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ゼノスフィード・オンライン  作者: 光喜
第2章 ドレスザード神国
42/85

第17話 聖戦5

  ――― グレイグ ――


「…………馬鹿な……あり得ん……」


 騎士団は不退転の覚悟で戦争に挑んだはずだ。それが歯牙にもかけられず一蹴されている。後方の私からは前線の様子を窺うことはできない。伝令の報告だけなら信じられなかっただろう。しかし、《拡声》が届けるキースの焦燥が報告を裏付けていた。

 

「…………神罰騎士団さえ出てこなければ……戦いになるのではなかったのか……」


 王国と干戈を交えては神国に未来はない。

 神罰騎士団と衝突すれば、一日と経たず瓦解するだろう。

 しかし、やりようはある。神罰騎士団を出さなければいい。

 王国は辺境を軽視している。貴族の数が少ないからだ。王国の貴族にとって国民とは貴族のことであり、平民はいわば物言う家畜という扱いなのである。家畜を少々殺した程度で、総力を挙げて反攻する国はない。勿論、やり過ぎれば王国の怒りを買う。だが、()の話によれば、神国が神敵と認定されるまでには、一年か二年の猶予はあるはずだった。

 その時間があれば十分目的を達成することができるであろう、と。

 それがどうだ。

 蓋を開けてみれば、たった一人のハイヒューマンに翻弄されている。


「…………奴が嘘をついていたというのか」


 運命を弄ぶ屑だ。あり得る。

 リファエルだけではなく、神国も自らの手で滅ぼせと?


「…………いかんな。憎悪で目が曇っている」


 大きく深呼吸をし、腹に溜まった思いを吐き出す。

 奴は何度殺しても飽き足らない怨敵だが、利害の一致があったから信じたのだ。奴の望みは世界中を戦火で包むことである。ここで神国が敗れれば奴の望みも果たされない。

 オウリの登場は奴にとっても想像の埒外だったのだ。

 仕組んだのは……森神だろう。

 謁見の間で物思いに沈む私の背後にそれは突如として現れた。


「民を欺くのは慙愧に堪えぬか、神国の王よ。或いは報恩に胸が震えるか、亡国の臣よ」


 それは一見人の形をしていたが、絡み合う蔦が作り上げた人形だった。

 人払いをしていたので周囲には誰もいなかった。本来であれば杖の騎士団を呼んで、対処に当たるべきだったのだろう。しかし、神国の行く末を思い、捨鉢な気持ちになっていた。これが暗殺者なら楽になれる――そんなことを考えながら、表情の読めない人形を見詰めていると、人形が森神であると名乗ったのである。

 私の迷いを的確に言い当てた事。

 人形が纏う《魔力》が王城と同一である事。

 二つの理由から本物の森神であると信じた。

 そして、森神は神託を告げたのである。


「神国に災いを齎す者が現れた。その者の名はオウリである」


 森神は神託を残すと、ボロボロと形を崩し、王城の土に同化した。

 杖の騎士団に神託を告げ、オウリの捕縛を命じた。

 殺害を命じなかったのは、神託に半信半疑だったからだ。

 ニグルドゥーラを撃退した存在は、エルフの伝承にある森神ではない。

 神国の危機に現れたことと、姿形が似ていたことから、混同されてしまったのである。

 当時、ニグルドゥーラの脅威は去ったが、明日も見えない閉塞感があった。

 それでも人々が希望を捨てなかったのは、伝承の通り森神が救いに現れてくれた、という一点に尽きる。拠り所の信仰を奪えば、神国は崩壊していただろう。真実を告げられないまま長い年月が過ぎ、森神と言えばこの地に封じられた神のことを指すようになった。

 王族の口伝によれば、この森神は荒ぶる神であり、決して守り神ではない。

 だから、如何にも守り神らしい神託に、胡散臭さを覚えてしまったのである。


「……オウリを使って何を企んでいる、森神」


 オウリは一度、無抵抗で捕まっている。決死の覚悟で捕縛に赴いたキースによれば、非常に物分かりがよく拍子抜けしたという。この時点では神国と敵対する意図はなかったと思われる。だが、オウリは脱獄するなり宣戦布告。牢屋で心変わりする何かがあったのだ。

 オウリを投獄しなければ敵対することはなかったかも知れない。

 災厄を排除しようと神託に従った結果、むしろ災厄を招き入れる結果となった。

 こうなることを森神は予測できなかったのか。

 そうは思えない。

 宣戦布告をしたオウリはこう言っていた。


 ――森神は神様してると思うぜ。現に神託の通りの状況になってる。だろ?


