第2話 死神の目覚め
思えば俺は昔から寝起きが悪かった。
危険が迫れば目が覚めるので起きれないワケではないのだろう。要するに現実と向き合うのが億劫だったのだ。眠っていれば出来損ない、と嘲笑される事もない。
まどろみは忌避すべき覚醒への一歩だった。
しかし、今は好んで二度寝、三度寝に耽る。
――もう、兄さんたら。朝だよ。起きて。
困っているようで。
嬉しさを隠せない。
その声を聞きたかったから。
寝ぼけ眼で俺が手を伸ばせば、うんしょと引き起こしてくれる――ハズだった。
「――――――ッ!」
手が見えた。空を掴んでいた。
「……………………セティ」
……チッ。思い出した。伸ばした手は……届かなかった。
激しい怒りで頭が真っ白になる。感情に任せて拳を振るう。ふと、何かをぶん殴った感覚。何かが吹き飛んで行った。呆けながらそれに目をやる。
金属音を響かせ、地面で揺れるのは――
「…………はあ?」
ひん曲がった鉄格子だった。
いや、それよりも。まじまじと手を見る。血は流れておらず痛みも無い。
「………………まさか」
考え込んでいたのだろう。気が付けば人が現れていた。
男が二人だ。
「……鉄格子が……チッ。ガタが来てたか」
「……なんで、目ぇ覚ましてやがる。だから、死ぬほど薬盛れっつったのに」
男が持つ冒険者御用達のカンテラが、魔法の光で周囲を照らしていた。
それで周囲の状況が明らかになった。
いや、元々見えてはいたのだろう。光源が無くとも《夜目10》がある。実際、自分の身体は認識出来ていたワケだし。視野狭窄に陥り周りが目に入っていなかっただけで。
洞窟だった。
俺は洞窟の牢に閉じ込められてた、ってワケか。
「くっ、くくく! はははははは!」
「おい、なんだ。気が触れたか。止めてくれよ。売値が下がる」
「売値! いいねぇ! 売る気だったのか、俺を! お前らのおかげで確信が持てた」
彫りの深い顔立ち。青と赤の髪。極めつけは格好。見るからに盗賊だ。
「ここは日本じゃない」
俺からすれば万感の一言だったのだが、盗賊達に感銘は与えられなかったようだ。
「何をワケの分からん事を。おう、さっさと捕まえんぞ。ボスにどやされっぞ」
「剣取られんなよ。コイツ、剣士だぜ」
「へぇ、剣士か。いいね、ますます」
俺のクラスは剣士じゃないんだけどな。装備だけ見れば剣士に見えるのか。
……装備と言えば愛刀が無い。八咫姫。漆黒の刀身の刀。濡鴉の外套も。捕まっていたワケだし。服があるだけマシか。粗末な貫頭衣だが。洗って無いのだろう。匂う。
装備は取り返せばいい話か。
《瞬動》で一気に距離を詰める。
二人はアホ面で目の前に現れた俺を見ていた。予想だにしてなかったってカオだな。
クラス外スキルが珍しいか。
《瞬動》は拳闘士のクラススキルなのだ。
同じく拳闘士のクラススキルの《雷脚》を発動。
踏み締めた地面から四方に雷が走る。スタンの効果を持った雷である。
感電し、引き攣ったアホ面をぶん殴る。
「スキルの発動も出来るか」
助けを呼ぼうとする赤髪の口を掌底で閉じさせる。
うるさいのは勘弁、というだけだったのだが……ああ、こりゃ、死んでるな。
壁に叩きつけた青髪は……首が九十度に曲がっていた。
「悪ィな。殺す気は無かったんだが。ま、自業自得と諦めてくれ」
俺を売ろうと薬まで盛ってくれていたようだし。
《耐性》スキルが無ければ、起きたら奴隷だった――なんて未来が待っていたかも知れない。
メニューと念じる。案の定、メニューを開けた。
早速、ジャーナルに目を通し――
「……ん? んんぅ? Chapter29?」
メインクエストが二十以上も進んでいる。飛び過ぎだ。だが、ジャーナルを信用するなら、むしろ進捗は遅いと言ってもいい。何しろデスゲームから五百年が経っていた。
「…………いやいや、五百年ってなんだよ。くそったれ! ぬか喜びさせやがって! ゼノスフィードに来れてもな、セティが死んでちゃ何の意味も……………………いや、待てよ。五百年、五百年ね。普通死ぬ。人間なら。でも、セティは……エルフだ!」
設定では千年を生きるエルフもいた。
寿命が尽きていないのなら、セティは生きているはずだ。
――死ぬな!
