第2話 三か月前
――― オウリ ―――
見晴らしのいい平原を早朝の爽やかな風が抜ける。進路を示すかのように爪先の方向に草が倒れた。地面を踏み締める音が淡々と響く。離れた場所からもう一つ足音が聞こえる。
「…………」
「…………」
隣を行く人物は何度も俺に話しかける素振りを見せていた。しかし、俺の機嫌を損ねる事を恐れ、結局口を噤んでしまう……と、言うと甘酸っぱい雰囲気に思える。
が、オッサンだ。オッサンなんだよ。
大事なことなので二回言った。
俺と並んで歩くのは厳つい顔のオッサン――第三神罰騎士団、団長のオーファンである。
見晴らしがいいのはセティが自然破壊したせいだし。
オーファンが無言なのは俺にビビっているだけ。
「あのさァ。俺の事、殺人鬼と勘違いしてねぇ? 必要とあらば殺すのは躊躇わないぜ。でもな、好き好んで殺してるワケじゃない。お前にはやって貰う事もあるんだし。今更、気が変わったなんていわねーよ」
俺が言うとオーファンがビク、と身体を震わせた。
「……あんだけやっておいてよく言うぜ」
「手が滑ったんだよ。不幸な事故だろ」
「……お前の手足はどんだけ滑るんだ」
「あれ? その言い方。気付いてない? 八咫姫も滑ってた」
「おかしいと思ったぜ! 斬り傷があったからな!」
「いやね、これはすまん。ホント、すまん。八咫姫が斬らせろ、って五月蠅くて」
「俺が聖騎士じゃなかったら死んでたぞ!」
「ははは、馬鹿だなあ。聖騎士だから、だろ」
「……おまっ、お前って野郎は……あァ、くそったれ……」
俺は世界を巡るつもりだ。五百年で世界は変わった。自分の目で確かめたかった。
そこで各国の情報を欲したのだが、セティは引き篭もりであり、シュシュは最近の動向に疎く、アリシアは残念美人という事で、白羽の矢が立ったのがオーファンだった。
しかし、これがオーファンにとって不幸の始まりだった。
王国の歴史は亜人迫害の歴史でもある。聞くほどに王国への怒りが募っていった。
そこでオーファンへ教育的指導を下したのである。指導に熱が入りすぎてしまい……直接、被害を被ったエルフの子供達が、泣いてもう止めてくれと懇願するほどだった。
暴力を肯定する者は、より大きな力に対し、文句を言う事が出来ない。
そう知らしめるために、オーファンは犠牲になった……のかも知れない。
「……王都に戻りゃ降格だろうな」
オーファンが憂鬱そうに溜息を吐く。
「最悪、処刑か」
「恐らくだが……それはねぇ」
「その心は?」
「俺よか命令違反で逃げ出した隊長のほうが罪が重い。俺が処刑なら連中も漏れなく処刑だ。一気にプレイヤーが減ることは避けたいはずだからな。第一神罰騎士団の団長は口が上手い。頼んでもいねぇのに美談に仕立て上げてくれるさ。俺の為に閑職用意してよ、首長くして待ってるかも知れねー」
「ま、その予想が当たってる事を祈るよ。聞きかじっただけだから実感がないんだが。神罰騎士団ってのはエリートなんだろ。そんな団長サマがだ、俺の頼みを実行したとしよう。右に倣えで真似る連中が出てくるぜ。それはいいことなんだけどな。ただ、周りから見たらどうだ、って話。王国は亜人の奴隷を黙認してるワケだし。消されそうだろ」
「…………ふぅ。そう……だな。お前の言う通りだ。大丈夫だとは言えん」
オーファンを見逃す条件として、俺が突き付けたのは亜人の保護だ。
これは可能な限りで構わない。大々的にやれば目を付けられる。細く長く行ってもらいたい。
口約束でしかないが、オーファンは破れない。立ち合いにシルフを呼んだからだ。約束を破ればシルフが俺にチクりに来る。
オーファンを殺すべき、という意見もあった。
しかし、世界情勢を考え、それは却下した。
王国を滅ぼすことが出来ない理由と一緒だ。王国が滅べば世界もまた滅ぶのである。世界が安定しているのは、王国が各地の魔物を間引いているからだ。俺が肩代わりする事は出来ない。一人では手が回らないからだ。だから、世界を変えようと思えば、王国に変わってもらう必要がある。オーファンへの頼みはその一歩、ということになる。
「……オウリ、スクラントをどうする気だ。暴れ出したら止められねぇぞ」
「止めるさ」
俺は気負う事無く答える。
シュシュが魔族化する事はないと信じている。
だが、万が一、魔族化する事があれば、それを止めるのは俺の役目だ。