 この状況を作るために神託はあったのだと、オウリは示唆したのだ。

 また、神託は本当にあったことなのだと、オウリは信じて疑っていない様子だった。森神はエルフだけが信仰する神で、神国以外では実在を疑われている。それなのに神託を疑っていないということは、オウリが実際に森神と接触したからではないか。

 森神はオウリを使って何かを企んでおり。

 オウリもそれを了承したということだろう。


「……オウリも。狙いは何だ」

 

 口ではエルフを奴隷にすると言っていたが、冷静になって考えてみれば疑わしい。

 オウリの傍には姫様と蒼穹の魔女がいる。彼女達がエルフの奴隷を許すはずがない。何よりオウリの言動が矛盾している。金儲けだと明言した直後、金を溝に捨てるような真似をした。スタートラインだと言って、大量の武具を放出したことである。

 エルフの奴隷は見目の良さから、高値で売り買いされていると聞く。

 しかし、それは奴隷にしては高値が付く、という意味でしかない。

 迷宮品の武具と奴隷では比ぶべくもない。

 オウリの狙いは金ではないのだ。

 ……では、何の狙いがあって?


「……手持ちの情報が少な過ぎる。推測するにも限度がある」


 騎士団ではオウリに勝てない。それは痛い程によく分かった。

 しかし、手がないかと言えば、ある。あるのだが……諸刃の剣過ぎる。それは盤面をひっくり返すことで、勝敗を有耶無耶にする類の切り札だ。切ったが最後、オウリだけではなく、騎士団も巻き込まれる。騎士団の方が甚大な被害を被ることだろう。

 敗戦を受け入れた方が傷が浅く済むのであれば、一か八かで切り札を切るのは早計ではないのか。いや、例え騎士団が壊滅しようとも、敗北は回避すべきではないのか。

 切り札を切るべきか否か。

 決断が揺蕩う。


 騎士に聖戦だと叫んでいた時の気概は最早ない。

 傍若無人に暴れるオウリによって、ハイヒューマンがいかに理不尽な存在なのか、思い知らされてしまったからだ。戦争を仕掛けようとしていた王国は、そのハイヒューマンを多数擁している。心も折れるだろう。

 本来、オウリとハイヒューマンを同列に語るのは無意味なのだろう。

 会議で姫様はオウリが第三神罰騎士団を壊滅させたと言っていた。あの時はオウリとの戦いを思い止まらせるため、誇張しているのだと思っていたが、今ならば掛け値なしに真実なのだと分かる。健全とはいえないが……王国とは国交がある。私はハイヒューマンの、プレイヤーの実力を知っている。それと比べてオウリの実力は抜きんでている。

 だが、それは比較対象を知る私だから言えることだ。

 大半の騎士は神国から出たことがない。

 オウリが一般的なハイヒューマンなのだと思い込んだとしても無理はない。

 

「グルゥゥ!」

 

 ヤーズヴァルが降下してきていた。その背には悠然と佇むオウリの姿。

 オウリの姿を認めた瞬間、頭にカッと血が上り、理性の鎖が千切れ飛んだ。獣のような雄叫びがしたかと思うと、身体が鉛のように重たくなった。騎士が必死の形相で私にしがみ付いていた。騎士が口々に叫んでいたが、私の耳に届くことはなかった。獰猛な獣の唸り声に、かき消されてしまったからだ。獣とは他でもない、私のことだった。私は吠えながら、もがく。それこそ獣のように。

 騎士に遠慮があったのか。火事場の馬鹿力のおかげか。

 私は騎士の制止を振り切り、駆け出す。


「オウリィィィ! 邪魔をするなァァァ!」


 剣を抜刀すると踏み切る。

 極度の怒りがそこに至らせたのか。周囲の光景がゆっくりと流れだす。オウリが驚いたように目を瞠っていた。オウリの脳天目掛け、私は剣を振り下ろす。私を助けようと駆け寄ってくる騎士がいた。だが、必死さとは裏腹に、亀のような歩みであった。あたかも時が引き伸ばされたかのように。緩やかに流れる時の中、普段通り動く存在があった。

 オウリだ。

 彼は刀で剣を弾き飛ばすと、私の胸倉を掴み上げた。

 届かなかった。

 落胆した瞬間、時が再び流れだす。


「案外、熱いな、王様。そういうのは嫌いじゃない」

 

