第3話 ヤーズヴァル
ストーンボアが草むらから飛び出して来た。
名前の通り岩の肌を持った、高い防御力を誇るイノシシの魔物だ。多くのプレイヤーにソロを断念させ、パーティープレイの開幕を告げた、一つの転換期を作った魔物である。
物理クラスでは防御力を貫けず、魔法クラスでは詠唱する暇が無いのだ。
まあ、それも適正レベルで挑んだらの話だが。
ストーンボアはChapter2の魔物だ。
「《アーススパイク》」
シュシュが土の杭で打ち上げ、
「《ダンシングエッジ》」
アリシアが短剣を一閃させただけでストーンボアの首が落ちた。
「暇潰しにもならんな」
欠伸を噛み殺しながらシュシュが言う。
「真面目にやれ、シュシュ。子供達が見てるぞ」
アリシアが苦言を呈す。
「余裕を示しておいた方がよかろう」
「むっ、一理あるか」
セティの住処には三か月いた。
ヤーズヴァルがこの塒に来るのを待っていたのだ。暇人のシルフがちょくちょく住処を訪れていたので、ヤーズヴァルの居場所はリアルタイムで把握出来た。三か月もあれば子供達を親元に帰せた気もするが……子供達の心の傷を癒す時間も必要だったという事で。
その間、シュシュとアリシアは鍛錬に勤しんでいた。
シュシュのレベルは120、アリシアは148になった。
トトウェル大森林はシュシュには格好の狩場だったが、元々レベルの高いアリシアには役不足だった。しかし、レベルこそ伸びていないが、アリシアは格段の進歩を遂げた。
その一端が今見せた《ダンシングエッジ》だ。
短刀を使った事から分かるように《暗殺者》のアーツである。
そう、クラス外スキルだ。
俺は三人にクラス外スキルの習得方法を教えた。
しかし、スキルの習得方法を知っていても、実際に習得出来るかは別の話だ。習得したてのスキルでも発動出来るのは、動作の補正が働くからである。この補正を自転車の補助輪に例えると、クラス外スキルの習得というのは、補助輪なしで自転車を乗りこなすようなものだ。つまり、クラス外スキルの習得にはセンスが必要となってくる。
戦いのセンスという意味では、シュシュもセティも申し分ない。
だが、意外な事にアリシアが一番飲み込みが良かった。
恐らくセティは拳闘士の戦いが染みつき過ぎたため。シュシュに関しては……よく分からない。Chapter1のボスだからか。冥闇姫のレアクラスだからか。はたまた《穢れ》が関与しているのか。考えられる要因が多すぎて逆に原因が絞り込めない。
で、アリシアだが……狂戦士、暗殺者に適性を見せた。
得意武器で考えると分かりやすい。
習得可能は剣、斧、短刀。
習得不可は拳、槌、弓、槍。
刃が付いているかいないかで、習得出来るかが決まるのだ。
……アリシアが武具に並々ならぬ情熱を傾けているのは知っていた。だが、その情熱が刃の有無で決まるなんて……知りたくなかった。
「また来るぞ。五時の方向だ」
俺が言うとシュシュは茂みを凝視し……やがて諦めたように苦笑した。
「お主の《風王領土》だったか。妾では真似出来そうにないわ」
「シルフが言うには俺は風魔法の適性がズバ抜けてるらしい。その俺でも《風王領土》は滅茶苦茶神経使う。《エアライド》の上で昼寝出来るぐらいじゃないと無理」
《風王領土》は微風を吹かし、周囲を探るオリジナルスペルだ。難しいのは風の流れから、周囲の状況を読み取ること。見えない手を無数に伸ばし、触診しているようなものだ。
ソナーに似ているが、《風王領土》は常時展開可能だ。最大、半径百メートルを探れる。《風王領土》の展開中は意識がそちらに割かれるため戦闘行動が出来ない事が弱点か。
「シュシュは子供達を見ててくれ」
そう言ってアリシアが茂みに歩き出す。
シュシュが力なく首を振る。
「……いや、妾に任せよ」
「私が討ち漏らしたら頼む」
「……むぅ、そうではなくてだな……なあ、アリシア。トトウェル大森林では互いに切磋琢磨した仲だ。手に入れた力を試してみたい気持ちは妾も一緒だ。ここは妾の顔に免じて出番を譲ってはくれんか? オウリに見せてやりたいモノがあるのでな」
「……シュシュがそこまでいうなら構わないが……」
アリシアは怪訝そうにしながらも出番を譲る事を了承する。
