第12話 トラップ
「いやはや、ロイ。正解だったな。今まで宝箱開けないで」
「……全く。度し難い愚か者だ。以後、宝箱は慎ませるとしよう」
「ま、前向きに考えるとしようぜ。テンカは本番に弱いのが分かった」
「深部で罠に引っかかっていたら死者が出ていただろうからな」
俺とロイの会話にナジェンダが焦れたように言う。
「おい、臆病者。アタシにも分かるように喋れ」
「テンカが開錠に失敗したんだよ」
「あァ、罠に引っかかったってコトか……アタシ達も巻き込まれるじゃないかよ!?」
「落ち着け。そら、くるぜ」
なぜ、迷宮では魔物が突如として出現するのか。身も蓋もないことを言えばゲームだったから。だが、設定では迷宮の《魔力》が集い、魔物を形作るとなっていた。概ね、設定通りに異世界化している。だから、部屋の《魔力》が濃くなった段階で、何が起こるかは察することができた。
「魔物がッ」
「なんだ、この数はッ」
瞬く間に部屋が魔物で埋まる。足の踏み場もない。上を下への大騒ぎだ。想像以上の混乱ぶりに俺の方が困惑してしまう。ロイが俺を見ながら笑っていた。
「罠に引っかかることは死を意味する。慣れているのはプレイヤーだけだろう」
それぞれ武器を構える中、ロイはポケットに手を入れ、蟻の魔物を踏み潰している。蟻といっても体長一メートルはあるが。
今回発動したのはモンスターハウスと呼ばれる罠だ。
一帯を魔物で埋め尽くす。ただそれだけの罠である。
出現するのはその場所に準じた強さの魔物だ。
だから、焦ってなかったんだけどな……忠告しておいた方が良かったか。半狂乱になったヘルゲが杖で魔物を叩き潰している。それでザコだと気付けと思うが、冷静さを欠くとそれも難しいのか。何十体もの魔物に群がれようとも、かすり傷を負うのが関の山だ。
まぁ? 心に大ダメージを喰らうかも知れないが。
「俺は高みの見物としゃれ込むか」
ヘルゲを小脇に抱え、宙を駆け上がる。
「……え? ええっ、空を……歩いて? ふぇっ?」
刻一刻と遠ざかる地面を眺め、ヘルゲが呆けた声を出す。
「落ち着いたか?」
「……あ、はい。オウリさん……でしたよね?」
「抱えられるのは嫌かも知れないが、我慢してくれ」
「……え、嫌だなんて」
ポッと顔を赤らめるヘルゲ。
ヘルゲは妙齢の女性だ。可愛らしい表情だった。だが、ゾッとした。
「ええと、あれだ。魔法ぶっ放しただろ。放っておいたらさ。魔物は正直、危険じゃない。同士討ちの方が恐ろしい。分かるだろ? 分かるよな? 仕方なかったんだ!」
ヘルゲへの釈明と見せかけ、最後の方は完全に言い訳だ。セティとシュシュへの。二人は「はァ? 何してんの?」と、冷めた目で俺を見上げていたのである。意識は完全に俺へ向いているにもかかわらず、二人の手足は淡々と蟻を磨り潰している。蟻を何かに見立てているのか。オーバーキル気味であった。怖い。
「……もう、仕方がない兄さんだなぁ。怒ってないよ。いいな、って見てただけ」
セティの表情は穏やかであり、嘘は言っていないように見えた。
「本当に?」
「やましいことがあるの?」
「いえ、ない。ないです」
「それならそんな顔しないで欲しいな」
セティが沈痛そうに顔を伏せる。
冷めた目は俺の疚しさが見せた幻影だった。そう思った。だが、反省したのも束の間、おや、と思う光景が目に入った。セティの周囲の蟻が爆発したのだ。足払い。《周撃》だ。次は《散打掌》。ショットガンの異名を取るアーツが蟻をまとめて消し飛ばす。そして、蹴り上げからの踵落としで確信した。キレが良すぎる。《チャクラ》を練っている。
「やっぱり怒ってるじゃねぇか!」
「兄さんの足場を作ってるだけだよ!」
「物は言いようだな!」
「うらやましいんだもん!」
ヘルゲを退避させたのは仕方がないとセティも理解している。
だが、それはそれ、これはこれ。
いつまでも抱き着かせてたまるかと、一刻も早く敵を一掃するつもりらしい。
「ええい! 鬱陶しいわ!」
炎の矢を放ちながらシュシュが吼える。意訳すると「味方が邪魔で殲滅できんわ」だ。