彼女が俺の言いつけを守らなかった事はないのだから。
根拠としては弱いかも知れない。だが、そんな事は百も承知である。先程までは絶望の中にいたのだ。僅かにでも希望があるだけで十分過ぎる。
「ははは。五百年も待たせて……怒ってるんだろうな。早く行ってやらないと……まずはここから脱出だな――インベントリ」
無数のアイテムのアイコンが浮かび上がる。この画面を介さずとも取り出す事は可能だが念のため。アイテムが消えていたら面倒だと思ったのである。
しかし、杞憂だったようだ。
アイコンに触れて鳳凰の外套を実体化させる。
滅茶苦茶けばけばしい。しかし、背に腹は代えられない。性能はいいんだよな、性能は……
服は……何でもいいか。この臭いから解放されるなら何でも。
霊銀の服を着て、外套を羽織り、いざ出陣……とはならなかった。
……なんだ、身体が重い。ステータス不足か?
装備には要求ステータスがあり、足りないステータスに応じてペナルティを受ける。
防具の場合、《腕力》、《頑強》は防御力の減退、《器用さ》は装備の重量増、《知力》、《精神》は魔法防御力の減退。《器用さ》のペナルティを受けるとこんな風になる。
ステータスを見て見れば、やはりペナルティはかかっていて……というか、は? これ、俺のステータスなのか? レベル200が……85になってる。
「ま、いいか」
分かない事は考えても仕方がない。
レベルが下がったなら、また上げればいいだけだ。
まさか、セティ用に用意してた装備を使う事になるとは。セティのパワーレベリングに使おうと、インベントリには幅広い装備が収まっていた。何が幸いするか分からないものだ。
防具は黒狼の外套を選んだ。
武器は悩んだが……救済の剣で。また、コレに頼るとはね。一時期は毎日これを振るっていた。とはいえ、愛剣というには少し違う。使っていた救済の剣はもうないから。
「さて、行くか」
洞窟を進むと、いるわ、いるわ、盗賊が。二十人はいた。
一仕事終えた後なのだろう。略奪品を肴に酒を飲んでいた。
足元には死体が四つ転がっていた。一人は商人。後は……護衛の冒険者か。
死体が転がっている場所で、酒盛り出来るとはね。いい神経をしている。
有り難いけどな。
殺すのに躊躇わずに済む。
殺人に対する忌避感は既に無い。デスゲームに参加した者は、多かれ少なかれ壊れた。
ふと、ログアウトしたプレイヤーに思いを馳せる。壊れた倫理観で平和な日本を生きて行くのは辛いだろう。それでも多くのプレイヤーはデスゲームのクリアを追い求めた。
愚かだと言う気はないし、俺にはその権利は無い。
ただ、漠然と不思議に思った。
それ程、故郷が魅力的だったのだろうか。
首を振って感傷を振り払う。
文字通り、住む世界が違う人たちの話だ。
取り合えず、人数を減らすか。
《烈風脚》。風属性を付加した蹴りは、酒を飲んでいた男の胴体を断ち切った。仲間がやられ、呆然とする男の顔面に蹴り。スキルを発動させずに。しかし、頭は弾け飛んだ。
「これでもオーバーキルか」
牢の様子を見に来た二人が弱いのかとも思ったが、この様子なら全員があのレベルなのだろう。何人か《鑑定10》でレベルを確認したが30代だった。
剣を抜くまでもない。
というか、殺さないようにする方が難しい。
「テメェ……よくも!」
「こんなマネしてタダで済むと思うな!」
事態に気付いた盗賊が一斉に武器を手に取った。
「逃げたいなら逃げてもいいぜ。ただ、かかって来るんなら殺す。よく考えな」
盗賊の反応は二つに分かれた。
「ぷっ。ははは! おい、聞いたかよ。大口叩くじゃねぇか」
「人数にビビってんだろ。素直にそういえよ、ええ、ボーヤ?」
笑い飛ばす者と、
「ナメた口きいてんじゃねぇ!」
「楽に死ねると思うなよ、クソガキィ!」
殺気を漲らす者に。
「そうか、お前らは俺の敵か。あァ、なんだ? 後悔しろとかさ。言いたいんだが。最近、相手にしてたのがカンストプレイヤーばっかだったモンでな」
雄叫びをあげて斬りかかって来た盗賊の首を手刀で刎ねる。
「手加減できねぇんだわ」
《瞬動》で移動すると方々から慌てた声が上がった。