 オウリが稚気に富んだ笑みを浮かべる。思わず素が出てしまった、という感じだった。自分でも気付いたのか、オウリは苦笑すると、厳しい顔つきになった。

 

「ヤーズヴァル、昇れ」


 主人の命に従い、ヤーズヴァルが上昇する。弓を構え、歯噛みする騎士が遠ざかる。私が捕まっているため、攻撃できなかったのだろう。十分に高度を取ったところで、ヤーズヴァルは旋回を始める。オウリがパッと手を離す。突然のことに私は尻餅をつく。

 かなりの速度で飛んでいるはずだが風を感じない。一部の騎獣には風から主人を守るスキルがある。だが、ヤーズヴァルにそんな器用な真似ができるのか。オウリの仕業だろう。

 

「……私を攫ったところで何も出せんぞ」

「いやいや、出されても困るって。余人を交えずに話がしたいだけだ。なあ、シュシュ」


 うむ、と固い顔で姫様が頷く。私は目を瞬く。気付かなかった。

 

「……姫様。おられたのですか」

「妾のことは気にするな。話があるのはオウリだ。妾も話の内容は知らぬ」

「……オウリが?」


 顔には出さなかったつもりだが、警戒心が漏れていたのだろう。オウリは「安心しろ。答え合わせがしたいだけだ」と笑った。しかし、答え合わせと言われても思い当たることがない。強いて言えば森神の思惑だが、それはオウリのほうが知っていそうだ。

 

「さて、王様。前置きとして一つ聞きたい。ノェンデッドについてどう思う?」


 姫様が咎めるようにオウリを睨む。リファエルが滅ぶことになった元凶だ。名前を耳にするのも避けたいはずだ。何の脈絡もなく語られたら、文句の一つもいいたくなるだろう。

 しかし、姫様は私を見ると、む、と黒い目を細めた。

 

「目は口ほどに物を言うってね」


 オウリが惚けた調子で言うと、姫様は苦々しい顔になった。


「……この一件、ノェンデッドが噛んでいるのか。ふん、思えば戦争は奴の大好きな遊戯だった。まず奴の関与を疑ってかかるべきだったのかも知れぬな。だが、解せん。何故、オウリはノェンデッドが影で糸を引いていると気付いた? 森神の入れ知恵か?」


 オウリは肩を竦め、首を振った。

 

「いや、森神も気付いてなかった。顕現したのは分かったらしい。だけど、何をしているかまでは」

「七大神では相手が悪いか」

「まー、気付けよ、とは思うけどな。エルフが聖戦だって騒ぎ出したのは、ノェンデッドが顕現した直後からって言うし」

「それは確かに間の抜けた話だのう」

「その融通の利かなさが森神たる所以なんだろ」

「ふむ?」

「闘争と守護。正反対すぎる」

「……守護か。やはり森神の正体とは……」

「シュシュのご想像の通り」


 テンポよく進む会話に、呆気に取られてしまい、口を挟むのを忘れていた。まずい。否定しなければ。このまま黙っていれば、同意したも同じである。

 

「……お、お待ち下され、姫様」

「なんだ、ジイ」

「私はまだ、何も言っておりません」

「オウリが言っておっただろう。目が雄弁に物語っておるわ」

「……目付きが鋭くなっていましたかな。ですが、仕方がないと思いませんか。ノェンデッドが仕出かしたことを思えば――」

「ジイ、目が赤いぞ」


 ハッと目を手で覆う。直後、失敗に気付く。

 これでは疾しいことがあると認めたも同然だ。


「劫火も時が経てば熾火と化す。激情の余熱は身を焦がし、絶え間ない痛みを与える。しかし、再び燃え上がることはない。全てを焼き尽くすから劫火なのだ。燃える物がなければ火が点かぬのは道理よ。だから、赤々とした炎が見えたのなら。新たな燃え種があったということなのだろう」

 

 姫様の言葉に、その通りだ、と心中で同意する。

 人は良くも悪くも忘却する生き物だ。リファエルの滅亡から五百年が経っている。怒りを風化させるには十分過ぎる時間だ。なのに、ノェンデッドの名を聞いただけで、私は魔族化の兆候を現したのだ。反応が過敏すぎる。

 項垂れていると、オウリが口を開いた。


「ノェンデッドの関与を疑ったのは、シュシュと王様の話を聞いた時だ。シュシュは気付かなかったみたいだが、計画には根本的な部分が抜けていた。リファエルの民が何故、転生していると知っていた?」

