第4話 神都チェクウッド
ドレスザード神国の歴史は古い。
王国の歴史が浅いというべきか。
現存する国の大半はゲーム時代から存在していた。
しかし、五百年以上前の歴史は曖昧だ。
ドレスザード神国に限った話ではないが、特に神国はこの傾向が顕著だった。
五百年前、穢龍ニグルドゥーラが復活した。異世界化の直後だ。地球への帰還の望みが断たれ、プレイヤーは厭世的になっており、ゼノス人だけでニグルドゥーラに当たった。
元々、ニグルドゥーラはChapter2のボスだった。
輪廻の神スニヤが滅んだ事で、封印が綻び復活したのだという。
ゼノス人はChapter1の魔王にさえ勝てなかったのだ。
勝敗は明らかだった。鎧袖一触で敗れた。
結局、プレイヤーが重い腰を上げるまで、各国は蹂躙され続ける羽目となった。
この時、多くの人命と共に史書が失われた。
神国は最初にニグルドゥーラの襲撃を受けた国であり、事実上、一度滅んでいる。
ドレスザード神国の首都――神都チェクウッド。
ゲーム時代と名前こそ変わらないが、俺の知っている町と全く別物だった。
***
エルフは自然と共生する。
森がそのまま彼らの町といっても過言ではない。ヒューマンの町のような壁が存在しない。森を歩いているとエルフが増え出す。それで町に入ったと気づくという具合だ。
周囲には太い木々が立ち並ぶ。
視線を上げれば木に奇妙な節が見える。節に空いた穴から人の声が聞こえて来る。幾つかの穴からは煙が棚引いている。昼飯時なので炊事をしているのだろう。節の内部は空洞になっており、エルフが住んでいるのだ。
ツリーハウス。
エルフの伝統住居だ。
「…………」
俺は往来の真中で立ち尽くしていた。
……何度見ても場所はあってる。この湖の形に見覚えがあるし。
マップを操作する。拡大、縮小。縮尺に合わせ現在地を示すマーカーが大きさを変える。しかし、マーカーの上に書かれた地名は変わらなかった。
――神都チェクウッド。
周囲を見渡す。
数えきれないエルフがいる。
……どう見たってエルフの町だよな。て、コトはマップは正しいのか……チェクウッドは全然違う場所だっただろ……ニグルドゥーラに滅ぼされて遷都したんだっけか……でも、よりにもよってここかよ……
途方に暮れていると腕を引っ張られた。
「いろいろ売ってるね。ねね、兄さん。見に行こうよ」
セティは通りに並ぶ店に目を奪われていた。
この一角だけ切り取ればヒューマンの町と変わらない。ツリーハウスは行き来が面倒だし、広さだってない。店を構えようと思えば建物を建てるのが合理的なのだ。
神都にはヒューマンの商人も訪れる。
他者と関われば影響を受けるのは避けられない。
国境の森に近いキシャ村はまるきりヒューマンの様式だった。子供達を送り届けるため神国全土を巡ったが、閉鎖的な場所ほどエルフらしい生活を送っていた。
子供達を送り届けるのは二週間で済んだ。
別れを惜しむ時間が含まれており、移動に費やした日数はもっと少ない。
ヤーズヴァル様様だ。
予想していた事ではあったが、全員が全員親元に帰れたワケではなかった。子供達が奴隷になったのはヒューマンに襲われたからだ。ヒューマンの奴隷狩りで既に親が亡くなっている事もあった。そういう場合は親戚か孤児院に子供を預けた。
エルフは同族意識が強い。
快く引き受けてくれた。
金銭で困る事はないはずだ。
アリシアが冒険者ギルドで全額引き出し、それを子供達に等分したのである。
Sランク冒険者の稼ぎだ。かなりの大金であった。
俺が用意する武具もセティの回復薬も、市場に出回る物より遥かに強力なものだ。それを買ったのだと思えば安いものだとアリシアは快活に笑っていた。
武具が絡まないとこんなに男前なのに……とシュシュがそっと涙していた。
「あー。俺はいいから。シュシュと見てこいよ」
「もう。兄さんと、見たいんだよ」
セティは俺の腕を取り、上目遣いでダメ? と聞いて来る。
「……そんな可愛くオネダリされたらな。ダメとは言い辛いんだが……」
もう一押しと見たか。セティが重ねて言う。
「せっかく観光に来たんだから楽しまなくちゃ」
「ん、観光?」
「違ったの?」