一緒に鍛錬を行っていたからか。シュシュとアリシアは仲がいい。
仲がいいからこそシュシュも本当の事を言えなかったのだろう。
刃物を握ったアリシアの顔が怖く、それに子供達が怯えている、とは。
ちなみに俺も怖い。
美人なだけ余計に。
「来たか」
シュシュが言うと同時にストーンボアが現れた。
「暇潰しにはならんが。お披露目には丁度よかろう」
シュシュの影が伸び、ストーンボアを拘束。そこを《フレイムジャベリン》で絶命させる。肉の焼ける香ばしい匂いがするからか、戦いというより料理をしているようだった。
「……《ダブルワード》かよ。いつの間に覚えた」
手にした力を試したいって……方便じゃなかったのか。
シュシュは同時に二つの魔法を使った。
影魔法の《影縛り》と火魔法の《フレイムジャベリン》。
幾ら無詠唱だったとしても、魔法を同時には発動出来ない。これを実現する為には魔法使いの上位クラスである魔導師の《ダブルワード》スキルが必要となる。
ただし、《ダブルワード》で発動出来るのは無詠唱可能な魔法に限られる。
「つい先日にな。驚いたか、んん?」
にやにやとシュシュが言う。
「……俺は《フォースワード》出来るし」
「くくく、負け惜しみよな。そんなスキル存在せんわ。《ダブルワード》の上は《トリプルワード》。それで打ち止めよ。《ダブルワード》も出来ぬオウリにこれを言うのは心苦しいが、冥闇姫はレベル160で《トリプルワード》も覚える」
「……お前にクラス外スキル必要ねぇわ。冥闇姫のクラスがチート過ぎる」
……ホント、どういう事なんだろうな。魔法使いクラスだってのに、俺に魔法のセンスがないってのは。ああ、《ダブルワード》は使えねぇよ。神聖魔法だって習得出来なかったし。クラス補正がなかったら属性魔法も使える気がしねぇ。逆に近接クラスのスキルは簡単に習得出来るという。魔法使いの血が流れてるから魔法使いのクラスになっただけなのか……オリジナルスペルを開発出来ているし、魔法の才能が皆無って事はないと思うが……
「ん? これ……か?」
《風王領土》が竜を探知した。
十中八九ヤーズヴァルだ。状況から推測するに。
だが……デカい。
俺の知っているヤーズヴァルは小型の竜のサイズだった。寝そべる竜はブレイザールと同等か、それ以上の大きさだ。縁日で買ったミドリガメが知らぬ間に玄武になっていたカンジというか。成長したのだと分かっていても頭が理解を拒む。
《風王領土》でぺたぺたと竜に触れていると、風に懐かしさを覚えたのだろうか。
竜が目を開けた。
大地が鳴動すると、梢から覗きこむように黒竜が顔を出した。
あの凶悪なツラは……間違いない、ヤーズヴァルだ。
「ひいーーーーーーーーー!」
「ぎゃーーーーーーーーー!」
「出たぁーーーーーーーーー!」
子供達が悲鳴を上げていた。
ヤーズヴァルめ! 子供を怯えさせるなんて太い野郎だと義憤を抱くが……子供達は俺を責める目で見ていた。
何故だ。
「全然かわいくない!」
「カオ、チョー怖えー!」
「……夜。トイレ、一緒に行って欲しい」
ん~。
言われてみれば俺は犬猫を紹介する感覚でヤーズヴァルの事を話して来た。
芸を仕込むのに苦労したとか。俺がどこへ行くのにもついて来たとか。
子供達の中で可愛いヤーズヴァル像が出来上がっていたのだろう。
そこへあのツラがぬっと出てきたら……ああ、そりゃ、ビビるわな。
「…………」
「…………」
ヤーズヴァルと目が合う。
……やべぇ、物凄くイヤな予感。
「子供達を頼む!」
俺は《瞬動》を繰り返し、ヤーズヴァルに向かう。
ヤーズヴァルが口を大きく開けた。
くそ、イヤな予感に限って、よく当たりやがる。
ヤーズヴァルの顔の周りが蜃気楼のように揺らめき出す。
無属性の《魔力》が可視化しているのだ。
チッ。
ダメだ。
遠い。
間に合わねぇ。
《刻の魔眼》を使っても焼け石に水か。止める事が出来ないなら防ぐしかない。
「清澄なる湖面よ、かの光を映せ――」
竜が口に《魔力》を溜めたのなら、次に来るのは分かり切っている。
ブレスだ。
「――恩寵なりし七彩の輝き。魔を退けし、鏡とならん!」
――カッ!
