第11話 暴風竜ブレイザール
――― アリシア ―――
「グオオオオオオオオオオオオオオオオオゥゥゥ!」
竜の咆哮は敵と餌とを篩にかける。
ビリビリする音の波をやり過ごした後は、立っているのがやっとという有様だった。全身からは止めどなく汗が流れ、歯の根がかみ合わずカチカチと音が鳴っていた。
竜の口から覗く、鋭い牙が見えた。
あの牙で引き裂かれ……私は餌となるのだ。
それは覆りようのない未来だと思えた。
「《沈静》」
そんな涼やかな声が響き、餌と捕食者とで完結していた世界が、不意に広がりを見せた。
黒髪の少女が私を透徹した眼差しで見ていた。
「……今のは君が?」
「すまぬな、お主にまで《勇気》をかけている余裕が無かった」
竜の咆哮には《威圧》の効果がある。
《委縮》のバッドステータスにかかっていたところを、少女に《沈静》で解除して貰ったという事らしい。少女は《勇気》で《精神》を高め、《威圧》をレジストしたのだろう。あの咆哮をレジストするとは並大抵の腕ではない。
「……聞いてはいたが……恐ろしいものだな、竜の咆哮というのは。自分がとてもちっぽけな存在に思え、偉大な存在の糧になれるのなら、それは本望であると本気で思えた」
額の汗を手の甲で拭う。
「稀有な経験が出来たと思うのだな。《委縮》したが最後、大抵は餌ぞ」
「本当に助かった。礼を言う。命の恩人だ」
竜種の頂点に立つ五匹の竜がいる。
緑の暴風竜ブレイザール。
赤の獄炎竜イグニストゥス。
黄の地哭竜リーヴシルト。
青の魃水竜ラドアンク。
そして黒の王騎竜ヤーズヴァル。
これらを総称し、五色竜という。
大鎖界すら乗り越えた生きる伝説だ。
雷名に反して五色竜の情報は少ない。
知られているのはヤーズヴァルだけ。
かの竜にまつわる、こんな話がある。
ヤーズヴァルは世界を巡る。人を襲うでもなくただ空を往く。
それを面白く思わない貴族がいた。貴族は騎士団を動かし、討伐隊を組織した。
出発を待つばかりの騎士団を見下ろし、第五代国王は貴族にこう言ったと言う。
――図体こそ大きいがあの竜の本質は騎獣だ。主を探して彷徨っておるだけだ。貴様が王座を望むのであれば挑むがよかろう。ヤーズヴァルを従える事が出来れば、自然と玉座はついてこよう。ヤーズヴァルは群れを成して襲ってくる相手を主とは認めんだろうがな。
討伐に駆り出された騎士団は壊滅。
しかし、驚くほどに死者が少なかった。否が応にも手加減された事に気付く。
悠々と飛び去る姿は空の王者の貫録があったと、生き残った騎士は後世まで語り継いだと言う。
この故事からヤーズヴァルは王騎竜と呼ばれる。
王国の子供はヤーズヴァルを従える事を夢見る。
しかし、他の五色竜については何も知られていないに等しい。大きな理由は秘境の奥地に住処があるからだろう。だが、一人や二人目撃していてもおかしくない。それでも実態が謎に包まれていると言う事は、目撃者は全て餌となったのだろう。
ブレイザールについて伝わるのは、風を操る緑色の竜という事だけ。
しかし、オウリは確信を持って言っていた。
――暴風竜ブレイザール。
本物だとしたらSランクの冒険者が束になってかかっても勝てるか怪しい。
そんな竜を相手にオウリは、
「ハッハァ! いいなァ、おい! 久々に歯応えがあるぜ!」
哄笑を上げ、斬っていた。
巨体からすれば小さな傷が付く。
竜の《生命力》を削るには不十分。
だが、自尊心を傷つけるには十分だったか。
ブレイザールは唸り声を上げ、前足をオウリに振り下ろす。
巨体からは想像も出来ない機敏な動き。
オウリは紙一重で前足を避けると、懐に潜り込み刀を突き刺す。腹を斬り裂きつつ、巨体の背後へ向かう。ブレイザールは巨躯でオウリを押し潰そうとする。
潰されたと思った瞬間、オウリは背後に抜けていた。《瞬動》か?