セティの円らな瞳を見ていると、
「……そう。観光に来た」
気が付けばそう言っていた。
だよね、とほほ笑むセティを見ていると、本当に観光に来たような気がしてきた。
神都には明確な目的を持って訪れていた。正確に言えばこの場所か。しかし、マップの表記が変わっており、確証がとれなかったため、セティ達には目的を告げていなかった。
急ぐ旅でもなし。
ま、観光でもいいか。
セティはトトウェル大森林に引き篭もっていた。
観光させてやりたいとは思っていたのだ。
プライオリティが変わっただけ。
それに俺の目的の方は目星が付いている。
遠くに目をやれば緑の威容が目に入る。
城だ。
マップの表記ではチェクウッド城とある。そう書かれているからには城なのだろう。
だが、遠景から見れば一目瞭然だった。
あれは……城であって……城じゃない。
チェクウッド城の外観は……一言で言えば蹲る巨人、だ。
「よかった。早くいこ」
俺が城を眺めているとセティが足早に歩き出す。
「待て、待てって。二人はどこいった?」
「あそこにいるよ」
「……なんか、食ってるな。放っておいていいか」
シュシュは肉にかぶりついては喉を詰まらせ、アリシアに背中を撫でられていた。奴隷生活を送っていたからか、シュシュはかなり食い意地が張っている。
エルフとヒューマンの組み合わせを、屋台のエルフは奇異の目で見ていた。
オーファンが言うには、元々エルフは閉鎖的な種族だったが、この五百年でその傾向が強まったらしい。お前らのせいだろ、とボコったのは余談として……俺とアリシアに注がれる視線で好意的なモノは一つもない。あからさまに敵意をむき出しにする者もいる。
それを考えれば屋台のエルフの視線は、気分がいいモノではないが公平だ。
仲のいいエルフとヒューマンは珍しいだろうから。
色眼鏡で見ていない。
そうか。商人だから。
俺が買い物を渋ったのはセティに嫌な思いをさせてしまうと思ったためだ。見ての通りここはアウェイ。純粋に買い物を楽しみたいのならエルフ同士で行くのがいい。
が、本音を言えば俺だってセティと買い物を楽しみたい。
幸いシュシュ達を見て、いい場所を思い付いた。
セティを連れて入ったのはアクセサリー屋だ。
棚に並ぶ指輪を見て、セティが目を輝かせる。
「買ってくれるの?」
「ああ、好きなの選べ」
「えへへ、結婚指輪だね」
「……冗談……だよな……」
俺は顔を強張らせ、セティを見た。セティはほほ笑んでいた。
「う~ん。兄さんがそう思うなら。冗談なんだと思うよ?」
「…………」
……は? 俺が冗談だと思うなら? じゃあ、俺が結婚指輪だといえば、それで結婚が成立するのか? 俺もセティは好きだが……それは家族としてであって……いや、薄々察してはいたが。セティがブラコンを拗らせてる、と。でもさ……再会してまだ三か月だぜ。妹として接した期間が長すぎるんだよ。セティの好意は嬉しいが……今すぐには答えは出せない。
一旦築いた関係をリセットし、新たに始めようと思えば、相応の時間が必要となる。
それが分かっているから、セティもあっさり引いたのだろう。
「悪いな。答えは出す、いずれ」
セティの頭を撫でながら言うと、セティは意外そうに目を瞬かせていた。
恐らく俺が真面目に取り合うと思っていなかったのだ。確かに冗談で流すのが一番楽な道だっただろう。しかし、冗談で流していい事と、いけない事の区別はつく。
セティは外面を取り繕っていたが、拳は知らず強く握り締めていた。
冗談だと言い切らないところに彼女の譲れない思いを見た。
これを見て見ぬふりをするのなら、俺はもうセティを家族と呼べない。
「うん、兄さんが答えを出すまで百年でも二百年でも待つよ。もう五百年待って来たんだから。ごめんね。困らせるつもりはなかったんだ。なんでいっちゃったのかなあ。アクセサリー屋に連れて来てくれたから期待しちゃったのかも」
ふくれっ面のセティを抱き寄せる。
それだけでセティは相好を崩し、俺の胸にすり寄って来る。
俺は苦笑し、セティの頭をぽんぽん、と叩く。