ヤーズヴァルの口から閃光が放たれる。ブレスの強烈な光が影を蒸発させて行く。梢は障害物とはなりえず、ブレスに触れるや否や消滅する。我が物顔で突き進むブレスの行く手を阻んだのは七色に輝く水鏡だった。
水魔法、第七階梯《プリズムリフレクション》。
魔法を反射させる水鏡を作り出す。
ブレスは水鏡と衝突すると、その輝きを明滅させた。俺の内心を表すかのように、足元で影が狂ったように踊る。逃げ出す準備をしつつ水鏡を見守る。この魔法は術者が離れると消えてしまうのだ。
「…………」
長い一瞬が終わり。
ブレスは空に消えていった。
生きた心地がしなかった。
空を見上げ、俺は渋面になる。雲のキャンパスには子供が描いたような、出鱈目な線が生まれていたからだ。ブレスで雲が消滅したのだ。点ならいい。しかし、線となると問題だった。ブレスの出力に《プリズムリフレクション》が負け、ブレていた証拠なのだから。
俺が受け損ねていたら大惨事だった。
付近には子供達がいるし。
山の麓にはキシャ村もある。
今回、俺が子供達を同行させたのは、危険はないと踏んだからである。
山に出現する魔物はレベル50前後。セティ一人で子供達を守りきれる。
他の五色竜が相手だったなら子供達は連れて来なかった。属性魔法が飛び交う戦場になるからだ。しかし、ヤーズヴァルの属性は無であり、遠距離攻撃はブレスのみ。
そして、ブレスはない。ない、はずだった。
「……あンのクソヤロォ!」
そうか、そうか。竜は鳥だったか。鳥頭だったんだな。じゃれ付くのは構わない。ただ、周囲への影響がデカいブレスは禁止。そう口を酸っぱくして言ってたんだけどな。
いいさ。
忘れたんなら仕方がねぇ。
また、躾直すだけだ。
「兄さん!」
肩越しに振り返ると、駆け寄るセティが見えた。
「いいトコに。俺を飛ばせ」
「飛ばすってあれ?」
「練習してたアレだ」
「うん、任せて」
セティはほほ笑むと、大きく片足を上げる。
下着が見えそうだが……指摘する時間も惜しい。
シュシュとアリシアが鍛錬している間、俺達もサボっていたワケではない。レベルこそ上がらないが磨ける部分はまだある。特に重要視したのがコンビネーションだった。俺もセティも一人で戦う事に慣れ過ぎている。これからは一緒に戦う事も増えるはずだ。
だが、これを実際に披露する機会があるとは思っていなかった。
特訓の息抜きで行っていた遊びなのだ。
俺は軽く飛んでセティの足裏に着地。
「行くよ――《砲天響》」
セティの蹴りに合わせ、俺も自分で飛ぶ。砲弾のように空に放たれる。
ヤーズヴァルに向かって飛びながら詠唱する。
「死脈の如き顎門。知恵持たり、等し並みなり。我は鱗を持たぬ竜。灼熱の息吹を写さん」
火魔法、第七階梯《ドラグレイ》――竜のブレスを模した魔法である。
俺の掌から紅い閃光が迸る。
顔面に命中したのだが、ヤーズヴァルは驚いたように目を瞬かせるだけだった。むしろ、遊んでくれる気になったの、と嬉しそうにしている。
ブレイザールなら尻尾巻いて逃げていたはず。
あれか。
奴は五色竜の中でも最弱というヤツか。
俺の知るヤーズヴァルはブレイザールよりも弱かったのだが。
引きこもっていたブレイザールと引き替え、ヤーズヴァルは騎士団と遊んでいたようである。身体も巨大になっているし、強くなっているのは当然だが……面倒だな。
どうするかと考えていると……不意に陽が陰った。
足の裏に滑り。柔らかい感触。
背後には一対の剣山。上下で噛み合っている。
ヤーズヴァルの口内か。
食われたらしい。
考え事していた事もあるが、ヤーズヴァルの動きが俺の想定を超えていた。
「臭せぇよ」
《虎影脚》で上顎を蹴りあげ、強引に口を開けさせる。
行き掛けの駄賃で舌を刺そうとすると八咫姫が全力で震え出す。
物凄い詰られている気がした。バレているっぽい。匂いが移るのが嫌で八咫姫を使おうとした事を。別の武器を使おうとしたら、それはそれで臍を曲げるくせに。
《雷脚》で我慢するか。
