第23話 試練6
お待たせ致しました。
「手加減は出来ぬが?」
俺の宣戦布告に親父が目を細める。「上等だよ」と返すと、目が一層細まる。
シュシュを下ろそうと腰を落とすも、シュシュが抱き付いて離れてくれない。ぎゅっと締めつけて来るので、ぷにぷにした感触が首筋に伝わる。幼児特有の柔らかさに癒され……ハッとする。危ない。俺をロリコンにする気だ。シュシュを引き剥がし、放り投げる。抱き付いていた体勢のまま、シュシュはころん、と転がり…………起き上がる。
……起き上がり小法師かよ。
「……オウリ。妾は納得しておらんぞ」
シュシュふくれっ面だ。
「もう、決めたことだ」
「妾を未亡人にする気か」
「……結婚してねぇし。やめてくれね? ぐいぐい来るの。セティもだけど」
多分、冗談ではあるのだろう。しかし、ここで「夫の帰りを待つのが妻の役目だ」などと、軽口を返せば言質を取られたことになってしまいそうで怖い。
「やれやれ、軽口も返せんとは余裕のない証拠よ。良き妻は家を守るのが務めぐらいのことを言ったらどうだ」
「……自分で言いやがった」
「……か、軽口の手本を示したまでだ。わ、妾の本心ではないのだぞ?」
「……頼むからそこで照れるなよ」
俺まで照れ臭くなっていると、くいくいと服が引っ張られた。
「私は兄さんの勝利を信じてるよ」
振り返ると俺の服の袖を掴むセティがいた。ギョッとして土の結晶を見れば、アリシアが代わりに張り付いていた。胸を撫で下ろすと、セティが唇を尖らせる。
「もう。私だって優先順位ぐらい分かるよ?」
「……まァ、そうなんだろうな」
親父と対話が成立するのも俺達が土の結晶を握っているからに過ぎない。土の結晶を手放せば親父は嬉々として……かどうかはさておき、再び襲い掛かってくるだろう。
アリシアに土の結晶を抑えさせたセティの判断は上々である。
しかし、俺が神罰騎士団と戦っていた時の話だが、俺の雄姿に興奮したセティは敵を無視して飛び跳ねていたという。疑念を抱いて当然だと思う。
「ねえ、兄さん。あの人、お父さんなの?」
「ん? 伝えなかったのか、シュシュ」
「確証はなかったし、オウリの父君だと知り、セティがどう思うか」
俺もセティの家族と戦うとなったら、無意識に手心を加えてしまうだろう。だから、シュシュの懸念は分かる。しかし、セティは理解出来ないのか、小首を傾げていた。
「兄さんのお父さんだったらなに? 兄さんは――家族は私だけって言ってくれたよ」
俺の家族はセティだけ。
血の繋がりがあっても親父は赤の他人。
だから、ぶっ殺しても何の問題もない。
そういう論法なのだろうが……割り切り方に呆れてしまう。セティといるために世界を敵に回した俺が言えた義理ではないが。ただ、俺の場合、葛藤を経て決意している。セティには葛藤すらない。危うくも思えるが……それより嬉しさが勝ってしまう俺も歪んでいるのだろう。いや、逆か。俺が歪んでいたからセティもそれに合わせて歪んだのか。
「兄さんの妹のリオンセティです。はじめまして」
「久我巌。桜理の父だ」
それきり二人の会話は途切れる。
無口な男と天然な女の会話に毒気が抜かれたのだろう。シュシュは諦めたように嘆息すると、俺の顔を見て言った。
「勝算はあるのか?」
「ない。が、不思議と負ける気はしない」
やれやれ、とシュシュは立ち上がる。巻き込まれないよう離れるのだろう。
「……ふん、女心を解さぬ唐変木め。死にたいのなら勝手に死ね。死体になったお主を可愛がってやろう」
そう言えば魔王時代のシュシュは、竜の人形を影で操っていたという。
思い出したくないと言っていた魔王時代を引き合いに出すとは。
相当ご立腹らしい。
俺の体調は万全とは言い難い。
左目も左腕も失っている。
シュシュが心配するのも無理からぬ話だ。
だが、失ったものの代わりに得たものもあるのだ。しかし、それを語ったところで火に油を注ぐだけだろう。なぜなら、それが一体何であるのか、自分でも判然としない。
と、アリシアが力強く頷く。逆にシュシュは項垂れていた。多分、シュシュは俺の身に危険が迫るようであれば、土の結晶を壊せとアリシアに合図していたのだ。シュシュ自ら土の結晶へ向かわないのは、いざという時に俺を守るつもりだからだろう。
「セティ、シュシュを――」
「見張っていればいいんだね。いいよ。それで兄さんが安心できるなら」
セティは徒労だと思うけど、と言わんばかりである。
アリシアは決闘に何も言わなかった。内心はどうであれ、俺の意思を尊重してくれている。騎士だからだ。同時に拾える勝ちをみすみす捨てるのはアホらしい、というシュシュの意志も汲んでいる。冒険者だからだ。とはいえ、ギリギリまで介入は避けるだろう。セティは言わずもがな。しかし、シュシュだけは逸って土の結晶を壊しかねない。
「待たせたな。さて、やるか」
「……それがお前の選択ならば。私が口を挟むことではないが……」
親父の顔に一瞬、沈痛な色が浮かぶ。
……ん? なんだ?
