第2話 空の旅
空が近い。
黒竜の背中で俺は重ねた手を枕にして寝転んでいた。
図体はデカい。態度もデカい。だが、中身は子供。
黒竜の名はヤーズヴァル。ヤーズヴァルを従えることができれば、自然と玉座はついてこよう――と、時の王が言った故事から王騎竜の二つ名を持つ。が、俺は座りの悪い玉座になんて興味はない。専ら移動手段として利用していた。こういうと聞こえが悪いが、俺達を乗せて飛ぶことを、ヤーズヴァルも喜んでいる。
「エラドリム鋼国はドワーフの王国だ。世界最古の王国の一つであろう。女王ハーチェ以前を前期フォンハウム王朝、以後を後期フォンハウム王朝と呼ぶ。ハーチェは五百年前の人物で、偉大なる賢王として語り継がれている。ハーチェは様々な施策を行い、その悉くを成功させている。賢王という後世の評価も間違ってはおらん。しかし、当時はお転婆として、各国に話は伝わっていた。いや、それは蛇足か。ハーチェの以前と以後で、前期、後期と王朝が分かれるのは――」
黒髪の幼女がこれから向かうエラドリム鋼国についてレクチャーをしている。五百年間、転生を繰り返してきた元魔王のシュシュだ。通り一遍の説明だけではなく、当時を知る者にしか語れない、生きた情報が盛り込まれ、聞いていて飽きることがない。
「鋼国にそんな歴史があったとは寡聞にして知らなかったな」
驚きを素直に表現するのは赤髪の女性。Sランクの冒険者、アリシアである。二つ名は姫騎士。外見と中身の乖離が激しい、残念美人である。無類の刃物好きなのだ。刃物を研ぐ彼女の姿を見たら、百年の恋も冷めることだろう。
「しかし、お転婆と言われるくらいだ。様々な逸話があったんだろう?」
「迷宮でやらかした話が多かったのう」
アリシアの言葉にシュシュが苦笑する。
話を聞くとやらかした、という表現がしっくりくる、間の抜けた話が多かった。怪しげな宝箱を開け、生死の境を彷徨った話。魔物の群れに飛び込み、タコ殴りにされた話。周囲の制止を振り切り、ボスに挑んで敗れた話。通りすがりの冒険者が加勢してくれていなかったら、ハーチェの命運は尽きていたと言われているらしい。その冒険者はエルフでありながら、一切魔法を行使することはなく、拳一つでボスを倒したと言う。
……どこかで聞いたことあるような話だな。
三人の視線が残った少女に集中する。
「それ、私のことかも」
少女の名はリオンセティ。血の繋がらない俺の妹である。セティが愛称だ。二つ名は災厄の魔女、または蒼穹の魔女。アリシアの師匠でもある。二人の頭の悪い会話を聞いていて、頭痛を覚えたのは一度や二度ではない。可憐な容姿とは裏腹に脳筋の気があるのだ。
「あの人がハーチェだったんだね。うん、向こう見ずな人だったよ」
「セティは迷宮に何か用があったのか?」
俺が言うとセティは考え込む。流石に記憶があやふやなのだろう。
「兄さんがいるかなって。探してたんだと思う」
「……なんで俺が迷宮にいると思ったんだよ」
《ゼノスフィード》はかつてゲームの世界だった。サードアームズ社が開発、運営するVRMMO-RPG。《ゼノスフィード・オンライン》――《XFO》の舞台。しかし、運営開始して何年かして、《XFO》はデスゲームと化した。プレイヤーの多くがデスゲームのクリアを目指した。しかし、俺はセティと共にいるため、プレイヤーに反旗を翻した。
黒い装備から俺は黒衣の死神と呼ばれ、恐れられた。
だが、デスゲームはクリアされ、《ゼノスフィード》は異世界化した。
救世の英雄、ユマの推測では俺はこの時一度死んでいる。状況証拠だけであり、真実は定かではない。とはいえ、俺が異世界化した《ゼノスフィード》の土を踏むまで、五百年間の空白があったのは事実である。確証が取れないだけで、推測は正しいと思っている。
俺が姿を消し、セティは俺を探して世界中を旅していたらしい。
ハーチェと出会ったのもその時のことだろう。
大昔の歴史に妹が足跡を残している。何とも言えない感慨が胸を過った。
「しかし、オウリよ。本当に鋼国に向かうので良かったのか?」
「心配性だな、シュシュは。バレやしないさ」
俺達が世界を巡っているのは、亜人の迫害の実情を知るためだ。エルフの国、ドレスザード神国は見て回った。残るはドワーフとセリアンスロープの国である。
俺がドワーフの国を選んだのは、腕のいい鍛冶師がいるからだ。
親父との戦いで大分八咫姫の《耐久度》が減っている。ここまで《耐久度》が減ってしまうと、砥石では《耐久度》を回復しきれない。鍛冶場を使い、鍛冶師が研ぎ直す必要がある。八咫姫は最終装備の一つだ。未熟な鍛冶師では扱いきれない。
シュシュが懸念しているのは、顔見知りに合うことだろう。
