第20話 ボス
――― ヘルゲ ―――
ボス部屋の扉はボロボロだった。迷宮は自動的に修復される。つい最近破壊されたのだ。変異体の仕業だろう。迷宮の魔物は無暗に迷宮を傷つけないと言われている。
ひしゃげた扉から奥の広間が見えた。
二匹の魔物が戦っていた。60階層のボスと変異体だ。
ボスは巨大なハイドスネークである。
「あれは変異体なのか?」
テンカが疑問の声を上げる。変異体と思しき存在はスケルトン。元々が白い魔物だと見分けがつかない。
「テンカの《鑑定》で分からないの?」
「エルダースケルトンって出るだけ」
「役に立たないわね」
「肝心な場面で《魔力》切れになる魔法使いよりはマシかな」
ぐぅの音も出ない。《魔力》切れでオウリに救われた記憶は新しい。だが、魔力回復薬の品質が悪いのがいけないのだ。魔力回復薬は徐々に《魔力》を回復させる。飲んだらすぐに魔法が使えるわけではない。あれは回復する《魔力》を、消費する《魔力》が上回っていたのだ。オウリから譲り受けた魔力回復薬があれば、あんな醜態は晒していなかったはずである。回復する《魔力》の量もそうだが、回復速度が桁違いに早かった。
とはいえ、テンカは店で買える中では最高の魔力回復薬を用意してくれていた。
それで結果を出せなかったのは私が至らないからだ。
話を変えようと早口で言う。
「ま、変異体でしょ。そうでなきゃ、ボスを圧倒できない。それに変異体であろうと、そうでなかろうと、やることは変わらない」
「ヘルゲもたまにはいいことを言うもんだね。たまには」
「イチイチ人を蔑まないと気が済まないの、アンタは?」
「そういうヘルゲも相当口が悪いと思うけど?」
「アンタと付き合うようになって口が悪くなったのよ」
「初対面の時から生意気だったと記憶しているけどね」
「……あ、あの時はやさぐれてたのっ」
由々しき問題に気付いた。やさぐれていた。情状酌量の余地がある。が、今は立ち直っている。それなのに口が悪いと言うのは……テンカの悪影響を受けている。
……あれ、マズくない? 人として。
自分がクズになっている気がして震えているとボス部屋では決着が訪れた。
「はい、エルダースケルトンの勝ち」
エルダースケルトンは剣をボスの頭に突き立てる。六本の剣を。エルダースケルトンは六本の腕を持ち、それぞれに剣を装備しているのだ。エルダースケルトンは剣の血糊を払うと、こちらへ歩いて来る。カタカタと言う音が不気味に響き渡る。
「えっ、こっちくる?」
後ずさる。何かにぶつかった。呆れ顔をしたテンカだった。
「馬鹿だね、ヘルゲ。ボス部屋から出られないのはボスだけ。あれはボスじゃないんだから、出て来れるに決まってるでしょ」
「どっ、どうするの!?」
「これぐらいで動じるなんて、師匠が草葉の陰で泣いてるよ」
「ぐっ……師匠はまだ死んでないし!」
我ながら意味不明な返しだと思う。テンカは師匠の教えを思い出せ、と言っているのだ。前衛に守られ、ぬくぬくと育ってきた魔法使いと違い、私はそれなりに近接戦闘の心得もある。師匠が騎士だ。仕込まれたのだ。だが、《ドラゴンホーン》の前衛は優秀で、滅多に私のところへ敵が来ることはない。知らず、覚悟が緩んでいたらしい。
「で? どうするの、オウリ。ウチの魔法使いが怯えてるみたいだから、早めにどうするか教えて貰いたいんだけど?」
人を引き合いに出すな……と思うがぐっと堪える。
オウリがふむ、と腕を組む。
「俺か、セティか、ロイか。さて、誰がいいか」
「おい、老人をまだ働かせる気か」
「老人って歳じゃねぇだろ、ロイ」
「オウリか、嬢ちゃんがやれ。俺はスケルトンと相性が悪い」
「そういや、属性があったな。て、ことはセティが適任か」
物理攻撃には三種類の属性がある。
斬撃、打撃、刺突である。
スケルトンは打撃に弱く、それ以外に強い。拳闘士の攻撃は打撃属性なので、確かにセティが一番適任だろう。だが、しかし――
「一人でやらせる気なの?」
ロイ、オウリ、セティ。
この三人が群を抜いて強いのは知っている。
だが、呆気なく倒されたように見えるが、ボスもパーティーで当たる相手だ。それを容易く倒したエルダースケルトンの実力は推して知るべし。
「加勢はいるか、セティ?」
オウリが訊ねると、セティが顔を上げた。そう、顔を上げたのだ。ずっとセティはオウリの腕に絡み、我関さずの姿勢を取っていたのだ。セティはエルダースケルトンを一瞥する。見た。それだけ。凪いだ海のように、いかなる感情もなかった。
