第15話 憩いの一時
――― オウリ ―――
「兄さん、兄さん」
「なんだ?」
「呼んだだけ。えへへ」
「……セティ」
「なぁに?」
「…………俺も呼んでみただけだな」
セティの満面の笑みに屈し、言い掛けた言葉を飲み込む。
俺からすればたった数日の別れだが、セティは五百年の孤独を耐えて来たのだ。今の俺は妹を溺愛する兄というより、浮気がバレた彼氏のような心境である。
セティのご機嫌を取るためならなんだって出来る。
既にこのやり取りが十分以上続いているのだとしても。
現在、俺の上には二人いる。
意味が分からないと思う。俺だって意味が分からない。
一人はセティ。膝の上にいる。
もう一人は……シュシュだ。いつもの肩車である。
今度は自分の番だと、シュシュが俺を呼ぶ。
「オウリ、オウリ」
「……なんだ」
「呼んだだけだ! どうだ!」
「…………シュシュ」
「うむ!」
「うぜぇ」
「……ふっ。分かっておったわ。お主が妾に妹を重ねていた事は。妹と再会出来れば妾は用済みになる事もな」
……なにこれ。面倒くせぇ。
段々、シュシュが幼児化している気がする。精神は肉体に引っ張られると聞いた。これがシュシュの本来の姿なのであり、過酷な環境が大人として振舞う事を強要していた……のかも知れない。
俺はため息を吐く。
「…………お前はお前で妹みたいに思ってる、ぜ?」
シュシュがむふふ、と笑い飛び跳ねる。当然、膝の上にいるセティも揺れる。
ん、揺れ……ない?
「……兄さん。ドコ見てるのかな?」
「……ちょ、セティ……肘は痛い。マジで」
抱きかかえる格好だから、胸元が見えてしまっただけ。
すとんとした胸はバンザーイ、と着替えさせていた頃から変わりがない。
五百年の歳月は伸長を伸ばす事は出来ても、胸を育む事は出来なかったようである。
「安心せい、蒼穹の魔女。オウリは妾の胸で欲情しておったぞ」
「おい、てめぇ、シュシュ。嘘つくんじゃ――」
「詳しく聞かせてくれるかな、兄さん?」
「あ、はい」
誠心誠意正直に答えたのだが、シュシュがある事無い事吹き込んでくれ、セティもそれに乗っかってくれるものだから、当人が関与しないまま俺の性癖が決まっていた。
へぇ、知らなかったぜ。俺、ロリコンだったんだ。
……もう、それでいいよ。
「ところで蒼穹の魔女ってなんだ? 災厄の魔女じゃなかったのか?」
「亜人からは蒼穹の魔女と呼ばれておる」
「青い格好してるからか。安直だな」
「捻り過ぎて本質から遠ざかっては意味がなかろう」
それはそうだが。
いつも青しか着ないとディスられてる気がする。
それも仕方がない事ではあるのだが。装備で防御力が変わって来る世界である。万全を期すれば同じ格好になる。俺だって黒衣の死神と呼ばれていたのだ。
セティを鑑定してみれば、大半が知らない装備だった。
俺が贈った装備ではない、という意味で。
ヴェルベディスのセットだ。
《知力》と《精神》への補正がある魔法使い向けの装備だ。
クラスによる装備の制限はない。
とはいえ、クラスに見合った装備をするのが一般的だ。
装備によるステータスの補正はバカに出来ないからだ。
近接クラスの装備で身を固めた魔法使いがいたとする。
生存能力は確実に上がる。だが、殲滅力が一気に下がる。
遠距離から倒す事が出来なくなり、近距離で泥沼の戦いを強いられるのだ。結局、近接戦闘ばかり磨かれて行き、魔法使いと呼べなくなる。そう、何を隠そう俺の事だ。
ヴェルベディスは上の下の装備だが、それ以上の物は俺も持っていない。
耐久度が大分減っているので、後ほど新しいのを進呈するとして。
魔物が装備をドロップしていたとはいえ、やはり最終装備は職人が作るしかなかった。
ネームドモンスターのドロップでヴェルベディスのランクだった。
デスゲーム以降、俺は魔法使いをやめていたので、最終装備は近接用の物ばかりだ。
セティは拳闘士としては並だ。
本領は別のところにある。
だから、セティの戦い方を考えれば、ヴェルベディスは悪くない……どころかいい選択だが……兄としては複雑な心境だ。だって、スカートなんだぜ。拳闘士として戦う時は飛んだり跳ねたりするワケで。ううむ、しかし、命には代えられないし。
