第19話 魔女の真価
――― シュシュ ―――
家の外に出ると騎士団に取り囲まれた。
暑苦しい光景に眉をひそめるが、盾だと思えば許せなくもなかった。
家にはセティが錬金術で作った結界が張られている。家を騎士団に魔法で吹き飛ばされた苦い過去があり、結界の研究は欠かさず続けていたという。「王城並だよ」とセティが無い胸を張っていた。オウリも感心していたので強度は確かだと思う。
だから、魔法が来るとしたら家を出たこの瞬間以外無かった。
家から出て来たのは騎士団が近付いて来るのが見えたからだ。
狭い室内での戦闘は堅固な騎士クラスに分があるとの判断である。
仲間を巻き込んでしまうため、セティは長所を活かせないし、彼女のクラスである拳闘士は一対一に特化している。アリシアはオウリに似て足を使って撹乱する戦い方だ。
後はそう……セティが外に出たがった。
オウリの活躍を近くで見たいらしい。
狙われているという自覚はないのか。
「ほう、美しい。団長お願いが」
言ったのは青い髪の騎士だ。二枚目だが軽薄そうな男である。セティを好色な目で見ていた。そのセティはと言えば……オウリの活躍に飛び跳ねていた。
オーファンが渋面で言う。
「女好きもいい加減にしろ、アーキス。お前ももう副団長だ。時と場合を考えろ」
「団長は固いですね。分かりましたよ」
「おい! お前らにも言っておくぞ! 余計な色気は出すんじゃねぇ! 何度も騎士団を撃退した災厄の魔女の実力は本物だ! 亜人とハイヒューマンの命じゃ釣り合わんぞ!」
騎士団の面々が顔を引き締める。最初に現れた時とはえらい違いである。
救世の英雄ユマがオウリに抑えられ、ようやく危機感を覚えたらしい。
だが、まだまだ危機感が足りない。ユマがあしらわれている事に気付いていない。
一見、ユマは善戦を繰り広げている。だが、オウリを知っている妾からすれば酷い手抜きに見える。いや、違うか。手は抜いていない。ただ、ユマと戦っていない。
……本当に底が知れんな、オウリは。
「そこな女。名は?」
セティに無視されて矛先を変えたか。アーキスがアリシアに問う。
「……アリシアだ」
……良かった。口ごもったので自分の名前すら忘れたか、と焦った。ここで名乗るという事は王国に反旗を翻す、という事だ。覚悟を決める為に一瞬があったのだ。多分。
「あの姫騎士か」
「過分ながらそう呼ばれている」
「謙遜するものではない。私もね。そう思っていた。冒険者に過分な二つ名だと。だが、君には姫騎士と評されるだけの気品がある。そう言えば冒険者からも討伐隊を出したという話だったか。騎士団よりも早く辿り着いたのだな。こちらへ来い。悪いようにはしない」
「災厄の魔女は私の師匠でな。私は師匠に加勢すると決めている」
「冒険者相手に回りくどかったかな。今ならまだ許してやるといっているんだ」
「アーナスだったか。何故、貴様に許される必要がある?」
「アーキスだ!」
「ふふん、細かい男だな。一文字しか間違ってないぞ」
「……安い挑発を。もう許さんぞ」
……素で間違えたのを誤魔化しただけだと思うが。
「静かだな、災厄の魔女。観念したか」
オーファンが疑問の声を上げた。確かにセティは黙りこくっていた。
セティはオーファンに向きなおると、蕩けるような笑みを浮かべた。
「兄さんカッコいいよね。えへへ、私の兄さんなんだよ」
オーファンが呆れ顔になる。これには妾も同感である。
「よく目に焼き付けておくんだな。じきに見られなくなる。救世の英雄の名は伊達ではないぞ。黒衣の死神が消えていた五百年の間、あいつは研鑽を続けて来たんだ」
「兄さんは負けないよ」
ズドドドド、と轟音が響き渡った。浮かんだ剣が次々に投擲されていた。
ほう、オウリめ。妾の技を盗みおったな。手法は違うが妾の《万剣の奏者》だ。
「……なんだ、あれは……魔法……なのか?」
オーファンが顔色を失う。
「ねえ、まだ始めないの?」
