第18話 試練1
―― オウリ ――
…………くそったれ。ノームの野郎、何が手加減する、だ。
ノームが放った叩きつけの一撃により、俺の《生命力》は少なからず減らされていた。もし《チャクラ》を練っていなければ、瀕死の重傷を負わされていたことだろう。
……しかし、まァ、段取りが忘れられていなかっただけマシなのかね。
この程度で満足せざるを得ない現状に、何か釈然としない思いを感じつつ、俺は周囲の様子を《制空圏》で窺う。八百長だと言っていた相手が、本気でぶん殴って来た感じというか。肌に伝わる感触から薄々察していたが、俺は土砂に埋まっているらしかった。
《魔力》を練り、《エアハンマー》で土砂を吹き飛ばす。圧し掛かっていた圧力が消え、身体が軽くなる。《クリエイトウォーター》で水を生み出し、手と顔を洗う。身体が砂っぽい。帰って一風呂浴びたいが……それは流石に駄目だろう。人として。
目を開ける。真っ暗だった。だが、即座に《夜目10》が働き、俺の置かれた環境が明らかになる。地上と土の祭壇を繋ぐ通路に俺はいた。いや、厳密にいえばこの一帯も含めて土の祭壇なのか。壁には天然の洞窟ではあり得ない文様が彫り込まれている。
「おい、どっちへ行けばいい?」
天井から突き出たゴーレムの手を叩く。すると手が通路の一方を指差した。
「ありがとよ」
手を振り、示された通路を回復薬と魔力回復薬を飲みながら進む。
今頃、地上は大騒ぎだろうな。
劣勢から逆転したのだから、喜びもひとしおだろう。
ましてや、逆転の立役者は五百年の沈黙を破って現れた森神なんだし。
グレイグも煽っていることだろうし、お祭り騒ぎになっているかも知れない。
一枚噛んだ身としては、顔を出すのは無理だとしても、せめて雰囲気だけでも感じたい。しかし、残念ながら地上の熱狂は冷たい土に遮られ、全く伝わってこなかった。
静かなものだ。
足音だけが響く。
暫く行くと開けた場所に出た。
四角形のだだっ広い空間である。一番奥には石造りの神殿がある。
広大な空間であったためめ、相対的に神殿が小さく見えたが、近づいて行くと案外立派な神殿だった。柱が等間隔に林立し、白亜の屋根を支えている。屋根には扁額のような出っ張りがあった。そこには意匠化された四大精霊が描かれている。
柱の間を抜け、神殿に入る。
祭壇があった。
祭壇には透き通った円柱の水晶が安置されている。土の結晶だ。
四大精霊の試練はこの結晶を破壊することでクリアとなる。
シルフと戦った風の試練では、祭壇に辿り着くのが一苦労だった。
だから、何事もなく祭壇まで来れたことに拍子抜けしていた。
しかし、気は緩めていない。むしろ、気を張っている。
祭壇の結晶は四大精霊の《魔力》の色になる。風の結晶であれば緑、土の結晶であれば茶だ。だが、土の結晶は無色透明に見える。神殿に漂う濃厚な土の《魔力》が、結晶の色よりも濃かったためだ。
《魔力》が可視化している。
いるのだ。
ノームが。
無意識のうちに発動していた《魔力感知》が、あたかも透視のように祭壇の陰の人影を幻視させる。
人影が立ちあがる。
「――――ッ!」
思わず飛び退ろうとする身体の反射を、意志の力でねじ伏せる。
相手の出方が分からない以上、一旦距離を取るのは定跡ではある。しかし、四大精霊に対しては悪手だ。四大精霊は試練では無尽蔵に《魔力》が使える。遠距離から魔法を撃ち放題なのだ。距離を詰めるのは至難の業。ノームの意図は分からないが、ここまで近づくことを許してくれたのだ。折角頂いた距離なのだから、一ミリたりとも無駄にしたくない。
俺はふぅぅ、と細く長く息を吐く。煩いくらいに鼓動が高鳴っている。
厳しい戦いになる。
油断が死に直結するのは当然、予断にさえ足を掬われかねない。相手は常識の通用しない四大精霊なのだ。何が起きてもありのままを受け入れ、その上で予測に予測を重ねることで、ようやく死地に活路を開くことができる。
これが初陣だと思い込め。
右も左も分からない。
砂粒に怯えるぐらいで丁度いい。
目を凝らせ。
何一つ見逃すな。
耳を澄まし、予兆を捉えろ。
八咫姫の鯉口を切り、抜刀術の構えを取り――
――チャキッ。
「…………ッ」
内へ内へ沈みつつあった意識が、鞘走りの音で現実に引き戻された。入れ込み過ぎも良くない、と八咫姫に叱られた気分だ。全く、その通り。構えとしては先程と変わらず。しかし、硬さの取れた自然体で、人影が現れるのを待つ。
そして、祭壇の陰から人影が姿を現す。