どうせもう、靴はヤーズヴァルの涎でべたべただ。
《雷脚》を置き土産に口内から脱する。
空に飛び出すなり、俺は大きく息をする。途中から息を止めていたのだ。
《エアライド》に着地し、ヤーズヴァルを見ると、大きく息を吸い込んでいた。
懐かしさが胸を突く。小さい頃のヤーズヴァルは俺のやる事をよく真似ていた。
だが、これは……咆哮だろう。
俺は眉をしかめる。
《委縮》するとは思わない。五月蠅いのが嫌だった。
試しに《静寂》を無詠唱で放つ。
が、予想通りレジストされた。
状態異常を引き起こす魔法は詠唱しないと成功率がガクンと落ちる。そもそも詠唱したところでヤーズヴァルに効くとは思えなかった。
「《アトモスフィアカーテン》」
地に向けて刀を振ると、上空に風が吹き上がる。天地を二分する風のカーテンが出来た。
「――――――――!」
ヤーズヴァルの喉が震えている。だが、俺には何も聞こえなかった。
《アトモスフィアカーテン》は音を遮断するのだ。
咆哮が防がれ、心なしかヤーズヴァルは悄然としている。
しかし、まだ――
「頭が高けぇ」
《アトモスフィアカーテン》が消えるなり、俺はヤーズヴァルの頭上高く飛ぶ。
大量の武器をインベントリから取り出し、周囲に放りだす。
まず手にしたのは弓。小ぶりな槍を番え、《バーストアロー》。
ヤーズヴァルの額で槍が爆発する。
《エアライド》を蹴り、槍の破片が飛び交う中へ。
携えた槍を焦げた鱗に突き立てる。落下の勢いに応じて威力を増す《流星槍》。
掌大の鱗に一筋のヒビが入った。
槍を投げ捨て、両手を鱗に当てる。
「《双纏衝》!」
ピシピシ、と音を立てて鱗にヒビが走る。
そこへ放り出した武器が雨となって降り注ぐ。槍。短刀。剣。斧。
無数の選択肢から俺は槌を掴み取る。
槌にはこの状況に打って付けのアーツがある。
光る槌を鱗にブチ当てると、鱗がコナゴナに砕け散った。
防具の《耐久度》を攻撃する《アーマーブレイク》だ。
……やれやれ、ここまでやって、ようやく鱗一枚かよ。これなら最初から八咫姫を使えばよかったか。浮気しまくったから抜刀術は使えなくなってんだろうな……
「……くそったれ。なんだよ、この縛りプレイ」
光る槌を上空に思い切り投げる。
《生命力》バカのワーム種よりも、タフなのが竜種である。
殺してしまう事はないだろうが……俺がしたいのは躾で、虐待じゃないんだよ。
ヤーズヴァルの強さが読めず加減が分からなかった。
だから、八咫姫を封印し、弱いアーツで様子を見た。
と、俺がここまで心を砕いているのに……ヤーズヴァルときたら。
親の心子知らず、とはよく言ったものである。
オーファンが王国を見限れない理由が分かった気がする。
ヤーズヴァルは反撃に出る気だ。
《風王領土》が前足が動き出すのを感知した。
巨大な敵を相手にする時、《制空圏》では初動を見落とす。だから、《制空圏》と《風王領土》を併用する。《風王領土》の発動中は戦えないので、タイミングを見計らって使う。
それこそソナーのように。
俺は落ちて来た斧を手に取り、
「《スカルクエイク》!」
脳震盪を引き起こし、《スタン》させる狂戦士のアーツ。
だが、ヤーズヴァルは止まらなかった。
俺の言いつけを忘れるようなバカだし。脳ミソが小さくて揺れなかったのか。
「《グラヴィティストライク》!」
もう一度、斧を叩き付ける。
ブレイザールも這い蹲った強烈な打ち落としのアーツだ。
これにはヤーズヴァルも堪らず、唸り声を上げて頭を下げた。
不意に足場が消え、斧の重みでつんのめる。斧を手放すと、回転を生かし、《雷声落とし》。踵落としがめり込む。足場が出来たのも一瞬。また、身体が宙に投げ出される。
再びヤーズヴァルが頭を下げたのだ。
《スカルクエイク》は効かず。
《グラヴィティストライク》と《雷声落とし》は効いた。
違いは鱗の砕けた部分を狙ったかどうか、か。
《スカルクエイク》は《スタン》が目当てだったので狙いをつけなかったのだ。
ふむ。
もしかして痛みに弱いのか?
