第1話 泡沫の夢
満腹になった腹を撫でながら、俺はベッドに横になっていた。
ふと、灰色の髪が目に入った。腰まで伸びる長い髪である。
目を上げれば仁王立ちする妹がいた。華奢な身体付きを見ると、十二歳という申告が疑わしく思える。特に一向に成長する素振りを見せない胸。ぺたんこなのだ。食生活は改善したハズなんだけどな。俺の視線に気づいたのか、セティが頬を膨らませていた。
「もー、食べたら後片付け。そう言ったの兄さんだよ」
「……なあ、セティ。俺は常々思ってる。我慢って大事だよな。全員が全員、欲望に正直だったら社会は成り立たない。でもな、我慢のし過ぎも良くない。我慢して、我慢して、んで、自分の欲望さえ分からなくなるのさ。俺は自分の欲望に素直でありたい」
「それが今日のいいわけ?」
今日の、とか言うな。毎日言い訳してるみたいだろ。してるけど。
「ちょっと捻ってみた。ただ、猛烈に後悔してる」
「そうなの?」
「ちと、喋りすぎた。眠くなくなった」
「起きる?」
セティが手を差し出して来た。
まだ、小学生ぐらいの体格だ。俺を引き起こすには力が足りない。
セティの手を取って引き寄せる。簡単に俺の腕の中に収まった。
キャッキャとはしゃぐセティを抱き、ゴロゴロとベットを転がってやる。
「ねぇ、兄さん。家にいていいの?」
「ほーう、働いて来い、ごく潰しが。そういいたいんだな、セティは」
「ううん。兄さんさえいいなら、いつまでもいて欲しい」
「……くっ、し、鎮まれ……俺の腕……」
そんなカワイイこと言うなよ。ギュッてしそうになったろ。
《XFO》では日常生活は常人並のステータスになる。完全に下がるのではなく、リミッターがかかるというか。そうしないと食事一つ満足に摂れない。しかし、我を忘れた時はステータスが十全に発揮される。されてしまう。可愛がっていたら妹が死亡しました――なんて、中二的なセリフではあったが、案外、シャレにならない話である。
あれだな。
セティを鍛えよう。
んで、ギュッてする。
俺は思う存分可愛がれてハッピー。
セティは強くなれてハッピー。
おう、完璧な計画だな。
パワーレベリング計画を練っていると、セティの呆れた顔が目の前にあった。
「また、ヘンなこと考えてたでしょ。ほら、魔王に滅ぼされたって言う……」
「廃都リファエルな」
Chapter4《軋む流転》のダンジョンである。
「攻略が進んでないっていうよ。兄さん、昔は強かったんでしょ。助けてあげなくていいの?」
「昔つっても一年くらい前だけどな」
言って、感慨に囚われる。
もう一年経ったのか。セティを拾ってから。
この世界を生きるセティには言い辛いが、プレイヤーの種族ハイヒューマンは、他の種族と比べて優遇されている。ステータスもそうだが、一番の違いは成長率だろう。得られる経験値が十倍は違う。一年もサボっていればトップランカーも中堅プレイヤーだ。
「俺が行ったところで足手纏いになるのがオチだ」
トップランカーに追いつくには一か月はかかるだろう。
もう少し経てば救済武器が登場し、レベル上げも簡単になるのだろうが。
《XFO》を楽しむにはレベルキャップまでカンストする必要がある。だが、初心者がトップランカーに追いつくには一年かかると言われたら普通投げる。その為、後発のプレイヤー向けにレベル上げの苦労を緩和させる措置が取られる。
経験値効率のいい狩り場を用意したり。
ぶっ壊れた性能の武器を用意したり、だ。
「攻略が遅れてるのもハイヒューマンにやる気無いからだろ。その気になりゃサクサク進むさ」
廃都リファエルはアンデッド主体のダンジョンなのだ。
リアリティがウリの《XFO》らしく、それはもう吐き気を催す魔窟らしい。
腐った死体なんて見たくねぇしな……と考え、変ったものだと苦笑する。
結局のところ。俺が強さを追い求めていたのは認められたかったからなのだろう。強くなるのは楽しかったから、手段と目的を履き違えているのに気付けなかった。セティと出会い満たされて、ようやく自分を見つめ直せた。ダンジョンのクリアに躍起になっていたのが嘘のようだ。
「なあ、セティはこれからどうしたい?」
「どうって?」
「あー、色々あるだろ。学校、通ってみるとか。錬金術学びたいって言ってたろ。俺のサブクラスは鍛冶師だから教えられないし。金なら俺が出す。ん、その前に両親ボコるか。育児放棄のケジメは必要だよな。まァ、なんだ。夢って大層なモンじゃなくてもいい。あの町行ってみたいとか、ヤーズヴァル乗りたいとか、そんなんでも」
俺達が住む家は森の一軒家だ。最寄りの町に行くにも、セティの足なら一日がかりだ。
拾った時のセティは両親に捨てられ、プチ人間不信になっていたので、仕方がなかったのである。
しかし、いつまでも籠っているワケにもいかないだろう。
「……この家にいたら……ダメなの?」
「ダメってワケじゃないが……まー、いいや。考えといてくれ」
セティは俺にまだ遠慮しているところがある。そう考えると先程の言い訳も歯がゆさから来たのかも知れない。もっと欲望に素直になれ、とセティに言いたかったのだ。俺は。多分。
家にいたいというのは本当だろう。
だが、それだけではない気がする。俺には言えないような事なのか。
子供は体温が温かいっていう。セティを抱いていると、陽だまりにいるようだ。
ああ……なんだか……眠くなって来た。
「……あ、あのね……私、夢あるんだよ。兄さんのお嫁さんになりたい」
何か温かいものが、頬に触れた気がした。
重たい瞼を持ち上げると、真っ赤な耳が見えた。