俺は神国との戦争で死んだことになっている。神国に何が攻めてきても、森神が守ってくれる。そうエルフに信じさせるため、俺は悪役となり、森神に殺された……と装った。茶番であることを知っているのは、神国の国王のグレイグだけである。
俺の生存がエルフに伝わると無用な波風を立ててしまう。
だが、俺の顔を知っているのは、牢屋に捕まっていた連中だろう。
牢屋に捕まっていたのはドワーフの商人が多かった。そういう意味ではシュシュの懸念は最もである。しかし、一緒に脱獄した仲である。バレても口を噤んでくれるはずだ。
と、つらつらと俺の考えを述べれば、シュシュは呆れ顔になった。
「……楽観的だのう」
「国に町が一つしかないなら分かるぜ。でも、沢山あるだろ。探したって見つかるか怪しい。もし、それでも見つかるようなら、運が悪かったと思うしかねぇよ」
「……ふむ。どう思う、アリシア?」
シュシュは脱獄に参加したアリシアに話を振る。
「オウリの言う通りだろう。足がつくとしたら私からだな」
「ふふっ。アリシアはSランクの冒険者だもんね」
「ええ、師匠。ですが、師匠達に比べたら私は小物だと思うんですけどね……」
「言ってしまえば俺達は過去の人だからな」
黒衣の死神。魔王。災厄の魔女。
どれも伝説として語り継がれる異名だ。比べたらSランクも霞んでしまう。
しかし、伝説とは過去だ。影響力では現在を生きるSランクに軍配が上がる。
「あ、兄さん、見えてきたよ」
セティに揺すられ、俺は身体を起こす。ヤーズヴァルの頭越しに、ミニチュアのような家々が見えた。交易の中心だけあり、道を馬車が行きかっている。少し離れた場所には山がある。ヤーズヴァルの塒の一つ。このため、ヤーズヴァルが飛んでいても怯えられることはない。エンドレットの第一印象は湖畔の宿場町だった。住人よりも商人の方が多いように見えるのだ。町の規模も首都というには物足りない。
「んじゃ、行ってくるわ。冒険者ギルドで落ち合おう」
明確な用事があるのは俺だけだ。三人を付き合わせるのも悪い。ヤーズヴァルを途中下車し、先に用事を済ませておくのである。三人は塒から歩いて合流する予定になっている。塒から町まで距離はあるが、今日中に合流できるだろう。
隠者のローブのフードを被る。
《穏形》の効果があり、認識され辛くなる。セティの住処に行くアリシアを尾行する際に使ったのもこのローブである。俺は本職の狩人ではないので、気配を完全に殺し切るのは無理だ。しかし、町外れに着陸する分には、効果を発揮してくれるだろう。
宙に身を投げる。
直後だ。
「なっ!?」
衝撃が二度あった。
右を向く。セティがいた。
左を向く。シュシュがいた。
二人は俺の腕に抱きついていた。
「は? お前ら、何を……!?」
焦る。俺が平気で身を投げられるのは、風で着地の衝撃を殺せるからだ。だが、三人となると制御が難しい。《エアライド》を使えば、安全に到達できるだろう。しかし、階段を降りるようなものだ。時間がかかってしまう。誰かに気付かれる恐れがある。
「し、師匠!? シュシュも! オウリ! 二人を――」
アリシアが何かを叫んでいた。しかし、後半は聞き取れなかった。多分、二人を頼むとか、そういうことだろう。だが、よくよく考えてみれば、心配は無用なのである。セティは《空歩》で、シュシュは魔法で減速できる。俺のようにスムーズな着地ができないだけで。アリシアの慌てぶりからすると、これは二人の独断専行なのだろう。
右へ、左へ、俺は睨み付ける。
「えへへ、私もいく」
と、セティが微笑んで言えば、
「セティに抜け駆けさせるわけにはいかんからのう」
シュシュは対抗心を露わにする。
「…………はぁ」
馬を引く丁稚らしき少年が空を見上げていた。ポカンと口が開いている。一人、一人と釣られて顔を上げ、揃って同じような顔になる。そりゃ、そうだろうよ。空から人が降って来たんだし。
「なんだか、注目されてるね」
「……セティ、何を暢気な。これは……町の中心に向かっていないか?」
シュシュの言う通り俺達は町の中心に落下している。
二人に抱き着かれた勢いで落下地点がズレたのだ。
ヤーズヴァルは危険ではないと知られてはいるが、やはりあの威容は衆目を集めるのだろう。丁稚の少年だけでなく、空を見上げる人はいた。《穏形》を発動させていない二人が飛び降りた時点で、気付かれてしまうのは避けられなかったらしい。
「……下に着いたら一目散で逃げるぞ」
分かった、とセティが俺の腕にしがみ付く。それを見たシュシュが、「妾も!」と。
そうか、そうか、人任せか。いいけどな。
二人の自主性に任せたら、もっと大事になる気がする。
怪我人は二人までに抑えないとな、と思った。