言うほど優しくない事は重々理解している。《穢れ》の結晶で魔族化したユマと戦った。高レベルが魔族化する恐ろしさは身に染みた。しかし、魔族の特性を知らなかったとはいえ、シュシュのレベルを上げてしまった責任が俺にはあるし、何よりシュシュが俺に討たれる事を望むはずだ。
オーファンがやれやれと首を振る。
「受け取れ」
オーファンはインベントリから槍を取り出し、俺に放って寄こす。
真っ赤な槍に俺は眉をひそめる。不吉な。《穢れ》の結晶を鍛えたかのような色だ。
「くれるんなら貰うが。なんで俺に?」
「槍の銘は魔王殺し。魔王への特効がある。いざという時はそれを使え」
「救済の剣並みのストレートな名前だな。てか、これMVP報酬か、もしかして」
槍を握った時、独特の感覚があった。
通常、装備は鍛える事で強くなる。しかし、MVP報酬の装備は違う。持ち主のレベルに応じて強くなる。だから、成長する装備といわれる。節目では装備の形状すら変わる。俺もオーファンもカンストしている。形状は変わらなかったが、レベルを読み取られる感覚があった。
インベントリに仕舞いながら俺は言う。
「一応、貰っておくが使う機会は来ないと思うぜ」
「その槍はスクラントに見せるんじゃねぇぞ。以前、スクラントに止めを刺した槍でな。スクラントの血でこんな色になった。折角、安定しているんだ。寝た子を起こすこたァねぇ」
……ん? 寝た子を? 魔王を、ってコトか。と、言う事は――
「知ってるのか、魔族の真実を」
「魔族は《穢れ》を受けたヒューマンだって話か。前にな。聞いた。スクラントから。その時は信じなかったがな。それから色々調べて信じた……つーか、笑い飛ばせなくなった。機会があれば廃都リファエルへ行ってみろ。ゲーム時代は気にも留めなかったが……史書にシュラム・スクラントの名が載ってた。スクラントは間違いなくヒューマンだった」
「……リファエルの史書に? シュシュが王族だったって……そうか、リファエルの……」
シュシュは自分を姫だと言っていた。
何度も転生していれば一度や二度、王族に生まれる事もあるかと、気にも留めていなかったが……リファエルの王族だったなら話は変わって来る。
リファエルは魔王が最初に滅ぼした国だ。
……シュシュが……ノェンデッドを恨むハズだ。国民が全員魔族になったんなら、まだ救いがあったんだろうが……ジャーナルは魔王がリファエルを滅ぼした、と明言している。ジャーナルは恣意的だが嘘はつかない。シュシュは祖国を……自分で滅ぼしたのだ。
……はあ。参ったな。シュシュの顔が見れそうにねぇ。
見送りはもういいかと思ったが。
もう少しオーファンに付き合うか。
「魔族狩りはとんだマッチポンプだ。自分達で魔族を生み出して倒してたわけだからな」
オーファンが苦い顔で言った。
「そう思うなら止めろよ、魔族狩り」
「真実を公表したら魔女狩りになる」
「……あー。そうかもな」
俺は魔族を恐れてはいない。
と、いうのも《穢れ》が濃い程、魔族化し易いらしいからだ。
魔族化する事により《穢れ》は強力なバフに変わるのだが、当然これも《穢れ》が濃い程効果が高い。五百年前、一般人に毛が生えた強さのシュシュが、魔王になったというのだから、シュシュが一番濃い《穢れ》を受けているのは明らかだ。
そのシュシュでさえ、魔族化を抑制出来ている。
魔王にもなれない下っ端が魔族化したのであれば、相当強い負の感情を抱えていた事になる。そこまで鬱屈した者であれば、魔族であろうとなかろうと、間違いなくキレるはず。
円満な人間関係を築けていれば問題ないだろ、と俺は思うのだ。
だが、それは俺が強いから言えるのであり。
力を持たない一般人にとっては脅威だろう。
《穢れ》の濃さにもよるのだろうが。
魔族に覚醒すれば最低でも冒険者並みに強くなる。
《穢れ》は潜伏するウイルスに似て、活性化するまでは自覚症状もない。
厄介な事に潜伏する《穢れ》を見抜くのは事実上不可能。シュシュが言うには輪廻の神アイラなら分かったらしいが、地上に干渉しない神が理解出来ても意味がない。
魔族の真実が明らかになれば。
隣人を信じられなくなり。
血を血で洗う惨劇が待っている。
「……それによ。誰も知らないと思うか、オウリ。魔族の真実を。スクラントは隠す気がなかった。信じる信じないは別として、聞いた事あるヤツは多いはずだ」