後、気にかかるのは《生命の指輪》か。
シュシュにも渡した《生命力》を底上げする指輪である。
拳闘士は指を痛める為、指輪はしないのが普通だ。
初心者が事故死を防ぐ為に装備するもので、ヴェルベディスと比べると見劣りする。ヴェルベディスを揃えられるなら、他にもっといいアクセサリが……ああ、そうか。
俺が贈った指輪か。
「に、兄さん? 痛いよ」
「すまん。感極まった」
「止めて欲しいんじゃないよ。ぎゅってされるの好きだから。優しくしてねってことだよ」
なら、遠慮はいらないな、と抱きしめてやれば、「息がくすぐったいよ」と身をよじる。
アリシアが何も発言しない。見て見れば魂が抜けていた。
尊敬する師匠のだらしない姿は見たくないわな。
「セティはなんでこんな場所に住んでるんだ? 亜人領域では英雄視されてるんだろ」
「迷惑かけちゃうから」
「んん? 亜人に?」
「そう」
セティはどうも言葉が足りない。
それもまた彼女の可愛いトコだが……これは見逃せないのでシュシュを見上げる。
――おい、説明しろ。
――なぜ、妾が。
――飴やるから。
――ふふん。仕方がないのう。
と、言う会話があった……気がする。アイコンタクトだし。精度を求められても困る。
でも、後で飴はやろう。
「災厄の魔女が亜人領域にいれば王国は引き渡しを求めるだろう。後は分かるな」
「戦争になるのか」
英雄を守れと亜人は立ち上がり……ハイヒューマンに殲滅される、と。
「ねぇ、兄さん。今までどこにいたの?」
「さて、ね。それは俺にも分からない。気付いたら五百年経ってた」
「それじゃ会いに来れないのも仕方がないね」
「し、師匠。信じるのですか。突拍子もない話ですが」
お。アリシアが再起動した。
セティが首をかしげる。
「そんなに不思議なことかな?」
「オウリは正真正銘師匠の兄なのですよね。転生者ではなく。大鎖界の時代に生き別れたと聞きました。それが五百年経って現れたんですよ。突如として」
「五百年はおおらかだよね、流石は兄さんだと思う」
「おおらかの一言で片づける師匠も相当だと思いますよ」
「そうかな? でもね。兄さんが私に会いに来なかったのが証拠だと思うんだ。だって、兄さんは私がいなかったら生きていけないもん」
「二重の意味でな」
生甲斐という意味と。
生活出来ないという意味で。
アリシアがジト目で言う。
「……だろうな。師匠手ずから食べさせて貰っていたようだしな」
なんでアリシアが知っているとセティを見るが知らないと首をふられた。
……知らないはずはないだろう。
「勘違いするな、朝昼晩だけだ。オヤツは自分で食ってた」
「……ほほう。朝昼晩だけ……って、全部ではないか!?」
シュシュが騒ぐと、アリシアが我が意を得たり、と口元を綻ばせた。
「シュシュ、食事だけではないぞ。脱いだら脱ぎっぱなし。朝は起こされるまで起きない。師匠と暮らしていた時のオウリは相当な生活破綻者だったようだ」
「……真か?」
あれ、風向きが悪い。
「これには深い理由がある」
「ほう。是非とも聞かせて貰いたいものだのう。理由があるのであれば」
「セティは家族に家を追い出され、死にかけているのを俺が拾った。シュシュみたいに小さくてな。俺がいなきゃ生きていけなかった。だから、俺に捨てられる事を恐れてた。自分が出来る事はなんでもやろうとした。俺がやらなくてもいいっていっても」
「……ふむ。これは悪い事を聞い――」
「結局ね。尽くす女って男をダメにするんだと思う」
俺は本質的にズボラで。
セティは尽くすタイプであり。
噛み合えばダメ人間の出来上がりだ。
「……見直して損したぞ、オウリ」
アリシアが嘆くように首を振っていた。
「ダメだよ、アリシア。兄さんの言葉を鵜呑みにしたら。私が気に病まないように冗談にしてくれただけ。もう、私は子供じゃないんだよ、兄さん。ありがとう」
「……あのなあ。いい方向に解釈し過ぎるな。いつか騙されても知らねぇぞ」
「うん。分かってる。だから、ありがとう。あ、ごめんね、兄さん」
「…………本当に大人になったんだな」