「せめて、安らかに送ってやろう」
親父が刀を抜刀する。《一の太刀》だろう。首を刈りに来ている。俺は思い切り上半身を逸らす。虚空を薙ぐ刀を見て、親父が怪訝そうな顔。ははあ、腑に落ちた。俺が死ぬつもりで決闘を申し込んだと思っていたのか。命を差し出すことで仲間の安全を買おうとしている、と。
……ハァ。馬鹿にするなと言いたいが。情けないところを見せて来たし。そう思われてしまうのも仕方がない。
ならば、示そう。
「《虎影脚》」
意志を。
「《御霊刈り》」
力を。
身体を寝かせた体勢から蹴り上げ。親父の腕が高く跳ね上がる。風で身体を横回転させつつ、蹴り上げた足を引き戻す。上下逆さまになった状態で回し蹴り。足裏から伝わって来るのは、大地のような確かな感触。
「硬てぇな」
両手で地面を押し、後ろへ退く。頭上を何かが通った。眼前に舞う俺の髪。返す刀で俺を斬り伏せようとしたらしい。腰だめに刀を構え、親父が一歩を踏み出す。カチ、とスイッチが入る音を聞いた気がした。先程、地面に手を付いた時、《ロックマイン》を仕込んでおいたのだ。しかし、爆発など物ともせず、親父は高速の突きを放つ。《トライエッジ》。
「いやはや、無理ゲーだろ。ダメージが通らねぇとか」
《ロックマイン》はダメージを与えなかった。だが、足場を崩すことには成功していた。外れると分かっているアーツなどいい鴨だ。インベントリから槍を取り出す。構える。突く。悠々と実行出来た。胸に浮かんだ薔薇の紋様を見て、親父が顔を顰める。
急所を作り出すアーツ、《ロサゼール》である。
「普通にやってもダメ。なら、急所はどうだ?」
俺は前がかりになる。しかし、足は出さない。重心の移動だけ。親父の刀が光り、弧を描く。《サークルスラッシュ》だ。新しい急所が生まれた。一気呵成に攻めてくる。そう思わせた時点で、この読み合いは俺の勝ちだ。アーツを避けることは可能である。
しかし、俺は敢えて前に出る。
回復薬を取り出し、親父の刀に当てる。瓶の上半分が切り取られる。回復薬に飲み口はあるが、やや小さいため広げたのだ。次の一手のための大事な下準備である。
回復薬を放り投げると、親父の刀に当たりに行く。
「…………チィッ」
親父が舌打ちを漏らす。
光る俺の拳を見て、狙いを悟ったらしい。
刀の光が収まらないところを見ると、やはり、七大神も世界の理に縛られているらしい。ここでアーツがキャンセルされていたら、一転、俺は絶体絶命だっただろう。
刀の切っ先が俺の脇腹に滑り込んで来る。切れ味が鋭いからか。不思議と痛みはない。だが、体内を異物が移動する気持ち悪さは筆舌に尽くし難い。
肉を切らせて骨を断つ、か。
俺の戦い方じゃないんだけどな。
やりたくないことをやらされているんだし。
精々、欲張ろうか。
骨と言わず――
「――心臓、貰うぜ」
拳が親父の胸を貫く。カウンターのアーツ、《鳴叉》。俺の攻撃力では親父の防御力を貫けない。だったら親父の攻撃力を借りてくればいい。俺も大ダメージを負うことになるが、どうせ親父の攻撃をまともに食らえば即死だ。《チャクラ》でチマチマ《生命力》を失うよりは、一気に消費して大ダメージを得た方が得だ。ただ一つリスクがあるが、それは降り注ぐ雨で解消された。回復薬の雨により《出血》が治った。
「……き、貴様……」
親父の身体が痙攣するのが、貫通した腕から伝わって来る。白目を剥く親父だったが……黒目が戻ってくると、ギロ、と睨まれた。
「……その目。何が……映って……いる……」
「さてね? アンタの無様な姿かな」
親父は苛立たしげに歯噛みすると、俺の腕を掴む。避けようがなかった。親父の胸に穴を開けたはいいが、腕が抜けなくなっていたからだ。圧迫感があるので、締めつけられているのだろう。ゴーレムの身体と言うのは便利である。