「自分が転生したのなら他の民も。そう考えるのは自然だと思うが」

「推測はできるだろう。だが、確信が持てるか?」

「持てぬな」

「大前提としてこの世界の住人は誰も彼もが転生している。ただ、これは一般的には知られておらず、前世の記憶持ちのことを転生者と呼ぶ。さて、この転生者だが二通りある。一つは転生した直後から、前世の記憶を持っている場合。もう一つは後天的に記憶を取り戻す場合。魔族は後者だ。《穢れ》の活性化が前世の記憶を呼び覚ます。だから、《穢れ》を活性化してやることで、リファエルの民を探し出すことができる。そう考えたからシュシュは王様の計画が実現可能と見た。だろ?」

「うむ」 

「シュシュがそう考えるのは理解できる。根拠があったからな」

「輪廻の神アイラか」

「そう。シュシュはアイラから転生の仕組みを直接聞いている。だが、王様がアイラと話をしたとは思えない。弱すぎる」

「アイラのいる神の階は高レベルの迷宮だからな」

「《穢れ》のことはアイラもよく分からないって言ってたんだろ?」

「……なるほどな。輪廻の神ですら匙を投げた。七大神と言えど理解は及ばない。《穢れ》をバラ撒いた張本人以外は」

「つまり、そう言うことだ。計画の成功を確信している様子だったからな。王様には何か信用に足る根拠があると思った。アイラでなければノェンデッド以外考えられなかった」

「……ジイ、ノェンデッドに何と唆された。リファエルの再興でも吹き込まれたか」

 

 姫様は冷淡な眼差しで私を見ていた。


「慎重に答えよ。答え次第では胴体と首が泣き別れをする羽目になる」


 濃密な殺気を至近距離で浴びせられ、足場が消失したような錯覚を覚えた。

 姫様は私のことをジイと呼びながらも、どこか一線を引いて接していたように思う。私が神国の王だからだろう。前世で主従の関係だったとはいえ、今生では立場が逆転している。

 慎重に答えろというのは、どちらの立場を優先するのか。その答え次第で姫様も立ち位置を決めるというのだろう。

 計画を打ち明けた時、一度、殺されそうになった。あの時は姫様にも躊躇があった。しかし、ノェンデッドが関与していると知られてしまった。もう躊躇わないだろう。


「……ノェンデッドからは……お、仰るようなことを……言われました……」


 元々、姫様にはノェンデッドについて打ち明けるつもりでいた。私の計画には輪廻の仕組みの理解が必須だ。それにはノェンデッドの話を語る必要があった。しかし、いざ話しを始めてみれば姫様の理解は早く、ノェンデッドについて語らずに済んでしまった。まさか、アイラと話しをして既に理解しているとは思いもよらなかった。ノェンデッドと手を結んだと思われたくなくて、黙っていたツケが回ってきたのだ。

 

「……ですがッ!」


 私は姫様の目を真っ直ぐに見詰める。


「決して唆されたのではありません!」


 姫様が眉をぴく、と動かす。険しい顔で「続きを言え」と促す。


「最初に戦争をと言い出したのは騎士の方です」


 これは事実である。

 神国に反意ありと王国が判断すれば、反論も許されず滅ぼされてしまう。

 事実かどうかは問題ではない。王国がどう思うかが大事なのだ。

 酒の席での不平不満だったとしても、それを口実に王国が攻めてこないとも限らない。

 自分が神国滅亡の引き金となるのは避けたいだろう、と諭してやれば騎士は表面上不満を飲み込む。我執から神国を危険に晒していたと知った騎士は、以後戦争について固く口を噤むようになる。だから、大半の騎士は周囲も同じ気持ちであり、同じく王に諌められた経験があるとは知らないだけなのだ。


「騎士の気持ちを汲んだだけと言いたいのか」

「不満を抑えるのも限界だったと言いたいのです。世界の盟主だった王国は影も形もありません。エルフだけではなく亜人への迫害は悪化の一途を辿っています。何も光明が見えない中、耐え忍ぶのは非常に難しい。かつてはその希望を森神が担っていましたが……近年では森神の実在を疑う者も増えました。森神を目にしたことのある長老も、森神は滅んだのではないかという始末。今回下った森神からの神託も、どれだけの騎士が信じているか。ノェンデッドに言われるまでもなく、戦争しかないのは分かっていました」

