第5話 驕る者達2
門の前で大勢が列を成していた。
衛兵が入市税の徴収と犯罪者のチェックをするためだ。人数からすれば百人に満たないが一向に減っていかない。商人の商品を検めるのに手間取っているのだ。
手際の悪さが目に付くが、シュシュ曰く、仕方がないとの事。
間もなくサラスナは陸の孤島と化す。災厄の魔女が牙を剥けば、一面が焦土と化すこともあるそうで。戦いが始まる前に急げ――と一斉に人が現れた、という事らしい。
時間がかかっているのも真面目に職務に取り組んでいる証だ。
でも、なあ……うん、限界だわ。
「オウリ、何を考えておる?」
「ん、みんなが幸せになれる方法?」
「世界平和でも願っておるのか」
「いや、バレないよう壁越えるにゃ、どうすんのがいいのかね、と」
「……おい、まだ五分も経っておらんぞ」
「五分も経った。見解の相違だな。俺は一刻も早く冒険者ギルドに行きたい。フラストレーションが溜まったら、俺は自分でも何をするか分からない。まー、少なく見積もっても壁は瓦礫になるだろうし、衛兵は使い物にならなくなるだろうな。そうならない為にはどうしたらいい? 忍び込むのが一番なのさ。俺だって心苦しいんだぜ?」
「……我慢できない子供か、お主は」
「いいや、子供の方がまだマシだぜ。俺には我が儘を押し通す力がある」
「……自覚があるだけタチが悪いな」
「否定はしない」
だが、家族に危険が迫っているのだ。悠長にしていられるはずがない。せめて討伐隊の詳細を知らないことには。
何か。
人目を逸らす切っ掛けがあれば。
あの程度の壁、登るのは容易い。
ん? なんだ?
後ろが騒がしい。
「どうした」
「…………貴族が登場したのよ」
街道から馬車がやって来ていた。俺達が追い抜いた馬車だろう。先頭の一台だけが豪奢な外装だった。他の二台は普通だ。貴族が乗る馬車が一発で分かるのはどうかと思う。
衛兵を無視して門を通ろうとするが、衛兵に制止され渋々と馬車が止まった。
「お手間を取らせてしまい申し訳ありません。しかし、規則ですので通行証のご提示をお願いしたい」
「不要だ。オルグレン子爵の馬車だ」
答えたのは御者だ。
いやいや、たかが御者だろ。子爵本人でもあるまいに。なんでそんな偉そうなんだ。
しかし、そう思ったのは俺だけのようである。
行列に並ぶ人は一様に気まずそうにしていた。
「……しかし。馬車は偽造も可能であり……」
「ええい、不要だといったら不要なのだ! 貴様、名を名乗れ」
「……ビ、ビースレイです」
「ふん。名は覚えたぞ。楽しみしておけ。おい、そこをどけ。馬車を出す」
まごつく衛兵。
御者は衛兵を轢いてでも馬車を出しそうな勢いだ。
そこへ新たな衛兵が登場した。
「……ビースレイ! 何をしている! これはこれはオルグレン子爵の。この者は配属されてまだ日が浅いものでして。お手数をお掛けしてしまったようで申し訳ありません。どうぞ、お通りください。ほら、ビースレイ! お前も頭を下げるんだ!」
責任者らしい衛兵が新兵の頭を押さえつける。新兵は悔しさから顔を真っ赤にしていた。
御者はその様子をにやにや見ていた。が、不意に後ろを向くと顔を引き締めた。
馬車の中から何か言われたのか。
「貴様ら! オルグレン子爵が寛大な方でよかったな! 要は金を払えというのだろう?」
「…………い、いえ、そういう事では……」
「よい。オルグレン子爵は恵んでやれとのお話だ。喜んで受け取れ」
御者は後ろの馬車へ向かう。二、三言声をかけると、三人の護衛が出て来た。
護衛は袋を抱えていた。子供くらいの大きさ。
「くれてやれ」
御者が言う。
護衛が袋の中身を新兵に投げつける。
「きゃあーーーーーーーーーー!」
「い、生きているのか!?」
「は、早く中に入れてくれ! 頼む!」
「逃げろォォ!」
護衛が投げつけたのは――ルギィウルフの死体だった。
門の前は悲鳴が悲鳴を呼び、パニック一歩手前だった。御者は護衛に命じて次々とルギィウルフを投げさせる。その大半は見るからに死んでいると分かるものだった。しかし、中には首が折られただけの奇麗な死体が混ざっていたことが人々の恐怖を煽った。
事態を把握しているのは子爵の関係者だけ。
しかし、彼らは事態を収めようとはせず、ゲラゲラ笑っているだけだった。
「貴様ら! 礼はどうした! 仕事を減らしてやった上に、おこぼれをくれてやろうというのだ!」
「…………あ、ありがとうございます、オルグレン子爵」
頭を下げる新兵の身体は魔物の臓物で真っ赤に染まっていた。震えていた。
馬車が走り去るのを俺は壁の上から見ていた。
子爵が注意を引いてくれたおかげで簡単に登れた。
だが、感謝する気にはなれない。
「チッ。聞きしに勝るクズだな。見ると聞くとは大違いだ。悪い意味で。大体、あれ俺が倒したヤツだろ。盗人猛々しいにも程があるぜ」
「……やはりオルグレン子爵の馬車であったか。ルギィウルフは残しておいた方が、世の為だったやも知れんな」
気持ちは分かるがそれは無理だ。
あの護衛でもルギィウルフには勝てる。
「通行証くらい素直にだせよ」
