第11話 会議
――― キース ――
会議室に重苦しい沈黙が落ちていた。
長机を挟んで杖の騎士団と剣の騎士団が並ぶ。顔を合わせれば殴り合う事も珍しくない二つの騎士団が、借りて来た猫のように大人しい。二つの騎士団は陛下を守っているのは自分達だという自負から反目し合っている。その陛下を自分達の失態で危険に晒したとあってはいがみ合う気力も無くなるというものである。脱獄を許しただけでも前代未聞だというのに、脱獄犯が陛下のところへ来たというのだから。
「…………」
「…………」
会議室の扉が開いた。陛下が入って来る。
心労のためか。顔色は悪かった。だが、無事だった。会議室の空気が和らぐ。
上座に陛下が腰を下ろす。その隣にシュシュが座る。視線が彼女に突き刺さる。しかし、泰然自若として動じない。
彼女の事を知っているのは極一部だけ。
誰だと問いたいのだろうが我々は裁かれる身だ。
疑問の声が上がる事は無かった。
「陛下、この度は御身を危険に晒してしまい――」
「よい。過ぎた事だ」
ルートの謝罪を陛下が有無を言わせず遮る。
「しかし、信賞必罰を曖昧にしては示しがつきません」
私が言うとルートが不服そうに頷いた。
それを見て陛下が薄く笑みを浮かべる。
「犬猿の仲だと思っていたが。私の勘違いだったようだな。二人の忠誠は嬉しく思う。無論、二人には罰を与えねばならん。だが、今お主達を罷免する訳にもいかん」
そこで陛下は一旦言葉を切り、一人一人の顔を見渡す。
「明日、聖戦を始める」
会議室が水を打ったように静かになる。言葉が頭に浸透するにつれ背筋が伸びる。いつしか真っ直ぐに陛下を見ていた。罪悪感は興奮によって塗り潰されていた。
陛下は満足げに頷くと、
「ただし、王国ではない。脱獄犯が相手だ。名はオウリ。ハイヒューマンだ。個人と国との戦争になる。だが、あのヤーズヴァルの主だ。武力は王国に匹敵すると思え」
「ふはははは、腕が鳴りますな! ワシが倒して見せますわ!」
呵呵大笑するルートに私は苦い顔になる。
「お言葉ですが、ルート殿。貴方は一度負けたはず。勝算はあるのですか?」
「ふん、ワシは負けたとは思っておらん」
「……いえ、事実として一度、負けているのですから」
「もう油断はせん」
「……油断していたのですか?」
「細かい男だな、イチイチ。だから、貴様は気に食わん」
不貞腐れるルートに頭が痛くなる。
弓の騎士団がいればと思うが、魔物退治で出張っており不在だった。
何故、愚にも付かない言い訳を胸を張って言えるのか。実力が及ばなかったというよりタチが悪い。流石にまずいと思ったのか、副団長がフォローを入れた。
「油断を誘う罠だったのでしょう。脱獄犯は魔法を多用していました。そして団長が手強いと見るや、隠していたアーツを使って来たのです。クラス外スキルが使えると分かっていれば団長は遅れは取りません」
「……そういう、事ですか」
正直に言えば納得は出来ない。
ルートはオウリの二発で沈んだと言う。相当なレベル差がある事は明白だ。格上相手に無策で挑むのは馬鹿げている。しかし、私が言うと角が立つし、手痛い反撃が待っている。
女性一人に翻弄されたのは杖の騎士団も一緒なのだ。
――王国を倒すんだろう!? 私一人止められないのか! 貴様らは誇りを胸に死ねれば満足だろう! だが、貴様らの付けた火は民を焼き殺す! 自己満足に民を巻き込んで何が騎士か! 不服があるなら火の粉を払って見せろ! 力を示せ!