セティがオーファンを見上げていた。オウリの猛攻に騎士団の意識が逸れた瞬間。セティは《瞬動》でオーファンの懐へ潜り込んでいた。
咄嗟にオーファンが槍を繰り出す。
セティは槍を叩いて軌道を逸らす。
「あ~あ。手を出しちゃった。これで正当防衛成立だね」
にこり、とセティが笑う。
――俺はセティに正当防衛は教えた。ただ、過剰防衛は教えなかったんだよな……
オウリの言葉である。だが、何故今思い出したのか――
「私も怒ってるんだから!」
底冷えするような殺気だった。
良くも悪くも災厄の魔女の名は大きい。安易に動く事も出来ず、隠遁を強いられていた。心優しい彼女が亜人の仕打ちに、何も感じていないハズが無かった。
溜まりに溜まった欝憤を晴らすかのように。
セティの拳が、蹴りが、放たれる。
「《シールドガード》!」
オーファンが発動させたのは盾を強化するアーツ。だが、衝撃を受け止めるのはオーファンだという事は変わりない。セティが攻撃する度にオーファンが後ずさる。
セティが《瞬動》でオーファンの背後へ。
オーファンはセティを見失っていた。が、培った経験が最適なアーツを発動させる。
「《オールレンジガード》!」
オーファンの周囲に不可視の盾が張られる。
「いたいなあ、もう!」
手をひらひらと振るセティからは、オウリに似た匂いを感じた。
前方に駆け出すオーファンをセティが追う。
オーファンは振り返りもせず、《朧扇月》を発動。周囲の敵を吹き飛ばす薙ぎ払いだ。
対してセティは《震脚》を発動。
騎士の特徴の一つにアーツの発動中は状態異常の耐性を得る、というものがある。
格下相手なら分からなかったが、騎士団長のアーツが《震脚》で止まるはずがない。
アーツに頼り過ぎるというセティの悪癖が出た形だ。
セティは槍を足裏で蹴って空中に逃れる。
オーファンの槍が光る。それは神速の突きだった。突くという動作が無く、突き終わった結果だけが残る。《鬼哭閃》。騎士の奥義だ。槍はセティを貫いていた。いや、貫いているように見えた。セティの脇腹から血が流れていた。
「避けた? 《空歩》か」
オーファンが忌々しげに吐き捨てる。
《空歩》――空中を一歩だけ歩ける拳闘士スキル。
「《チャージングランス》!」
セティの落下地点目掛け、オーファンが駆け出す。携えた槍が光輝いている。
「これ、疲れるんだから! 《煌氣法》!」
セティがやけくそ気味に叫ぶ。
スキルは声に出す事で僅かだが効果が上がる。これを宣言という。だが、戦闘巧者になるほど無言でスキルを発動する。事前に使うスキルを宣言しては虚を衝けない。
しかし、バレても問題ない場合は別だ。
「《雷声落とし》!」
セティがアーツを宣言。
アーツはキャンセル出来ない。二人の激突はここに確定した。
後はどちらの手札が強いかという勝負だ。
「えぇぇぇい!」
「おおおおォォォ!」
セティの踵とオーファンの槍が衝突する。
「なにぃ!」
オーファンが驚きの声を上げる。助走の距離も申し分なかった。勝てるという確信があったに違いない。だが、結果は予想の反対。槍は地面にめり込んでいた。
躊躇するオーファン。槍は引き抜く事が出来る。
だが、結局は槍を諦め、盾に力を込める。
「《シールドバッシュ》!」
「《双纏衝》!」
セティが両手を前に差し出す。
練り上げた《チャクラ》を放つ《双纏衝》。しかし、今セティが練っているのは《煌氣》。あのオウリをして出来れば使いたくないといわしめる《煌氣法》。それを放つというのだ。生半可な威力であるはずがない。だから、これは《煌氣衝》とでも呼ぶ別のアーツだ。
黄金の光がセティの掌に生まれた。
膨れ上がる光が盾に触れ――盾を音もなく消滅させた。
「……なんだってんだ、こいつは。見た事のねぇアーツだ……」
そう言ったのはオーファンだ。同様の声が周囲から漏れる。
まともに当たればオーファンといえども大ダメージは免れなかったはずだ。だが、オーファンは盾の消滅を見て、いち早く飛び退っていた。光に触れたのは盾を持っていた左手だけ。その左手は赤と白に染まっていた。赤は血。白は骨。だが、《ヒール》が瞬く間に治してしまう。そう言えばオーファンのクラスは聖騎士だった。