「……あのお二人は何者ですか。オウリさんもですが」
ヘルゲの声音には不審の色があった。
俯瞰するとウチのパーティー、《ネームレス》の活躍は著しい。やる気になったセティとシュシュは破竹の勢いである。特にセティは戦闘スタイルが似ていることもあってか、《獣王の花冠》のリーダーのような立ち位置にいる。ヘルゲがアリシアに言及しなかったのは、彼女がSランクだからだろう。要するに無名なのになんでこんなに強いのか、といいたいのだ。
「俺達は神国で活動してたから、知らなくても無理はない」
「騎士団にいたんですか?」
「一緒に戦った仲だよ」
「だから、冒険者ランクは低いんですね」
神国で活動していたのは本当だ。ただ、ほんの数日なだけで。
騎士と一緒に戦ったというのも本当だ。俺が騎士をボコボコにしたワケだし。
ふむ。言葉は難しいな。
一言抜けただけで、まるきり違う情報になる。
大方、ヘルゲは俺達が神国の騎士団にいたと思っているのだろう。セティもシュシュもエルフだ。実に説得力がある。また、神国は情報の取り扱いに慎重だった。騎士団の内情を暴露してはいなかったはずだ。だから、こんな嘘がまかり通るのである。
「そこの臆病者! 降りてこい! 戦え!」
高みの見物を決め込む俺にナジェンダの堪忍袋の緒が切れた。
面倒だな、と思っていると、ヘルゲがキレた。
「殴るしか能のない駄猫がニャーニャー五月蠅いんですよ! 降りて戦え? 魔法使いを乱戦に巻き込んでどうするんですか!」
これには俺も驚いた。怒りをぶつけられたナジェンダは尚更だろう。
「……い、いや、魔法で援護を……」
「降りる必要がありますか!」
「……わ、分かった。そこからでいい」
「無理です! 貴女、自殺願望があるんですか? 仲間も巻き込んでしまいますよ!」
「まっ、魔法使いならそれぐらいできるだろう!」
「これだからセリアンスロープの方は。魔法を万能だと思っていませんか? 矢を百発百中できますか? できないでしょう? 魔法だって同じことです。的は動き回っているんです、尚更難しいと分かりませんか?」
「……そこで、そこにいていい!」
「いていい!? 偉そうに! あぁ、もう、何もわかっていません、この駄猫は! 私だって人を浮かすことはできます。でも、浮かし続けることはできません。どれだけ精緻なコントロールでこの足場が成り立っているのか――」
滔々と語りだすヘルゲ。
……案外、熱い人だったんだな。《エアライド》の難しさを理解してくれるのは嬉しい。ただ、時折、俺に同意を求めるのは止めて欲しい。その度、思い出したようにナジェンダが俺を睨んでくる。恥をかかされた怨みまで、俺に向かってる気がするんだよ。
我を取り戻せば低階層の魔物など物の数ではない。
事態は速やかに収束を……迎えなかった。
魔物を倒す速度は上がっている。だが、その分魔物が増えているのだ。
「……何、手間取ってるんだ?」
地面を埋め尽くす蟻の名はチェスアント。
チェスにちなみ、ポーン、ルーク、ナイト、ビショップ、クイーン、そしてキングがいる。ポーンは数が多く、ナイトは攻撃力が高い……と、特色があるが、Sランクの前では一様にザコである。だから、大別すると二種類。キングか、それ以外だ。
キングは配下のチェスアントを呼ぶ能力を持っている。
討伐隊は場当たり的に寄ってくる魔物を倒している。それが魔物が一向に減らない理由だ。キングは後方に隠れ、配下を送っている。供給源を絶たない限り、延々と敵は増え続ける。
チェスアントを初めて見る者もいるだろう。
だが、ソシエの奈落に挑むに当たり、レクチャーを受けているはずだ。落ち着き次第、キングを狙っていなければおかしい。百歩譲って《獣王の花冠》が気付かないのは理解できる。脳筋だし。そういう意味ではセティもか。キングを狙っているのはシュシュしかいない。《ドラゴンホーン》に至っては、キングを避けて倒している節がある。
「ロイ! 遊ぶな!」
俺が声を掛けるとロイは不敵に笑う。
「キングは倒すなとリーダーからのお達しだ!」
