第1話 温泉協奏曲
短編です。
コメディになりますので、本編の雰囲気を壊したくない、という方はスルー推奨です。
――― シュシュ ―――
荒野と化した森を歩く。
横目でセティを窺う。見たことのない真剣な顔。彼女の入れ込み具合が分かる。
負けられんな、と気合を入れていると、セティもこちらを見た。
柔和に微笑んでいたが……目が笑っていない。
「シュシュ。勝っても負けても怨みっこなしだからね」
「くくく、その台詞、そっくり返すわ」
火花を散らしていると、背後から複数の声がした。
「なー。タオル巻きつけた格好でさ。なに雰囲気出してんだろうな?」
「魔物を狩り行く時より真剣だし」
「ここの魔物がウチの村に来たら全滅すると思う。そんなの倒してる時でもセティ鼻歌交じりだぜ。そのセティがマジになるっていったい何が始まるっていうんだよ」
「どーでもいいコトじゃない。だって、タオル巻いてるだけだし」
「真剣勝負。二人が言ってた。私には分かる」
「え、分かるの?」
エルフの子供達である。
セティの住処は王国に割れている。王国の追手が来る前に、立ち去るべきだ。
しかし、子供達がネックだった。
心に深い傷を負っており、親元に帰すにしても、傷を癒す時間が必要だった。
黒衣の死神がいることは王国にも知れたはず。即座に討伐隊を差し向けて来るとは思えない。もし来たとしても《森の友人》とシルフがいる。両方とも気紛れなのが恐ろしいが……ま、平気だろ、とオウリが請け負っていた。
かくして子供達と一か月一緒に暮らしている。
死んだ目をしていた子供達も大分、元気になった――
「女の戦い。見て。タオルの巻き付け方。セティはぴったり、シュシュはゆるゆる。オウリは言ってた。見えそうで見えない。それがチラリズム。シュシュはあざとい」
「んん? んん? よくわかんねぇケド。シュシュはあざといよなー」
「この間、暑い暑いって胸元扇いでたぜ。オウリに見えるように」
「うわ、あざとい!」
「あっ。はいはいっ! 私も見たよっ! シュシュがね。肩車でオウリに抱き付いてた」
「あんまりあざといとヒクんだって。でも、あざとさに負けることもある。それが男なんだって。オウリがすげぇ真面目な顔で言ってた」
「オウリ、ロリコンじゃね!?」
「ロリコン!」
「ロリコン!」
……本当に元気になったものである。死んだ目の頃より、よほど健全だと思う。しかし……しかし、だ。命の恩人すら容赦なく叩くとは。着実にオウリに毒されている。
子供達も。
アリシアも、な。
「お前達、よく見ておけ。あれが駄目な大人だ。お前達はああなるな」
自分の事を棚に上げ言いよるわ、アリシア。気付いていないようだが、お主が刃物を握っている時、子供達は遠巻きに見ているぞ。お主も駄目な大人の見本なんだがな?
全く。
オウリは生活破綻者だし。
セティは度が過ぎた兄バカ。
アリシアは切裂き魔一歩手前。
まともな大人は妾しかおらん。
子供達の声が聞こえなくなり、暫くすると目的地が見えた。
小さな湖のよう。
ただ、湯気が立っている。
「温泉だね」
セティの言葉に妾は頷く。
決戦の地である。
元々、この地に温泉はなかった。
セティのアイテム乱用で、《魔力》の偏向が生まれ、温泉が湧き出たのだ。
自然破壊に顔をしかめていたオウリだが、温泉だけは手放しでセティを褒めていた。余程嬉しかったようだ。オウリとは思えない失言だ。案の定、これからは火属性のアイテムを使うね、とセティが言い出し、オウリは宥めるのに苦心するハメに陥っていた。
湯煙で朧だが、黒髪が見えた。
オウリだ。
妾達はオウリの背中を流しに来たのだ。
オウリは一人で温泉に入る事を好む。のんびり入りたいとの事で、用がない限り近づくな、と厳命されている。しかし、セティが言い出したのである。昔は背中の流し合いをしていたのだと。用がなくては近づけない。裏を返せば用があればいいのだ。
セティが背中を流しに行くと言い出したので。
ならば勝負だ、となった――という次第である。
選ぶのはオウリだ。オウリは妹に甘い。だから、妾は策を弄す。
ゆるく締めたタオルがそうだ。セティはぴったり巻き付けているが愚策だ。それは身体のラインに自信がある者がやる事。まな板のような体形でやると残念さが滲み出る。
「男はな、見えない部分に夢を見るんだ。お前達もいずれ分かる日が来る」
と、オウリは子供達に語っていた。
正直、子供達に何を言っているんだ……とは思った。
しかし、オウリの飾らない性格が、友人のような関係を築かせているのだろう。
よし、と妾が一歩踏み出した瞬間だ。セティの姿が温泉の手前に出現した。
「《瞬動》だと!? 汚いぞ、セティ!」
セティは振り返らず、オウリを目指す。背中がふふん、と笑っている気がした。
妾は移動系のスキルを持っていない。
《敏捷》でも拳闘士のセティに勝てない。
……むぅ。マズい。出だしで、詰んだ。
オウリがセティに気付いた。
「セティ、走るな。温泉の傍は――」
オウリが言った瞬間、
「――滑るぞ」
セティが転倒した。
「抜け駆けするからそうなるのだ、セティ!」
勝負は終わっておらん、とほくそ笑むのも束の間、異変に気付いた。
いわんこっちゃない、というオウリの表情が、真剣なものへと変わったのだ。