「チィ。災厄の魔女の名も伊達じゃねぇか」
オーファンはインベントリから新しい槍と盾を取り出す。先程と同じ槍と盾だ。随分簡単に槍を諦めたと思ったら、ストックがあったかららしい。
「おい、てめぇら! 魔女を囲め!」
王国が恐れる災厄の魔女。それと団長は互角に戦っていた。
この事実は騎士の気勢を高めていた。
よくない流れだ。
オーファンはここで仕留めておきたい。
妾は近づいて来る騎士に《エアハンマー》を打ち込む。せめて押し返さなくてはと思ったのだ。だが、妾の拙い《エアハンマー》は想像以上の効果を発揮した。
騎士団が怯えるように足を止めたのだ。
オウリに目を向ける騎士を見て気付いた。
丁度、オウリの《アルゲオバベル》が猛威を奮っていた。
オウリの援護では? そう思ったらしい。
「黒衣の死神はユマが抑えてる! お前らはお前らの仕事をこなせ!」
オーファンは後退していた。自分から騎士団に合流する気だ。
セティも追っていた。が、出足が鈍い。《煌氣法》の影響か。
妾はまだレベルが低い。
セティからなるべく目立つなといわれていた。
だが、仕方がない。
「逃がさぬよ」
オーファンの足に妾の影が絡み付く。
「これは《影縛り》!? まさか――」
オーファンは影を目で追い、妾に行きつくと絶句していた。ふん、かつてのシュラム・スクラントの面影でも見たか。
「ありがとう、シュシュ」
セティがオーファンに追いついていた。
「終わりにするよ」
セティのすらりとした脚がオーファンを蹴り上げる。何もない空中を足場があるかのようにセティが飛びまわる。オーファンとすれ違う度に拳や蹴りが叩き込まれる。
《虎影脚》からの《鳳凰の舞》だ。
だが、オーファンが何かをしたのか。途中からセティの拳は届いていなかった。
オーファンがふらり、と立ち上がる。ぺっ、と血を吐き出す。
「《サンクチュアリ》まで使わされるたァな」
合点がいった。
騎士の攻めの奥義が《鬼哭閃》なら、《サンクチュアリ》は守りの奥義。
自分の周囲に絶対不可侵の聖域を作り出す。《オールレンジガード》と似ているが、根本的な部分が大きく違う。姿が見えていても、声が聞こえていても、《サンクチュアリ》の中は言わば別の世界なのだ。自分も攻撃出来なくなるが、効果が尽きるまでの十秒間、いかなる攻撃もオーファンに通用しなくなる。その間、オーファンは自前で回復し放題、と。
……上位クラスとは……ここまで厄介なものだったか。
だが、にこやかにセティは礼を言った。
「うん、ありがとう。使ってくれて」
「……なに?」
「シュシュも巻き込んじゃうかな、って思ってたから」
「……何をする気だ? いや、しているのか!?」
「騎士の人といっぱい戦ってきたからね。そうくるだろうと思ってたんだ」
セティがオーファンの足元を指さす。
転がっていた。赤色の液体が入った瓶が。三つ。
……いつの間に。《鳳凰の舞》の時か。
いぶかしむオーファンにセティが瓶の正体を明かす。
「イフリートの息吹。特製の。痛いよ?」
「くそったれ! くそったれぇぇ! 《エレメントガード》ォォォ!」
瞬間、爆発した。炎。炎。炎。渦巻く火炎がオーファンを飲み込む。炎は貪欲に更なる獲物を求める。だが、炎は閉じ込められていた。《サンクチュアリ》の世界に。
地表に太陽が生まれたかのようだった。
熱は全く感じない。が、嫌な汗が止まらない。
僅か数秒だっただろう。だが、長く感じた。《サンクチュアリ》が切れた。オーファンは倒れていた。全身焼け焦げており、正視に堪えない有様だ。ギリギリ生きてはいる。
ジト目でセティを見ると、やったね、とほほ笑まれた。違う。
……敵のスキルを逆手に取った。見事だ。オーファンを仕留めた。素晴らしい。だが……オーファンが《サンクチュアリ》を使わなかったらどうなっていた?