「……なっ。消えた?」
「どこ行った!?」
「おい、後ろだ!」
「はいはい、正解おめでとう。そんな君にはプレゼントだ」
俺を指さす男にナイフを投擲。脳天にナイフを食らい、男が後ろに倒れ込む。ナイフはテーブルにあったのを拝借した。
「おや? 感激のあまり倒れてしまったようですね」
シン、と広間が静まり返る。直後、怒声が響き渡った。一斉に叫ぶものだから、なにを言っているか分からない。大方、ナメるな、とか、フザけやがって、とかか。頭の悪そうな連中だし、語彙も多くはないだろう。正解率は九割を超えてると思う。
「死ね!」
「お前がな」
カウンターで掌底を繰り出せば、後続を巻き込んで吹き飛んで行く。
一対一は不利と見たか。俺を包み込もうとする。一歩後ろに下がり、《散打掌》。威力は低いアーツだが、格下相手には十分だ。
これで七人。いや、八人か。
上体を反らすと、剣が通り過ぎて行く。左右から挟みこむ気だったらしい。狙いとしては悪くなかったが連携がなって無かった。かわした剣が反対の盗賊に刺さった。
「痛てぇじゃねぇか! この下手クソ!」
「これぐらい避けろ、ボケ!」
罵り合う二人を《烈風脚》でまとめて倒す。
これで十人。
あっという間に盗賊は半数になった。
ここまでやれば盗賊達も俺の実力に気付いたらしい。襲いかかって来ようとする盗賊はいなくなっていた。
「……ひっ、ひぃ。死神! 黒衣の死神だ!」
「……だ、だから言ったじゃねぇか。気ぃ失ってる間に殺しときゃよかったんだ」
「仕方がねぇだろ。ボスが奴隷にして売るっていうから」
「チクショウ! 弱いんじゃなかったのかよ!」
「……ボスから見りゃな。俺達は騙されたんだよ」
「……おい、誰か。ボス呼んで来い」
「……お愉しみを邪魔すると殺されるぞ」
「……ここにいても殺されるだけだ」
ボスか。
男達が助けを求めるように、視線を投げかけた先に道がある。そこにボスがいるのだろう。散々、悲鳴は聞こえているだろうに、出て来ないのは余程豪胆なのか。
下っ端とはレベルが違うのかも知れないな。
盗賊は誰がボスを呼んでくるかで揉めている。
「ああ、いい、いい。俺が呼んでくる」
全員が助かった、と発言者を見た。が、直ぐに戸惑いの表情へ変わる。
発言者は――俺だった。
「用事が出来た。終わりにする」
告げる。
「一斉に出口に走れ! 誰か一人くらいは!」
盗賊が殺到してくる。俺の背後が出口なのだ。敵対した以上、一人も見逃す気は無かった。俺は足早に盗賊達とすれ違う。
背後に抜けた盗賊が快哉を上げ――
「うおおお! た、助かった――」
その声が途絶えた。
俺は振り返らずにボスの居場所へ向かう。バタバタと倒れる音を背に聞きながら。
俺の手には血を滴らせる抜き身の剣。
素手でも戦えなくもないが。
やはり俺の本領は剣だ。
刀ならなおいいのだが。
連中は俺がいつ抜いたかも分からなかっただろう。
道を進むと突き当りに大きな部屋があった。道中、下っ端のものと思われる部屋が幾つもあったが、ここが洞窟だという事を差し引けば普通の部屋に見えた。
ボスの部屋は一際豪華な内装だった。
洞窟をここまで改造出来るとは。
案外、名の知れた盗賊団なのかも知れなかった。
高そうなベッドに二人の姿があった。全裸の少女を筋肉質な男が組み伏せている。ボスはお愉しみと聞いた時から予期していた。だが、虫唾が走るのは抑えられなかった。
幸いというか。
まだ、事に及んでいなかったようだ。
少女が連れ込まれてから、大分時間が経っているだろうに。では、何をしていたかと言えば、少女のものらしき衣服が、ボロボロになっているのが答えだろうか。
腰まで伸びた黒髪は艶やかで、端正な顔は人形にように整っている。耳が尖っている。エルフだ。誰が見ても美しいと思う容姿だが、少女はまだ幼女と呼べる程に幼い。
育っていない乳房に、男の手が乗っていた。
ロリコンめ。
少女の姿にセティが重なる。
殺す。
だが、その殺意がいけなかったか。
「チッ」
防がれた。最低な方法で。
「亜人を庇うか。甘めぇよ、ガキ」
ボスが獰猛に笑う。
