第16話 宣戦布告
ナイフで肉を切り、フォークで口に運ぶ。やや強めのスパイスも、肉汁を出すことで丁度いい塩梅になる。魚の身と骨をナイフで切り離す。淡白な味わいを塩が引き締めていた。素材の味を大事にする味付けは俺の好みだ。
頭と骨だけになった魚を見て、シュシュが目を丸くしていた。
「……らしくない食べ方をするのう」
「……ああ。下手な貴族より気品があるな」
アリシアも真顔で同意する。
「はいはい。期待に応えてやっから」
俺は骨付き肉を手で掴みかぶり付く。
躾に厳しい家だったから一通りマナーは叩き込まれている。しかし、マナーを気にしていては食事が楽しめない。だから、セティには厳しく言わなかった。
実は上品そうなセティが一番食い方が汚い。
「粗野かと思えば上品。かと思えば無礼である。お主はよく分からんな」
対面に座るシュシュがまじまじと俺を見ていた。正面からシュシュを見るのは久しぶりな気がした。最近は俺の上が定位置になっていたからな。
「外面じゃなくて内面を見て欲しい、っていう意思表示なんだろうな」
「……ぐぬぬ。妾は騙されんぞ。それっぽい事を言って煙に巻こうとしておるな!」
「シュシュをからかっているだけだよね、兄さん」
あ、バカ。バラすな、セティ。
わざと討伐隊では汚く食べていた。全てはこの時の為の仕込みだったのに。
「シュシュは兄さんを傍若無人だと思っているよね。だから、上品に振舞うと驚くでしょ。それを見て兄さんは密かに面白がっているんだよ」
「……つまり、いつものオウリだという事だな」
バレてしまっては仕方がない。
え、マナー? なにそれ? と食い散らかす。
うん、美味い。美味い、けども。
セティが腕によりをかけて作ってくれた料理にはステータスを上げる効果がある。しかし、張り切りすぎたのだろう。朝食のメニュー、ボリュームではなかった。
「腕を上げたな、セティ。ただ、下拵えがまだ甘い」
シュシュがなに言ってんだ、と言うように俺を見ていた。大方、俺が適当にフカしていると思っているのだろう。美食の国で培われた舌をナメてるな。
「兄さんは料理、凄く上手だよ」
「妹まで妾を騙す気か」
「ほんとうに。私に料理教えてくれたの兄さんだし。ね?」
「やむにやまれぬ事情があったのさ。気を抜くと毒盛られる家で育ったからな。メシは自分で作るのが一番安全だった」
「……もう騙されんぞ」
「いいさ。過去の事だ」
二度と会う事もないしな。
毒を盛られて救急車で運ばれたのは一度や二度ではない。本当に幼い時を除けば母親が俺に笑いかけるのは、毒でのた打ち回る俺を見下ろす時だけだった。
その笑みに愛情を見ていた俺は……大分、歪んでいたのだろう。
毒への耐性をつける、という名目だったのだ。
一応、効果はあった。
《XFO》のプレイ開始直後から、《毒耐性》を持っていたからだ。
《XFO》は地球での能力もスキルに反映されるのである。
一体どういう原理なのか。様々な憶測が飛び交った。
遺伝子を読み取っているという説。
記憶を読み取っているという説。
だが、俺としては一番、マイナーな説を推したい。
魂を読み取っている、という説だ。
そう考えないと説明のつかない事がある。
記憶を読むでも、遺伝子を読むでもいい。《毒耐性》を付与するのは可能だろう。既に存在しているスキルなのだ。フラグをオンにするだけで事足りる。だが、俺は実家の事情で特殊な能力を一つ持っていた。それが弟に遥か劣る能力だったから、役立たずだと判断されたワケだが……ともかく。俺はこの世界でその能力を使う事が出来るのだ。
そして、俺以外で使っている人を見た事がない――
――コンコン。
ドアがノックされた。
「来たか。案外、遅かったな」
俺は周囲を見渡し、一人一人の顔を確認する。
シュシュは――
「どうせ、むぐっ、お主がなんとか、もぐもぐ、するのであろ、ごきゅ」