転んだ拍子にタオルがはだけ、セティの胸元が露わになっていた。
セティは顔を真っ赤にしてタオルをたくし上げる。
清楚な少女が見せる恥じらいの仕草は、妾でも思わず見とれてしまう色気があった。
……これだ。セティが恐ろしいのは。天然でこれをやってのける。
オウリの視線が胸元に釘付けになっている事に気付いたか。セティは息を飲むと、タオルを手放した。引っかかる場所のないタオルはストン、と落下――しなかった。
「ふはははは、悪く思うな! 先にスキルを使ったのはお主の方よ!」
妾の影がセティのタオルを支えていた。
しかし、タオルを掴めるという事は、影は実体化しているという事。セティはえい、と影を引き千切る。ふふふ、甘いな、セティ。カンストした拳闘士の《腕力》を侮ってはおらん。早晩、影が無力化されるのは分かっていた。セティに気付かれないよう、彼女の背後から影を回していた。その影を使ってセティの全身を包み込み――衣装と化す。
手足以外を覆う水着で、胸元には「3-1 せてぃ」とある。
オウリが呆然としながら言う。
「……なんでこの世界にスク水があんだよ。プレイヤーは業が深いな、マジで……」
セティの脇を抜け、妾は温泉に飛び込む。
セティよ。
ここまでする気はなかったのだがな。
どちらがオウリの背中を洗うか。それだけの勝負だと思っていたのだ。しかし、ルール無用の戦いを始めたのはセティだ。売られた喧嘩は買うしかあるまい。
オウリが妾を見ていた。
タイミングはバッチリだ。
妾はタオルに手をかけ――躊躇いが生まれた。しかし、身体は急に止まれない。徐々にタオルが剥がされて行く。刹那の間に躊躇いの理由を探り、程なく答えを見つけ出した。
オウリの視線だ。
視線が熱いのだ。
――ッ! そうかッ! 分かったぞ!
温泉に飛び込み、タオルは濡れた。
タオルが肌に張り付いており、場所によっては透けていたかも。
下手をすると……裸よりも色っぽい。
猛烈な後悔が襲って来た。
裸以上のインパクトを与えるのは難しい。
裸になった時点で打つ手がなくなるのだ。
だが、躊躇したのが幸いしたか。裸が露わになる直前、セティが飛び込んで来た。セティは《振脚》を放つ。巨大な水柱が上がり、オウリとの間に壁を作る。
セティが不敵に笑う。
「させないよ」
「いやいや、助かったぞ。見よ、タオルはびしょ濡れ。肌に吸いつくようだわ」
濡れたタオルに身体に巻きつけ、胸元を指で摘まみ上げる。細工だ。胸がタオルを押し上げているかのように。胸の有無は問題ではない。要はオウリがどう見るかだ。
「……考えたね、シュシュ」
「禍を転じて福と為す、よ」
セティが歯噛みする。不利だと悟ったのか。水柱へ突っ込んで行く。先にオウリの元へ行く気か。そうはさせん。スク水は妾の影で出来ている。影は妾と繋がっているのだ。
影を引っ張り、セティを止める。
セティは選択に迫られる。
影を引き千切るか。妾を止めるか。どちらを選んでも妾の勝ちだ。引き千切る事を選んだら、その隙にオウリへ到達出来る。妾を止める事を選んだら影で妨害するまで。
「まだだよ」
セティはにやり、と笑うと《周撃》。タオル姿のセティが温泉に津波を起こす。
「なっ」
セティの下段回し蹴りは影を引き千切り、なおも威力を落とさず妾の足を刈る。
……してやられたわ。近接戦闘ではセティに勝てんか。だが、妾の武器は影だけではないぞ。
「《アーススパイク》」
セティの足下から土の杭が顔を出す。しかし、セティは《砲天響》で杭を踏み潰す。
これには妾も呆れるしかなかった。愛らしい顔とは裏腹にセティは脳筋である。
セティの腕に影を伸ばす。掴んだ。影をぐい、と引き、その勢いで加速する。セティを横目で見ながら、お先に、と告げる。セティの姿が消える。またもや《瞬動》だった。
オウリの元へ辿り着いたのは二人同時だった。
「オウリ!」
「兄さん!」
妾とセティの格好は同じ。タオルを張り付けただけ。
こうなった以上、小細工は無用。純粋な魅力での勝負である。
判断を仰ごうとオウリを見て……妾は絶句した。
オウリは目を閉ざしていたのだ。しかし、妾達の存在は感じているようだ。
「《制空圏》か! なんて無駄な! スキルの行使!」
「……お前らに言われたか無いよ。取りあえず頭を冷やして来い」
オウリはぼやくと、《エアハンマー》。
妾とセティは宙に打ち上げられた。
勢い、タオルも吹き飛ぶ。しかし、どういう悪戯か。宙を舞うタオルは、綺麗に妾の大事な部分を隠す。見ればセティも一緒であり、怪訝そうな顔をしていた。
そこへ可愛らしい声が響く。
「あははは。楽しそうなコトしてるね~」
「お主の仕業か、シルフ!」
タオルを掴み、ブン投げる。しかし、タオルは反転し、妾の前へ戻って来る。
「ボクも混ぜてよ」
メイド服の少女が、妾の前にいた。
「帰れ!」
「つれないなぁ、魔王サマ。いいよ、勝手に遊ぶ」
「わぷっ。ジルブゥゥ!」
タオルが顔に張り付いたのだ。濡れているので息が出来ない。シルフは契約者に使役されないと、十全に力を発揮出来ない。しかし、悪戯程度は出来るのである。
気紛れな風をシルフの悪戯という。
人の嫌がる事を知悉している、シルフらしい茶々の入れ方だ。
タオルを剥がすと、セティは地上間近だった。《空歩》で落下の勢いを稼いだのだ。
くっ。これだから拳闘士は!