セティは夢見がちな少女だった。素敵な告白を夢見ていたのだろう。それがこんななし崩し的な告白では不本意に違いない。ここのところ俺達の周りには、シュシュ、アリシア、子供達と大勢いた。二人きりになる機会はなかった。そこへアクセサリー屋である。
微かに抱いた期待が後押しとなり、気持ちが抑えきれなくなったのだろう。
顔がくっ付きそうな距離でセティに言う。
「俺達は家族だ。これまでも。これからも」
「うん」
「どんな家族のカタチになるかはこれから次第だ」
兄と妹。
或いは夫と妻。
セティは俺の瞳を見詰め……やがてコクリと頷いた。
「よし、いい子だ」
セティを抱きあげ、ぐるぐると回る。きゃっきゃ、と黄色い声が上がる。
「もー、兄さんたら。子供扱いして」
「ははは。お前はまだ妹だって事だよ」
咳払いが聞こえた。
アクセサリー屋の店主だった。
生暖かい視線に耐えきれずセティを下ろす。
エルフは容姿が優れている。店主のエルフも美形の男だ。しかし、セティには邪魔者でしかなかったらしい。いいところだったのに、と店主を睨みつけていた。
店主は肩を竦め、俺を一瞥した。
俺は目で、すまん、と謝る。
互いの顔に苦笑が浮かぶ。
やはり、アクセサリー屋を選んだのは正解だったらしい。
ゲーム時代、プレイヤーの職人が市場を席巻していた。
彼らが現れる前は職人と言えば亜人の事だった。
それにはクラスが関係している。クラスは適性によって決まる。
例えば《腕力》の高いドワーフは鍛冶師に、《器用さ》の高いエルフは細工師になり易い。
クラスに適したステータスだけでなく、切磋琢磨する仲間が沢山いるのだ。
亜人の職人の腕がいいのは当然である。
だが、プレイヤーの職人が現れた事で状況は一変する。
彼らの鍛えた剣はドワーフの鍛冶師よりも強靭で、アクセサリーはエルフの細工師よりも繊細だった。しかも作る事自体に喜びを見出しているため、品質に比して圧倒的に安価だった。当時は次から次へと厄介事が起こった。強い武具は幾らあっても足りなかった。だから、表沙汰になる事はなかったが、廃業に追い込まれた亜人の職人は多かったはず。
しかし、職人のプレイヤーはログアウトした。
現在は再び亜人の職人が台頭している。
ヒューマンは職人になれないわけではないが、生まれもったステータスを覆すのは難しい。プレイヤーが亜人の職人に勝てたのは、ステータスが優遇された種族だったからだ。プレイヤーの血を色濃く残すハイヒューマンは大抵は貴族で、職人の領分を侵さない。
ヒューマンが品質のいい装備を手に入れたいと思ったら亜人から購うのが一般的だ。
武具であればドワーフから。アクセサリーであればエルフから。
だから、ヒューマンの商人と取引しているはずのアクセサリー屋を選んだ。
往々にして偏見は想像力を糧に育まれる。しかし、実際に顔を合わせれば想像力の働く余地は無い。期待通り店主は種族ではなく俺という個人を見てくれている。
「兄さん、これ。かわいい」
そう言ってセティが見せて来たのはネックレスだった。
セティは鎖を指で摘まみ、ネックレスを胸元に当てる。
ネックレスはハート型をしたシンプルなデザインだ。セティが愛用するヴェルベディスドレスは胸元が開いている。ワンポイントになるネックレスは非常に映える。ともすれば地味なネックレスだが、セティの楚々とした魅力を損なわず、悪くないように思えた。
まー、ウチの妹なら何でも似合うと思うが。
「いいんじゃないか」
「ホント? なら、これにする」
そう言ってセティはアクセサリーを棚に戻しだす。
ハートのネックレス以外の候補である。
一つ目で好感触を得たため用無しとなったらしい。
どれもセティに似合うデザインだったが……一つだけ異質なネックレスが混じっていた。禍々しい髑髏だ。セティの趣味ではない。と、なると俺の趣味……なのか。セティから見た俺の趣味、というか。俺がいいといえば、あれに決めたのか? 決めたんだろうな。
セティにとって大事なのは、俺が選んだという事実みたいだし。
「指輪じゃなくていいのか」
「兄さんがプレゼントしてくれるまで待つよ」
……うお、藪蛇。
そそくさとネックレスを店主の元へ持って行く。
値札を見て……絶句する。
高けぇ。
六十万ルピってなんだよ。
災厄の魔女討伐隊の報酬の半額だぜ。