「……この未来は……見え……なかったか?」
「未来?」
「……未来だ」
「ああ、なるほどね」
やけに親父の行動が先読み出来ると思っていたのだ。
どうやら俺は右目で未来を垣間見ていたらしい。
未来を覗き見る《未来視》は時魔法に存在する。《時間遡行》と並び、権力者の垂涎の的……と思いきや、《未来視》は非常に人気がなかった。未来になるにつれ、精度が落ちるためである。しかし、数分先であれば、かなり正確に見通せた。親父の《未来視》と比べたら、俺が発動している《未来視》は、近々のことしか見通せないだろう。
だが、畢竟、戦いとは刹那の連続だ。
相手が次に打つ一手が分かるだけで、圧倒的なアドバンテージを持つ。
道理で負ける気がしなかったはずだ。
この土壇場で《未来視》に開眼したのは、親父が《時間遡行》を使ったからだろう。あれでこの場に時の《魔力》とでも言うべき《魔力》が漂うようになった。その《魔力》で《刻の魔眼》が強化されているのだ。
「親父、さっきの問いだが。勿論、この未来も見えたぜ。でも、仕方がないだろ? こうでもしなきゃ、ダメージ通らねぇんだし。それに――」
足裏で親父の足首を掬う。馬鹿な、と親父は言いたげだ。
「――窮地ってワケでもないしな」
指摘されるまで《未来視》に気付けなかったように、俺は直接目で未来を見ているワケではない。俺が普段身を委ねている感覚と《未来視》は非常に似通っていた。幾千、幾万と繰り返した戦いの経験。それが俺の先読みに自負を与えてくれる。俺の選択は間違っていない、と。が、やはり一抹の不安は残る。その不安を《未来視》は消し去り、自負を確信まで昇華させてくれるのだ。
俺は仕掛ける機を窺っていた。
いける、と思った。
だから、成功した。
恐らく親父も攻撃しようとしていたのだ。だが、僅かだが俺の動き出しの方が早かった。出鼻を挫かれ、親父の意識に間隙が生まれた。その隙間を縫うようにして、足払いを決めたのだ。
俺の腕は二の腕まで貫通している。肘を曲げ、背後から親父の腕を掴む。
「…………なんだッ!?」
然しもの七大神も身体を通過させて、腕を取られた経験はなかったと見える。
驚愕する親父をよそに、俺は《呼応投げ》を発動。
親父は地面に勢いよく両腕を突き、身体を跳び上がらせようとする。《呼応投げ》に掛けられた者は自ら跳ぶ。だが、跳ぶと言っても別段、足である必然性はない。要するにその体勢から跳び上がるとして、自分ならどういう行動を取るのか。それを無理やり実行させるのが《呼応投げ》というアーツなのだ。親父に手を離させることに成功したが、相変わらず腹筋……的な何かで腕が締めつけられている。親父の動きに合わせ、俺の身体も引っ張られる。親父の後を着いて行くのは、子供の時分だけで十分である。
親離れするべきだろう。
「《砲天響》」
親父の腹を思い切り前蹴りで押し出す。
舞い上がる親父から目を切り、引き抜いた手に目を落とす。
手には心臓が収まっていた。土で出来た心臓である。腕を抜くついでに頂戴した。しかし、心臓は脈打っていない。心臓としての機能はないらしい。首だけになって生きていた時点で、多分そうだろうと思っていたが……これでは致命傷にはならないだろう。
だが、これはこれで役に立つ。
見上げると親父は落下を始めていた。
「なあ、親父。俺の二つ名を知ってるか?」
「…………黒衣の……死神……」
「死神に命を握られた気分はどうだ?」
俺はこれ見よがしに心臓を掲げ……親父が注視したところで握り潰す。親父がハッと胸に手を当てる。呑まれたな。その瞬間を逃さず、殺気を親父に放つ。《エアライド》で空中を駆け上がる。《瞬動》は使わず、殊更ゆっくりと。親父は《委縮》している。急ぐ必要はないし、焦りを見せるワケにもいかない。俺と親父のレベルの差で、《委縮》する方がおかしいのだ。切っ掛けがあれば簡単に《委縮》は解除されるだろう。