「神国の事情は理解した。だが、それならば、何故、最初からそう言わぬ」

「…………そ、それは……」

「もう戦争をするな、とは言わない。それが神国の総意なら仕方がない。だが、何故、リファエルの再興を掲げた。神国への裏切りだけでなく、リファエルへの冒涜でもある」

「…………」


 姫様の鋭い舌鋒が胸を打つ。

 リファエルはいつ滅んだのか。《穢れ》が撒かれた時だろう。私や姫様が取り戻したいと願っているのは、素朴だったリファエルの民だ。《穢れ》の活性化によって前世を取り戻したとしても、それは忌むべき魔族であってリファエルの民ではない。アンデッドを見て「動いているから生きている」というのに等しい。だが、それでももう一度会いたいという気持ちに嘘はないのだ。自己満足のためにリファエルの再興を願った。

 ああ、冒涜だろう。

 神国の民は王国への怒りから、戦争に踏み切ろうとしている。自らの死を以って王国に意気を示そうというのである。不純物がないから彼らの思いは崇高なのだ。だが、私の計画では彼らはリファエル再興のための贄である。

 ああ、裏切りだろう。

 散々懊悩したのだ。言われるまでもない。

 だが、だったら――


「どうすればよかったというのですか、姫様」


 姫様を睨み付ける。


「今まで通り王国の横暴に耐え忍べばよかったのですか。先ほどは不満を抑えるのも限界だったと言いましたが、あれは嘘です。抑えようと思えば後、十年、二十年は可能です」


 姫様の目つきが剣呑になるが、私は堂々と見詰め返す。


「口に出すのも憚られますが、神国は牧場と呼ばれています。神国と王国の関係を的確に表した呼び方です。王国が神国の支配に乗り出さないのは、統治の労力を疎ましく思っているためです。牧場を栄えさせたところで何ら名誉に寄与しないと思っているのでしょう。我々は出荷を待つだけの家畜に過ぎないのです」


 王国の貴族は自国の平民ですら家畜扱いして憚らない。

 亜人ともなれば心の底から家畜と思っているだろう。


「だからこそ、立ちあがらなくてはならない! ただ、生きながらえるだけでは家畜と変わらない!」


 忍従は心を摩耗させる。いずれ誇りを失うだろう。

 今はまだいい。だが、十年後は? 二十年後は?

 怪しいと言わざるを得ない。

 私が聖戦と煽ったのは事実だが、いみじくも姫様が言った通り、燃え種がなければ火は起きない。未だかつてなく燃え上がったのは、それほど鬱屈していたということだ。

 この機会を逃せば燃え種も灰となり、火が点くことはなくってしまうだろう。

 自分でも思った以上に声を張り上げていたらしく、姫様は煩いと言いたげにしかめっ面になっていた。

 

「それで王として神国を滅ぼす決心をしたということか?」


 この問いに「はい」と答えればこの問答は終わるだろう。

 だが、私は「いいえ」と答えた。


「一国を滅ぼすのですよ。そう簡単に決心できません」

 

 む、と姫様が眉を上げた。折角の好意を無駄にして。そう思っているのだろう。

 弁明を続けるということは、未だ死地にあるということだ。姫様が手打ちにしてくれようとしたのは嬉しいが、ここまできたら洗い浚い全てを話してしまいたかった。


「誇りに殉じて散る。美談かも知れません。ですが……無意味だ。辺境を荒らされたとしても、王国は痛痒も感じないでしょう。王国の史書に亜人が一種減ったと記されて終わりです。無意味なことに命を賭けろと命じられる王はいません」


 合点がいったとオウリが頷いた。


「だから、王様は意味を求めた」

「そう、私は意味を求め、そして与えたかった。そんな折、現れたのがノェンデッドです。リファエルを再興できると言ってきました。姫様は意外に思うかも知れませんが、ノェンデッドは私に戦争を勧めませんでした。他に道はないと分かっていたからでしょうが……」


 むしろどうにかして記憶だけ取り戻せないかと、浅墓な考えから戦争を始めるのは止めるよう言ってきた程である。《穢れ》が活性化し、姫様や私は前世の記憶を取り戻した。しかし、完全に魔族化するには至っていない。だが、これは例外らしい。余程強い意志がない限り、記憶を取り戻すのと同時に、魔族化してしまうとのことだった。


「エルフが始めた戦争で、魔族が生まれる。世界は混乱する。エルフは大戦の引き金を引いたとして、史書に名が刻まれることでしょう。それが彼らに与えてやれる意味だと思ったのです」


 いつになく饒舌な自分に苦笑し、押し殺していた気持ちを自覚する。

 ずっと誰かに打ち明けたかったのだろう。裁いて欲しかったのだろう。

 神国の王としても、亡国の臣としても、最善を尽くしている。一方の立場がなかったとしても、取った行動は変わらなかっただろう。しかし、二心を抱いているようで心苦しかった。忠誠とは分けた瞬間に価値を失うものなのだから。