食事を続けていた。肉はよく噛みなさい。
セティは――
「人来たみたいだから出てくるね」
と、気負った様子もなくドアへ向かう。
アリシアは――
「……ついに、か」
顔を強張らせていた。祖国を敵に回すのだ。
シュシュは騎士団より肉の方が難敵だ! と言わんばかりに肉にかぶり付いており、セティはセティで来客が騎士団と認識しているか怪しい。俺もここ数年で大概ズレたと思うが、元々は日本の一般家庭……やや特殊な一般家庭の生まれだ。
不謹慎だがアリシアの反応に癒された。
「今開けます」
セティがドアを開けると、堅物そうな騎士が立っていた。
騎士はセティを上から下まで眺めると、
「災厄の魔女だな」
「そう呼ばれているみたいですね」
「王都で処刑を行う。大人しくついて来い」
「すいません。また、後日来て貰えますか。久しぶりの一家団欒なので」
……おお、すげぇな、セティ。処刑って物騒な言葉は丸々無視か。
青筋を浮かべる騎士を無視し、セティはドアを閉めようとする。
しかし、騎士がドアに足を入れる。
「貴様に拒否権はない。来い」
「え。いやですよ。お引き取り下さい」
えいっ、とセティが騎士を押し出す。
可愛らしい掛け声とは裏腹に、騎士は勢いよく吹っ飛んで行った。
むふー、やりました、とセティが戻って来る。
よしよし、と頭を撫でながら、さて行くかと立ち上がる。
「待て、オウリ。そ、その……しゃがめ」
シュシュが顔を真っ赤にして、モジモジと俺を見上げていた。嫌な予感に慄いていると、いいからしゃがめと脛を蹴られた。痛みから膝を落とすと、シュシュがトトト、と駆け寄って来る。そして、俺の頬にキスをした。
「……か、勘違いするでないぞ! ただの祝福だ!」
祝福はステータスを上げる魔法だ。戦いの前にかけるのは不思議な事ではない。だからそう……疚しいことがないのなら堂々としててくれ。頼むから。
俺は温もりが残った頬に触れながら言う。
「……魔王の祝福ね。呪われそうだが」
「くふふふ、呪われたやも知れぬなあ。自身のステータスを見てみよ。《ロリコン》と書かれているかも知れんぞ」
「書かれてない。あ、祝福、サンキュ。じゃ、行ってくる」
「ふぇっ? ええ? ちょ、直前の甘酸っぱい雰囲気は? どこへ行ったのだ!?」
シュシュは男心が分かってない。いたいけな幼女にキスされたと思ったから恥ずかしかったのに、腹黒いロリババアからされたと思えば一転して汚された気分だ。
「わ、私も祝福する!」と言い出したセティをアリシアにぶん投げる。
ああなったセティは生半可な事では引かない。
逃げるが勝ちだ。
勢いよく家を飛び出すと衝撃があった。ドアの裏側を覗くと先ほどの騎士が潰れていた。
「なんだ、まだいたのか」
「……き、貴様無礼な! 貴族の血が流れ――」
おう、いきなりのケンカ腰。
「血の気が多い。もっと出しとけ」
騎士の顔面を殴る。腕を取り、《呼応投げ》。背中を打ち、騎士が息を吐く。その腹を思い切り踏む。騎士がヒュゥヒュゥとあえぐ。指一本動かすのもしんどそうだ。
物凄いザコに見えるが、レベルは165である。レベルやスキルがあっても、人体の基本的な構造は変わらない。呼吸ができなければ高いステータスだって活かせない。PvPをやった事のないプレイヤーがこんな感じだった。
いい教訓になったな。生かす機会は……無いかも知れないが。
騎士の足を掴んで歩き出す。
「――や、やめ」
再び《呼応投げ》。騎士は自分では身動きが取れない。だが、スキルにかかればこの通り。騎士が腕の力でぴょん、と飛び上がる。前に来た騎士を持ち上げ、逆さ吊りにする。
「そういやお前、セティを処刑する、って言ってたよな」
騎士が青ざめる。俺は笑って言う。
「あれ、上の命令で嫌々言わされてたんだろ。ん?」
騎士が首をぶんぶん縦に振る。
