第20話 魔王
「神の階では世話になったのう。ああ、そう悲観した顔をするでない。あまり妾の嗜虐心をくすぐってくれるな。《穢れ》は負の感情に呼応する。なまじお主に怨みがあるからな。残念ながら妾にお主を殺す事は出来ん。なに、聞きたい事があるだけよ」
「……神の階でお前に借りがある。答えられるものなら答えよう。ただし、王国は売れんぞ」
「善行はしておくものだな」
あれは……三百年前か。
妾は神の階に上った事がある。輪廻の神に訊ねたい事があった。通常、神は人の前に現れない。だが、アイラはプレイヤー出身だからか。神の階に上れば誰でも会う事が出来た。
とはいえ、神の階は人が神に至る為に用意されたダンジョンだ。会うには相応の実力が必要とされる。
アイラから話を聞き、帰路についた時だ。
オーファン率いる第三神罰騎士団が現れた。
神の階に魔王が現れると聖典に記されていたらしい。
それは誤解だった。妾は魔族化していなかった。
騎士団は聞く耳を持たず、襲いかかって来た。
だが、聖典は真実を語っていた。
騎士団への怒りから、《穢れ》が活性化――妾は魔族化したのだ。
――神の階に魔王が現れる。
魔族化するとステータスが大幅に強化される。
蝶よ花よと育てられた小国の姫。それが魔族化しただけでこう呼ばれた。
――魔王シュラム・スクラント。
神の階に上るため、レベルはカンストしていた。
その妾が魔族化したのである。結果は火を見るよりも明らかだった。
魔族となった事で狂おしい憎悪があった。しかし、アイラから聞いた話が妾に手心を加えさせた。大した死者を出さず、騎士団を無効化させた。
だが、その結果を面白く思わない者がいた。
闘争の神ノェンデッドだ。
――つまんないなァ。なんで殺さないの? そのための魔族でしょ。世界に闘争を生み出す為にボクは魔族を作ったんだ。お伽話みたいな心優しい魔王サマは要らないんだ。
ノェンデッドに挑むが手も足も出ず。
――オーファンだっけ? キミ達の手に余るようだから出て来れたケド。神サマも色々とメンドウな縛りがあるんだ。毎回、ボクが助けてくれると思ったらダメだよ。
ノェンデッドに命じられたオーファンにより妾は命を絶たれた。苦々しい顔で槍を振り下ろすオーファンの顔が印象的だった。
オーファンに聞きたいのは一つだけだ。
「トリスを見つけたか?」
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【クエスト】Chapter29《因果応報の聖戦》
【聖暦】950年
【詳細】輪廻は巡り、因果も巡る。因果応報の聖戦が幕が開く。
【ボス】魔王トリス・スクラント
【報酬】免罪斧シェイファ
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オウリから聞いた、最新の聖典の内容だ。
魔族はより強い魔族に従う性質を持つ。魔王とは当代で一番強い魔族の事であり、妾が魔族化していない以上、別に魔王がいるというのは分かる。
だが、トリス・スクラントは――
「……お前とトリスの関係は? スクラント」
「妾の弟よ」
「……リファエルの王族か」
「最も濃い《穢れ》を受けたのが王族だ」
「……トリスは知らん。魔王が現れたという話も聞かない」
……そうか。知らぬか。
魔王は神敵だ。その神敵を討伐する神罰騎士団の団長が知らないというのだ。
王国もまだトリスの行方を掴んでいないと思っていい。
これを聞く為にセティにオーファンを捕らえて欲しいと頼んだのだ。とはいえ、セティは殺す気でやっていたと思うし、捕らえられたのは単なる結果論だろう。
「……おい、何する、魔王」
拳を握り締め近づく妾に、オーファンが焦った声を出す。
「聞きたい事は聞いたのでな」
オーファンに馬乗りになり、拳を落とす。ぐほぅ、とオーファンがむせるが、気絶するには至らない。仕方がない。妾のレベルは低い。殴る、殴る、殴る。オーファンは責めるうような眼差し。殺さないとは言った。だが、こうも言ったはず。怨みがある、と。
「…………グハッ……」
「…………」
「…………」
「…………」
ふむ。
ちと、はしゃぎ過ぎた。
オーファンは白目を剥き、口から泡を吹いていた。
さて、頼まれていたアリシアはといえば――
「寝るにはまだ早いぞ、立て! ニンバス!」
「……………………アーキスだと言っている!」
――ついに一文字しか合わなくなっていた。
アーキスはボロボロだった。一体、何があったというのか。こうなった経緯が見えない。マントは切り刻まれ、鎧は焼け焦げており、何故か髪が濡れている。
「……何をしておるのだ?」
「んっ、シュシュか。いいトコに来た。見ろ、火が出るんだ!」
アリシアが短刀を振ると炎が出た。
……そういうマジックアイテムだ。出なければ不良品だ。