少女を盾にするように、細い首を掴みあげながら。少女は驚愕に目を見開いていた。盾にされた事に驚いたというより……俺を見て驚いているように見えた。
《鑑定》するとボスのレベルは101。なるほど、盗賊団では図抜けて強い。
「チィと目ぇ離したスキに新しい装備になってるじゃねぇか。インベントリにゃまだまだあんだろ。くくく、生かしておいてよかったぜ。それも高く売れそうだな」
ボスがチラ、と部屋の隅を見る。
俺から奪った装備一式があった。
「おい、インベントリの中身全部出せ。このガキを殺されたくなけりゃな」
「断る」
バカか。
ロリコンにゃ、死あるのみだ。
ボスの顔が苦痛に歪む。必死の形相で少女に腕を伸ばすが、盾にする事は叶わない。肘から先が無くなっていたからだ。
「……て……てめぇ、なに……しやが……」
「さあな」
何も難しい事はして無い。ただ、斬っただけだ。デスゲームで磨かれた剣技で。
ボスは俺を《鑑定》し、油断していたのだろう。ステータスだけ見れば確かに俺はボスよりも劣っている。だが、《鑑定》ではスキルまでは分からない。俺はフィジカルレベルこそ下がっていたが、スキルレベルまでは下がっていなかったのだ。
俺はこのレベルにしてはスキルレベルが異常に高い。
《トライエッジ》でボスの胸を三度突く。
それでお仕舞いだった。
「余計な手出しだったか?」
振り返らず、少女に声をかける。
「……いや、礼を言う」
「ふぅん。自力で何とか出来そうだったが」
「……くくく、対処は出来たやも知れん。だが、妾はそれでも汚される方を選ぶよ」
インベントリから服を出し、少女に渡そうとして……目を疑った。
…………誰だ? いや、先程見た少女だ。それは間違いない。だが、受ける印象が……まるで別人だ。少女からは強者の匂いがした。ボスなど相手にならないような。しかし、今はそこらへんにいる少女にしか見えない。
よく見れば……瞳の色も……変わってる?
赤から黒へ。
赤い瞳?
かなり前に見た事がある。
確か、その瞳を持つのは――
「え?」
刺さっていた。
俺の脇腹に。
剣が。
少女は剣を握り、にぃ、と笑っていた。
「――――ッ!」
咄嗟に剣を少女に振るう。が、寸でのところで止めた。
少女の瞳に恐怖が無かったのだ。殺されないと確信しているかのように。
「……なんのつもりだ」
「久しいな、オウリよ。妾の顔を忘れたか」
……思っちゃいたが。大人びた物言いだな。
ついカッとなったが、ダメージは大した事が無い。少女を殺すのは非常に容易い。容易いからこそ……俺には少女を殺せない。気に食わないから殺してはPKと一緒だ。
「……なんで……俺の名を」
少女をまじまじと見詰めるが……見覚えがない。というか、例え知り合いだったとしてもだ。なぜ、挨拶だと言わんばかりに刺されにゃならないのか。
「やはり、オウリか。くくく、その顔。戸惑っておる。いや、愉快愉快」
「…………お前……誰だ?」
「シュシュと呼べ、オウリ。まだ、妾が誰か分からんか。殺し合った仲ではないか。勝ったのは貴様だがな」
「数え切れないぐらい殺してきたが。生憎、幼女を殺した事はないんでね。そもそもお前生きてるだろ」
「転生したに決まっておるだろう」
「…………転生?」
少女があれ、と目を瞬かせた。予想と違った反応だったらしい。
「……お主も転生者であろう?」
「……あん? なんのことだ。プレイヤーの事か?」
「…………待て。転生を知らない? あり得るのか? だが、辻褄は合う。オウリは存在していなかった!? だから、名が上がる事も無かった!?」
少女のテンションは鰻上りだ。あれこれいっているが、俺には全く理解出来ない。
「おい、分かるように言え」
興奮し過ぎたのか。少女、シュシュは虚脱したように言う。
「妾はかつてこう呼ばれていた。シュラム・スクラントと」
「…………ッ!」
絶句した。
それが本当なら。
刺されたのも理解出来る。
いや、納得は出来ないが。
意趣返しもしたくなるだろう。
彼女を殺したのは俺なのだから。
思わず、驚きをそのまま口にしてしまう。
「お前、魔王か!」
「如何にも」
シュラム・スクラント。
Chapter1のボスの名だった。