ゲーム時代の名残だろう。貨幣はルピで統一されている。国を跨いでも両替は必要ない。
これが自分の買い物なら間違いなく棚に戻している。
セティが金銭感覚に疎い事を忘れてたな。
だが、好きなのを選べと言ったのは俺だ。
高いからといって買わないという選択肢はない。
「これ、買い取って貰えるか」
指輪をカウンターに置く。
「……これは生命の指輪か。それもかなり……高品質だ……はめてもいいか……?」
「あ~、やっぱそう来る?」
「だめなのか」
「いや、構わねぇけどさ。買い取ってくれるなら」
「買い取るにしても品質を確かめる必要があるだろう」
「……だよな。どうぞ」
店主は断ってから生命の指輪を嵌める。途端、ハッと顔を強張らせた。
生命の指輪は《生命力》を上げる。俺のレベルだと誤差の範疇の上昇だが、レベルの低い店主は湧き上がる《生命力》が実感出来たのだろう。
「……ダメだ。買い取れん」
「そう言うと思ったよ」
装備は鍛える事が出来る。これが品質と言われる。
生命の指輪は+10。最高品質である。
装備は鍛えるのに失敗すると品質が下がる。最悪、装備を破壊する。
だから、ある程度の強化で妥協するのが普通だ。
しかし、生命の指輪はビギナー向けのアイテムだ。強化の素材も安価であり、難易度も高くはなかった。ゲーム時代、初心者の御守りとして最高品質にした生命の指輪が大量に出回っていた。俺もセティの御守りとして買い込んだのだが、彼女のクラスが拳を使う拳闘士である事を思い出し、一つを除いてインベントリに眠っていた。
「こんな指輪があるなら、俺のアクセサリーは不要だろう」
仏頂面で指輪を外しながら店主が言う。だが、すぐに申し訳なさそうな顔をした。
「……すまん。八つ当たりだな。オークションに持ち込め。相当な値がつくだろう」
生命の指輪は普通に出回っている。
しかし、最高品質となると相当珍しいのだろう。
「目立ちたくないんだよ」
「盗品か?」
「そーじゃないが。出所がどこだとか。詮索を受けるだろ。それが鬱陶しいだけ」
俺のインベントリにはゲーム時代のアイテムが山ほど詰まっている。職人の質が下がったこの世界では宝の山だ。売り払えば一財産になる。しかし、値が付き過ぎるのだ。
インベントリの容量も無限ではない。
残っているアイテムには相応の理由がある。
弱いアイテムは大抵、品質が異常だったりする。
だから、宝の山を抱えながら売る事が出来ていない。
俺にとっては生命の指輪より現金の方が貴重なのである。
「なら、物々交換でどうだ」
「割に合わない」
「価値を決めるのは客だと思うぜ。あんたは品質に価値を見出し、俺はデザインに価値を見出した。なあ、俺に花を持たせてくれよ。プレゼント買うのに会計で揉めたくない」
セティがチラチラと俺の事を見ていた。
店主は深々と溜息を吐くと分かった、といった。
「助かる」
現金で買えなくもなかったのだが……残りの路銀を考えると避けたかった。俺とセティの二人旅なら迷わず現金を出したのだが、シュシュとアリシアに迷惑をかけられない。
ネックレスを手に戻ると、セティが抱き付いて来た。
「えへへ。ありがとう、兄さん。つけて?」
「はいはい。ひっつくな。つけらんねぇ」
セティに後ろを向かせ、髪をかき上げてやると、甘い香りが漂って来た。
それが俺の何かを刺激したのか。白いうなじが艶めかしく見えた。
瞼の裏に小さい頃のセティの姿が浮かぶ。心なしか昨日よりも成長している気がした。
記憶の中のセティと現実のセティ。重なった時、俺の答えは出るのだろう。
「俺は貰い過ぎた。だから、忠告する」
ネックレスを付ける作業を止め、俺は振り返った。店主は苦々しい顔をしていた。
「……なんだよ。イチャつくなら外でやれって? 手間取ってるのはわざとじゃないぜ。慣れてないんだから仕方ないだろ。それに。あんたのアクセサリーが切っ掛けだ。職人冥利に尽きると思って暖かく見守っててくれ」
「……そうじゃない」
「だろうな。冗談だ。あんたがあんまりにも憂鬱そうなツラしてるからさ。で? 忠告って? 剣呑な響きだが」
店主は苦笑すると言った。
「早くこの国から出た方がいい。ヒューマンは」