「気に入らなかったか? なら、これはどうだ。《アクアスライサー》が出るんだ」
ぶほぅ、とアーキスが水の刃に吹き飛ばされる。
「オウリがくれた武具はどれも素晴らしい」
アリシアは長剣をうっとりと見詰めている。
……オウリは彼女の事を残念な美人と評していたが、まさしく。ううむ、これでは恋人もできまい。新しい武具を買ったら試し切りをさせてくれ、と言って来そうで怖い。
ただ、事情は呑み込めた。
オウリは大量の武具をアリシアに渡していた。
早速、色々と試したのだろう。
アリシアも無傷とはいかなかったようだが。
副団長を相手にそれで済んでいるのなら、オウリの見る目は確かだったという事か。
アリシアは剣士として一皮剥けた。
開いたらいけない扉を開いただけ、という気もしなくもないが。
……魔王が一番の常識人とは笑えぬな。
「……アリシアァ! よくも、よくもォォ……女は黙って男に傅け! 薄汚い女はそれがお似合いだ!」
悪鬼の形相でアーキスが叫ぶ。
二枚目もこうなると――いや、二枚目だからこそ、一層無様だ。
「私は冒険者だからな。清潔とは言えん。私は尽くす女だと思うぞ」
「口答えするな! 女が! 男に!」
「これでも騎士を目指していた身だ。似たような事は何度も言われた。従順な女が欲しいなら他を当たれ。しかし、お前は女好きではなかったのか?」
「好きだとも。ああ、好きだとも」
「私の目には女嫌いに見えるが」
「くくく、お前には名乗って無かったな。私の名はアーキス・クラッツェ」
クラッツェ。押しも押されぬ大貴族。
「女に不自由はしない。勝手に寄ってくるからな。だが、ああいう女は虫唾が走る。腹の中で何を考えているか。私の趣味はアリシア、お前のような生意気な女だ。クラッツェの名の前に逆らえる女はいない。徐々に徐々に……真綿で絞めるように、心を折って行くのさ!」
「……歪んだ性癖だのう」
だが、貴族の間では珍しい話ではない。
権謀術策渦巻く貴族社会では、まともな精神を保つのは難しい。
「お前もそうなるんだ、アリシア」
「え、断る。気色悪い。お前が」
「話を聞いてなかったのか! お前の意思など関係ない! 私はクラッツェだ!」
「いや、クラウ? クツェ? とか言われても。私は地方の出身でな。王都の貴族はよく分からん」
「ふん、お前は知らなくても領主は知っているさ。どこの地方か知らないが、毎年頭を下げにくるよ。私が一言言えば喜んでやってくれるだろう。親を投獄してやろうか? 兄弟はいるか? 男なら処刑しよう。女なら奴隷にして――」
アーキスの顔面にアリシアの蹴りが炸裂した。転がって行くアーキスには目もくれず、アリシアはブーツの底を土にこすりつけていた。そして、しまった、というように剣を見詰める。これを使えばアーキスに触れずにぶっ飛ばせたのに、と思っているらしい。
アリシアが言う。
「地を這いつくばるお前に何が出来る? 貴族の名も戦場ではお前を守ってはくれんぞ」
「大貴族だと言った。神罰騎士団にもクラッツェの派閥がある」
「ああ。いたな。そう言えば。取り巻きの騎士が」
「行け! アリシアを捕えろ! 報酬は弾んでやる!」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………おい、どうした! 早く行け! 父に言いつけるぞ!」
アーキスの声に応える人はいない。
当然だ。誰もいないのだから。
「取り巻きな。逃げたぞ。かなり前に」
「……う、裏切ったのか。だ、誰がここまで引き立ててやったと……待て、アリシア! 剣を、下ろせ。いいな、下ろせ。私を見逃せ。何が欲しい? 金か。奴隷か。武具か。好きなだけくれてやる。そうだ、騎士を目指していたと言ったな。騎士に引き立ててやってもいい。丁度、騎士に欠員が出来る。神罰騎士団だぞ。望外の出世だろう」
アリシアがはぁ、と息を吐く。
「私は師匠が守れればそれでよかった。だが、お前は家族に手を出すといった。是非も無い」
「…………あ、あれは……つい、言って……本心じゃない。ゆ、許してくれ」
「許すも許さないもない。戦場の流儀に倣うだけだ」
「……た、助け――」
これ以上戯言を聞きたくなかったか。
アリシアはアーキスに近づくと剣を一閃。喉を裂いた。アーキスはくぐもった声で「馬鹿な」とか「許されない」とか言っていたが、やがてそれも聞こえなくなった。
アリシアは周囲を眺め、
「……大勢は決したようだな」
遠い目になった。
師匠のハジケぶりを目にしたからだ。
トトウェル大森林から「大」の文字が取れる日は近い。
災厄の魔女。蒼穹の魔女。
亜人には悪いが相応しいのは災厄の魔女の方だ。
「後はオウリだけか」
アリシアの言葉に頷く。
「それもじき終わる」
妾はオウリを見詰めながら言う。
「オウリが怒っておる」