冗談だろ、とテンカを見る。テンカは俺を一瞥し、舌打ちをした。マジか。冗談じゃなかったのか。ヨミを除く《ドラゴンホーン》のメンバーは、どこかホッとしたような表情をしていた。テンカの命令に仕方なく従っていたのだろう。
どういう料簡でテンカはキングを倒すなと命じたのか。
戦いが長引くだけでメリットはなにもないはずだ。
経験値稼ぎにしては魔物が弱過ぎる。
付き合ってられない。
「セティ、キングを――」
倒せ、と言おうとした時だった。
矢だ。矢が飛んできた。風で矢を逸らすと、飛来した方を見る。テンカが親の仇を見るような目で俺を睨んでいた。なんだ? 意味が分からない。だが、困惑しつつも、俺の身体は動く。《エアライド》を広げ、ヘルゲを降ろす。フリーになった両手に弓を用意。
「……弓だって!?」
驚愕するテンカに俺は矢を放つ。
地面に矢が刺さる。次の瞬間、矢が爆発した。着弾で爆発する矢、《バーストアロー》だ。爆発に巻き込まれ、テンカがたたらを踏む。そこへ数多の矢が降り注ぐ。《アローレイン》である。テンカは両をクロスさせ、頭を庇う。腕が上がった。
「目には目を歯には歯を。矢には矢を、ってな」
《ピアシングショット》。防御力無視の矢を放つ。
テンカのがら空きの腹に矢が突き刺さる。血が出る。攻撃されると思っていなかったのか。テンカは自失していた。
「テンカ様! 貴様ァ、何をする!?」
ヨミが怒鳴る。問い質したいのは俺の方だ。
「俺の矢じゃ死にゃしねぇよ」
武器にはそれぞれ武器スキルがある。剣には《剣》スキルが、斧には《斧》スキルが。その武器を使った際に、ダメージに補正がかかる。クラス外スキルが流行らなかった理由の一つである。俺は弓を滅多に使わない。当然、《弓》スキルは低い。
俺の矢を喰らったところで、大したダメージはないのである。
「感謝して欲しいぜ。テンカは生きてる」
俺が攻撃していなければセティが手を出していただろう。
多分、セティも手加減したはずだが……死んでいた可能性も否定できない。
「それに。先に攻撃されたのは俺の方だぜ」
「愚かな。貴様とテンカ様が平等だとでも。全身の血を抜いたとしても、テンカ様の血の一滴とも釣り合わない。降りてこい、オウリ。罪を贖え」
「……それ、暗に殺すって言ってねぇ? 血を全部抜かれたら俺でも死ぬし」
ヨミはまともだと思っていたんだけどな……ヤバかった。しかも、クラスが暗殺者とか。お似合い過ぎて笑えねぇ。
ヘルゲを残し、魔物のただ中に降りる。
インベントリを開く。様々な種類の武器のアイコンが並ぶ。アイコンに触れ、斧を実体化させる。黒衣の死神のイメージから離れるよう、敢えて武骨な武器を選んだ。
「土台、俺が大人しくしてるなんざ無理だったか」
セティとシュシュにアイコンタクト。
――もう、いいだろ?
――兄さんに手を出されたらね。
――思う存分やるが良い。
よし、許可は得た。
「一応、聞いておくが。引く気はねぇか。事態が収取できりゃ、俺はそれで構わない」
「私の父は盗賊だった。貴族の荷に手を出し、私もまた奴隷となった。そこを御館様に買われた。テンカ様の影武者にするためだ。だが、テンカ様は私を影武者として扱わず、事もあろうに友人として接してくれた。だから、私はテンカ様を守ると――」
俺はもう黙れ、と手を振る。
「ご高説結構。ただね、蟻に齧られながらだと滑稽なだけだぜ」
蟻に齧られたところで痛みはない。だから、気にしていないのだろうが、傍から見ると間抜けな姿である。どれだけいい話だったとしても、右から左へ抜けること請け合いだ。
「言葉じゃ分かり合えそうにない。もう、やりあうしかないだろ」
俺が肩に担ぐ斧が光を帯びた。
「《地裂斬》」
光る斧が地面を叩くと、地を這う衝撃波が生まれる。衝撃波で蟻が吹き飛ぶ。ヨミへの道ができた。道を駆けながら斧を投擲。《トマホーク》のアーツである。
《地裂斬》の衝撃波の速度は遅い。避けようと思えば避けられる。だが、ヨミの背後には呆然と座り込むテンカがいる。ヨミは腰を落とし、衝撃波に耐える構え。
「馬鹿! なんで避けなかった!」
我に返ったテンカがヨミを責める。