……いやまあ、脅したのは俺なんだし……理不尽な思いだとは思うが……変わり身早すぎるだろ。
「ゴミだな」
顔を上げると騎士団が目に入った。格好こそ不揃いだが、整然と並ぶ様は確かに騎士。
見える範囲だけでも数百いる。森の中にもまだいるだろう。神敵の討伐隊にしては数が少ない気がするが、一騎当千がまかり通る世界である。有象無象を増やしても何の足しにもならないという事だろう。無作為に《鑑定》をかけてみれば、全員ハイヒューマンだった。雑兵でもレベル120だ。種族の補正も考えれば、Aランク冒険者以上の強さ。
なるほどな、精鋭と言われるワケだ。
だが、どいつもこいつもいけ好かないツラをしている。
子爵を痩せさせればこんな顔になるのではないか、というような。
ふむ。ゴミはゴミ箱にと相場が決まっている。
捨て場が決まったな、と思い、風属性魔法、第三階梯《エアシュート》を発動。モノを飛ばす魔法だ。騎士団のど真ん中にゴミをぶち込もうとし――それが目に入った。
「チッ。胸糞悪ィ」
咄嗟に《エアシュート》の方向を変更。ゴミは森の奥地へ飛んで行った。
同僚の仕打ちに騎士団の反応は鈍かった。中には笑みを浮かべている者までいた。
元々、捨て駒だったのだろう。
降伏の使者が生きて帰って来れるとは思っていなかったはずだ。
騎士団の視線が俺に集中していた。災厄の魔女を討伐に来たのに、出て来たのが男では虚を衝かれもするだろう。だが、一から十まで説明してやる気にはなれなかった。
彼らが知るべきなのはただ一つ。
俺が敵だという事だ。
風属性魔法、第一階梯《拡声》。これで俺の声が一帯に響き渡る。
「お前らにも友がいるだろう。恋人がいるだろう」
目を細めた騎士がいた。家族を想っているのか。彼も家庭に帰れば父であり、また子であるのだろう。職場帰りに同僚と一杯やり、家に帰れば子供を抱き上げる。
「主義があり、主張があるだろう」
顔を見合わせる騎士がいた。すぐ顔を逸らしていたので、反目し合っているのだろう。だが、険悪な雰囲気を漂わせながらも、どこか認め合う様子があった。
「でもな、亜人にも同じ事がいえんだよ。それがなんでお前らには分からねぇ」
騎士団には場違いな人物が混じっていた。
それを見つけたからゴミの捨て場を変更したのだ。
粗末な格好をしたエルフである。大半が年端のいかない子供だ。ぶかぶかの隷属の首輪が嵌っている。だが、首輪が無くても逃げられまい。足があり得ない向きに曲がっていた。
それでも呻き声一つ上げない。
どんな仕打ちを受けて来たのか想像に難くない。
騎士団の狙いは明白だ。セティ用の盾である。
ああしてエルフを置いておく事で、セティの長所を殺そうとしているのだ。
俺は。俺達は騎士団から逃げだす事は簡単だった。
昨晩、《第六感》で目覚めた。《狂戦士》クラスの感知系スキルで、精度の高い《森の友人》と思えばいい。それは即ち騎士団が接近して来た事を示していた。
全員が《夜目》持ちでは無いだろうし、強行軍の疲れが溜まっているだろう。
十中八九朝を待つはず。
寝静まるのを待てば、包囲網を破るのも容易い。
だが、それでは根本的な解決にならない。
だから、待ちうける事にした。
セティと一緒にいる為、一度世界を敵に回している。騎士団の一つや二つ、殲滅する事に良心の呵責は無い。だが、怨みもまた無かった。必要だから殺す。それだけだった。
だが、今は――
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
エルフの目。目、目、目。俺に向いている。だが、何も見ていない。
目が死んでいる。
「宣戦布告の大舞台だってんで台詞を色々考えたんだけどな。全部無駄になったわ」
激情に駆られた時、人は言葉を飾れない。
「――――てめぇら皆殺しだ」