尻尾がダンダン、と地面を叩く。
侮っていた羽虫にするりとかわされ癇癪を起している――そんな風に見えた。
だが、込められた威力は本物だ。
大地がひび割れる。
衝撃に巻き込まれれば《スタン》は必至。
しかし、オウリは《震脚》で衝撃を相殺し、
「手癖が悪い。足癖が悪い。尻尾はなんていやいい? ん?」
そんな軽口を叩く始末。
軽口を解したわけではないだろう。だが、ブレイザールは再び尻尾を振るう。今度はオウリ目掛け。
オウリは皮肉げな笑みを口に張り付け、尻尾を見上げていた。
「俺は足癖が悪い」
言うなり尻尾を蹴り飛ばす。《烈風脚》。風をはらんだ強力な蹴りが軌道を逸らし、生意気な羽虫を叩き潰す筈の尻尾は、オウリの前で許しを乞うかのように伏す。
「あ、手癖もな」
光を纏った剣閃が尻尾を切り裂く。《スラッシュ》だ。
「判断が遅い」
もう一度、《スラッシュ》。
ブレイザールが唸る。だが、今度は怒りではない。紛れもない悲鳴だった。
圧倒的な強者だったのだろう。羽虫から手痛い反撃を受け、ブレイザールは混乱していた。
一気呵成に叩くチャンスだ。
だが、オウリは刀でトントン、と自分の肩を叩いていた。
「早く本気出せ。じゃないと――終るぜ?」
ぶわ、とオウリの髪がなびく。だが、風は一切吹いていない。風を操るというブレイザールの能力だろうか。しかし、オウリが何かしたのか、オウリの周囲に無風が戻った。
「俺からの挨拶はまだだったな。受け取れ」
「グオオオオオオオゥゥッ!!」
ブレイザールが身体を揺らす。額から一筋の血が出ていた。
オウリは身じろぎ一つしていなかった。
何が起こっているのか全く分からなかった。
「当ててやろうか? お前、逃げて来たんだろ。戦いもせず。傷一つ無かったからな。お前は自尊心が傷つけられた。んで、俺を見つけた。いい機会だと思った。自分を怯えさせたハイヒューマン。似た雰囲気を持つ俺を殺す。それで自尊心が取り戻せる。そう信じた……と、まァ、なんだ。適当にストーリー作ってみたが、要するにお前は騎士団にビビって尻尾巻いて逃げだした。なのに、俺にはケンカ売って来るとかね。俺の方が弱いって言ってるようなもんだぜ。それは違うって証明してやらねぇとな。ん?」
丁度、大森林には神罰騎士団も入っている。
ブレイザールが騎士団に怯え、逃げ出して来た可能性はある。
大暴走ともいえる魔物の狂乱。あれはブレイザールが現れたから。
そう考えるとオウリの話には説得力があった。
「グウォォーーーーーーーーーーーーーー!」
ブレイザールがオウリに噛みつく。が、オウリに蹴り飛ばされ吹き飛ぶ。
私とシュシュはポカン、と口を開けてその光景を見ていた。
……あの巨体を……蹴飛ばす、だと?
「……オウリは……無事だった……ようだな……」
「ん、名前を覚えたのか」
「……武具をくれた人の名は忘れない」
「……いやはや、なんとも。ブレないのう。妾からはこれをやろう。オウリから色々貰っておってな。状況に応じて付け替えろと言われていた。妾が装備するより、お主が装備したほうがよかろう」
少女が手渡して来たのは指輪だった。
「…………これは、セレスタイトの指輪」
「分かるのか。マニアよなあ」
少女が呆れたように言う。
「いいのか、こんな貴重な物」
「よい、よい。オウリは山程持っておるだろうよ。それより折角Sランクに貸しを作ったのだ。名前を忘れて貰っては困るからのう。一度しか名乗らぬぞ、妾の名はシュシュだ」
「…………恩に着る、シュシュ」
借りは二つになったな。冗談めかして渡してくれたが、私の身を案じてくれたのだろう。
セレスタイトの指輪は《精神》を向上させるのだ。
早速、指輪を指に嵌める。が、必要あるのかどうか。
オウリがブレイザールを拳で突く。竜の鱗は固い。今はもう扱える者がいないが、竜の鱗は最高級の武具の素材になる。いかにアーツといえど、拳を痛めてしまう……と普通なら思うところなのだろう。
だが、《崩拳》を放ったオウリは、そんな事は折込済みのはず。
私の推測は正しく――
「…………オオオオオオオオゥゥゥ!」
咆哮?