爆発力に欠けるが、対応力は随一である。
妾にも《エアハンマー》で加速する、という手はある。が、あれは馬鹿みたいに風魔法への適性を持つオウリだから出来る芸当であり、妾がやれば明後日の方向へ飛んで行ってしまう可能性が高い。
……背に腹は代えられん、か。
「シルフ! セティを妨害せよ!」
「ご主人様のトコに辿り着いた人が勝ち?」
「そうだ!」
「って、いってるケド。どーしよっか、ご主人様。今のボクだと妨害は無理だよ」
シルフがオウリに話しかける。
「はいはい。契約者オウリが命ずる。自由を縛る鎖を破れ」
「ありがと、ご主人様。遊んで来るね!」
シルフを見送ったオウリは疲れた声で言う。
「……頼むから温泉ぐらいゆっくり浸からせてくれよ……」
セティが温泉に着地。お湯が大きな波を立てる。一気に《瞬動》で勝負を決めに行く。しかし、オウリに辿り着く寸前、何かに吹き飛ばされた。
「ご主人様のトコには行かせないよ!」
メイド服の少女が、チチチ、と指を振っていた。
味方のハズだが……イラッとする。
「よくやったシルフ! 妾の勝ちだな、セティ!」
水面を滑るセティと入れ替わりに、妾はオウリの元へと疾走し――ぽ~ん、と風で跳ね返された。
「う~~お~~。バカシルフ! 何故、妾まで!?」
「え~。折角なんだし。みんなで遊ぼうよ」
「おい! なんで! また! 跳ね上げた!?」
「だって~。反応面白いから。回転行くよ、ぐるぐる~」
「目がァァァ。回るゥゥゥ。お主ら主従は人を回すのが好きだな!」
「え。ご主人様に負けたくないな。よ~し、もっと回転させちゃうぞ!」
「やめんかァ! バカたれぇぇぇ!」
……策士策に溺れるとはこの事か。アレしか手が無かったとはいえ。強力な敵を増やしてしまった。オウリはすでに十分は温泉に入っている。いつ温泉から上がってもおかしくない。もう時間は残されていないというのに。
風が止む。
落下していく中、シルフを睨む。
……あれは……どういう、意味だ。妾への、いや、妾達への……当てつけ、か?
温泉に突っ込む直前、セティが妾を抱き抱える。
「余計だった?」
「……いや、助かった」
シルフを利用してまで勝とうとした妾を助けるとは。
セティは鋭い目でシルフを見詰めていた。
ああ、セティも気付いたのだな。
妾達はライバルである。
しかし、同時に――
セティの胸を触る。ぺたんこだ。自分の胸に目を落とす。やはり、ぺたんこである。
――同盟者でもある。
妾とセティは同時にシルフを見る。
実体の無い精霊だ。
気分次第で変えることが出来るのだろう。
メイド服には膨らみがあった。しかも、以前見た時より大きい。
……のう、シルフよ。何故、胸を大きくした?
本当に人をイラつかせるのが上手い精霊だ。
「セティ、一時休戦だ」
「奇遇だね、シュシュ。私もそう思ってたトコだよ」
妾達はシルフに向かって駆け出す。
共通の敵を倒すべく――
***
「……さて、上がるか……って、二人とものぼせてるな。は、ずっと遊んでたのか? いや、確かに目ぇ瞑ってたが、何も聞こえなかったぜ……はいはい、《サイレンスフィールド》ね。こんな長時間維持するとか俺には無理。お前もホント、遊びになると手を抜かないな。二人を運んでくれ。え? 俺が運べって? いや、遊んだら片づけろよ。お前の仕事だろ、これ……ああ? 女心が分かってないって? 面倒くせぇな。ま、気ぃ失ってるからいいか。その代り、お前も内緒にしろよ、シルフ。あー、その顔、信用できねぇ。はー。温泉来てまで気疲れするとかさ。何しに来たんだって感じだよ……」