「争う気はない。力を抜け、オウリ」
……………………は? え? なんだ、それ。
「…………王様?」
そう、現れたのは王様――グレイグだった。
「貴様に礼を言いたくてな。神国を救ってくれたこと、国を代表して礼を言う。この通りだ」
「…………はぁ」
頭を下げられても何とも思わない。首を落とすには丁度いい位置だな、とは考えたが。
なぜ、先程別れたはずのグレイグがここにいるのか……とは露程も思わなかった。
いや、偽物だろ。
どう考えても。
グレイグには騎士達をまとめるという仕事がある。大事な仕事を放り出してわざわざ礼を言いに来るはずがない。もしこれが本物なら神国の頭を挿げ替えなくてはならないだろう。大体、居るだけで《魔力》の可視化を引き起こすような存在が、人であるはずがない。
「で? 何の茶番だ、ノーム?」
俺の言葉にノームはやれやれと首を振る。非常にグレイグと似通った仕草だった。
シルフもそうだが四大精霊には定形がない。グレイグの外見を真似るのは容易かったはず。しかし、グレイグのことを熟知していなければ、仕草まで似せることは出来なかっただろう。それが何よりノームのグレイグに対する気持ちを表しているように思えた。
四大精霊は余程贔屓している人物でもない限り、名前すら覚えないのである。
「礼を言うには今しかないではないか。これから貴様は死ぬのだからな」
ノームの戯言に俺は歯を見せて笑う。
「おーおー、言ってくれるじゃねぇか。そう簡単に俺を殺れると思うなよ。てか、感謝してても全力で殺しにくるのな。まー、四大精霊らしいっちゃらしいか」
「会話が成立することで期待を抱かせてしまったか? 期待に添えないで申し訳ないがこれは騙し討ちだ」
「……こんなバレバレでか?」
「騙していたのは私自身だからな。試練が始まれば会話もままならん。しかし、貴様の寝首を掻くためだと思えば、多少は会話も出来るらしい。神国を救うためとはいえ、貴様という犠牲を出してしまう。守れず申し訳なく思っている。一言言わずにはいられなかった」
会話を戦闘の一部と捉えることで、殺意を誤魔化していると言うことか。
しかし、何を言っているんだ、こいつは?
守れなくて、申し訳ない?
「らしくねぇな。言い訳か、ノーム?」
「謝罪だ」
真顔でいうノームに俺は首を傾げる。本気で言っているように思えたからだ。
「大勢を助けるために少数を切り捨てる。ああ、王なら苦渋の決断も下さないとダメだ。だけど、お前はなんだ、ノーム? 王様になり切り過ぎて、自分を見失ってるのか? お前は四大精霊じゃなかったのか。厄介な本能的衝動を抱えた、さ」
四大精霊はそれぞれ本能的衝動を抱えている。
神により定められたイドは、信条というには生易しく、教義というには俗過ぎる。それは生態というべきで、自分でも制御することができないらしい。
シルフは自由。
ノームは守護だ。
少数だろうと切り捨てることを是と出来ないのがお前だろう、と諭してやればノームは声を上げて笑った。
「くっ、くくく。そうだ。確かに、そうだ」
元々、森神の出現はノームの計画にはなかった。騎士団が独力で俺に勝利する予定だった。しかし、それでは根本的な解決になっていないとして、俺とシルフの二人掛かりでノームを説得したのだ。俺が神都を訪れたのは土の試練に挑むためである。計画に組み込もうが、組み込むまいが、俺は土の試練に挑む。そう宣言したのが決め手となり、今の計画と相成ったなったのだ。渋々であってもノームは計画に同意したのである。この時点ではノームに俺を犠牲にするつもりはなかったはずだ。だが、今更、このようなことを言っていると言うことは――
「久しぶりに出す自分の全力にビビったか?」
図星だったのだろう。ノームがつい、と目を逸らす。
ノームが最後に全力を出したのは、五百年前のニグルドゥーラ戦だ。自分の実力を測り損ねていたとしても不思議ではない。
だが、言いたい。
「俺はシルフの契約者なんだぜ。四大精霊の出鱈目さは重々承知してる。その上でお前の計画に手を入れてんだ。あんまり人間舐めてくれるなよ、クソ精霊」
殺気を込めて睨みつけてやれば、ノームは目を瞠って俺を見ていた。
やがて、ノームは「人は強いな」と苦笑した。ノームの人柄が分かる、柔和な表情だった。しかし、次の瞬間、その表情が激変する。口が真一文字に裂けたかと思うと、整った歯がギザギザに変化していったのだ。柔らかさを感じさせる肌は、大理石を思わせる硬質なものへ。大きく見開かれた瞳には剣呑な光が宿っている。