顔を手で押さえる。たぶん、真っ赤だ。
俺が知っているセティであればありがとうで終わりだったはず。
褒められるのは嬉しいが……照れくさいから冗談にしたのに。
だから、気を使ってくれてありがとう。そして、照れさせてごめんね、なのだ。
「オウリ! オウリ! 妾も! 妾も感謝しておるぞ!」
「……うるせぇ。《静寂》かけんぞ。俺は風魔法使いだ」
「今の妾なら簡単にレジスト出来るわ」
「ほう、試して見るか」
「やれるものなら、な」
「いいぜ。《魔力循環》で《知力》上げる」
「ならば妾は|《高揚》《アップリフト》で《精神》を上げよう」
「じゃあ、竜牙杖フェルニゲシュも使う」
「は~~~? フェルニゲシュ? 持っておるのか! 大人げないぞ、オウリ!」
「馬鹿言え。大人げないのはお前のクラスだ。何だよ、魔法使いと神官の魔法使えるとか」
俺とシュシュが睨み合っていると、セティがそういえば、といった。
「兄さん。彼女は?」
「ああ、名前しか紹介してなかったな。盗賊に捕まってるトコを助けた。元魔王だ」
えっ、と驚きの声をアリシアが上げる。セティはふぅん、で終わっていた。
「なんだ、オウリ。言っておったのか」
「ついポロっと。あ、誤魔化したぜ」
「勝手に言うでないと言いたいところだが……お主が言ったのであれば構わぬよ」
「……なんだか嫌な予感がするな。なんで俺ならいいんだ?」
「魔王も知られた名ではあるが、お主の悪名の前では翳むわ。のう、黒衣の死神?」
「こ、黒衣の死神だと!?」
再び驚いたのはアリシアである。
一々いいリアクションをしてくれるので会話に張りが出る。
アリシアがしてくれた話をまとめると。
黒衣の死神はお伽話に出てくるらしい。無慈悲に命を刈り取る死神は、子供達に言い聞かせる時によく使われるらしい。言う事を聞かないと黒衣の死神が来るよ! と。
その黒衣の死神にはモデルがいたとされ――
「その人物こそオウリよ。正真正銘黒衣の死神だ。ハイヒューマンは。というより、プレイヤーは。黒衣の死神が実在する事を知っている。その身で以ってな。黒衣の死神が魔王を配下にしたとしか思われんだろうよ」
「兄さん? 兄さんが黒衣の死神? 私、聞いてないよ。危ない事してるのは気付いてたけど。それ?」
「あー、まー、そんな感じ」
デスゲームを維持する為、プレイヤーと戦ってます、とはセティに言ってなかった。
心配させたくないという気持ちもあったが……お前と一緒にいる為に世界を敵に回してるぜ、とは言えなかった。恥ずかしすぎる。
「……私の場違い感が凄いな」
アリシアが肩を落としていた。
「またまた。アリシアはSランクでしょ。聞いたよ。頑張ったんだね」
「……ありがとうございます、師匠。ですが、シュシュが魔王で。オウリが黒衣の死神で。師匠は災厄の魔女ですし。私だけ見劣りしているのは否めません」
「平気だよ。兄さんもいるし。うんと強くなれる。すぐに悪名も付くから」
「……い、いえ、師匠? 私は別に悪名が欲しいわけでは……」
「それ、今更だと思うぜ、アリシア。俺達はもう一蓮托生だ。騎士団相手に一戦交えようって言うんだ。そりゃ、悪名の一つや二つ付く。それとも王国に未練があるのか?」
「そんな事はない! 家にも手紙を送った。絶縁してくれるように。だが……私がいたところで……」
「役に立たないと思ってるならそれは違う。アリシアの戦いは何度も見させて貰った。装備さえ整えればハイヒューマンにもひけをとらない」
ハイヒューマンは確かにステータスで優遇されている。しかし、ステータスだけで勝てるなら俺はもう死んでいる。技量と装備も重要だ。幸い、アリシアの技量は確かだ。
そう思っての発言だったのだが……装備さえよけりゃ、お前だって勝てるぜ、と聞こえたのか。
アリシアは苦渋に満ちた顔をしていた。
セティが立ち上がり、アリシアの肩に手を置く。
「言い辛い?」
「……はい」
「分かった。私からいうね」
「……すみません」
「いいんだよ。私はこれでも師匠なんだから」
セティが俺に向きなおる。それは真剣な顔で……何を言われるのか。
「兄さん。アリシアが装備欲しいんだって」
………………うん?