違う。
うめき声だ。
巨体を二つに折り、身悶えている。
「そう言えばシュシュは魔法が使えたのか」
回復魔法が使えるのであればオウリの援護が出来るかも知れない。
……援護の必要は……無いかもしれないが。
「泣き叫ぶ幼女を連れて戦う鬼畜がおったからな」
「レベルが上がって魔法を覚えたのか。そうするとシュシュのクラスは神官か」
《沈静《ピュリファイ》》や《勇気》を使えるのは神官のクラスだ。
「妾のクラスは冥闇姫という。魔法使いと神官のスキルは大抵習得出来る」
「いいのか、教えてくれて。上位クラスだろう」
クラスには基本クラスと上位クラスがある。
基本クラスは剣士、拳闘士、騎士と言った一般的なクラス。上位クラスはその名の通り、基本クラスを強化した性能を持つ。珍しいのでレアクラスとも呼ばれる。
レアクラスの亜人。
人攫いには格好の獲物だろう。
「お主は妾を裏切るとは思えんし。オウリといる以上、自重は無意味だ。あれは紛う方なき世界の敵ぞ」
……世界の敵? 不穏な言葉だ。
怪訝に思っていると、くくく、とシュシュが笑う。愉しくて、愉しくて、仕方がない、というように。歳に見合わぬ妖艶な笑みに思わずゾッとした。
「災厄の魔女と同じよ。手を出さねば噛みつく事もない。だが、ハイヒューマンは放っておかんだろうな。オウリこそ彼らの怨敵である故に。動くぞ。世界は。オウリを中心に。そしてその先に妾の復讐がある」
「復讐?」
シュシュが苦笑する。
「語り過ぎてしまったか。オウリには語れんからな。つい口が軽くなってしまった」
「事情は分からない。それでも月並みな言葉を贈るよ。復讐は何も生まない」
「だろうな」
「私に手伝えることがあれば手を貸そう」
「良いのか。復讐だぞ」
「人の事情をとやかく言える程、私も出来た人間じゃないからな」
私はかつてアリシア・シュヴァルツと言った。
だが、もうシュヴァルツとは名乗れない。
シュヴァルツ家は数少ないヒューマンの貴族だった。ハイヒューマンの貴族にとって目障りだったのだろう。はめられて家が取り潰された。それでは飽き足らず、騎士になる道まで閉ざされた。
当時の私は復讐を心に秘めていた。冒険者になったのも力をつける為だ。
しかし、世界を巡るにつれ、視野が広がって行ったのだろう。いつしか家名など瑣末な事だと思えるようになっていた。家族に至ってはパーティーに費やす時間を鍛錬に使えるようになったと喜んでいた。シュヴァルツ家は生粋の騎士の家系だったという事だろう。
だが、あの頃の私に復讐は無意味だと説いても、聞く耳を持たなかったハズだ。
「だが、シュシュの因縁にオウリが関係しているというのなら。オウリには言っておいたほうがいいと思う。オウリとて知らなければ対処に困る事もあるだろう」
「いや、直接には関係は無い」
「それなら……いいのか?」
「しかし、うむ、そうだな。いずれ折を見て話そう。今は駄目だ。あやつ、妹の事しか考えておらん。余計な荷を背負わせようとすれば逃げるやもしれん。助言感謝する」
「たいした事は言ってないさ。それよりオウリの妹か。さぞ凄い人物なのだろうな」
「はて、妾は当人を知らんからのう。ただ、悪名は轟いておるな」
悪名か。災厄の魔女とどちらが上だろうか。
しかし、とシュシュがオウリを見る。
「……強いとは思っていたがまさかここまでとは。あのブレイザールを赤子の手を捻るようにあしらっておるわ。しかも、まだまだ本気を出していないようだしな」
「………………シュシュ、冗談……だろう? あれで本気を出していないだって?」
「オウリは手札を隠しておる。縛りプレイというやつだな、うむ」
「…………いや、そう言われても……俄かには信じらないな……」
オウリはブレイザールを翻弄している。放たれるアーツの半分は理解出来ない。
それなのに、まだ……本気でない?
