得ざる脳髄って知ってるか?」
「なにそれ」
しらばっくれている様子もないか。
異能を宿す臓器をアノニマスサーキットといい、中でも脳にアノニマスサーキットを宿し、魔法を扱える者を魔法使いと呼んだ。《アース》での話だが。これを知らないと言うことは、テンカは魔法使いの一族ではない。
「《魅了の魔眼》なんだけどさ。あれは生まれた時から使えたのか」
「転生しても使えるか、ということならそう。でも、そういう問いじゃないんだろうね。地球だよ。地球にいた頃、ある日、不意に使えるようになった」
……やはり、そうか。
ボス部屋に戻るとセティが《獣王の花冠》に囲まれていた。困ったようなセティの笑みが、俺を見つけた途端本物の笑みに変わる。「兄さん!」と駆け寄ってくる。あっ、とナジェンダが悲しげな顔になる。その足元では何かを黙々と食べるシュシュの姿。
よしよし、とセティをあやしながら、問う。
「少し目を離した隙に何がどうなってるんだ?」
「蒼穹の魔女たるリオンセティ様に挨拶していただけだ」
ナジェンダが言うと、そうだ、そうだ、と《獣王の花冠》のケモ耳がピクピク動く。
ケモ耳好きのプレイヤーがいたのも分かる。和む。セリアンスロープと結婚しようとは思わないけどな。
「で、その食べ物は?」
「リオンセティ様への捧げ物だ」
「シュシュが食ってるのはなんでだ?」
「セティが要らぬというので妾が代わりに処分しているのだ。勿体ないからな。不味くはないが、美味くもないな」
干し肉に見えた。魔法の鞄は内部の時間が止まらない。従って魔法の鞄に入れる食料は、干し肉のように保存の利くものになる。対して俺のインベントリは出来立てほやほやの食べ物も出せる。ウチのパーティーの食事に慣れていたら、調理していない干し肉は美味くないだろう。見ろ、シュシュ。ナジェンダが泣きそうな顔になってるぞ。余裕をもって持ってきているだろうが、迷宮では食料は貴重品なのだ。蒼穹の魔女に捧げたはずが、無関係の幼女に食い散らかされたら……そりゃ、頼むから返してくれってなるよな。
「……あ、そう。シュシュは食い意地張ってるよな。《獣王の花冠》のみんなにお礼言っとけよ」
悲壮なナジェンダを見なかったことにして、テンカに振り返る。
「テンカ達は何かないのか」
「なにそれ。食事を寄越せって催促?」
「いや、セティは神敵なわけだし、ここで会ったが百年目、みたいな」
「ハッ。王国を妄信する馬鹿はボクの仲間にはいないよ。災厄の魔女を討つべし、なんて気炎を吐いてるのは極一部の馬鹿だけ。神罰騎士団とかね。あれだって神敵の討つのが存在意義なだけで、災厄の魔女を憎んでるってわけじゃないし。ボクは災厄の魔女に気付いてたけど、彼女に何もしようとしなかっただろう?」
「気付いてたなら言ってよ、テンカ!」
文句を言うヘルゲを、テンカは胡乱な目で見る。
「思慮が浅い。こんなに強いエルフがいる? 神国を探したっていないよ。馬鹿みたいに強いエルフって言ったら、災厄の魔女しか考えられないでしょ。大体さ。リオンセティだからセティ。こんなに隠す気のない偽名ないよ? なんで気付かないのかな?」
「……だ、だって。変異体をぶっ飛ばす人が魔女だなんて思うわけないじゃない!」
ヘルゲが叫ぶ。同じ勘違いをしたアリシアは、全くその通りだと深く頷いていた。
セティは偽名じゃない。愛称だと言うと、テンカは「どうでも」と白けた顔になった。
「……《ドラゴンホーン》は《ネームレス》と敵対しない。これでいい?」
「《ネームレス》と?」
「魔女じゃなくて、食いしん坊でも姫騎士でも。誰かと敵対すれば《ネームレス》全員を敵に回すことになるんでしょ。だから、《ネームレス》と敵対しないで合ってる」
魔女に食いしん坊、姫騎士か。
「俺を抜いたのは意図的か?」
「オウリを敵に回したら、一人で全部片付けるでしょ。仲間が出る幕なんてない」
「随分、俺を買ってるんだな」
テンカが不敵に笑う。
「ボクの知り合いに最近、左遷された男がいてね。泣き顔を拝みに行ってやったんだよ。べそをかきながらその男はいうワケ。俺の仕事を邪魔するやつがいたんだって。哀れだったね。妻子には逃げられ。残ったのは奴隷だけ。で、聞いたの。その邪魔したやつ。黒髪、黒目、黒い刀を持ち、黒い外套を羽織った、黒尽くめの人物だったらしい」
「……黒衣の死神」
ヘルゲがぶる、と身体を震わせた。テンカの口調も相まって怪談のようだった。
「テンカの知り合いっての見当ついたわ。世間は狭いな」
「五百年もあればね。大体のプレイヤーとは顔見知りだよ」
どういうこと、と顔を見合わせる面々を放って俺達は話を進める。
テンカの言う知り合いがオーファン。オーファンは第三神罰騎士団の団長。神罰騎士団は最近、災厄の魔女討伐に出かけ、あえなく返り討ちになった。この情報を知っていないと、なんのことか分からないだろう。