「……いや、やるって。そういう約束だったろ」
「ほっ、本当か!?」
アリシアは俺の肩を掴み、ぶんぶん揺する。ぬおお、とシュシュが振り落とされないよう、俺にしがみ付いてきたといえば、アリシアの興奮具合が分かるだろう。
「結局、師匠を呼びに行けなかったからな! 貰えないかと思っていた。ありがとう、オウリ。もし生まれ変わっても、その名は決して忘れない」
「……何をそんなに悩んでたんだ?」
セティに尋ねると苦笑された。
「なかなか言えないよ。装備をくれなんて」
「そんなもんかね。俺達はパーティーで、リーダーはまー、俺になるんだろ。パーティーの装備を整えるのは、リーダーの義務じゃねぇか。大体、アリシアはセティを助けに来てくれたんだぜ。無下に出来るはずがねぇ。アリシアの戦い方は俺に似てる。使えそうな装備は腐るほどある」
「お前は神か! 師匠! 神がここにいます!」
「アリシアの武具好きは変わらないねぇ。兄さん沢山、武器持ってるはずだから。遠慮しないで一杯貰うといいよ」
「私は師匠に一生付いていきます!」
……アリシアのテンションがヤバい。なんつーか、本当に残念な美人だ。
俺が持っているアイテムは宝に等しい。アイテムボックスは宝物庫だろう。
それを解放してやる、と言われればこうもなるか。
「ふぁ~。眠いな、セティ。寝る」
「うん、待ってて。今、ベッドを用意するね」
くくく、と笑い声が上から降って来る。
「災厄の魔女を顎で使うとは大物だのう」
「神敵だろうが、英雄だろうが、俺にとっちゃ妹だよ」
正直に言えばセティが変わってしまったのではないかと危惧していた。何しろヒューマンを虐殺し、災厄の魔女と恐れられているというのだ。変わってなくて安心した。
だが、そうすると疑問が一つ出て来る。
何故、セティが神敵になったのか、だ。
ヒューマンが優遇され、亜人が迫害される世界だ。亜人の迫害を見かねて立ち上がった――というのなら理解出来るのだが、聞いた話は俺の斜め上を行っていた。
俺が世界から消え。
セティは俺を探した。
その頃はまだ亜人の迫害も酷くなかった。
普通に王国を旅する事が出来たそうだ。
大抵の人は俺を知らなかった。当然だ。世界は広い。だが、俺を知っている人もいた。名を聞くだけで逃げ出す人、嫌悪感をむき出しにする人、疲れたように笑う人。好意的な反応は一度もなかったという。逆に俺との関係を問いただされ、妹だと答えると襲われた事もあったらしい。
そうして旅を続け数十年。
あるプレイヤーと会った。衰弱しきっており、死を待つばかりの老人だ。
「そう、君がオウリの。オウリはいないよ。僕も散々探したんだ。ははは、これも神の思し召しかな。知ってるかい? 近々、神敵の討伐を行う騎士団が結成される事を。ただ、この騎士団には一つ問題があってね。まだ、神敵がいないんだ。だから、君は今日から神の敵だ。死にたくないなら早く逃げた方がいい。でもね、君が恐れるべきは僕だよ。また会うかも知れない僕なんだよ? 生は一度きり。だから美しい。僕はそう思う」
老人の宣言通り。
翌日、神罰騎士団に襲われ、からくもこれを撃退。
災厄の魔女と呼ばれるようになった、という顛末らしい。
俺の悪名は鳴り響いていた。反応が悪いのは分かる。だが、一度も好意的な人物に会わなかったというのが解せない。少ないが俺に友好的なプレイヤーはいたのだ。
例えばケモ耳好きの職人のプレイヤー。彼は密かに俺の活動を支援してくれていた。セリアンスロープと結婚し、デスゲームが長引く事を望んでいたのである。
セティに運が無かっただけかも知れないが……何か引っかかる。
が……ダメだ。
眠くて仕方がない。
無理もないか。
見張りで寝ていない。
そこへ魔物の大軍。
ブレイザールまで来て。
戻って見ればゴートが暴走してて。
そして、アリシアを尾行して……と。
そら、眠いわ。
取り合えず……その老人。
見つけたらぶっ飛ばす。
どこで寝るかをセティとシュシュが話し合っていた。
ベッドが二つしかないらしい。
一つはアリシアが使う事で決まったようだ。
じゃあ、後の三人はどこで?
そんな疑問を抱きながら、セティが整えたベッドに向かった。




