第10話 魔物の狂乱
差し込む月光が行く手を照らす。道なき道を飛ぶように駆ける。
《夜目10》があればこの程度の光源でも、昼間と変わらない視界が確保出来る。
「阿呆をからかうのは楽しかったか、オウリ」
「まあな。それが俺の生甲斐なんでね。シュシュも楽しんでたろ」
「うむ。痛快であったわ。だが、やり過ぎだと思うぞ。貴重な武器をくれてやったのは。調子付かせては何をし出すか分からんぞ。飢えた獣に牙を与えてやったようなものだ」
「俺に牙を剥くって? それなら楽でいい」
「まさか、それを狙っての事か」
「いや、単に貴重な武器じゃないから、だな」
そう言ってインベントリを操作。直後、俺の手に収まったのは――救済の剣だった。
「ほぇっ!?」
「ん、マジで気付いてなかったのか。俺が五百年前から来たの知ってるだろ」
ゲーム時代は装備もドロップした。救済の剣も敵を倒せば手に入った。
「ふん。お主はもうこの時代の常識に慣れたのか?」
常識は拭い難いか。例え知識があっても。
「ふん。それに魔王だった頃の事は……出来れば忘れてしまいたい。そう思っている事も無関係ではなかろう」
シュシュがしんみりと言う。
「ま、あんな際どい衣装着て高笑いしてた頃の事なんてそりゃ忘れたいわな」
「ふおおぅぅっ! お主も忘れろ!」
シュシュがポカポカ俺の頭を叩く。俺の頭は太鼓じゃないってのに。
「シュシュ、お出ましだ」
様々な魔物の唸り声が不協和音を奏でていた。地鳴りは刻一刻と大きくなり、森が動いているかのように錯覚する。豪胆な人物であっても踏みとどまるには勇気がいる。
だが、俺は、
「さて、パワーレベリングと洒落こもうか」
前に出る。
「うおおおお! 下してくれ! 妾は帰る! ウチに帰るのだ!」
「はいはい、往生際悪いな。しっかり掴まってろ」
シュシュには《生命力》を底上げするアクセサリーを大量に装備させている。指輪とネックレスをジャラジャラさせ、有閑マダムのようだが命には代えられない。
シュシュの準備はそれでいい。
俺の準備はといえば。
様々な薬を飲む。
ステータスを上げる薬や、取得経験値を上げる薬。
大した効果ではないが使わない手もない。
まず出て来たのは凶悪な角を持ったイノシシの魔物。
「グリードボアだと!? 馬鹿な! もっと深部の魔物のはず!」
確かに一足飛びに強くなった感がある。
「ハッ。好都合だ」
突進からの頭突きは脅威の一言。
俺でも《生命力》を半分は持っていかれる。
が、動きが直線的なので読みやすい。
突進をかわすついでに《散打掌》をお見舞いする。なまじ勢いがある為に、横からの攻撃にめっぽう弱いのだ。転倒したグリードボアが木に突っ込む。根元から折れた木が頭突きの威力を物語っていた。
《瞬動》で距離を詰めると、救済の剣で腹を掻っ捌く。腹部は柔らかい。
《制空圏》で背後に敵が迫るのを感知。早い。グリードボアだ。蜻蛉を切り、宙に逃れる。木を足場にして《瞬動》を発動させ、グリードボアを追う。《瞬動》は足に疲労が溜まるので、今度は左足で踏み切って。ふおおお、と百年の恋も冷めそうな悲鳴が遠ざかる。
ん、遠ざかる?