「なに、賭けをしていたのよ。通行証なしで通れるかどうか」
眉をひそめるとシュシュが冗談だ、と力なく笑った。
「普通に考えれば通行証を失くしたのであろうよ。貴族は体面があるからのう。人前では言いだせなかったのではないか。ただ、冗談が真であったとしても妾は驚かんがな」
「貴族はみんなああなのか」
「これでも穏便に済んだ方だろうよ。あの衛兵はこの町の出身ではないな。この町でオルグレン子爵に逆らう馬鹿はおらん。オウリ、あの家を見よ」
「金ピカで趣味の悪い家だな。家主の品性が家に滲み出てる。あれが?」
「オルグレン子爵の家よ。オウリと同じことを言った子供がおる。一家皆殺しの目にあったわ」
「……それだけでか」
「あの家には大量の金が溜めこまれておる。位こそ子爵だが商いで築いた財は領主すら黙らせる。だから、この町では誰も子爵に逆らえんのだ」
シュシュを小脇に抱え飛び降りる。
突如現れた俺達に驚き、猫が逃げ去って行った。
「さて、町に入れたわけだが。寄り道をしても良いか。なに、五分もかからぬよ。近くに妾が住んでおった家がある。取りに行きたい物があるのだ」
「私物なら諦めろ。後で買ってやるよ」
「両親の形見だ」
「……五分だけだ」
「すまぬ」
ポツリ、ポツリ、とシュシュが身の上を語り出す。
元々、シュシュは国境の森に住んでいたという。国境の森はその名の通り、王国と神国の二国を分かつ森だ。神国はドレスザード神国といいエルフの国である。
国境の森は緩衝地帯という意味合いがあり、脛に傷を持つ者達が逃げ込む場所だった。
王国からはヒューマンが。
神国からはエルフが逃げ込んで来る。
そうして人が集まり村が出来た。
ヒューマンとエルフが仲良く過ごす、そんな村でシュシュは生まれ育った。
しかし、反乱を企んでいると思われたのか。
襲って来た冒険者によって村は壊滅した。
シュシュの両親はシュシュを守る為に最後まで戦い……命を落とした。
森を当て所なくさ迷ったシュシュは……王国の側に出てしまった。
そこを商人に捕まったらしい。
「商人の男はのう。ごく普通のヒューマンで。ごく普通に妾を虐待した。おかげで前世の記憶が蘇ってしまったわ。幼い精神では虐待に耐えきれんかったからの。毎回そうだ。妾が欲した平穏は必ず失われる。これもノェンデッドの呪いなのかも知れぬな」
「ノェンデッド? 闘争の神か?」
「遥か昔、ノェンデッドに呪われたのよ。世界に闘争を生み出す為にのう」
シュシュが魔王になった事を言っているのか。
だが、シュシュはそれ以上は語らず、黙って粗末な寝床を探っていた。
シュシュは家の鍵を持っていなかった。仕方がないので俺がドアを切った。商人には家族がいない。誰も文句を言わない、と言う事だった。
暫くするとシュシュが布に包まれた鏡を取り出した。
曇りきっていて既に鏡の体を成していない。
「真実の鏡か」
「うむ。その通り」
《XFO》にも存在していたネタアイテムだ。
すぐに曇るくせに通常の手入れでは奇麗にする事が出来ない。鏡に向かって真実を語る事で鏡は奇麗になるのだ。ただし、言葉が嘘であれば鏡は粉々に砕け散る。
「……両親はいつもこの鏡に愛を誓っておった。曇りの取れた鏡で母はめかし込むのよ。奇麗になれるのは父のおかげだと母は惚気ておった。鏡が無くては化粧は出来ぬからな」
シュシュの顔は見えない。だが、重々しい言葉だった。
「曇らぬ愛を鏡に誓う、か。ロマンチストな両親だったんだな」
人の心は移ろう。
鏡の手入れに愛の言葉を用いていたとすれば、いつまでも変わらぬ愛を誓っていたに等しい。ただの一度でも嘘をつけば鏡は粉々に砕け散ってしまうのだから。
「……妾も両親を……愛しておった」
すぅ、と鏡から曇りが引く。シュシュの驚いた顔が映っていた。だが、直ぐに泣き笑いのような顔になった。
「……シュシュは死んだと思っておった。妾はシュラム・スクラントになった。だが……シュシュは生きていたらしい」
「…………」
シュシュというのが両親に付けて貰った名前なのだろう。
前世が蘇った時、シュシュは一度死んだのだろう。シュラム・スクラントに取って代わられて。十歳程度の少女が五百年の記憶の積み重ねに勝てたとは思えない。だから、シュシュは、シュシュという少女の人生がどこか他人事に感じられていたのかも知れない。
だが、真実の鏡は割れなかった。
俺はシュシュを抱き締める。押し殺した嗚咽が聞こえて来た。背中を撫でてやると、嗚咽が大きくなった。細い腕が俺の背中に回される。シュシュが泣きやむまで、俺は好きなようにさせていた。
「行くぞ、シュシュ。五分だ」
「……む。そうか。済まぬな。待たせたな」
約束の時間は大分オーバーしている。
だが、俺は首を横に振った。
「時は平等に流れる。だが、等価じゃない。傷を癒す時はゆっくり流れるのさ」
シュシュが俺から離れる。目が赤くなっていた。だが、洞窟で見た赤さではない。
アレは……血の赤だった。
「くくく、妾の両親を笑えぬな。お主も相当ロマンチストだぞ」
俺は知っているだけだ。
時が不条理である事を。
だが、言わなかった。
シュシュが言う事も否定出来なかったから。