俺は親父を追い越すと、
「幻視したか? それが死だ」
真上から目を覗き込み、言う。親父の瞳孔は開ききっていた。
ゴーレムの依り代において、心臓は大事な器官ではない。しかし、七大神も本来は人と変わらない身体構造をしているのだろう。だから、心臓を握り潰されたことで、死んだと錯覚してしまったのだ。
「なぜ、死神は鎌を持つと思う?」
親父の落下速度に合わせ、俺も頭から降下を開始する。
「剣でも、槍でも、斧でもなく」
一言発する度に、親父の顔色が悪くなる。
魔法のような効果だが、別段驚くには値しない。古来より日本では言の葉には力が宿るとされていた。言霊ともいうし、有体に暗示でもいい。暗示と馬鹿にするなかれ。暗示で人は死ねるのだ。
「収穫に武器は必要ないからだ」
言外にそれだけの力の差があると告げ、俺は前方に回転する。《雷声落とし》だ。撓る足が死神の鎌と化し、親父の首を刈らんと唸る。喉に踵がめり込む。
墜落する親父を《エアライド》を足場に追う。
腰の八咫姫が「油断するな」と震える。分かっていると鞘を撫でる。死を連想させるのに二つ名を使ったため、死神らしい言動を心がけたまでだ。俺は黒衣の死神と呼ばれているが、そんな超越的な存在だとは思っていない。油断出来るはずがない。
「淑女たる大地よ。御身に触れる愚物に嘆きの棘を」
《アーススパイク》が親父を背中から突き上げる。
「…………かはっ」
空気を求め、喘ぐ親父。心臓があの調子ならば、肺も機能していないはずだ。酸素なぞ必要ないだろうに。ほとほと生身の感覚が抜けないらしい。
呆れつつ、八咫姫を抜く。
刀が光ると、くん、と身体が引っ張られる。アーツによる姿勢の補正だ。
身体が回転を始め、親父の姿が見えなくなる。敵に無防備な背中を晒すのは恐ろしい。そのデメリットを背負っているからこそ、序盤で習得出来るアーツにしては、《バニッシュメント》の威力は非常に高い。一回転。親父が見えた。変わらぬ体勢。回転の遠心力。落下の重力。それらを乗せ、八咫姫が振り下ろされる。親父の喉に衝突し、腹に響く音が轟く。これがあるいは抜刀術なら、切り傷ぐらい作れたかも知れない。しかし、《バニッシュメント》は叩き潰すアーツである。親父を支える土の杭が潰れた。そのまま親父を地面に押し潰す。
もうもうと上がる土煙の中、俺は親父と至近距離で睨み合う。
「昔、親父言ったよな。家名を名乗るなって。親父には分かってたんだろ。俺が久我の名を重荷に思ってることを。だから、名乗るなって言った。違うか?」
「…………さてな」
そう返した親父の瞳には、理性の輝きが戻っていた。
「ま、いいさ。素直に言うとは思ってないし」
俺は刀を引き、親父から離れる。
親父は立ち上がると、服に付いた土を払う。落ち着き払った所作である。胸に開いた風穴など、気にも留めていない。血の通わぬ依り代だと思い定めたらしい。
「ケリ、つけようぜ。ダラダラ続けてても仕方がない」
渾身の《バニッシュメント》でも、大したダメージは与えられなかった。《未来視》があれば主導権を握り続けることは出来る。しかし、俺の攻撃力が足りていないため、千日手の様相を呈すことになるだろう。依り代の自壊で決着だ。そんな中途半端な結末は求めていない。
「親父に勝ち、俺は家名を取り戻す」
出来損ないは家名を名乗るな。親父にそう言われた時、ファンタジーな世界に和風な苗字は似合わないと減らず口を叩いたが、本音を言えば救われた気分だったのである。
時魔法使いを名乗れない出来損ないだという自覚があったからだ。
しかし、元を正せば家名というのは、家族の繋がりを示すものである。
連綿と続く歴史が家名に重みを与えているに過ぎない。