痛み……ね。
なら、アレが効くか?
風を操って短刀を引き寄せる。
「《痛牙》」
砕けた鱗から覗く肉に短刀を突き立てる。
「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」
「おお。効いたよ」
《痛牙》は暗殺者のアーツで、物凄く痛い一撃を繰り出す。
対人専用と言われて来た。攻撃力への補正が一切ないからだ。
大抵、魔物は生存競争の中で痛みに慣れっこになっている。
しかし、ヤーズヴァルには……思った以上に効いた。最強といわれる竜種の弱点が、最弱といわれるアーツとは……いや、これはヤーズヴァルが遊びだと思っている証拠か。
戦っていると痛みを忘れる。それは魔物も変わらないはず。
遊んでいたら本気で殴られた気分なのかもな。
昔はここまで痛みに弱くなかったが……鱗の強度が上がったのが原因だろう。鉄壁の鱗がヤーズヴァルから痛みを奪った。久しぶりに感じた痛みだったのだろう。
八咫姫に手をかけ、抜刀術を――と、やはりご機嫌ナナメか。
「《鎧通し》」
鱗をすり抜けて刀が突き刺さる。
ヤーズヴァルの巨体からすれば、針が刺さったようなものだが、もはや僅かな痛みでも怖いのか、ヤーズヴァルは大げさなぐらい頭を下げた。一緒に落下する武器を眺め、次は何を使おうかと考えていると、八咫姫が私でいいでしょう、と震えだした。
……抜刀術は使わせねぇクセに、自分の我だけは通してきやがる。
はいはい。分かりましたよ。無駄だと思うが。
《エアライド》で足場を作り、爪先を引っかけ、回転を生み出す。
「《バニッシュメント》」
八咫姫は鱗を砕いたが、斬る事は叶わなかった。
「なぜ傷口を狙わなかったのかって? 傷口をチクチクやるのは効果的だ。ただ、やり過ぎると我を忘れたバカがブレスぶっ放しそうで怖い。ヤーズヴァルは子供だ。それが分かった。遊びを戦いに変えさせたらダメだ。そういうワケでお前の出番は終わり。言っても聞かない子供を躾けるには拳骨だって事かね」
とはいえ、本当に拳骨で殴ると俺も痛いので、打撃属性の武器を使わせて貰う。ヤーズヴァルには鉄壁の鱗があるのだから、これぐらいのズルは認めてもらいたい。
物理攻撃には三種類の属性がある。
斬撃、打撃、刺突である。
一応、刀は斬れば斬撃、突けば刺突、峰打ちで打撃と、三種類の属性を持つ。しかし、武器によって得手不得手があり、刀の打撃属性はお察しのレベルだ。
打撃属性の武器は、斧、槌、拳。
まずは斧か。
「《ファイナルクラッシュ》」
両手で斧を上段に構え、腰を落として振り下ろす。通称、薪割り。
衝撃はヤーズヴァルを伝わり、俺の足を痺れさせた。しかし、それでも気持ち頭が下がったかな、程度だった。本物の狂戦士ならこの一撃で地面に叩きつけていたはず。俺は狂戦士クラスのアーツこそ習得しているが、要となるスキルが二つ習得出来ていない。こんなものか。
質より量と狂戦士のアーツを連続で叩き込む。
「《スウィング》」
段々と近づく地上を見ながら、何かに似てるなと考えていた。
「《紅蓮纏斧》」
殴る。落ちる。殴る。落ちる。
「《地裂斬》」
ああ、だるま落とし。
一体、どれだけアーツを放ったのか。狂戦士のアーツが尽き、拳闘士のアーツに切り替えていた。苦労の甲斐があり、後一発でヤーズヴァルの頭が地面に着きそうだ。
ならば、最後はだるま落としに相応しい武器で終わりたい。
槌だ。
「《頭砕き》」
衝撃で詠唱を中断させる、神官クラスのアーツだ。
ヤーズヴァルは詠唱していないので、単に光った槌でぶん殴ったのと同じ。