「ボクは平気だ! あれは避けろ!」
衝撃波に続き、飛来する斧を指差し、テンカが言う。
命令されるのが嬉しいのか。ヨミは「はい!」と斧を避ける。
……なんだろうな、あの二人の世界は。状況に酔っているのか、テンカも笑みを浮かべてるし。あれか。姫と騎士なのか。テンカは男なのだが……妙に姫がしっくりくる。
さしずめ俺は姫を攫いにきた悪者か。
あんな可愛げのない姫、攫いたくもないんだが。
茶番だ。やる気がガリガリ削られるのを感じながら《瞬動》で距離を詰める。
ヨミの目の前でこれ見よがしに拳を握る。
さて、ここで《トマホーク》をおさらいしておこう。投げた斧が手元に返ってくるアーツである。注意しなければならないのは、投げた場所に戻ってくるのではないということだ。こうしている間にも斧は俺を捕捉し続け、俺の元へはせ参じようと飛んでいる。では、俺の手がどこにあるかと言えばヨミの顔の前だ。
つまり、どうなるかと言えば、
「――ガッ」
ヨミの後頭部に斧が命中する。
くるくる回転しながら斧が俺の手に収まる。
「ここまで上手くいくとは」
ゲーム時代、《トマホーク》のフェイクは、ワリと有り触れたものだった。だから、態勢を崩せたら御の字。その程度の軽い気持ちだったのだが……あの頃は復活があった。殺しても大丈夫だった。だから、気兼ねなく対人戦ができた。技術が磨かれた。しかし、ヨミは冒険者。メインは魔物退治だ。引っかかるのも当然か。
「寝とけ」
斧の柄を両手で握り、思い切り振り下ろす。
ぐえ、とヨミが潰れる。
「よくもヨミを!」
テンカが俺を睨む。
その瞬間だ。俺の意識に靄がかかった。だが、それも一瞬のこと。靄が晴れ……戸惑った。何をしているのか。テンカは友達だ。パラパラ漫画から間を抜いたかのように、前後の脈絡がおかしくなっている気がした。だが、違和感を覚えても、その正体が掴めない。テンカは友達だ。間違いない。だったら、俺のやることは決まっている。
「ふん!」
テンカをぶん殴った。
「ぶえっ」
テンカが吹き飛ぶ。
ざまァねぇな。
まー、友達を殴っておいて、その感想もどうかと……あれ、問題ないか。俺、テンカと友達じゃないし。ふむ。《刻の魔眼》と同じく、視線で発動するのか。だから、視線が外れた途端、正気に戻ったと。
「《魅了の魔眼》が効いてないのか!?」
テンカは起き上がるなり喚く。
《魅了の魔眼》ね。聞いたこともない。スキルではなく、テンカの異能だろう。
「そうでもない。効いてたぜ」
「なら、なんでボクを殴る。友達と思っていたはずだ」
「あのな。お前、自分のしてること理解してないのか。友達が道を外れたら殴って止めてやるのが本当の友達だろ。異論はあるだろうが」
「そんなフザけた理由でッ。《魅了の魔眼》を破ったのかッ」
逆上したテンカが殴りかかってきた。狩人が弓を手放したのだ。激情に支配されているらしい。拳を掴み、引っ張り、膝で蹴る。テンカの身体が浮く。そのまま一本背負い。顔を真っ赤にしたテンカが口を開く。だが、そうはさせない。腹を踏む。最早、矢を射かけられた怒りはない。これは茶番を見せられた分。そして、精神を操られた分だ。
「キングを倒せ!」
テンカに足を乗せたまま、一喝する。
遅まきながらキングを倒し始めた面々を見ながら、俺はボヤく。
「……初日からこれじゃ、先が思いやられる」
明確なリーダーがいないのが、まとまらない理由だろう。一番リーダーに相応しいのはロイだ。冷静で、強い。彼ならナジェンダも文句はないはずだ。道中、そういう話も出たのである。しかし、《ドラゴンホーン》のリーダーのテンカを差し置いて、俺がリーダーを務めることはできないと断られた。テンカは気にしていなかったが、ロイを説得するだけの熱もないらしかった。かくして、緩い団体行動と相成っていた。
「……誰かリーダーをやってくれねぇかな」
ヘルゲが何かを言いたげに俺を見ていた。
ああ、そうか。
リーダーを足蹴にされていたら、物申したくなるだろう。
テンカから退くと、違うと言いたげにヘルゲが首を振った。