時魔法使いの家名は要らない。
久我巌の息子、久我桜理。
そう胸を張って言いたいだけだ。
「息子だって言ってくれたからな」
親父は呆けたように俺を見ていた。
俺と親父の間を隔てる溝は、一朝一夕で埋まるものではない。
しかし、家名を取り戻すことが、第一歩になることは間違いない。
「お前の目に未来はどう映っている?」
ぽつり、と親父が言った。
「負けて悔しがる親父の姿が映ってるよ」
すると、親父は、
「くくくく、はははははは!」
呵呵大笑する。
眉を顰めていると、親父が目元を拭う。いや、涙出てないし。
「青いな、桜理。お前もいずれ、知るだろう」
言って、親父はセティに視線を投げた。次にシュシュに。親父の意図が読めず戸惑っていると……視線を向けられた二人は理解出来たらしい。なぜだか満面の笑みになっている。笑みに不穏なものを感じるが……咎めるのも難しい。何と言えばいいのか。
「ふむ。いいだろう。渾身の一撃を放つ。防げばお前の勝ちだ」
親父の雰囲気が一変した。発する《魔力》が増大している。覚えがある。顕現の際に感じたあの濃密な《魔力》だ。
「防がねば、皆死ぬ。桜理、覚悟は?」
「……ああ、いいぜ」
声が震えなかった俺を褒めてやりたい。
それほどまでに今の親父は圧倒的だ。この姿を最初から見せられていたのなら、ノームに尋ねるまでもなく七大神と確信出来た。これが親父本来の《魔力》なのだろう。依り代に受容出来ないため、抑えていたのではないだろうか。依り代の崩壊が加速度的に早まっている。とはいえ、所詮、《魔力》だ。あれだけ魔法を連発しても、《魔力》切れを起こさなかったのだ。大勢に影響はない。俺はノェンデッドと事を構える可能性がある。
七大神とはどういう存在なのか。
それを示してくれているのだろう。
「…………兄さん」
肩越しに振り返ると顔をしかめたセティが、ぐったりしたシュシュを抱きかかえていた。
シュシュは気絶しているらしい。トラウマが呼び起こされたのか。七大神の一柱、ノェンデッドに一度惨敗を喫している。シュシュの装備、クラスから考えて、それ以外に考え辛い。アリシアはと言えば……直立したまま白目を剥いている。勇ましくも……残念な美人だな、ホントに。
「……一言だけいいたくて。兄さんならできるよ」
「先達として、忠告しよう。《未来視》に映る実像は、心象の発露に過ぎぬ。それを見誤るようなことがあれば、希求する未来には辿り着かぬ。妹の言の葉を心に刻め」
……どいつも、こいつも。心配性だな。
親父が何をしようと、俺は勝利を収める。
それに疑いはなかった。
だが、今ならより良い未来を――
「では、行くぞ」
親父の身体が閃光に包まれた。俺は目を細め、《魔力感知》の感度を落とす。《魔力》とは燃料だ。魔法が発動する瞬間、最も激しく燃え盛る。第十階梯以上と思しき固定砲台を生み出した時でも、こんなに眩しくはなかった。恐らくは広範囲に影響を与える魔法だろう。《未来視》でも分からない。しかし、不安はない。親父の魔法は発動しないからだ。
親父の掌から《魔力》が溢れ出す。
俺は一足飛びに親父の元へ駆ける。
親父はサシの勝負になってから魔法を使おうとしなかった。セティ達を巻き込むのを恐れていたのだろう。だが、今、発動すれば死が確定する魔法を使おうとしている。
信じたのだ。親父の敗北を予見した俺の《未来視》を。
期待に応えたい。そう思うと――未来が書き換わった。
「兄さん! がんばって!」
セティの声援を受け――また、未来が書き換わる。
より良い未来を掴もうと、俺は手探りで進んでいる。しかし、最良の未来を常に掴み取れるとは限らない。未来が書き換わる度に都度修正を図っている。だから、これは予想だにしていなかった。俺が想定していた未来より遥かにいい。
ああ、そういうことか、親父。