「……或いは……ああ、そうか。それなら分かる」
「何か分かったのか、シュシュ」
「ブレイザールの二つ名を思い出せ」
「……暴風竜?」
「そう。風を操ることから名付けられた。だが、オウリには風の影響は見られない」
「……そうだ。確かに。ブレイザールではないのか」
「いや、オウリはあれをブレイザールと呼んだ。ならばブレイザールで間違いない。五色竜は大鎖界で何度もプレイヤーに狩られておる。見知っておっても不思議ではない」
薄々察していたが、やはり、オウリはプレイヤーか。それより。
「……何度も狩られている?」
「そう、何度も。死しても一日経てば復活したそうだ。在りし日のプレイヤーのようにな」
「…………」
言葉もない。
どんな地獄だ。
「アリシア。お主はオウリのクラスを何と見る?」
多用するスキルは拳闘士のものだ。だが、武器は剣士の上位クラス、侍の刀である。拳闘士のスキルを習得した侍だろうか。だが、シュシュの口ぶりからすると、そんな在り来たりな答えではなさそうだ。意表を衝いて暗殺者? 騎士? 狂戦士?
「全部外れだ」
「口に出したか?」
「いいや。だが、違う。断言出来る。ん、終らせる気か」
オウリに視線を戻す。
刀が固い筈の竜の鱗を易々と横一文字に切り裂いていた。
あれは《スラッシュ》……なのか? これまでの《スラッシュ》とは威力が桁違いだ。今まで手を抜いていたのか、ステータスを上げたのか。いずれにせよ、余力があったと言う事だ。
……本当に……本気ではなかったのか。
だが、驚くのはまだ早かった。
刀を振り切った体勢。瞬時に刀を逆手に持ちかえ、後ろ手に刀を納刀して見せた。それは拍手喝采の曲芸。だが、戦闘中に行う行為が、ただの曲芸の筈がなかった。逆手のまま刀を一閃させた。納刀状態からのみ使える抜刀術。刀が光っていたのであれもアーツだ。
「ググゥゥゥ!」
勝てないとみたのか。
ブレイザールが悲鳴を上げ、飛び立つ。
「逃がすかよ。てめぇから売って来たケンカだぜ」
飛び立つブレイザールの背にオウリが乗る。ブレイザールはただただ天を目指す。次第に傾いていく中、オウリは慌てずアーツを発動。無数の剣閃が翼を切り刻む。
「あれはッ!? まさか! 《龍勢添翼》か!?」
一瞬で相手を切り刻む、剣士クラスの奥義である。
「グオォォォオゥ!」
「おまけだ。遠慮するな」
オウリは光る斧でブレイザールを叩き落す。
狂戦士の《グラヴィティストライク》。
斧はインベントリから出したのだろう。
地表に降り立つなりオウリはブレイザールに駆ける。
まるで遊びに行くかのような軽やかな足取りで。
「……なんと言えばいいのか」
「安心せい。妾も同じ気分だ……」
シュシュが虚ろな目をしていた。たぶん、私も同じ目になっているだろう。
「……しかし、ますます分からなくなったな」
剣士、侍、拳闘士、狂戦士、神官。
オウリは少なくとも五つのクラスのスキルを用いている。
《龍勢添翼》を見た時は剣士で確定だと思ったが……少しするとそれは明らかにおかしいと気付いた。奥義を習得するのはレベル160と決まっているのだ。
オウリのレベルは160以上ではないだろう。
大量の魔物を倒したとはいえ、そこまで上がっていないはず。
……あれもまた……クラス外スキルだ。
貴族はクラス外スキルの習得方法を秘匿している――そう実しやかに囁かれている。オウリのクラス外スキルの正体はそれか? だが、オウリは貴族とは思えない。
そもそも、だ。
オウリが無名というのがおかしい。
プレイヤーの中には長く続く生に倦み、隠遁する者もいる。では、オウリがそうかと言えば……あの性格で大人しくしていられるとは思えなかった。
「なんか、お前、なまった? 温い五百年だったんだな」
つまらなそうに言うと、オウリは無造作に飛んだ。
それを見てブレイザールがほくそ笑んだ気がした。空中では回避行動を取る事が出来ない。ブレイザールは顎門を開く。本来、魔力は見えるものではない。だが、強力な魔力は可視化する。口内に緑色の魔力が溜まっていた。
――ブレス。
竜の奥の手。
地形を変える威力がある。
駄目だ。
オウリは間に合わない。
最後の最後でミスを犯した。
「――――オウリ!」
咄嗟に駆け出す。剣を抜き放つ。
普段であれば剣を握るだけで心強くなるが、今は枝を握っているかのように頼りない。
このまま走っていては間に合わない。《ムーンライト》しかない。魔力の斬撃を飛ばすアーツだ。ブレイザールに傷一つ付けられそうにない。だが、注意をひければそれで十分だ。ブレスは私を跡形もなく消し飛ばす事だろう。
私は騎士になりたかった。しかし、それは叶わなかった。
騎士にはなれない。
だが、なりたかった自分にはなれる。
私は人を救うために騎士を目指したのだ。
「《ムーンライト》――」
剣を振りきればアーツは発動するはずだった。
だが、身体が固まったように動かなくなっていた。
「《影縛り》――冥闇姫の魔法だ」
後ろから声がした。辛うじて首は動く。振り返るとシュシュがいた。慎ましい月光では影は出来ない。しかし、闇夜よりも濃い影が、シュシュの足元に出来ていた。
その影が伸び、私に絡み付いていた。
「オウリを信じよ」
幼女とは思えない落ち着いた声だった。
冷静になって見ればオウリは微塵も諦めていない。
あの自信は一体どこから来ているのかと思っていると――ブレイザールの魔力の収束が止まった。恐らくオウリが何かをしたのだろう。時間にすれば一秒にも満たない。だが、届かなかったモノを、届かせるには十分な時間で。
オウリが嗤う。
「よう、刻の不条理を感じたか?」
――斬!