《頭砕き》という響きだけで選んだだけである。
どう、とヤーズヴァルが地面に倒れ伏す。ごめんなさいと謝っているかのようだ。
ヤーズヴァルの額を通り、俺は地面に降り立つ。振り返ると巨大な目が間近にあった。
「よう、ヤーズヴァル。久しぶりだな。俺のこと覚えててくれたみたいで嬉しいぜ。ただ、言いつけを忘れてるのはいただけないな」
ヤーズヴァルは俺をマジマジと見詰めていた。
すんすん、と鼻を鳴らすと、口角を釣り上げ、嬉しそうに吠えた。
「グオオオオオオオオゥゥゥゥッ!」
……マジでうるせぇ。耳塞いでんのにな。身体がビリビリ震える。
思わず黙らせたい衝動に駆られるが……それは人として酷過ぎるので自重した。が、俺の忍耐ほどアテにならないものもない。五百年間、孤独に空を行くヤーズヴァルを想像し、ふるふる震える拳の重しとしなければならなかった。ああ、もう、長げぇよ。
手が出る寸前、咆哮が止む。
ヤーズヴァルは瞳に稚気を浮かべ、俺を見下ろしていた。
ああ、来るな。
「なあ、ヤーズヴァル。色んな芸も仕込んでやったが。それは覚えてるか?」
ヤーズヴァルが前足を振り下ろす。空が落ちて来たような圧迫感。
《煌氣》を練り、掌底を打ち出す。燐光が手の周りを包む。手自体が光っているのだが、アーツの特性でそう見える。高速でブレる手は目に映らず、光だけが残って見えるためだ。淡い燐光は枝分かれし、手が完全に掻き消えた。が、次の瞬間、再び手が現れる。無数の掌底となって。放ったアーツはショットガンの異名を持つ《散打掌》である。
一発の威力はお世辞にも高くはないが、全て当たればバカに出来ない威力になる。
的はデカいからな。
目を瞑っていても当たるさ。
前足と掌底が衝突し、ゴゴゴゴゴ、と音が響く。
異名に相応しい銃火器のような音だった。
しかし、前足は――止まらなかった。
「…………」
後遺症が残るかも知れない頭部と違い、手足の一本や二本なら吹き飛んでも、セティの回復薬とシュシュの魔法がある。だから、手加減抜きで《散打掌》を放った。
……まさか、止まらないとは。
今度は本気で《煌氣》を練る。
《煌氣法》は未だに使いこなせているとは言い難い。
《煌氣法》の元となる《チャクラ》と《魔力循環》は、《生命力》や《魔力》がバフに転化しているのが実感出来る。しかし、《煌氣法》は蛇口の壊れた水道から手で水を汲んでいるような感覚で、ロスが大きい。だから、無意識でストッパーがかかる。
先程の《煌氣法》は手加減はしていなかったが本気でも無かった。
ま、ホントは《チャクラ》で十分なんだが。
前足の圧力は目に見えて落ちている。
しかし、敢えての《煌氣法》である。
ううむ、気のせいだったみたいだな。オーファンの気持ち分かった気がしたの。
子供が成長したら喜ぶべきだ。
だが、俺は大人げないと思いつつ……ムカつく気持ちが抑えられない。
俺を切り裂かんとする爪目掛け、拳を突き上げる。《生命力》と《魔力》を湯水のように使い強化された《崩拳》は、鱗よりも硬い爪を物ともせず抉り込む。
「…………」
「…………」
前足が俺の眼前で止まった。いや、ヤーズヴァルが止めたのか。見る見る短くなる爪に恐れをなしたらしい。
「よく覚えてたな。そう、これが――」
俺はゆっくり拳を開く。前足をぽんぽん、と叩く。
「――お手だ。んで、これが――」
《エアハンマー》で後ろに飛ぶ。