――《未来視》に映る実像は、心象の発露に過ぎぬ。
心だ。
心が身体を動かす。
俺の手に黒い陽炎が生まれた。熱くはない。むしろ、冷たい。僅かにでも制御をしくじれば、その瞬間霧散してしまうだろう。未来を演算し、検算する。膨大な数の未来が生まれ、消えていく。黒い陽炎が八咫姫の柄を這い、刀身を覆う。さしずめ淑女のドレスと言ったところか。
「神を喰らえ――八咫姫」
八咫姫が閃く。ドレスの裾を棚引かせ。
――世界から《魔力》が消失した。
掛け値なしにそう思った。
「…………何をした」
掌を凝視しながら親父が吐き出すように言う。凶悪なまでの《魔力》は、掌から消失していた。
「《魔力》を喰った」
端的な答えになったのは、自分が何をしたのか、良く分かっていないからだ。俺なりに《闇の帳》をアレンジして見たら、なぜかああいう形で発現したのである。成功したのは何度も《闇の帳》に《魔力》を喰われたからだろう。あれで《魔力》を喰うという感覚が掴めたのだ。セティとアリシアが《魔力感知》を習得したように、実戦でなければ到達出来ない境地があるのかも知れない。
「俺の勝ちだな」
八咫姫を鞘に収める。親父の胸は真一文字に切り裂かれている。踏み込めば両断も出来た。それが分からない親父ではないだろう。
「……そのようだ」
無茶をした反動で親父の身体は自壊寸前だ。裏を返せば自壊寸前で留まっている。もし当初の《未来視》通りに事が進んでいたら、決着と同時に親父の依り代は砕け散っていただろう。親父は憑き物が落ちたかのようだった。神々しさはない。どこにでもいそうな……というと言い過ぎだが、気に食わないとすぐに手を出す、俺の知っている親父になった。もう二度と話すことが出来ないと思っていた親父と腹を割って話す機会を得た。
「……刻の不条理を感じたか?」
俺がまだ何の肩書も持たない子供だった頃。最強の存在は親父だった。子供の世界は狭く、閉ざされている。広い世界を知れば子供心に憧れた最強も有象無象に過ぎないと知る。それが大人へ至るイニシエーション。しかし、親父は違った。俺が足を踏み入れた世界にはスキルがあった。光の刃を放つ剣士がいた。死角のない拳闘士がいた。圧倒的な破壊力を持つ狂戦士がいた。だが、それらを知ってもなお、最強の存在は揺るがなかった。
プレイヤーが束になって掛かっても、親父が勝利すると俺は信じていた。
だが、その親父は敗北を喫した。俺に。
俺には成長の余地があり、親父にはなかっただけ。それだけの話であるが、かつて見上げた頂きは、霞んで見えたものである。辿りつけるとは思ってもいなかった。
時の流れを実感する。
そう思っての問い掛けだったが、親父は苦笑すると首を横に振った。
「……不条理? 何を言う。だから、青いと言うのだ、桜理。子が親を超えるのは道理よ」
親父はセティに向き直ると、深々と頭を下げた。
「愚息を頼む」
「…………」
微動だにしない親父を見詰めていると、知らぬ間にセティが隣へと来ていた。セティが俺の手を取る。衝動的にセティの手を強く握り締めてしまう。痛かったはずだ。しかし、セティは文句も言わず、優しく手を握り返して来た。私はここにいる。そう伝えるように。
「……あれが兄さんのお父さんなんだね」
「……ああ、あれが俺の親父だよ。口下手で……」
結局、親父は。
依り代が自壊を迎え、土へと返っていくまで、頭を下げ続けていた。
先日、近所の本屋に『ゼノスフィード・オンライン』が入荷しました。勿論、発売していたのは知っていましたし、他の本屋で見かけたこともありました。しかし、生活圏で本が並んでいるのを見ると、「出たんだなあ」という感慨がありました。
WEB版、書籍版、共々、今後ともよろしくお願いします。
書店で書籍版を見かけたら、お手に取って頂けると幸いです。