第13話 聖戦1
――― キース ――
歴史の節目に相応しい、雲一つない快晴だった。
赤茶けた荒野に軍靴の響きが鳴り渡る。一糸乱れぬ行軍は地鳴りの如く大地を揺らす。
「随分落ち着いている。怖くはないのか?」
穢龍荒野は広い。
まずはオウリを探し出すところからだ、と考えていた私達の前に彼女が現れた。アリシアだ。そして、決戦の舞台まで案内すると言って、先陣を切って歩き出したのである。
「質問の意味が分からないな」
疑念を抱けば周囲の様子が気になるはずだ。しかし、アリシアは前を向いたまま答えた。
「敵陣の真ん中で豪胆なことだ」
「お前達は誇りのために戦っている。一度剣を交えれば分かるさ。誇りを汚すような真似はしない。見栄に付き合わされる民は哀れだがな」
アリシアの言葉に周囲の騎士が殺気立つ。この場で開戦してもおかしくない雰囲気だ。
……全く、アリシア。狙いは分かるが……それは逆効果だ。
仕方なしに私は口を開く。
「我々が好んで決起したと思うのか」
「いいや」
「ならば、言葉を慎んでもらおう」
「そうだな。剣で語ろう」
「…………」
やはり、アリシアも参加するのか。出来れば戦いたくなかったが……
彼女が敵だと思えないのだ。害意を感じないからである。彼女がその気なら昨日、大勢の死者が出ていたはずだ。しかし、実際には怪我人が量産されただけ。
彼女の目的は戦争を思い止まらせる事だろう。
もし彼女がエルフなら呼応する騎士も現れていたと思う。だが、彼女はエルフを迫害して来たヒューマンである。言っている事は正論なだけに騎士を苛立たせるだけ。
我々とて民の事は考えている。
だが、耐え忍んでいれば王国は改心するのか?
しないだろう。
つけ上がらせるだけだ。
王国には思い知らせる必要がある。エルフに手を出せば痛い目を見る、と。
神国の隷属化に王国が兵を挙げてからでは遅いのだ。神国が崩壊していないのは森神の幻想によるところが大きい。いざとなれば森神が神国を救ってくれると信じているのだ。
だが、森神は現れない。現れても味方ではない。
王国と真正面から衝突すれば、鎧袖一触で蹴散らされるのは明らかだ。
攻めてこそ一矢報いる事が出来るのである。
だから、止まれない。
……という、建前だが。本音を言えば違う。
王国の理不尽に我慢ならなくなっただけ。
数えきれない同胞が王国に攫われていった。
王国に抗議しても保護しているだけだと言い張られる。
奴隷商から賄賂を受け取っているのかと思ったが、本心から保護していると思っているらしく笑えなかった。隷属の首輪について言及しても「ペットに首輪をするのは不思議なことではないでしょう」とほほ笑まれた。
亜人を人だと認めていないのだ。王族は特にその傾向が顕著だった。
神国で保護するから返して欲しいと訴えると、当人同士で話し合って納得すれば構わないとの事。しかし、交渉相手は大抵奴隷商だ。足元を見られる。国庫を空にしても全員を救いだすのは不可能だった。
思い出すだけで腸が煮え返る。
止まれないのではない。
止まりたくないのだ。
「オウリが来たみたいだな」
アリシアが空を見上げていた。
抜けるような青空に黒い点があった。点は見る見るうちに大きくなっていく。輪郭がハッキリするにつれ、ざわめきが大きくなる。ヤーズヴァルだ、と動揺する部下を一喝する。
「うろたえるな。アリシアがいる。ブレスはない」
静かにはなったが……複雑な気分だった。
エルフは良くも悪くも素直過ぎる。
ヒューマンは汚い手段を平気で使う。
相手が王国だったならアリシアもろともブレスで消し飛ばそうとしたはずだ。
だが、ブレスがない、という言葉に嘘はない。そんな簡単な結末でいいのなら、昨日のうちにそうしていたはずだからだ。しかし、これはオウリの人格を理解しているから説得力を持つ。オウリを他のヒューマンと一緒くたにしている部下には通じない。だから、納得し易い理由をでっち上げたのだが……思ったより簡単に騙されてくれた。
……私の考え方は最早、エルフではないな。人の純朴さを利用しているのだから。
もっとも、誇りに思いこそすれ、恥じてはいないが。国を守るためには相手の出方を考える必要がある。要職に就く者は自然、ヒューマンに似た思考になる。
国のためであれば幾らでも汚れよう。
何年経っても汚れない男がいるが……と、横目で自身の対極に立つ男を窺う。
ルートは腕を組み、泰然と構えていた。その姿が部下に安心感をもたらしている。
私には真似のできない統率のとり方だ。
ヤーズヴァルは勢いを落とさず上空を通り過ぎる。通過する時、ヤーズヴァルから何かが落ちた。オウリだ。黒い外套が風を孕んでバタバタとはためいている。黒い鳥が羽ばたいているかのようだった。オウリは音を立てずに着地した。