「あれを倒せばいいんだね」
歩き出すセティの背にアリシアが「師匠!」と声をかける。
二人は師弟の関係らしい。加勢を申し出るのだと思った。だが、続くアリシアの言葉は、私の想像の斜め上を行った。あのテンカでさえ、それはどうなの、という顔になった。
「剣を破壊しないでもらえますか」
オウリとシュシュがうわ、と顔を手で覆う。
「欲しいの?」
セティが言った。困ったように。
「欲しいです」
アリシアが言った。自信満々に。
「しかたがないなあ、アリシアは。弟子のおねだりだもんね」
セティがふわり、と微笑んだ。
オウリもシュシュも、「また、悪い癖が出た」と言いたげなだけで、アリシアを窘めようとしない。
私は思わず言っていた。
「待って! あのエルダースケルトンは《ドラゴンホーン》が総出で当たって、それでも何人か犠牲になるかも知れない強さだと思う。ロイがやる気になれば別だけど。おねだりって、アリシアの要望はそんなに可愛いものじゃないわよ!」
「アリシアはかわいいよ?」
「……ふぁっ?」
セティは何を言っているのか。アリシアは可愛いというより、美人で……違う。そうじゃない。混乱している。論点は可愛い、可愛くない、ではない……はずだ。しかし、セティはそこに論点を見出した。それ以外、語るに値しないからではないか。いや、おかしい。私はアリシアの要望が可愛くない、といったのであって彼女自身を――
「師匠、私はもう可愛いと言われて喜ぶ歳じゃないですよ」
アリシアが照れくさそうに言った。
……もう、どうでもいいや。
悲劇の幕が開くと覚悟していたはずなのに、案に相違して上演されたのは喜劇である。些細なことで騒ぎ立てる、喜劇の登場人物になった気分だ。観客は「あんなことを怖がって」と笑うのだ。おかしなことを言っているのは私の方なのではないか――
「飲まれるなよ」
テンカの声にハッとしたのは私だけではなかった。
《獣王の花冠》も夢から覚めたような顔をしている。
「凡人が化け物の価値観に染まったら、待っているのは破滅だけだよ」
「……ふん、私が凡人ならテンカは天才?」
「馬鹿だね。凡人に決まってる」
「…………えっ」
思いも寄らぬ弱音で、私は返す言葉を失う。
「見てれば分かる」
エルダースケルトンがセティに仕掛けた。がらんどうの頭蓋はセティを強敵と看做したか。先のボス戦では見せなかったアーツである。
《スラッシュ》。
エルダースケルトンはセティよりも一回り大きい。横薙ぎの一撃がセティの首を刈らんとする刹那。剣からアーツ発動の光が消えた。代わりにセティの手が光っていた。《スラッシュ》を放ったのと、反対側の腕――骨を掴んでいる。すると、脈絡なく跳んだ。エルダースケルトンが。セティの手には骨の腕がある。捻じり取ったらしい。
「もう。髪、切れちゃった」
セティが嘆く。が、見る限りでは長さに変化はない。切れたと言っても、ほんの数本のはず。
敵を前によそ見とは、余裕の表れなのか。あるいは愚かなのか。続くセティの言葉が答え。
「おねだりがなかったら、消し飛ばしてあげたのに」
眼中にないのだ。
空中のエルダースケルトンは五本の腕を器用に動かし、攻撃する。それをセティは紙一重でかわしつつ、的確に剥き出しの手首に拳打を返す。どうぞ手首をお納めくださいと、セティに差し出しているかのようだ。
エルダースケルトンが地面を踏み締めた時、六本もあった腕は残り二本となっていた。
「とりあえず、四本取ったよ」
セティはアリシアに剣を蹴飛ばす。
が、アリシアは首を横に振る。
「師匠、これは鈍らです」
「そうなの? 右? 左?」
「右です。輝きが全然違います。冒険者の遺品か、宝箱を開けたのだと」
アリシアが胸を張って答える。言われて見れば右手の剣だけ、他の剣と違った意匠である。遠目で判別できたアリシアの眼力は凄い。しかし、誰もがエルダースケルトンに目を奪われる中、冷静に剣だけ見ていたと言うことであり、素直に褒め称える気にはなれなかった。
「……化け物か。テンカが言うのも分かるな。《スラッシュ》を完全に無視していた。《呼応投げ》でキャンセルできると知っていても、アタシじゃ同じ真似をできるとは思えない。《呼応投げ》の発動が遅れたら、死んでいたかも知れないんだからな」
「剣が見えてなかっただけじゃないのか」