ヤーズヴァルが目をキラキラさせて俺を見ていた。全力を出したのに打ち負かされたのが嬉しいのだろう。力は単なる手段であると考える俺でも、全力で力を振るう事には爽快感を覚える。本能の塊であるヤーズヴァルが欲求不満だったのは想像に難くない。
並大抵の相手では遊び相手にもならないのだから。
期待して貰って悪いが……遊びの時間はお仕舞いだ。
「――伏せだ」
巨大な壁がヤーズヴァルの頭部を直撃。
宣言通りヤーズヴァルが伏せをした。したというか、させたというか。
壁は地面に落ちると、瞬く間に縮んでいき――槌になった。最初から槌だったのだが、大きすぎて一面しか見えず、壁が降ってきたように見えたのだ。
愚痴りながら空に投げたあの槌である。
巨大化させた武器で敵を潰す、神官の奥義、《ビッグバンスタンプ》だ。
当たればダメージは大きいが、大味過ぎて当てるには工夫がいる。
だから、まず最初に使わない武器まで大量にバラ撒いた。落ちて来る武器に当たってもヤーズヴァルは痛くも痒くも無い。自然、ヤーズヴァルは落下物を気に留めなくなる。
その上で俺が攻撃を繰り返し、ヤーズヴァルの注意を引く。
後は風で槌が落ちてくるタイミングを調整した。
意識の外からの一撃は堪えたらしい。ヤーズヴァルは目を回していた。
「…………ふぅ。疲れた」
大の字に寝転ぶ。
調子に乗って《煌氣法》を使い過ぎた。
目を閉じて風を感じていると、ぺろり、と身体を舐められた。目を開けると舌を出したヤーズヴァルの顔が間近にあった。流石はボスクラスの魔物。回復が早い。近付いて来たのは分かっていた。《危機感知》が働かなかったので放っておいたのだが……《制空圏》も発動させておけばよかったか。
「……うわ、バカ。くせぇよ。ちょっ、舐めッ、舐めんな!」
魔法で生み出した水を自分の身体にかける。水の勢いは弱い。
魔法が魔法なので仕方がない。
水魔法、第一階梯《クリエイトウォーター》。
本来は飲み水を作る魔法なのだ。
《魔力循環》で《魔力》を練ると、多少水の勢いが強くなる。ムキになって水を出していると、気分が悪くなって来た。《クリエイトウォーター》の消費《魔力》は微々たるものだが、《魔力循環》がいけなかったらしい。ただでさえ《煌氣法》で《魔力》を大量に垂れ流している。
魔力切れだ。
ヤーズヴァルの鼻面を撫で、
「また今度な」
と、告げる。
するとヤーズヴァルは丸くなり、目を閉じた。あっという間に寝息が聞こえて来る。
遊んだら寝る。
子供だな。
ヤーズヴァルの寝顔を眺める。
図体は大きくなったが、中身は変わってないな――と、不意にデジャヴを感じた。眉間に皺を寄せて考えるが、魔力切れで頭が回らない。魔力回復薬を飲むと、呆れるくらい簡単に思い出す。
セティと再会した時にも同じ事を思ったのだ。
人であれ魔物であれ、成長には他者が必要だと言う事か。
セティは引き篭もりだったし、ヤーズヴァルは飛び回っていた。
風が吹くとひんやりする。服が濡れているからだ。暫くすれば寒くなりそうだが、今は身体が火照っていて、気持ち良かった。着替えるべきなんだろうな、と思いながらも動くのが億劫だった。
久しぶりに全力で動いたからか。程なく俺にも睡魔が襲って来た。
ヤーズヴァルの事を笑えないな、と苦笑しながら瞼を閉じた。
***
この数分後、俺はヤーズヴァルの悲鳴で叩き起こされる事になる。
寝ている俺を見て勘違いしたセティが、怒りの拳をヤーズヴァルに振るったのだ。これによりセティに逆らってはならないと、文字通り身体に叩き込まれたらしい。散々遊んでやった俺を差し置いて、セティの言う事を聞くヤーズヴァルを見て、複雑な気分になるのは――もう少し先の話。