ブレイザールの首が落ちた。
人とは違う異相が信じられない、と訴えている。ブレイザールの瞳から光が消えた。瞬間、口内に溜まっていた魔力が突風と化す。ブレイザールの魔力は風の属性を帯びており、主が死んだ事で制御が失われたのだろう。それは執念なのか。風はオウリに向かう。
暴風竜。その名に相応しい荒れ狂う風。
オウリにも予想外だったのか。
苦笑いをしながら風を浴びていた。
異様な光景だった。
木が飛ぶ。岩が飛ぶ。死体が飛ぶ。
世界が全て風で洗い流される中、オウリ一人だけが泰然と立つ。闇夜に染まった外套が旗のように棚引く。刀は悼むかのように涙を流す。ブレイザールの血だ。
「…………黒衣の死神」
堕落した人の前に現れ、命を刈り取ると言う死神。黒衣の死神に殺害された者は輪廻の輪に戻れず、永劫黒衣の死神に仕えることになると言う。騎士の訓練をサボった日には、「黒衣の死神」が来るよ、と親から脅されたものだ。
この死神だがモデルとなった人物がいる。
堕神スニヤの腹心だ。名は伝わっていない。
黒髪、黒目、黒い刀を持ち、黒い外套を羽織った、黒尽くめの人物。そう、オウリのような。嘘か誠か二十余名のプレイヤーを相手取り、瞬く間に返り討ちにしたと言う。それも何度も。余りにも強すぎる為、堕神スニヤその人ではないか、とも言われている。最後は救世の英雄ユマに倒された。
風が止んだ。
更地にブレイザールの死体だけが残っていた。
ブレイザールの首を見詰める。一時はこの口に入ると思っていた。
それが倒されたと言うのに何の感慨も抱けない。
「…………歯がゆい。歯がゆいな」
私が渋面で言うと、シュシュが首を傾げた。
「私はこれでも負けず嫌いだと思っている」
「ふむ? そうでなくてはヒューマンの身でSランクにはなれまい」
「オウリは私よりも強い。だが、強すぎる。強さが全く推し量れない。嫉妬すらさせてくれない。それが歯がゆいんだ、私は」
ブレイザールの咆哮で私は《委縮》した。《威圧》は格下にしか効果を発揮しない。あの時点で私はブレイザールを自分よりも格上だと認めていたのだ。
だというのにオウリは。
ブレイザールを寄せ付けず。
オウリのクラスがなんであれ。私よりも遥か高みにいるのだ。盗めるモノはあったはずだ。だが、私は傍観者に徹してしまった。現実感のなさがそうさせたのだ。
情けない。
私は首を振って気持ちを切り替える。
オウリがジッとブレイザールを見詰めていた。
それは戦っている最中よりも険しい顔で。
「……まだ生きているのか」
「いや、死んでるんだが……ドロップないんだな、やっぱ」
意味が分からずにいると、オウリが気にするな、と手を振った。
「これ、解体しないとダメか。流石に放置はもったいないよな」
「…………良かったら私が解体しようか」
「マジでか。おお、頼む」
オウリは子供ように喜んだ。
魔物の解体は冒険者にとっては初歩の初歩だ。
よく分からない男だと思った。