恐れ戦くナジェンダに、我がパーティーのバカが言った。
すると、《獣王の花冠》から一斉攻撃を受ける。
「テンカの言う通り、本当にバカだな!」
「《制空圏》を知らないのか!」
「拳闘士に死角はない!」
「……お、おぅ。そうか。すまん」
バカはたじたじである。
ハッ、と嘲笑が響く。無論、テンカである。
「揃いも揃って馬鹿ばっかりで嫌になるね。あれのどこが化け物だっていうのさ」
「……化け物っていったのはテンカだったと思うけど?」
「ヘルゲ。キミもか。女ってのは群れたがる生き物だからね、キミも馬鹿の仲間入りをしたかったのかい? あれぐらい装備を整えれば、ナジェンダにだってできたさ。本物の化け物っていうのは、理解することすらできないんだよ」
「俺に言わせればお前の怠慢でもあがるが。元を正せば《ドラゴンホーン》は場末で燻っていた連中の集まりだ。目利きができなくても当然だ。オークションに連れて行ってやれ。大した物は買えないだろうが、いい物を見るのはためになるはずだ」
ロイが言うように《ドラゴンホーン》の装備はSランクにしては貧弱だ。急激にランクが上がっていった弊害で、装備が追いついていないのである。ヨミの装備を更新しようとして、テンカは鍛冶師と一悶着起こしたが、それにはこういう事情があったのだ。難癖を付けられたであろう鍛冶師にとっては知ったことではないと思うが。
「痛ッ」
ナジェンダに肩を掴まれたのだ。ギラギラとした目で私を見ていた。
「セティの装備はどのクラスのものだ?」
「そんなの私が知るわけが――」
知らない。
それは本当だ。
だが、分かるのではないか?
オウリの装備。デザインこそ違うが、青みはセティと一緒だ。同一の生地から作られたのではないか。ロイが言っていた。大鎖界の頃はアイテムの名前は同じでも、男用と女用でデザインが違う装備が溢れていたと言う。あれは同じ装備なのではないのか。
だとすると――
「魔法使い用の装備?」
「当たりだ」
オウリが笑っていった。
だが、内容は決して笑えるようなものではない。
短所を消すため後衛が前衛の装備をすることもある。しかし、セティはエルフなのに生粋の拳闘士で、魔法は一切使えないらしい。魔法使い用の装備をする利点はない。だが、あのオウリの笑みからすると、それでも長所を伸ばすための装備なのだ。
「……サブクラスに《知力》が関わっている?」
考えられるとしたらそれ。
生産がメインのサブクラスだが、中には戦闘で使えるスキルもある。では、一流の職人が戦闘でも強いかと言うとそうでもない。戦闘で使えるスキルと言っても、使わなくては育つことがないからである。ヒューマンの寿命ではメインクラスとサブクラスの両立は不可能だ。戦闘を有利に進めたければ、メインクラスのスキルを上げる。
だが、セティはエルフ。
少女のような容姿だが、年齢は不詳である。
メインクラスとサブクラスを極めているのかも知れない。
だが、信じられなかった。
セティが殴り、蹴る。されば、骨が砕ける。さながら魔物の解体だ。解体でさえ売れる部位を傷付けないよう気を遣う。セティはまだ動く魔物相手に熟しているのだ。
ここまでやれるのに……これは本領でないと?
ついにアリシアが欲しがった剣がセティの手に渡る。
膝を折ったエルダースケルトンをセティは踏み付ける。
分解された骨だが、微妙に動いている。一か所に集まろうとしているのだ。アンデッドに生きている……というと妙だが、まだ《生命力》が尽きていない。だが、セティは戻ってくる。終わったと言わんばかりに。油断とも取れるが、誰も苦言を呈さない。
セティが魔法の鞄を探っていたからだ。
「…………その怒りは林を永劫に燃やし、その悲しみは運河を氷に閉ざす」
喉の奥から絞り出すようにナジェンダが言った。
どこかで聞いたことのある一節だった。
そうだ。酒場で聞いたのだ。吟遊詩人が謳っていた。歌の節がなかったため、即座に思い出せなかった。騒然とした酒場が脳裏に蘇る。その歌を謳った途端、吟遊詩人は酒場を追い出されたのだ。如何に伝説と呼べる人物の歌とはいえ、王国国内でそれを謳うのは度胸があるな、と思ったのだった。
なぜ、思い至らなかったのだろう。
凄まじい効き目の魔力回復薬を作ったのはセティだと言っていたではないか。
セティは瓶を後ろに投げる。
「…………災厄の魔女」
「よんだ?」
凄まじい爆発を背景に、セティが首を傾げた。