俺も出会ってすぐにシュシュから魔族の真実を打ち明けられている。
言われてみれば真実を知るのが俺達だけだと考えるのは早計だ。
「……もう何百年も前の話になる。王国の支配も盤石じゃなかった。人気取りもあったんだろうな。盛んに魔族狩りを行っててよ。幾つもの村が滅ぼされた。今思い返すと……王国に反抗的な村だった。実際に魔族が現れたから、疑問に思わなかったが……魔族の真実を知ってたのかも知れねぇ。スクラントの話が本当なら転生しても《穢れ》は消えない。ほぼまるまる一国の国民が魔族になってんだ。その転生者が王国全土に散ってるんだぜ。村に一人くらい魔族が……元魔族が混じっててもおかしくねぇ」
「だから、マッチポンプか」
組織であれ国であれ、長く続けば派閥が生まれる。気に食わないからと排除していては、付け入られる隙を作ってしまう。ましてや、王国はハイヒューマンの国である。軍隊に匹敵する個人がゴロゴロしている。強権を振るうには大義名分が必要となる。
魔族の真実はその大義名分を与えてくれる。
「王国が腐りきってんのは分かってた話だし。都合よく魔族を使うために真実を秘匿してても不思議じゃない。なあ、オーファンよ。まだ王国に忠誠を誓うのか」
「お前は子供がグレたら見捨てるのか」
「……たとえ話で言ってるのは分かる。王国は子供みたいなもん、っていいたんだろ。でも、俺は子供はおろか彼女もいないんだぜ。想像するのは難易度が高けーよ」
「……そーか、お前、見た目通りの年齢か。バカな子ほどかわいいって言うだろ」
「まー、いい。今すぐどーこーって話でもなし。お前一人変えられないのに、王国を変えられるとは思ってないさ。お前、亜人のことまだ見下してるだろ。いっぺん、お前も亜人に転生したら考え方変わるのかもな。シュシュを見ろ。可能性はゼロじゃないぞ」
「……プレイヤーがハイヒューマン以外に転生したって話は聞いたことがない」
「知らないだけ。いるかも知れない」
「……かもな」
「あっさり認めたな」
「常識ってのがいかにアテになんねぇか、お前を見て思い知らされたからだ。五百年遅れで復活するってのもあり得ねぇし、そいつがシルフの契約者だってのもフザけた話だ。亜人の事も……明日は我が身か。考えた事も無かったな……」
オーファンは長い間、王国に尽力して来たのだろう。
いつの間にか王国が世界の全てだと思い込んでいたのかも知れない。
世界は広い。
俺達が目に出来る景色はその一端だけ。
それを忘れてはいけない。
同じ轍を踏まないためにも、俺は世界を見て回らにゃな。
まずは子供達を親元に帰すから……ドレスザード神国からか。
子供達の出身はバラバラであり、普通に旅をしていたのでは、何か月かかるか分からない。
転移門は使えないし。
騎獣が欲しいトコだが。
俺の騎獣っていうと……アレしかいねぇんだよな。俺を探して世界を巡ってるみたいだし。丁度いい機会ではあるんだが……アレの遊び相手を務めるのがな……
俺は死なないと思っているらしく。
手加減抜きでじゃれ付いてくるのだ。
騎獣は一回テイミングすると従順になるものだが……アレの場合は会いに行く度にテイミングしているようなものだ。最後に会った時でさえ、かなり面倒くさかった。五百年経ち、二つ名まで得ている。神罰騎士団よりも険しい戦いになるかも……憂鬱だ。
木々が見えて来た。
騎士団の掃討を行ったセティだが、少なからず討ち洩らした。また襲われるかもとセティは反省していたが、その心配は無用な気がした。住処からここまで結構な距離があった。災厄の魔女に執拗に追われたのだ。逃げ延びた騎士は確実にトラウマになっている。事実上、再起不能だろう。亜人、怖い。と、家に閉じこもってるかもな。
「見送りはここまでだ。ま、ほどほどに頑張れ」
「…………」
俺が言うとオーファンが苦虫を噛み潰した顔になった。
お前に言われたかねぇよ、と顔が如実に語っていた。しかし、それを口に出す勇気はなかったらしい。第三神罰騎士団の生き残りは余さず心が折れているようでなにより。
「……Chapter29《因果応報の聖戦》か。青写真は見えたな。だが、止められん、か」
そう言葉を残し、オーファンは森に消えた。
これが三か月前の事だった。