咄嗟に背後に手を伸ばし、シュシュの襟首を掴む。
「掴まってろっていったろ」
「無理! 無理に決まっておろう!」
「我儘なお姫様だ」
「なっ!? 何故、妾が姫だと分かった!?」
シュシュは姫だったらしい。
どうでもいい情報を仕入れつつ、空中で一回転し《バニッシュメント》。
グリードボアが一刀両断される。救済の剣の切れ味は凄まじい。
「目が~。目が回るぅ」
「泣き言いってる暇はないぜ」
草むらから二匹のグリードボアが姿を現していた。
仲間が瞬く間に二体やられ。俺を警戒しているのだろうか。突進を放って来る様子が無い。
俺は《震脚》を発動。二体のグリードボアが地面を踏み鳴らす。都合、三つの《震脚》が地面を波打たせる。波はぶつかると打ち消し合い、後には荒れた地面だけが残った。
「なあ、シュシュ。影踏みってこんな過激な遊びだったか」
「知るか!!!」
《震脚》を使う魔物は多い。だが、《雷脚》はまず使えない。
《雷脚》でグリードボアの動きを留め、《チャクラ》を練り、《サークルスラッシュ》。
「お、オウリ! 剣がッ。剣がッ!」
「折れたな」
「ふっ、折れたな! では、ない!」
「俺の物真似か。似てないんだが。それに、ふっ、てなんだ」
「お主の笑みを言葉にしてみた!」
「お前、案外、余裕あるのな。折れたんなら捨てるさ。んで――」
救済の剣を投げ捨て、インベントリを開く。
「――新しいのと取り換える」
俺の手には新品になった救済の剣があった。
シュシュを再び肩車し、手を離さないよう念押しする。シュシュは壊れた人形のようにコクコクと頷いていた。次に手を離したら放っておくと言ったのが効いた。
いや、身捨てる気はないけどな。
ここからは片手が塞がっているのは厳しい。
「壮観な眺めだな」
ボルケーノアント。ハイドロワーム。グロウバード。エッジウルフ。まだまだいるな。
視界を埋め尽くす魔物の量だ。
普段慣れ合わない魔物まで群れを成していた。縄張り争いをしていられないような事態が起こったのだろう。生存本能に突き動かされ、ここまで逃げて来たのだろうに、俺達を見ると喜び勇んで襲い掛かって来る。生存本能より殺人衝動を優先するとは魔物らしい。
トトウェル大森林と名を変えても、生息する魔物までは変わっていない。
と、すれば魔物の狂乱具合に心当たりがある。
トトウェルの森には強力なネームドモンスターが生息していたのだ。
「お、オウリ! 早くトドメを!」
「ボルケーノアントは固い! 放置!」
触覚を切ると索敵能力が激減する為、ボルケーノアントは放っておいていい。
乱戦で大事なのは大勢を相手にしない事だ。優先順位を付けて着実に無力化していく。
「また、折れたぞッ」
「んじゃ、三代目にご登場願おう」
ハイドロワームの水魔法《ハイドロプレッシャー》を《瞬動》でかわす。
水のレーザーが俺の背後にいたエッジウルフを斬り裂く。狙ったワケではない。エッジウルフの性質が裏目に出ただけだ。エッジウルフは敵の死角に位置する性質を持つ。
グロウバードのナイフのような羽根をかわしつつ、聳え立つハイドロワームを滅多斬りにする。《生命力》バカと呼ばれるワーム種である。倒すのに救済の剣が二本折れた。
ハイドロワームは剣山のようになっていた。
グロウバードの羽根である。
羽根を持ち主へ投げ返す。グロウバードが急速に加速。だが、虎口に飛び込んだだけだった。グロウバードは俺の前にやって来たのだ。アーツを使えば倒せるが、羽を切り落とすに留める。まだまだ先は長い。地面を這うグロウバードは、グリードボアが片付けてくれる。
随分簡単に倒したように見えるかも知れない。
だが、実際は詰将棋のように俺が追い込んだのだ。
グロウバードの加速はスキルだ。名前は覚えていないが、要するに《瞬動》である。弱点も《瞬動》と一緒なのだ。方向さえ読めれば、移動してくる場所が読める。
俺の前に来るよう羽根で誘い込んだのだ。
「もう、十本目だぞ! 脆すぎだろう、オウリ!」
「数えてたのかよ」
「うおおぅ! カスっ、カスったぞ!」
「ペロペロ舐めてりゃ治る。てか、指輪があんだろ。レベルも上がってるし、もう掠ったぐらいじゃ死にゃぁしねぇよ。俺にとっちゃ魔物より、お前の声の方がキツいぜ。子供の声ってなんでこうも耳に響くんだろうな。あんま騒がしいとカスらせんぞ」
「幼児虐待!」
「教育と言え。俺も辛いんだぜ。この世界で最初に会ったのも何かの縁だ。可能な限り守ってやる気でいる。だが、この世界は亜人に厳しい。シュシュが自分で強くなるしかないんだ」
「笑っておる! 見えんが、お主は絶対に笑っておる!」
「ははははは」
「誰も笑えとは言っておらん!」
「殺伐とした戦闘に潤いを与えようと言う俺の心遣いが分からないのかね」
喋りながらも魔物の駆逐は進めている。