「あれは元気だったか?」
「閑職に飛ばされ、妻子に逃げられ、おかしくなったんだろうね。無聊を慰めるために奴隷を買い集めていていたよ。あ、これはボクが言ったんじゃないからね。王都ではそう言われているってこと。約束を守るのに迷彩になっていいって笑ってたよ」
「そうか。頼みは聞いてくれたみたいだな」
オーファンには奴隷の保護を頼んでいた。約束を履行してくれたらしい。よかった、よかった。これでオーファンの家まで、殴りにいかないで済む。約束を破ったら半殺しにする気だったし。
「直接被害を被ったワケじゃないし、オウリが何者でもボクはどうでもいい」
「意外だ。プレイヤーは全員、俺に敵意を抱いてると思ってた」
「自分が世界の敵だなんて、自意識過剰なんじゃない? まだ、中二病を抱えてるの。オウリが会った神罰騎士団の連中。あれはデスゲームでも攻略組でね。だから、胸に一物を抱えていただけ。ボクみたいな平和主義者は、案外気にしてないと思うけどね」
「言い方はアレだが……そりゃ、そうか」
神罰騎士団は精鋭だ。かなり努力をするか、前世の遺産がなければ、入ることも叶わない。前世の遺産というのは、引き継ぐスキル――ギフトのことである。自然と俺が手を下したトッププレイヤーが多くなるのかも知れない。出会ったプレイヤーが偏っていただけであり、全員から敵視されているわけではないと知れたのは収穫だ。
「オウリ! 来てくれ!」
アリシアの切羽詰まった声。隣の部屋からだ。セティを放し、《瞬動》を発動。隣の部屋へ飛び込む。アリシアが剣を構えていた。対峙するのは白い魔物である。
「…………はっ? なんで変異体が!?」
いや、驚くのはそこじゃない。
「…………転移門が起動してる!?」
そう、変異体は転移門から出て来ていた。チェスアントの変異体だろう。
「加勢するよ、アリシア!」
「助かります、師匠!」
セティとアリシアがチェスアントと交戦を始める。
群れから逸れた個体なのか。キングはいないようだ。出てきたのは三匹だった。
脳筋の物事を深く考えない性質がいい方向に出ていた。
賢いシュシュは愕然と立ち竦んでいた。
「…………馬鹿な。あり得ん」
同感だよ。
転移門はパストロイの失踪から、機能が失われていたはずだ。だから、面倒でも一階、一階、進んできたのである。それとも何か。俺はまた、勘違いしていたのか。
見回す。
テンカ――驚愕。
ヨミ――警戒。
ナジェンダ――困惑。
ロイ――喜悦。
――大体さ。リオンセティだからセティ。こんなに隠す気のない偽名ないよ?
それは泡の如き思い付き。冷静になればパチンと弾ける。そんな類の。しかし、答えから逆算しても、矛盾は見付からない。情報を精査するほど、確証は強まっていった。
そういうことかよ。
……ああ、俺もヘルゲのこと笑えねぇわ。堂々とされると気づかないもんだな。
「これでおしまい!」
セティの《崩拳》がチェスアントの頭を吹き飛ばす。ビショップか、ルークか、ナイトか。今回も特色を出すこともできず、ザコとして処理されたようである。
「……師匠。私の出番は……?」
「斬ってもよかったんだよ?」
「……師匠の戦いに巻き込まれたら死にます」
アリシアが肩を落とす。一匹も倒せなかったようだ。
「テンカ様! どこへ!?」
ヨミの声。悲鳴と言ってよかった。
……なんだよ。次から次へ。
チェスアントの死骸の間を抜け、テンカが転移門に走っていた。チェスアントを始末したばかりのセティとアリシアは、呆気にとられた顔でテンカ、ヨミと見送る。
「開け、転移門!」
テンカが転移門に手を触れる。すると、転移門が青白く光る。石の壁が波打っていた。開けという語感からは程遠いが、転移門が起動した証である。腕を掴むヨミを引きずり込むようにして、テンカは転移門に吸い込まれて行った。
「チッ。馬鹿が。逸りやがって」
転移門の向こうには変異体がうじゃうじゃいるかも知れないのだ。
俺は転移門に手をつく。石のような固い感触。転移門が閉じている。相乗りできればと思ったが、遅かったらしい。転移門を開くには行きたい階層を念じる必要がある。テンカが行った階は心当たりがある。願いの泉がある階である。いけるか?
「ふぅ、起動したか」
転移門の利用にはパストロイの加護が要る。加護がない場合、相乗りするしかない。だが、ゲーム時代に取得したパストロイの加護が生きていたようだ。
これでテンカを追える。
と、足を踏み出した瞬間だ。
「兄さん!」
「妾も行くぞ!」
「え? え? 私も!」
大、中、小のタックルを受ける。いや、大、小、小か。何の大きさかは言うまい。
肩越しに振り返る。事情が分からないながらも、駆けつけようとする人達がいた。ヘルゲやナジェンダだ。ただ一人だけ煙草を吹かし、一歩も動かない人物がいた。
ロイだ。
俺は指を動かす。
――来い。
転移門に吸い込まれた。