 審判を待つ心境でいると、オウリが姫様の頭に手を置いた。


「と、いうことらしい、シュシュ。どうだ、王様は変わってたか?」

「……いいや、妾の知るジイのままだった」


 ホッとした様子で姫様が言った。

 

「…………」


 私はがく、と膝をつく。緊張していたらしい。

 姫様は許してくれたが、思いの外心は晴れなかった。

 オウリは優しい顔で姫様の頭を撫でていた。姫様が顔を上げようとすると、オウリは撫でる手に力を込めた。顔を見られたくないのだろう。姫様は唇を尖らせ、乱暴な手を受け入れる。するとオウリの手付きが優しくなる。私は生暖かい目でそれを見ていた。私の視線に気づくとオウリは苦虫を噛み潰すが、気持ち良さそうにしている姫様を見ると、仕方がないと言いたげに撫で続けた。

 暫くしてオウリは真面目な顔になった。


「わだかまりもとけたところで、敗戦処理に移るとしようか」


 ……きた。一体何を要求されるのか。

 戦々恐々していると、「逆だ、逆」とオウリが笑う。


「劣勢から神国が大逆転するのさ。盛り上がること請け合いだぜ」

「…………は?」


 手も足も出なかった相手に逆転するのだ。

 盛り上がるのは間違いないだろうが……八百長でもするというのだろうか。

 だが、それには問題がある。


「一体、誰と戦う気だ、オウリ? 格付けは済んでいるのだぞ」


 ……いやいや、待て。突拍子もないことを言われ、即物的に返してしまったが、根本的な部分が理解不能だ。オウリは最初から負けるために戦っていたというのか?


「王様が戦争に踏み切ったのは、世界に見切りをつけたからだろ。でも、諦めるにはまだ早いんじゃないか。十年後か、二十年後か。まだマシな世界になってるかも知れない」


 私はむっとしてオウリを睨む。

 オウリは分かっている、と言いたげに手を上げると、両手を腰に当てて溜息を吐いた。


俺がいる(・・・・)


 姫様が驚いたようにオウリを見た。オウリは照れ臭そうに頭を掻く。


「あ~、俺が王国を変えるとは口が裂けても言えねぇ。俺一人ができることなんてたかが知れてるしな……だけど、この停滞しきった世界に風を送り込むぐらいはできる。神国にゃァ仲良くなったガキもいるし……放っておくわけにもいかねぇだろ。おい、ニヤニヤすんなよ、シュシュ」


 この発言をしたのが他の人物であったなら、戯言をと一蹴して終わっただろう。だが、オウリが言ったのであれば、途端に現実味を帯びた言葉となる。オウリが亜人の味方をしてくれるのだとしたら、確かに見切りをつけるのは早いかも知れない。


「まぁ、大層なことを言ったけど、何も決まってないんだけどな。どうすればいいのか。それを探してる段階でね。ただ、これだけは言える。世界は動くだろう。そう遠くない将来に。その時に神国が無くなってるのは困る。亜人が変わろうとしないと意味がない」

「……戦争を止めようとした理由はそれか」

「……そう言うと俺が物凄くいい人みたいで嫌なんだが……」


 まー、いいか、とオウリが諦めたように言う。

 オウリからすれば知人の幸せを願ったに過ぎず、褒められると微妙な気持ちになるのだろう。だが、口を濁したのは別の理由からだと思う。姫様とのやり取りから察するに、オウリはロマンチストのようだ。知人の幸せの余禄を与える形だったとしても、大勢が幸せになるのであればそれに越したことはないと考えていて、否定するのも何か違うと思ったのではないだろうか。想像だが。

 

「諦めるのはまだ早いのは分かった。理解もした。だが、戦争を止めるだけなら他に手段があったのではないのか? 打ち明けてくれていたらまた違った対処もできただろう」

「……それ、王様がいうかね」


 その通りではあるのだが……自分のしたことを棚に上げて、それはそれこれはこれと言い切れる厚顔無恥さがなければ、王はやっていけないのだ。


「騎士の心を折ったのはやり過ぎだ。二度と使い物にならないかも知れん」

「いやいや、絶望が深い程希望は輝くものさ。一度は心が折れても立ちあがることができたんだ。神国の民は。もう一度、それをやれってだけの話。ま、フォローは必要だと思うし、王様の手腕の見せ所だな。やるか」