そう吠えた女性――アリシアを思い出す。
杖の騎士団を相手に一歩も引かず、啖呵を切るアリシアは気高かった。個人としては好ましく思う。しかし、アリシアは……オウリの側だ。明日の戦争には彼女も出てくるはず。騎士団の団長としては、彼女を倒す方法を模索しなければならない。
チクリ、と胸が痛む。
「少しよいか?」
シュシュが口を開いた。
「本当にオウリと戦う気か?」
「今更後には引けぬよ。そうであろう、皆の者?」
陛下の言葉に一斉に頷く。
シュシュは陛下を睨むと、忌々しげに舌打ちをする。
無礼な態度に殺気立つが、陛下が鷹揚に手で制す。
「言いたい事があるなら言うがよい」
「ふむ、では言わせて貰うが。貴様らに勝ち目はないぞ。そう殺気立つで無いわ。相手が王国でも同じ事を言う。お主らも聞き及んでおろう。第三神罰騎士団が壊滅したと。アレを成したのがオウリよ」
「私の知る話と違うな」
「対外的にはセティの――蒼穹の魔女の仕業にしたようだな。王国は。セティも噛んでいたのは確かだが、潰走する騎士団を追撃しただけだ。王国はオウリの存在を隠しておきたかったのだろうよ。黒衣の死神が現れたとなればプレイヤーは国を捨てて逃げ出しかねん。現にオウリの顔を見ただけで逃げ出したプレイヤーがおったわ」
「……黒衣の死神だと? 言い伝えであろう」
黒衣の死神は王国に伝わるお伽噺だ。
エルフである私達にはピンと来ない。
「……黒衣の死神の雷名もプレイヤー限定か。では、ヤーズヴァルをどうする気だ。アレも大概だぞ」
「当然そうであろう。五色竜が一匹だ。だが、王国程ではない」
王国が総力を挙げれば五色竜も討てるだろう。メリットが少ないため放置されているに過ぎない。五色竜の素材を手にしたとしても、鍛えられる職人がいないのだから。
「もう、よい、シュシュ。士気を下げる言葉はいらぬ」
「オウリの事を語れ、と連れて来たのはお主だ。妾は真実を語っただけだ」
「オウリを庇おうとしているのが透けておるわ。ヤーズヴァルの主だというのは認めよう。カビの生えた言い伝えを持ち出したのも許そう。しかし、蒼穹の魔女の手柄を奪うのは看過できん」
「妾の話が信用出来ないのなら本人に聞いたらどうだ」
「彼女が本物の蒼穹の魔女かも怪しいものよ。オウリが送り込んだスパイではないのか」
前半の言葉には同意できないが、後半の言葉には一理あった。
スパイだと言っているのではない。もし彼女がスパイならお粗末過ぎる。オウリとの関係を隠そうとしていなかった。一理あると言ったのは彼女が敵だと言う事だ。少なくともオウリに敵対している限り、彼女は我々に味方する事はない。
シュシュはやれやれ、と肩を竦めた。
「では、最後に一つだけ。なぜ、森神に助力を願わん?」
「……森神はこの地に縛られている」
「ふん、語るに落ちたな、グレイグ。聖戦だと騒ぐのは国民の感情もあるだろう。アリシアは憤慨しておったが、妾はお主達が騎士だと思っておる。聖戦を始めれば神国が滅ぶのは自明の理。民を見捨てるような真似を騎士がするとは思えん。つまり、根底にあるのは絶望なのだろう。王国の気分次第で神国は滅ぶ。それに民が耐えきれなくなった。違うか?」
「…………」
「反論がないのなら続けるぞ。森神がこの地に縛られているとして。助力を願わない理由にはならない。王国を攻める事は叶わないかも知れぬ。だが、この地に安寧がもたらされるのだ。それは希望となる」
ハッとしたのは私だけでは無かった。
森神は穢龍ニグルドゥーラを撃退したと言う。ニグルドゥーラを討伐したのは王国の前身だが、五百年の時が経ち当時とは比べるべくもない程戦力が低下している。
言い伝えが真実なら森神は王国への抑止力になり得る。
視線が陛下に集中する。
ここにいる騎士たちは知っているのだ。
森神を呼び出せるのは王族のみであり……代償に命を捧げる必要がある事を。
陛下は絞り出すように言う。
「……私も考えた事はあったのだ。森神を呼び出してはどうか、と。しかし、森神は……この地に眠る神は……守り神ではない。呼び出してもただ荒ぶるのみよ。本質はニグルドゥーラと変わらん。ニグルドゥーラを撃退したと言うが、厄介な穢龍を先に仕留めようとしただけ。ニグルドゥーラが早々に引いていれば、神国は森神によって滅ぼされていただろう。我々に森神を鎮めるだけの力はない。ないのだ。あれば……」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
私は目を伏せる。
一瞬でも陛下を疑った事を恥じたのだ。
陛下は無私の人だ。
自らの犠牲で神国が救えるのなら、それを試そうとしないはずがない。
「……ふぅ。ここまでオウリの予想通りとはのう。オウリめ、一体何を掴んだ? 考えて見れば謁見の間に来たのもおかしい。グレイグの居場所を知り得て、神国の事情にも明るい……そうか。あの騒がしい精霊がいたな。精霊? まさか、森神の正体とは――」
「シュシュ、今何と言った? オウリの予想通りだと?」
シュシュの独り言を陛下が聞き付けて言った。
「今の質問はオウリから頼まれたものだ。そして、お主の答えも分かっておった」
「…………」
シュシュは苦虫を噛み潰すように言った。
「どうやら妾も含めて……オウリの掌の上らしい」