……妾が巻き込まれていたら確実に死んでいたぞ、これ。この後先の考えなさは彼女の兄を想起させた。やはり、兄妹なのか。
「…………」
「…………」
「…………」
頼りにしていた団長が一瞬で倒されたのだ。騎士団は意気消沈していた。
やる気が上がったり、下がったり、せわしない。
「団長を救え! 神官、急げ!」
《エクストラヒール》がオーファンに飛ぶ。しかし、効果は発揮されなかった。
「これ、シュシュが?」
オーファンに伸びる妾の影を見てセティがいった。
「《闇の帳》。魔法を喰らう影の領域を作りだす。妾まで魔法が使えなくなるのが難点か」
だが、妾が魔法を使っても戦力にはならない。
オーファンの復活を妨げられるなら重畳だろう。
「シュシュ。この人はこれでいい? 後は任せても平気?」
「うむ。ここまで弱っておれば平気だろう。無理を言って済まなかったな」
「いいよ。ちょっと行ってくるね。シュシュはアリシア見てて」
そう言ってセティは魔法の鞄から瓶を取り出す。
セティはオーファン相手に苦戦していた。
それが彼女の評価を落とすかと言えば否。断じて否だ。
災厄の魔女は地図を変えたという。
だが、拳で森を炎上させたのか? 蹴りで大地を割ったのか?
セティは瓶を揺らして中身を確かめていた。その姿は正しく――
「さ、災厄の魔女だァァァ!」
そう、魔女なのだ。
下手にセティが拳闘士として実力があったため、誰も彼も勘違いしていたのだと思う。魔女相手に殴り合いで互角だったからと言って何の自慢になろうか。
「逃げろォォォ!」
騎士団が蜘蛛の子を散らしたように逃げ出す。騎士団で一番強い団長ですら一瞬で沈んだのだ。恐怖に駆られるのも無理もない事だとは思う。
だが、逃げるのは一番最悪だ。
実はセティの、というか妾の傍が一番安全だ。騎士団が魔法を放って来ない理由と一緒である。威力のある攻撃は味方を巻き込む恐れがあるため迂闊には使えないのだ。
えい、とセティが可愛らしく投擲する。
――炎が手当たり次第に騎士を食い散らかす。
セティは魔法が使えない。だが、似た効果は起こせる。アイテムを使う事で。
――風は死神の鎌だ。突如、騎士が血を噴き出す。
無論、使うだけなら誰でも出来る。
だが、同じアイテムを使っても、セティとその他では大きな差が出る。
――巨大な氷の華が騎士を閉じ込める。
セティには錬金術師のスキルがあるからだ。これにより威力の上昇、範囲の拡大が行われる。スキルの使用には《魔力》が必要だが、種族柄セティは《魔力》が豊富だ。
――林のように生える土の槍が騎士を串刺しにする。
相手は精鋭のはずなのだが。大掃除にしか見えない。神罰騎士団は何しに来たのか。
喉元過ぎれば熱さを忘れるという。セティが発見されるのは大体百年に一度。だから、今度こそはと無邪気に挑んで来るのかも知れない。
とはいえ、惜しい線まで行っていた。
オウリがいなければアイテムを使う事も出来ずユマに倒されていたに違いない。人質が囚われたままなら、セティは今のように躊躇なくアイテムを使えなかった。
しかし、セティの戦い方は心臓に悪い。オウリもだが。
森が無残に変貌するのを見ていると、友人の死を看取っているような気分になる。
これがエルフの感覚なのか。
オーファンに視線を戻すと、回復薬を飲んでいた。
油断も隙もない。回復薬を蹴り飛ばす。
幸か不幸か一口だけしか飲んでいないようだ。どうせ、あのままなら喋る事も出来ない。少しだけ回復薬を飲ませるつもりだった。
オーファンは転がる回復薬を見詰め、やがて諦めたように顔を上げた。オーファンの目の焦点が微妙にズレていた。《鑑定》しているのだろう。シュラム・スクラントの名を認めたか。オーファンはきつく目を閉ざした。
覚えていてくれたか。
「さて、久しいな、オーファン。ノェンデッドは健勝か?」