「…………」
「……ぬぅ」
私は絶句し、ルートは唸った。
オウリは風を操って落下の衝撃を和らげていた。言うのは簡単だが実行するのは容易くない。風が強ければ吹き飛んでしまうし、弱ければ衝撃を殺しきる事が出来ない。
……絶妙な匙加減だった。
魔法の根幹を成すのは《火魔法》、《水魔法》、《風魔法》、《土魔法》の属性魔法スキルだ。
魔法自体はレベルで習得する事が出来るが、属性魔法スキルが低ければ威力が出ない。
魔法使いは本来全ての属性魔法を扱える。しかし、現実には火魔法使い、風魔法使い、と言った呼称が用いられる。属性魔法スキルは修練で磨かれるため、一つの属性に特化するのが普通だからである。それは魔法が身近なエルフであっても変わらない。
だというのにオウリは全ての属性魔法を使いこなしている。
火魔法、《ファイアアロー》。
水魔法、《プリズムリフレクション》。
風魔法、《エアハンマー》。
土魔法、《クリエイトゴーレム》。
オウリが使ったとされる魔法だ。
そのどれもが実戦に耐えうるレベルだったと言う。
……これがハイヒューマンか。オウリはまだ若いというのに……
ハイヒューマンの成長速度が異常だと言うのは知られた話だ。
話には聞いていたのだが……目の当たりにすると恐ろしい。
「よく逃げずに来たな」
オウリは気負った様子もなく陛下に話しかける。
「それは此方の台詞よ」
「これで全部か? 案外、少ないな」
オウリは騎士団を見回して言った。
今回動員したのは総勢五百名。全軍というには程遠い数である。
だが、強者を相手にする時、必要なのは数ではなく質だ。相手が魔物なら数で押す事も一つの選択だが、オウリは多勢の相手に慣れている節がある。乱戦で自分の身を守れる事を条件とし、選別していった結果、残ったのがこの人数だった。
「神都の守りを空にするわけにもいくまい」
陛下がそう言うとオウリは薄く笑った。
「ハッ。よく言うぜ。神国は滅びる。分かってんだろ。王国に喧嘩売るってのはそう言う事だ。どうせ死ぬんだ。守る意味あるのか。ああ、すまん、すまん。意味はあるわな。どうにも俺は庶民なモンでね。偉い人の気持ちは理解し辛い。俺は自分の死んだ後の事まで考えられねぇよ。善政をしいた神国最後の王として名を残したいんだろ?」
「――貴様ァァ! 黙れェェ!」
顔を真っ赤にしたルートがオウリに斬りかかる。
以前、ルートとオウリの間でどんな会話があったと言うのか。オウリは「え、お前人の話聞く事出来たの」と、斬りかかられた事よりもそちらに驚いていた。
「単細胞がッ! 逸り過ぎだ!」
思わず愚痴が口をつく。
ルートの尻拭いをするのはこれで何度目だ。
「ついて来い」
副団長を連れてルートに加勢しようとする剣の騎士団を抑えに走る。
くそッ。
団長が団長なら部下も部下か。
状況が見えてない。
最悪馬鹿が先走ったとして、ルートの身柄をオウリに渡し、仕切り直すしかないだろう。剣の騎士団の統率が取れなくなるが……このままなし崩し的に始まるよりはマシだ。
そんな思いを胸中に隠しつつ、剣の騎士団を説得して回る。
「二度と口をきけんようにしてくれるわ!」
ルートの剣技をオウリは体捌きだけでかわしていた。
「おーおー、準備体操か? いいぜ、付き合ってやるよ」
「舐めるな、若造がッ!」
オウリは涼しい顔で大剣を飛び退く事でかわす。だが、そこに火の玉が迫っていた。魔法剣士の十八番とも言える武器と魔法の組み合わせ。ルートは大剣で逃げ道を限定した上で無詠唱の《ファイアボール》を放っていた。
「油断するな、ルート!」
「分かっておるわ!」
声をかけるとルートは鬱陶しそうに言い返して来た。
オウリはルートを舐めている。ここで決められるなら決めたい。
ヒューマンは剣士は剣士、魔法使いは魔法使い、とクラスが分かれており、武器と魔法を組み合わせるという発想がない。だから、ヒューマンにこの戦法を使えば十中八九虚をつく事が出来る。しかし、オウリにはクラス外スキルがあるのだ。私達に何が出来るか知悉しているはずであった。
「《ミサイルガード》」
オウリが魔法名を唱えると火の玉がくん、と軌道を変えた。オウリを迂回するようにして火の玉が後方へ飛び去る。敵ながら見事だった。《ミサイルガード》は強風を纏って遠距離攻撃を逸らす魔法だ。実体のない魔法を逸らすのは難しいのである。
ルートは忌々しげに吐き捨てる。
「チィィ! 第五階梯を《詠唱破棄》かッ!」
「身体も温まって来たし、そろそろ反撃させてもらうぜ」
副団長がどうします、と訊ねて来たので待機を指示する。