ノームの精神の変調が目に見える形で表れていた。
「では、力を――」
と、言いかけた刹那、ノームが血相を変えた。
最前の悪相は夢だったとでも言うのか。容姿はグレイグのものに戻っていた。
以前、シルフは試練の時の心境を酔っぱらっているような感じと言っていた。酔っているだけなら酒は時間経過で抜けていくが、四大精霊に回っている血色の酒はタチが悪く、試練が終わらない限り抜けることはない。だから、突如として素面に戻ったノームに俺は眉根を寄せる。
「なぜ、あの方が――」
ノームが何かを言っていた。だが、聞き逃してしまった。
不意に立ち眩みに襲われたからだ。気が付くと俺は膝をついていた。
意識が朦朧とする。頭がガンガンと痛む。
手が見えた。指が五本ある。当たり前である。だが、至極真面目に指を数えていた。
気を抜くと真っ白に染まっていく意識。繋ぎ止めるには考え続ける必要があった。考える内容は何でも良かった。だが、難しいことは考えられなかった。遠くから荒々しい呼気が聞こえる。たぶん、俺のものだと思うが確証が持てない。
三十を数えた辺りで、意識に明晰さが戻った。
「…………なんだったんだ?」
症状としては酸欠に似ている気がした。
しかし、酸欠状態に陥るには唐突すぎた。
痺れの残る身体に鞭打って顔を上げる。すると、原因が分かったような気がした。
土の結晶が蜃気楼のように揺らめいていたのである。まさかと思いながら手を伸ばす。すると、水面に手を入れるような手触り。バカな。《魔力》に……触れる、だと? 一体、どれだけの《魔力》があれば、こんな現象が引き起こせると言うのか。
やはり立ち眩みの原因は、この《魔力》溜まりなのだろう。
準備もせずに高山に登れば高山病にかかる。
それと一緒で《魔力》の濃度の変化に、身体が付いていけなかったのだろう。順応出来ていなかったらと考えると薄ら寒い思いがした。
「おい、ノーム。何が起きて――」
言いかけて、言葉を飲み込む。
ノームの姿が消えていたからだ。
――ピシリ。
土の結晶にひびが入っていた。円柱に《魔力》が走ると、ひび割れが大きくなる。それはゴーレムを作る様子を想起させた。力強く《魔力》が輝くと、結晶が剥離していった。彫刻家がノミを振るうかの如く、平坦な円柱に起伏が生まれて行く。剥離した結晶が小山となる頃には、円柱は立派な人型を取っていた。
「…………おいおい……悪い夢でも……見ているのか……」
その男は和服を着ていた。
ただの和服なら俺も驚かなかった。しかし、和服の文様は……久我家の家紋だ。
目が出来た。
耳が。
口が――
「――――ッ!」
俺は男に中段突きを放つ。しかし、受け止められた。男の透明な掌によって。
懐かしい感覚に、遠い日の記憶が蘇る。
俺は道場で組手を行っていた。
捻りのない俺の突きは、当然の如く受けられ。
俺の拳は大きな掌に包み込まれてしまう。
掌の握力は凄まじく、押しても引いても無駄。
ならばと、俺は左で殴りかかる。
しかし、掴まれた腕を引かれ、俺はたたらを踏む。
まずい、と思った時には、迫り来る拳を見詰めるのみ。
そうして床で大の字になった俺に、硬質な声が降って来るのだ。
「無様だな、桜理」
今も昔も変わらない、慰めの籠らない声。
知らぬ間に俺は倒れていた。顔面が痛い。血の味がする。昔と同じように一撃をお見舞いされたのだろう。虫でも観察するような目で、男は俺を見下ろしていた。目を離していたのは一瞬のはずだが、透明だった男に色が付いていて、益々記憶の中の姿に近付いていた。完全に一致しないのは俺が成長して、見え方が変わったからだろうか。
胸が張り裂けそうな程に痛む。
胸に詰まる想いは、郷愁か、憤怒か。
だが、男は感傷に浸るのを許してはくれなかった。
「立たぬのなら一生寝ていろ」
そう言うと俺の頭を踏み潰しに来たのだ。俺は身体を転がしてそれを避けると、回転の勢いを乗せて地面に肘打ちを放つ。衝撃で浮いた身体を風で補正し、二本の足で立つ。
俺は感傷と一緒に血の混じった唾を吐き出す。
「久しぶりだってのに、随分な挨拶じゃねぇか」
睨む。
だが、男は表情を変えず、俺を睥睨していた。眉間に皺が寄っているが、機嫌が悪いわけではない。普段からこういう顔をしているのだ。何事にも動じない有り様は、峻厳と屹立する岩を思わせる。名は体を表すという言葉が、これ程相応しい人物もいない。
久我巌。
それがこの男の名であり、
「クソ親父め」
俺の親父だった。