 オウリはそう言うと厳かに顔を引き締めた。


「シルフ、祭壇に声を届けてくれ」


 ハッと息を飲む。

 祭壇? まさか。


「元素を司りし四大精霊。我が名はオウリ。汝と契約を望む者なり。隣人の守護を(こいねが)わん――」


 走馬灯のようにオウリの発言が思い起こされる。

 逆転。

 祭壇。

 森神。

 希望。

 バラバラだったピースが、ピタリと嵌まるのを感じた。

 オウリの狙いを察し、私は強く歯噛みする。

 本来、希望を与えるのは王の役目だからだ。

 オウリに任さざるを得ない状況が歯がゆかった。


「――神の戒めを解き、我に試練を課せ。さすれば相応しき力を示さん」


 ゴゴゴ、とオウリの声に呼応して、大地が隆起を始める。突如、傾斜を始めた足場に騎士とゴーレムが仲良く足を取られる。巨大ゴーレムの出現と似た光景だったが、その規模には雲泥の差があった。戦場となっていた一帯が、立ちあがろうとしていたのだ。

 土砂が津波のように襲い掛かり、騎士が戦場の端へ流されて行く。騎士を苦しめていたゴーレムは、土砂に洗い流されるようにして、その姿を削り取られていっていた。ゴーレムを動かす《魔力》が大地に吸収され、形を留めておくことができなくなったらしい。

 そして、天を衝く巨大なゴーレムが誕生した。

 初めて見たはずだが、どこか既視感があった。

 流石に細部は違うが、王城と瓜二つだったのだ。

 似ていて当然だろう。


「…………これが森神。いや……」


 ニグルドゥーラに追われ、この地へと辿り着いた神国の王。

 彼の祈りによって森神は現れ、ニグルドゥーラを撃退した。

 その代償で命を落とした王は、賢王として讃えられているが……口さがない者は森神を呼び出せるのであれば、何故もっと早くに呼び出さなかったのかと言う。

 真実を知らないとはいえ無責任な非難である。

 ここまで逃げてきたからこそ、森神を呼び出すことができたのだ。

 この地には四大精霊を封じる祭壇がある。

 そして、封じられているのは、土を司る四大精霊である――


「…………ノーム」


 そう、多くの民が誤認しているが、森神とはノームのことなのだ。


「神国に足りないのは希望だ。後は何をするか分かるな、王様?」

「…………ああ、分かる。嫌という程に!」


 オウリが傍若無人に振舞っていたのも。

 徹底的に騎士との力の差を見せたのも。

 神国の窮地を演出するためだったのだ。

 神国の窮地には森神が現れると、信じ込ませるための茶番だったのだ。失っていた信仰を取り戻すことができれば、耐え忍ぶだけだった日々にも希望の火が灯る。


「だが、オウリ!? お前はどうなる!?」


 森神についての言い伝えが王家には残っている。巷間に流布している美談ではなく、事実をありのままに語る言い伝えだ。それによれば賢王はノームの試練に挑んだらしい。何故、賢王がノームの祭壇の場所を知っていたのか。試練に挑むための方法を知っていったのか。定かではない。だが、試練の内容を正しく理解してはいたのだろう。賢王が試練に挑んだのは自らノームの契約者となって、その力でニグルドゥーラに抗するつもりだったと言う。試練は苛烈を極めた。その過程でニグルドゥーラの撃退が叶うとは賢王も思っていなかったに違いない。ニグルドゥーラは試練に巻き込まれるのを恐れ、去ったのだ。

 賢王は目的を達した。だが、死亡した。

 試練に敗れたのだ。

 挑戦者が試練に打ち勝つか、死亡するか。その二つでしか試練は終わらない。

 一度始めたら棄権は許されていないのだ。

 ノームが現れたからには神国は息を吹き返す。

 オウリは紛れもなく神国の救世主だ。だが、決して報われることはない。功績を語ることができないからである。茶番だと知られるわけにはいかないのだ。

 何も返すことはできないのに、尽くそうとしてくれている。

 オウリは否定するだろうが、その在り方は私と似ていた。

 この一時だけは王の立場を投げ捨て、心の底から私はオウリの身を案じていた。


「俺のことは気にするな。元々、試練を受ける気だった。過程が少し変わっただけだ」


 オウリはヤーズヴァルの頭の上に立ち、肩越しに振り返る。


「騎士をうっかり殺さないよう戦うのは骨が折れた。彼らには後々、頑張ってもらわないといけなかったからな。最初は縛りプレイみたいで楽しかったんだけどさ。段々と面倒になってきてね。ゴーレムを大量に用意してる時は正直逃げ出そうかと思ったぜ。だから、まァ、なんだ。試練が楽しみでね。全力が出せる」