陛下の強さは下っ端騎士並みでしかない。ここで乱戦になってしまうのはマズい。
だから、必死になって剣の騎士団を止めたのである。
副団長も分かっているはずだが、ルートが押しているように見えて、欲が出て来たと言う事だろう。確かに一方的にルートが攻めているが……オウリはまだ刀を抜いてすらいない。
本来、陛下が同行する必要はなかった。だが、士気を高めたいと言われては反対出来なかった。せめて行軍の最中は万全な警戒をと思い、私達の傍にいて貰ったのが仇となった。
……まさか、いきなりルートが斬りかかるとは誰にも想像できまい。
「へぇ、これを避けるのかよ。《魔力感知》持ちの前衛は厄介だな」
口では厄介と言いながらも、オウリの声音は焦っていなかった。面倒だな、というその程度。
オウリが無詠唱で放った《エアリアルカッター》をルートが避けたのだ。目に映らない風魔法も《魔力感知》を使えば色が付いて見える。
「無駄だッ、小僧ッ!」
「さてはて、本当に無駄かな。お前は俺の操り人形、ってね」
オウリが手を振る度にルートが動く。なるほど見えない糸で操っているかのよう。
しかし、軽口にしても浅い言葉だ。
《魔力感知》を持つエルフにはルートが風魔法を避けているのが見えるのだから。ルートを操り人形に見立てる事で、オウリは余裕を誇示しているのだと思った。
だが、オウリが意味深に言った台詞が単なる軽口のはずがなかった。
私達は直後にそれを思い知らされることとなる。
「団長! 《ファイアボール》が!」
遠くから騎士の声がした。
「むぅ! まさか、《ダブルワード》かッ!?」
オウリは間断なく風魔法を繰り出している。その上で《ファイアボール》が来るのなら《ダブルワード》しかない。かなり希少なスキルだがオウリなら使えそうだ。自分は見逃してしまった火魔法の兆候を騎士は捉えたのだとルートは思ったようだ。
だが、私もルートも騎士が火魔法と言わず、《ファイアボール》と言った事を疑問に思うべきだった。魔法が実際に発現するまでは具体的な魔法は分からないはずなのだ。
「ああ、哀れ。彼は最後まで自分が人形だと気付かず。自ら放った業火で焼かれるのでした……とさ」
オウリがおどけて言った直後――
「ぐおおおおおおおおおおおゥッ!」
――ルートに火の玉が衝突した。
背中で爆発が起こり、ルートがたたらを踏む。一歩、二歩。爪先が目に入ったのか。ハッとルートが顔を上げる。驚愕に見開かれたルートの瞳には、にやり、と笑うオウリの姿が映っていた。
「お前がいると話進まねぇ。ちょっと遠くへいっとけ」
《虎影脚》でルートを蹴り上げると、オウリは《エアハンマー》を連打する。ルートは何か言おうと口を開きかけていたが、煩いとでも言う様に風の槌が顎を打ち抜く。恨み言を言わせて貰う事も出来ず、ルートは騎士団の後方へ飛んで行った。
「準備運動だってのに殺気出し過ぎだろ。ま、おかげでいい運動になったけどさ」
「……それは重畳だ」
陛下の顔は引き攣っていた。恐らくは私の顔もである。
……あのルートがまるで子供扱いだった。オウリは本気を出していないのに、だ。
いかにオウリのレベルが高いとはいえ――いや、レベルが高いからこそ、付け入る隙はあると思っていた。魔物狩りに明け暮れているため対人戦が苦手な高レベルは案外多い。
しかし、今回オウリが取った戦術は明らかに対人戦用だった。
まずオウリは《ファイアボール》を《ミサイルガード》で逸らした。
直後に操り人形と言いだした事を思えば、あの時点から仕込みは始まっていたのだろう。
演出過剰なオウリの言動は、自分に注意を引き付けるためだった。そうして生み出した死角にルートが放った《ファイアボール》を誘導したのだ。そう、《ミサイルガード》で絡め取った《ファイアボール》だが、私達の視界に入らないよう操っていたのである。
《ファイアボール》を操作すれば風魔法の痕跡が残る。オウリはその問題を牽制に風魔法を使う事でクリアした。周囲を風の《魔力》で満たす事で、痕跡が目に入っても気に留まらないようにしたのだ。思い返してみれば不可解な風の《魔力》は確かにあった。
普通、外れた魔法は意識の外に置く。
だからこそ、最高の暗器となった。
魔物狩りも対人戦も上手い……まるでプレイヤーのようだ。もしかしてプレイヤーなのか? オウリという名が偽名だとすれば納得がいく。しかし、有名なプレイヤーを思い返してみても、オウリと特徴が合致する人物はいなかった。
強いて言うのなら――
――黒衣の死神が現れたとなればプレイヤーは国を捨てて逃げ出しかねん。現にオウリの顔を見ただけで逃げ出したプレイヤーがおったわ。
……まさか、な。ありえない。