魔物の屍が積み重なるにつれ、シュシュの肩車は安定感を増す。順調にレベルアップしているようでなによりだが、最初の恐怖が忘れられないのだろう、常に全力でしがみ付いて来るので、そろそろチョークスリーパーになりそうだ。
「救済の剣が登場した時、ハイヒューマンは笑った。なんでか分かるか」
「知らぬわ! 十二本目! 替えたばかりであろう!」
「刃筋を通せないと一発でダメになる。ん? 何の話だったっけ。ああ、名前がそのまま過ぎたからだ。救済の剣ってのは救済武器だったんだな。弱者を救済する為のバランスブレイカー。それが救済の剣だ。準一級の武器にしては異常に要求ステータスが低い。ただ、流石に《器用さ》だけは平均的な要求ステータスで。《器用さ》が足りないとどうなるかと言うと、まァ、なんだ、見ての通りだな。壊れやすい」
救済武器は概ねぶっ壊れた性能を持つが、その中で更にぶっ壊れているのが救済の剣だ。
ただし、雑に扱おうものなら一発で耐久度がゼロになる。
そのピーキーな性能から救済の剣でのレベリングを札束で殴ると言っていた。
「……オウリ、後何本ある?」
「七十本かな」
「…………もう、何も言えん」
襲い掛かって来る魔物はレベル140程度。適正装備で挑めば俺でも苦戦を免れない。幾ら敵を翻弄出来る技術があったとしても、火力が低ければ一体にかかる時間が増える。
そして物量の前には技術など無意味になってしまうものだ。
では、救済の剣が無くなれば、終わりなのかというと違う。
レベルが上がれば救済の剣もペナルティなしで使えるようになる。
そこまで上げるのは無理だろうが。
大分、選択肢は広がる事だろう。
「打ち止めか」
「……そのようだのう」
見渡す限り魔物の死体が転がっている。
救済の剣は残り七本。大分使った。俺のレベルが112になっていた。一気にレベルが20近く上がった事になる。救済の剣様様である。だが、ここから先は救済武器が無い。公式ページでは予告されていたが、実装される前にデスゲームが始まってしまった。
異常な速度でのレベル上げはここまで。
後は地道に魔物を狩るしかない。
パキ、という音がして振り返る。
ポカン、と口を開けたアリシアがいた。
「…………これ、全部……少年が倒したのか?」
「いや、災厄の魔女が現れて始末していってくれた」
えっ、とアリシアは驚くが、辺りを見回し首を横に振った。
「嘘だな」
……断定出来るのか? そうか、彼女は……
「お主もなに平然と嘘をついておる」
「おい、バラすなよ。王道では隠してた実力がバレると政治に巻き込まれるんだ」
「何の王道かは知らんが。そんな下らん理由か」
いや、それも嘘なんだが。
もう少しアリシアを探りたかったが、シュシュがバラしてしまったので仕方がない。
アリシアは無数に転がった救済の剣を見て、セティの仕業ではないと断言していた。つまり、セティが剣を使わないという事を知っているのだ。
セティを探す手段を持っている事といい。
間違いない。
彼女はセティを知っている。
「…………あ、ああ。救済の剣が……こんなに……もったいない……こ、この破片と、これを組み合わせれば……くっ、駄目だっ、形が合わないか!」
……いや、パズルじゃないしね。形があっても直らないから。
「欲しいなら一本やるよ。その代わり、教えて貰いたい事が――」
瞬間。肌が粟立つ。
シュシュをぶん投げると、うわ、とアリシアが受け取る。
シュシュが何か文句を言っていたが、聞いている暇は無かった。
大急ぎで装備を変える。武器は黒刀朧に、防具は紅彩の外套に。やはり、刀は手に馴染む。単純な火力では救済の剣に一段も二段も劣るが、これから戦う相手は耐久度を気にしている余裕がない。
「来たぜ。魔物の狂乱の原因が」
「原因が分かったのか?」
「今、降りて来る。シュシュは任せた」
「……なに。降りて?」
凄まじい勢いで何かが降りて来た。それは木々をなぎ倒しながら着地する。
もうもうと舞う土煙りが晴れると、見上げなければならない巨体があった。
緑色の鱗。力強い翼。凶悪な顎門。
最強の魔物と称される竜。その一体。
トトウェル大森林の主に相応しい威風だ。
竜は死体すら恐怖させるとでもいうのか。魔物の死体が逃げ出すように竜から離れる。単に風で吹き飛ばしただけなのだが、木々が一切揺れなかったためそう見えた。
俺の頬に一筋の傷が出来ていた。
「へぇ、生意気な挨拶してくれるじゃねぇか」
傷を撫でながら俺は笑う。
「風の扱いなら負けないってか? ええ? 暴風竜ブレイザール」
レベル180の強敵。
いわゆるネームドモンスターである。
救済の剣:《XFO》でも屈指の救済武器。馬鹿げた火力を持つ半面、耐久度は異常に低く、適正レベルになると使えない武器と化す。その為、上位のプレイヤーは腐るほど救済の剣を持っており、初心者を鍛えるのに使われる。救済武器だからなのかドロップ率はかなり高く、かつては市場にかなりの数が出回っていた。