 ホント、気にするなとオウリは唇の端を持ち上げる。遊びに行く子供のような無邪気な笑みで、気が抜けた。

 姫様は頭が痛いと眉根を揉んでいた。


「分かっておるな、オウリ。危険だと思ったら戻れ。セティと妾も加勢する。騎士が試練に巻き込まれるかも知れんが、お主が死ねば世界は変わらんのだから」


 本音を言えば姫様も試練に同行したいのだろう。しかし、四大精霊との契約は一対一がルールだ。大勢で試練に打ち勝ったとしても、契約者としては認められないのだ。

 

「遊び疲れたら戻ってくるさ」


 オウリは刀を抜刀すると空に身を投げた。

 あり得ない行動に度肝を抜かれた。だが、オウリが空を走り出すと、驚愕が一周して呆れへ変わった。

 ……何でもありだな、オウリは。

 オウリの掌から赤い閃光が走る。《ドラグレイ》だろう。ノームの顔に炸裂する。パラパラと土が剥離する。ノームの足元にいる騎士が慌てふためいていた。豆粒にしか見えない土の破片も、実際はかなり大きいのだろう。しかし、ノームが動く度に大地が胎動し、騎士は走ることすらままならないようだった。

 ノームが拳を振るう。緩慢な動作に見えた。だが、巨体がそう見せているだけで、私では何が起こったかも分からず、潰されてしまっていただろう。直撃する直前。オウリが急加速。《瞬動》だろうか。空中でも可能なのか。


「驚いているところ悪いがな、ジイ。オウリはあれでまだ肩慣らしよ」

「……何でもありだと思っていましたが、本当に何でもありなのですな……」

「オウリの言葉を忘れたか。負けると言っていたのだ。引き立て役に回っているのだろう」

「……しかし、あれは試練なのですよね。オウリは殺されてしまいませんか」

「試練が始まると四大精霊は好戦的になる。だが、意識が全くないわけではないらしい。少しは融通を利かせることも可能だそうだ。例えばニグルドゥーラを巻き込む形で攻撃したり、な」

「……え、それでは……森神は……ノームは本当に神国を守ってくれていたと言うのですか」

「四大精霊は本能的衝動(イド)を抱えている。シルフは自由。ノームは守護だ。民を守ろうとするエルフの王の心意気に応えたかったらしい。今回の一件もそうだ。自分を慕ってくれる民を守りたかったらしい。だが、契約者がなくては四大精霊は力を振るうことができん。だから、オウリを巻き込んで助けようとしたと言うのが真相だ。エルフの王が試練に挑む方法を知っていたことといい、ノームは本当に森神だったのかも知れんな」

「…………」


 私は目を閉ざす。

 信仰が薄れている。そう思っていた。だが、一番信仰が薄かったのは私ではないか。私が信じていないことを知っていたから、森神は私に計画を打ち明けなかったのだろう。

 誰しも願うことは一緒だったはずなのに、互いに騙し合うような形になっていた。

 あまりの皮肉に苦笑するしかない。

 複雑に絡まっていた糸が解けていく。

 目を開ける。

 オウリがいた。

 ノームがいた。

 歓声を送る騎士がいた。

 私は一人ではない。

 一人でできることには限りがある。だから、負担を分かち合うのだ。


「王は孤高であれ。だが、孤独になるなかれ。妾はジイからそう教わったが?」

「…………私は養育係失格ですな。大切なことを忘れていた」


 奮闘を続けるオウリに、ついにノームの拳が届く。

 天を落とすような、振り下ろしのそれ。

 轟音と共に巨大な穴が開く。拳が地面に突き刺さっていた。

 ノームの祭壇は地下にある。地下に行く入口は隠されている。王族だけに伝えられているその入口は、丁度、ノームの拳が突き刺さった場所だった。オウリは正規の入口ではなく、裏口から祭壇に招待されたらしい。祭壇で本当の試練が始まるのだろう。


「オウリは仕事を果たした。ここからは王の仕事だ」

「分かっております」

 

 ヤーズヴァルは涙ながらに喜ぶ騎士達の只中に降下していく。

 私は笑顔を浮かべることが苦痛だった。

 だが、今度は偽りではない笑みを浮かべられるだろう。

 神国の未来が明るいのは事実なのだから。

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